舞台『ぬるい毒』

舞台終わったのでネタバレ含む独り言です。
いちファンの独りよがりな感想ですので不快に思われる方も多いかも。
先に謝ります、ごめんなさい。



舞台『ぬるい毒』。
紀伊國屋ホール
2013/09/13〜2013/09/26 原作/本谷有希子
脚本・演出/吉田大八
出演/夏菜 池松壮亮

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ぶっちゃけ、9回この舞台を観に通ったんですが、正直言うと初見で(>_<)ってなった。
いけまつさんファンの端くれなので、彼の演技見たさにチケット購入した訳ですが、今までのいけまつさんの役はどんなにダメ男でも何かしら萌えポイントがあったのに、今回の向伊という役は、胡散臭いし周りを見下してるヤな感じだし、悪意と虚偽を正当化するかのような言葉を平気で口にする。
ある意味、ここまで好きになれない役を造り上げてる彼が逆にスゴイと思ったほど。
そして更にモヤモヤを増長させるのが、彼の役に限らず登場人物が皆、難癖ありそうなとこ。
誰にも感情移入出来ず、気持ち悪さを抱えたまま話を見守ってくわけです。

3回目くらいまでは何の感想もなく芝居に飲み込まれてただけで、ドロドロモヤモヤとした嫌な後味を感じてただけだったんだけど、3回目の後にようやく原作を読んだらものっすごい衝撃を受けた。

舞台の熊田は向伊の悪に気付きつつも溺れていって、彼に依存してた印象に見えたけど、原作読んでみたら、熊田は向伊の嘘に心酔していて、向伊が生み出す芸術的な嘘を聞きたいが為に自分を演出していたみたいな描写があったので、その辺をもっとバーンと押し出して欲しかった。
もしかしたら私が気付いてないだけで、そーゆーシグナルはちゃんと出されていたのかもしれないけど、ハッキリと熊田が向伊に嘘を望んでたってことが分かるのは終盤のトコだけなんだもんなぁ…。
せっかく熊田の心情をスクリーンに映すっていう分かり易い手法を取っていたのだから、も少し熊田のそういった部分を掘り下げて欲しかった(でも文字に頼りすぎるのもね…うーむ、難しい)。

ここで熊田のモノローグが出たついでに、もひとつモヤモヤするとこがあったのだけど、結構文句言ってる癖に実は熊田のモノローグってすごい気に入ってるんです。
特に好きなのが、向伊に宛てた、本当の自分の姿を明かす送れなかったメール(?)の文章と、最後の方の『わかってる』から始まる長い文章。
なんだけど、何回か見てるうちに『アレ?』って思うようになったんですが、向伊が善人じゃないってわかっていながらも惹かれていく熊田が、向伊と居ることによって自分が『鬼』になる、と分析してる文章があるんですが、その時の熊田は『鬼としてでも生きる瞬間があった方が、何もないまま死んでいくよりもずっと良い』みたいな事を言ってる訳です。言ってたよね?(ハイ、ここで反芻タイム)
…そう考えると、向伊が熊田を堕とそうとしてるのではなく、逆に熊田が向伊を利用してる、って事になる。
それなのに、最後には『自分を笑わないで。悲しませないで。』って言ってる。
あなた、鬼になりたくて向伊から離れられなかったんじゃないの?溜まりに溜まった、培養した怒りの細菌を爆発させたかったんじゃないの??って思っちゃう訳です。
本当に、修羅に生きる瞬間を望んでいたのでないならば、熊田が向伊の目的(熊田家の財産)に気付いた時に向伊から離れれば良かったのに。
あぁ、でもわかっててもどうしようもなく惹かれて気付いた時にはドロ沼にはまってるってのが、向伊の甘美な毒なのか。
そんで本当に暴動が起きてしまった後、熊田に虚しさしか残らなかったのか…。


向伊の話が出たついでになんですが、この人に目を付けられたらホント手に負えない、厄介な人だなと思う。

女の子とかに対して、ムダに顔や身体を近付けて意識させるとか、すごくこまめに相槌を打つとか、呑んでる時に身体全体を相手だけに向けて座るとか、『貴女は僕と同じだよ』って親近感を湧かせるとか。女の子に、気があると思わせるポイントを確実に抑えてる。
そして向伊のスゴイ所は、相手のタイプの人間全体を見下す発言をしておきながら『でも、あなたはそうじゃないよね。あなたはコッチ側の特別な人間でしょ?』って持ち上げて、その気にさせる。その為には自分を過小評価することも全然厭わない。なのに本気でそうとは思ってない態度を隠しもしない。向伊は常に自信に溢れてる。それはもう女も男もカンケー無しに絶大な威力を発揮する向伊マジック。
おそらく、向伊の周りの取り巻き達は皆そんな感じで向伊に心酔してるんだと思う。

