超はためく

2018-02-14

ガラスを割る

歌詞を聴く習慣がないので、歌詞は別に読み込むしかない。
欅坂の新曲『ガラスを割れ!』、平手の男形も堂に入ってるしハードロックも良いんだけど、既存の男性グループがやってることに近づきすぎると新鮮さは薄れるよなというのが正直な感想でした。

女性グループがこれをやるんだという意外性も、だんだん薄れて行くので、よほど意外なモチーフに取り組むのでない限り男性的な表現を連続でやるのは今回までが限界なのでは?と思うのですが、どうでしょう。
そもそも女性グループが男性的な表現に取り組むことに価値がある訳ではない。欅が受けたのはアイドルがこれをやるのか!という意外性の部分が取り沙汰されがちだけど、本当の魅力はこれは彼女たちにしかできない、と思わせるネタ選びの絶妙さだったと思うんだよな。そのような魅力が少しずつ失われていくような寂しさがある。あまりにベタ。
でも商業的にはメディアで紹介しやすいように「女子が男性的な表現をやる」というところに焦点が絞られていくのはある意味正しいというもどかしさがあります。
秋元グループにありがちな短絡的な価値観が持ち込まれ始めているような嫌な感じと、それはそれとして様々な表現を経験値にしてグループとして成長していく欅への期待が入り混じって複雑。

まあでもこれは第一印象でしかないので読みこんでいくうちに印象は変わるかもしれない。

とりあえず衣装とダンスには全幅の信頼がある。
それにしてもガラスを割れってもろに尾崎では?
対象年齢を上げて行く狙いもあるのかも。

ダジャレから書くか

ワニガメは苦め
(もしくは「ワニガメの肉は苦め」)

・胡椒はんぶんこしよう

豚汁を疎んじる



バレンタイン企画で百合が公式供給されたことについて、まずはお慶び申し上げます。「りりあさん」と呼ぶ松村さん何なんだ。1期生は本当に尊いな。

これは百合とは違うけれど、齋藤飛鳥さんが「伊藤さん」と呼んだことも個人的には良かった。冗談めかして畏まった苗字呼びするんだけど、根っこにある人みしりが滲んでしまうアレ。自分は後輩と積極的に関わらないから今は自分推しの3期生も他の先輩に目移りするだろう、と言う齋藤さんの予測は当たっていましたね。


色んな先輩に好き好き言ってたのがばれちゃった久保ちゃんも良かったな。今回のMVP。もちろん先輩たちのバラエティ的な盛り上げも含めて。
その場その場で感情が溢れて色んな先輩に好きですって言っちゃうのは、普段の感じ見ててもすごく想像できるし、それがああいう面白い形で明るみに出たのはとても良かった。沈痛。

山下プロは恋愛企画で印象付けたプロ感をキャラに昇華出来そうだな、とバレンタイン企画見ていて感じた。立ち振る舞いの落ち着き感が他の3期生には無いなーと思った。「(インフルの衣装着たのは)日村さんに憧れたとか?」に対して笑いながら「違います」ってばっさり言うセンスが本当に良くて、もっと余裕が出てくると多分めちゃくちゃ魅力的になる。
 そして今回の企画で5人からの先輩を振ってキャプテンにいったのは、別に計算でも何でもなく、普通にキャップと距離を近づけたいだけなんだろうな。そういう不器用さももっと注目されてくれ。

2017-12-20

年末

この日記に時候的な話題を載せると寒気が走る。あまりにちぐはぐなので。

でも年末です。アイドルにハマって2度目の紅白が近づき。

いや、そんな話ではない。アイドルの容姿についてあれこれ言うことは最悪の行いであり、褒める場合にすら細心の注意を払わねばなりません。

特に俺のような人間は。

自分の過去の発言について、あれ失敗したな、浅はかだった、と思うことがいまだに多いのですが、悔いても祈っても絨毯にぶちまけたクラムチャウダーより取り返しがつきませんから、諦めて自分を罰する棘の枷をよりきつく締め直すのみです。

自分の娯楽に対する態度には共感と言うチャンネルが乏しく、アイドルについて言及すると、どうしても心ない嫌味が8割を占めてしまう。好きだと言っているのに。

推しに対する愛情」とか無く、対象が血肉の通った一人の人間だという意識が薄く、対象のコンテンツ性にしか興味が無いので、テレビ出てる姿見て、つまんないなと思ったらつまんなかった、と言ってしまう。

アイドルとしては好きでも、人間的には好きではないので』

言ってしまえば、自分にとってはアイドルってそういう娯楽なんですよ。

つまんない品評を浴びせて自分の習癖を満足させる、っていう。

終わってる。



根っこにそういう態度がある以上、どう言葉に注意しているつもりでも滲んでしまうし、何ならはっきり言葉にしてしまっている。



アイドルに仮託された夢と祈りの物語にはその辺の人よりはなじみやすい精神を持っているし、自分に合った娯楽だなぁと強く感じる時もあるけれど、結局、彼女らの人生は仮託された夢にささげるものではなく、人々の祈りは空を切って虚無に消えて行くのだよなと我に返る瞬間があって、それはアイドルの顔が良くなかったときです。

所詮紛い物に過ぎないという考えに意識が固着してしまう。
フィクションから覚めさせないでくれ。

顔がお綺麗でなければいけない。完膚なきまでに。


そして健康でいてください。



赤の他人の顔が良くない(瞬間がある)ことにイライラしている俺はまるで健康ではないわけですが。



アイドルは顔だけが取り柄じゃない、けれど、やっぱり顔が無いと始まらないと思う。俺の中ではな。



結局純粋にハマり込める推しがいないと言うのが答えで、じゃあ見るの止めろよ、で終わりです。

精神がもうちょい健全であれば、そうできたのですが。

2017-10-21

ラッキーピエロもご立腹

今、好きな曲どもは俺の青春の音楽じゃない。
この曲どもが青春の音楽だったら良いのになと思う。
だが数年後にはこの曲どもも青春の音楽よろしくノスタルジックに、心を締めつけるようになりやがるのか。オーイェーー。

