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耀姫の日記    このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-01-22

日本神話の中に登場する 耀姫(あかるひめ)

20071201152630

 日本の伝統的な文化の語り手として活動する目的でつけた、耀姫?というニックネームは、古事記日本書紀神話のなかに登場する神様名前です。幾つかの神社にも祭られています。古事記には、阿加流比売(あかるひめ)神と書かれています。カタカナ平仮名がなかった時代の人々は、苦労して漢字を用いて日本語を音写していたことがうかがえます。

 耀姫?神話を紐解いていくと、皇室日本人の心のルーツに辿り着ける可能性が見え隠れしています。正史の中に組み込まれて伝承されている耀姫が登場する神話は、古事記を読んでもらうことにして、ここでは、一族に伝承されているお伽噺を、手短に現代語に意訳して紹介しておきますね。昔々、アジア大陸の東にあったとある国のとある池で、人間女性が水浴びをして遊んでいたら、太陽の光が水鏡に反射して、虹のように輝いてホトを照らしました。すると、不思議なことに女性は身ごもって赤い玉を産んだのだそうです。その玉が成長して姫になったのが、この私、耀姫なのだそうです。太陽人間結婚したら、玉のような女の子が生まれたという、神人婚・卵生説話があるのです。この御伽噺には続きがあって、耀姫は、やがて天日矛?(あまのひほこ)という日神?に見初められて、妻として仕えるようになったというのです。つまり、この神話は、太陽神に仕える斎女?巫女)の一族の祖先は、処女懐胎によって生まれた神の子だったという、民族ルーツに関する御伽噺の伝承なのです。似たようなパターン神話は、モンゴルや、扶余や高句麗があった満州地域朝鮮半島、そして日本にも伝わっています。古事記日本書紀に書き残されるほど、昔は有名なお話だったようです。

 二つめの天日矛?と耀姫?神話の粗筋はこうです。耀姫に対して、天日矛が良くない言動を働いたので、怒った耀姫は「父のいる国に帰ります」と言い残して、日国へと旅立ってしまいます。天日矛は耀姫の後を必死で追いかけて、倭国に到着して帰化した、というお話です。古事記にもほぼ同じ内容の神話が記されています。この伝説のもとになったのは、おそらく2世紀後半から始まった、地球規模の寒冷化によって、大陸満州地域にあった、扶余や高句麗といった国々で深刻な飢饉が発生して、食べ物を求めて温かい地域難民となって移動する、南下政策を余儀なくされた出来事だったのでしょう。天日矛の言動の悪さに喩えられているのは、おそらく、寒冷化によって顕著になった、太陽の力の陰りのことだと思われます。当時も日神に仕える生き神の巫女として、耀姫が存在していたらしく、託宣の内容が今も伝わっています。意訳すれば、日の昇る方角に、祖先が住んでいた日の豊かな国があり、約束の地が存在するというものです。その言葉を信じて、希望を抱いて、暖かい日の光が降り注ぐ土地を求めて移動していった人々の憧れから、さまざまなエピソードが加わえられて、出来上がっていった御伽噺になっているのです。

 三つめの神話は、天日矛の一族が九州地域上陸して、次々と大陸式の強固な山城を構えながら東進の旅を続けていき、播磨南西部の秘め地(現在姫路)の隠れ里や、丹波など、幾つかの安息の地に辿り着いて、入植を果たした、というものです。福岡県西部の雷山城などの築城を伝える故老の話と、現地の地名・地形・構築物の構造が一致します。神籠石(こうごういし)と言われる特徴のある石を並べて、その上に土塁を築く方式の山城で、このような石を切り出すには鉄の道具が必要になります。弥生時代の当時、日本で鉄の道具を扱える技術を持っていたのは、渡来系の人々に限られていたようです。天日矛説話が伝承されている地域が、秦氏が居住していた地域とほぼ一致する結果を得ているので、うちの一族が弓月の君に率いられて東進していき、大和朝廷内では秦氏を名乗ったという故老からの伝承は、かなり正確なもののようです。言い伝えどおりの場所に神社なども残っているので、史実に近い形で今に伝わっていると思います。高句麗からは、何度も繰り返したくさんの人々が関東地方に移住した記録も残されていて、うちの一族の故老の話と、他のルートで伝わっている史料がほぼ一致します。百済高句麗の順で国が滅んだあと、日本亡命した王族は、武蔵国高麗を作って治めていたことも分かっています。