そんな向伊が唯一、素顔を垣間見せたように見えたのが(あ、ラスト以外でね)原をこっぴどく傷付けた後の熊田とのシーン。
多分、熊田が自分の思う通りに行動して、完全に自分に堕ちたことを確信して大満足だった向伊。
熊田を利用する目的は変わらぬ大前提だけど、それでもあの時、向伊は熊田をちゃんと可愛いって思ってたんじゃないかしら。
『熊田さんには本当のコト言っておきたかった』『今は熊田さんだけだよ』って、あの発言もきっと本心。
眼鏡を外して、素の顔を見せていたのも、それの表れだと思うのよ。
まぁでも、可愛いと思ってもそれは自分に忠実なペットに対するようなものかもしれないし、例え違ったとしても、そんなちっぽけな本音さえも最終計画の為の駒でしかないところがさすが向伊って感じなんだけど。


熊田が上京した時の、フラストレーションが最高潮に達してキレていくまでのシーンは圧巻でした。
なんかスゴイ。色々な意味でスゴイ。

既出の奥出野村含めた向伊グルーピーの飲み会は…あー…あるある、って感じでやけにリアルでした。
野村の胸に『侍』って書いてあったのが謎(笑)。奥出のほっぺとリップがやたら赤くておてもやんにしか見えなかったり、素顔は絶対に可愛いと思われる女の子たちが残念すぎるメイクだったりと視覚的にものすごい。
あの凄メイクは、毒に侵されてる若者たちが熊田にはああ見えてるってことなのかな。
ここらへんの結末は、原作よりバイオレンスな感じなのだけど、舞台観ながらずっと『向伊にバチが当たってしまえ…!』と思ってたので少し気が晴れた。
でもその後、なんかよくわからない脱力感とゆーか、虚無感に襲われるんだけど。
なんだろ、熊田が19から22歳までの3年もの時間を費やして、ようやく鬼になれた瞬間を迎えたのに、虚しさしか残らなかったのが切ない、みたいな。
そんなもの悲しい気分にさせられる。


そしてそれから1年以上過ぎて、立ち直れた熊田にホッとひと安心。

辛すぎる過去はちゃんと糧となって熊田を成長させたのだな。

地元で偶然に出会った奥出は、あの頃の軽薄な感じとは打って変わって、まっとうな青年になりつつある。
熊田の大立ち回りに衝撃を受けて、そして向伊からも遠退いた事によって彼も解毒されたのね、きっと。


その後の向伊のことは、何もわからないまま。
もしかしたら彼も変わっているのかもしれないし、変わらないまま今もその悪どい魅力で周りの人を魅了し続けてその中心で君臨しているのかもしれない。
わからないけど、それでいいのかなと思う。

トークショーの時、いけまつさんが向伊のことを『そんなに悪い奴だと僕は思わない。男は皆、少なからず向伊みたいな所がある』みたいな事を言ってましたが、自分の周りには向伊のような人間は居なかったので、やはりその禍禍しさにはヒリヒリとした嫌悪感を感じます。


24歳を迎えた熊田の目の前が拓けているかどうかは過去じゃなくて、きっと未来で決まる。

そう思いたいエンディングでした。


まーそんな感じで長々と呟いてはみたものの、毎回1番ハラハラしながら観てたのが、向伊が暴れる熊田を枕越しにギューするシーン。
暴れる熊田の手が、いつ向伊のトランクスに引っかかってポロリしてしまうんじゃないかと(笑)そんな心配ばかりしてました。

あと、以前『露出狂』でも遺憾無くその魅力を発揮していた原役の板橋さん。
あなたはこの舞台唯一の癒しでした…!!

なんだかんだ言いながらも、非常に濃密な時間を体験させて貰った2週間。

この作品で、胸をえぐられるような傷を付けられて、今まで自分が気付こうともせず知らなかった世界への視野が広がった気がする。


ものすごい体験を与えてくださった原作者様、監督様、キャストの皆様、スタッフの皆様。
とんでもない衝撃をありがとうございました。


ここまで長々とお付き合いくださった方もありがとです。