今でよくない?
何で数年待つ必要がある。そのノスタルジーは今すぐ必要なんですよ。

胸に去来する青春の風景も無いくせに、のすたるじっくという感覚を理解する器官は備わっているらしいです。くそったれな脳ミソだ。

「ああ、青春だなあ」

それはお前の青春ではない。

でもいいんですよ。どうせ記憶の中の出来事は「ここ」に実在しない。それは誰にとっても同じことでしょう。

一人で懐かしむためだったら嘘の記憶でも良いんじゃないか、極端な話。


青春の頃に聴いていたわけでもないのに、不思議とノスタルジックに聴こえる曲というのがある。曲の描く世界観に意識を吸いこまれて、居心地の良さと胸が締めつけられるような切なさを同時に感じる。何かを思いだしそうになるが、それが何なのか分からない。とても懐かしい気がするのにな。

他人の記憶が俺の頭に住み着いているのか?
それは、ない。
でも俺の記憶でもない。執拗に美化されて原型を失った記憶の断片なんだろうな。

感性がご立派に育たない限りは、そういう懐かしい感覚に夢を見続けて、安心しきって身を委ねることを止められないだろう。

だから何だってんだ。

意味もなく続いてくながーーーい人生の時間のどこかで一瞬安っっっっっっっぽい夢を見たからって、何かが悪い方に転ぶわけでもない。誰がそれを知る?

意識の働きがずっと均質なんてことはありえない。どこかの瞬間で格別に良いものを見せてくれることもあるし、逆もしかり。

そこに実体が無いからって、誰かが困ることもない。
俺が楽しくて、俺が虚しいだけですよ。

2017-10-15

御悩み

自分が面白いと感じるものが世間的にはそうでもなかったり、世間にものすごくウケてるものが自分にはそうでも無かったりということがものすごく嫌だった。けど、その時期は過ぎて各々が好きにやって行きましょうという気持ちが出来上がりつつある。そもそも俺担い手じゃないから直接関係ないんだよ。ばかばかしい。人に合わせて特に面白くないものを「面白いですよね」って言ったところで自分の何かが失われる訳ではない。担い手と違って。

価値観の違いを互いに認め合おう。まあ無理なんだけど。本質的に頭いい人にバカが合わせるのは無理です。適度に距離を取るほかない。でもバカはその防衛ラインを無自覚に踏み越えていざこざを起こす。それを傍から見て「うわぁ大変そう」つってるのが俺です。どちらにも属しきれないので何も言うことが無い。そういうことが多すぎる。

面白いの担い手でも、面白くないの担い手でも、頭いいの担い手でも、バカの担い手でもない。クズではある。


そういえば、アイドル曲って似たりよったりであまりいい曲が無い印象がある。
あれは市場原理が働いた結果、つまりコストや収益に見合った楽曲提供者を揃えた結果一定のレベルに落ち着いているんだと思うのですが、
つまりアイドルに割ける文化的リソースの全体に対する割合はそう変わらないだろうけど、音楽業界がもっと活性化してレベルが上がればもっと平均的に質の良い曲がくるようになる、のでしょうか。
それとも受け手が変わらなければ今のまま?

アイドルにハマり切れないから楽曲に拒否反応が出ているのか、楽曲にハマり切れないからアイドルにもハマり切れないのか、これは両方です。互いが互いに影響している。
 それって可能なのか?無限に影響がループしたら両方0になるんじゃない?価値判断はそれぞれ独立に行われるので無限ループはしないです。それかプラスの要素とも影響しあうので0には向かわないとか?

どうでもいいですね。今の鈍い頭では考え切れない。

2017-08-28

にんにく 1片

対象そのものに愛情を抱くということが無く、その対象を鑑賞することで自分の中に生まれる感動とか感心する心の動きが好きだということに気付いてきた。

本当は同じ感情を提供してくれるなら対象は何でも良い。これ、結構誰でもそうなのではないか。ただ、その対象と同じ感動を生み出せるものが現れる確率が十分低い状況にとどまり続ける限り、その人の主観的には「その対象にしか生み出せない感動がある」ということになり、そういう時人は「私はこれを愛している」と言う。外観上は対象そのものへの愛も、対象を愛でる時自分の中に生まれる変化への愛着も同じだし、区別する意味はあまりない。

ただ、俺のようにあんまり物事を認識する解像度が高くないと、この構造の違いが問題になる。体験の固有性が認識できにくいから愛情の対象は代えが利きまくる。何か一つに熱中するということができない。

アイドル見てても誰か一人に夢中になることがない。何見てても周期的に飽きがくるのは、自分にとって替えが利かない何かが無いから。心の隙間は割と何ででも埋められる。ある程度の面白いものであれば。


ただ今は確かに山下美月が好きだし推してる、はず。1秒ごとに「本当か?」と気持ちが揺らいでるけど。ほんの数日前まで3期生では久保史緒里さんを推していこうという気持ちだったけど。

人間が俺にとって魅力的な面とそうでもない面とにセパレートされて存在してくれると助かるんだが。

アイドルってもっと物語性に溢れているものだと思っていたけど、物語を読み出すには結構受け手側の地力が必要だな。

物語性は不可欠ですよ。物語が無かったら単なる半人前タレントなわけでしょう。