 これに対して、よく分からないのは、皇室ルーツであるはずの、神武天皇の東征神話のほうです。確実に足跡を残して移動していった天日矛一族の東進比較すると、不透明な印象を強く受けるのです。おそらく、神武の一族は百済王族時代を経てから日本に入植したと思われるのですが、記紀の編纂者が故意神話的脚色を施して、神代の時代の出来事として年代推定が困難な状況を作り出してみたり、事実を隠蔽したような印象を受けます。うちの一族が管理する古いお墓の中に、伝説どおりの品が納められた状態で見つかったりもしているので、天日矛の一族の日本国内での動きは、物証面からも裏付けが得られています。対して、神武東征神話は、ストーリーと突き合わせられる物がほとんど見つかっていないようです。箸墓古墳などが、一番重要な位置に存在するので、何か決め手となる品が出てきそうな気がするのですが、残念ながら、宮内庁が発掘調査に否定的な態度を取っているらしく、今のところ掘って確認することができないようです。

 ここまでをまとめると、今から千数百年前に地球規模の寒冷化が起こって、扶余や高句麗飢饉に苦しんだ人々が、日神に祈りを捧げてもたらされた託宣を信じて、日の光が豊かな理想郷を求めて、いくつものグループに分かれて、何度も日国まで東進した。天日矛神を信仰する一族の希望を繋ぐ予言伝承していった巫女が神格化された姿が耀姫だった、ということになります。太陽信仰そのものは、それ以前の縄文時代から、アジアの広い地域で存在していたようです。たとえば、日本各地に残る縄文時代磐座(いわくら)遺跡にも、冬至日の出の方角に向いた祭壇が設けられていることがよくあります。冬に向かって衰えてきた太陽の光が、再び力を取り戻したことを祝う神事が伝わっていますが、これと対応する祭壇が縄文時代から日本各地にあったことから、太陽信仰が盛んだったことがうかがえます。扶余・高句麗地域では、神道と言わずに道教と呼んでいたのですが、その時代から三種の神器を用いた神事が存在していました。また、高句麗軍のシンボル三本足の烏は、神武天皇の旗印だった三本足の八咫烏(やたがらす)と特徴が一致するので、神武東征した人々は、扶余・高句麗百済と移動して倭国に入植たと見て、間違いなさそうに思います。

 天日矛神は、現代の日本ではあまり目立つように祭られていません。おそらく、日本に古くからあった太陽信仰習合して、天照大神改名されているのでしょう。奈良にある大和朝廷の最重要施設のひとつ纏向遺跡を見下ろす丘の上には、穴師坐兵主神社が建っています。そこから出てきた史料から、以前は天日矛が祭られていたことが分かっています。うちの一族が中央集権国家大和朝廷を支える一氏族だったという、故老の伝承に対応する痕跡が幾つか認められるのです。おそらく奈良大和の地で、さまざまな氏族が持っていた太陽信仰習合して、天照大神へとまとめ上げられていった時代があり、大和の地から伊勢へと移されて、今の伊勢神宮の形になったと考えるのが、一番自然なようです。先祖様達は、耀姫が示したある託宣を境にして、突然大和朝廷権力闘争から身を退きました。日本各地に分散したと伝えられています。その後、たとえば、葛城のうちの一族からは、役の行者小角などを輩出していったらしく、周期的に伝説の中に顔を出すこともあったようです。

 天日矛と耀姫のペアは、古い時代に祭られたものが、形を変えていったようです。いつのまにか、東進した時代の苦労が忘れ去られていき、乱暴な扱いを受けたケースもあるようです。後から登場して信仰が盛んになった神功皇后を祭るため、耀姫を他の場所に移したケースも見つかっています。やがて、仏教陰陽道修験道習合する時代になると、伝承文化の蓄積量が増えて、各分野を役割分担しないと全てを伝承しきれなくなっていきました。

 代々うちの一族の男衆は、修験道修行などと称して、山野を歩き回って、あまり家に居着かないライフスタイルを取ってきたので、今でも、母系の継承を行う風習が残っています。意外に聞こえるかもしれませんが、男尊女卑なんて発想は、古風な文化を受け継いできたうちの一族では、考えられません。天日矛信仰が生まれた高句麗道教の時代から、形式的には男性を立てながらも、じつは女性のほうが強い発言権を持っている状況は、あまり変わっていないようなのです。

chobi0801chobi0801 2010/02/13 17:32 耀姫様
こんにちわ  kenと申します
偶然 HPで拝見しました。

実は、今日 姫社神社(岡山県総社市福谷秦)へ行ってきました。
古代吉備王国について勉強しかけています。

神社には、「古代吉備王国発祥の地」「鉄造の神様」との看板がありました。祭神は、アカル姫でした。

天日矛・アカル姫は、「秦氏」のご先祖ではないかと思いました。
秦氏は、技術集団(鉄・陶器・染物etc)だったようです。

いま、地元岡山にある「鬼の城」に注目しています。
桃太郎伝説にある「鬼」の住んでいたところです。
古代吉備の歴史は、ほとんど伝わっていないそうです。謎が多いです。

(今日時点の私の推測)・・・相当いいかげんです
古代吉備王国(造山古墳造営が頂点)は、実は 天日矛の一族が支配していたのではないかと思います。この王国(国王=温羅、妻=阿曾媛)は、大和朝廷から派遣された四道将軍「吉備津彦命」によって滅ぼされますが。

もう一つの謎。
吉備津神社(祭神=吉備津彦命)と吉備津彦神社(祭神=吉備津彦命)が となり合わせに建っています。???
ただ、吉備津神社には そばに「鳴窯」があって 「温羅」をお祭りしています。吉備津神社の外陣には「うしとら御崎」の宮を四方に祭っています。
このうしとら御崎の神というのは、地元の話では 「温羅」を祭っているそうです。
ふつう、大きな戦争で負けた方は、一族皆殺し・関連の建物はすべて焼却とうのが、一般的かと思いますが。四道将軍「吉備津彦命」は、おおらかに これを黙認したようです。なんの証拠もありませんが、四道将軍「吉備津彦命」は、大和朝廷で勢力をのばしていた 「天日矛」の子孫ではなかったかと。 同族を皆殺しにはできなかったのではないでしょうか。
言い伝えでは、鳴釜の神事は、温羅の妻=阿曾媛を初代に岡山県総社市阿曾地区の娘さんが 今でも行っているそうです。

勉強不足ですみませんでした。また訪問します。

mayumi_charronmayumi_charron 2010/02/13 20:06 kenさん、いらっしゃいませ。

 耀姫の痕跡に触れたのですね。北九州から丹波まで移動していったルートに沿って、祭られた神社が点在しています。耀姫が東進の発端を作った託宣は、神武東征神話にも似た発想の記述が出てくるので、女神の天照大神のイメージのルーツになっているのではないか、という説を唱える人もいますね。

 桃太郎の鬼退治の伝説は興味深いものを感じます。耀姫が誕生したエピソードの神話は、生まれたときは赤い玉だったというお話なので、卵生神話に分類されています。じつは桃から生まれた桃太郎も、神話学の世界では、卵生神話の変形と考えられています。卵生神話は大陸から朝鮮半島を通って日本に来たものですから、桃太郎は大陸系ということになりそうです。卵から生まれたというエピソードを持つ、高句麗国を建国した英雄朱蒙あたりのイメージを引きずっている可能性もあります。川に洗濯に行ったおばあさんが桃を拾ってきますが、じつは、日本の神道には、斎女(巫女)が川から神を受けて一夜妻をつとめる神事が幾つも残っているのです。だから、洗濯のおばあさんは、斎女が姿を変えたものです。3匹のお供ですが、弥生時代に太陽を象徴する数は3でした。太陽信仰を持つ高句麗軍や神武東征軍が、三本足のカラスや三種の神器をシンボルとしていたことに繋がるイメージを持っています。そして、桃太郎は鬼が島に船で移動しているので、山東半島遼東半島あたりの海人の活動ともイメージが重なってきそうです。となると、天日矛一族の東進神話、または神武東征神話が、子供向けの御伽噺へと姿を変えたものが、桃太郎伝説の可能性もあるのです。

 鬼の城は、神籠石を用いた山城としては、凄い規模を誇りますよね。前方後円墳が吉備の地域から各地に広まっていった痕跡などから、ヤマト王権を束ねた大王家は、吉備の豪族だったのではないかと推理する人もいますよね。鬼の城や古代吉備王国の古い姿を求めていくと、皇室のルーツが見えてくるかもしれません。吉備津神社の温羅の扱いは、古い時代の神道の世界では普通の発想です。滅ぼした側が、滅ぼされた(屈服させられた)勢力の遺された人々(残党)の気持ちを和らげつつ、傘下に組み入れて支配していくために、神として祭るのを許可するスタイルを取ることがよくあるのです。現代風に言えば、戦没者慰霊碑のような意味を持っているので、遺された妻子の一族が墓守のように祭っていくのが自然です。神武天皇も、滅ぼした一族を大和の地で神社に祭ったのではないかと推理してる人もいますね。

 隋書に「又至竹斯國又東至秦王國 其人同於華夏 以爲夷州疑不能明也」とあるので、筑紫の東に風俗が中国と同じ秦王國があったことが分かります。これが瀬戸内海のどこにあったか推理してる人もいます。なかなか分からないから、謎解きしていく面白さがあるようです。

chobi0801chobi0801 2010/02/13 21:12 耀姫様
早速のくわしいコメントありがとうございました。いたみいります。
ぽつぽつ勉強しますのでよろしくお願いいたします。
こんなブログ実は始めました。
http://d.hatena.ne.jp/chobi0801/
ときどきお越しください。

mayumi_charronmayumi_charron 2010/02/14 13:47  桃太郎の解説で書き忘れましたが、きび団子を与えて家臣を増やしていくエピソードは、二世紀後半からはじまった地球規模の寒冷化によって、高句麗地域で飢饉が発生して、暖かい日の光を求めて南下政策を余儀なくされ、食料を求めた旅だったことを暗喩している可能性もあります。神話や御伽噺の解釈は、読み手によっていくらでも好きに出来てしまうところがあるので、この辺りまでにしておきますが、秦氏と海人も密接に繋がりを持つようで、一族を率いた弓月の君が、桃太郎伝説のモデルとなった可能性もありそうです。

 ブログを読ませていただきました。面白そうですね。ひめこそとは、姫を祭る神社という意味の古語です。その姫は耀姫(別名下照姫)のことを指していた時代があったようです。うちの一族は葛城を領地にしていた時代もあることが分かっています。天日槍(天日矛)は武器の神ということもあって、うちの一族には鉄の神剣を振る剣舞が伝承されていて、数ある神事のなかでも、特に重視されています。また神道の家柄にもかかわらず、親戚には刀鍛冶の家もあります。私が愛用している神剣は近年作った分霊品で、普段持ち歩けるように金銀の装飾を施して七宝焼き仕上げにした美術品の体裁を取っていますが、古式に則って、甘南備山(神名火山)の山頂の磐座の上に祭って雷雲を招来する神事を行って、落雷によって生じた電流を用いて磁気を帯びさせています。敏感な人は、振ると磁気刺激を受けて脳が反応して簡単に催眠状態になれるので、神事の進行上重要な実用的アイテムになっています。

 7歳の頃総社の姫社神社を訪れて、あまりにも心地良い場所だったので、自然に体が動いて、拝殿で剣舞を奉納したことを思い出しました。なぜ心地良かったのか、今日活断層の分布を調べて納得しました。中国地方の数少ない活断層のひとつ、畑ケ鳴断層の南西端に位置する場所に建っていますね。土地が帯びている環境磁気を測定すれば、おそらく脳に良い結果が出てくると思います。

 ここは秦村という地名が残っているので、隋書に記された秦王国の有力候補地ですよね。一族が管理している幾つかの神社の神紋は巴紋です。姫社(ひめこそ)神社と共通する要素を私達は現代まで幾つも伝承しているようです。

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