Hatena::ブログ(Diary)

McLean Chanceの「Love Cry」 このページをアンテナに追加

2018-07-08 圧倒的なテクスチャーと演奏能力で迫りくる凄み!!

[] Matt Mitchell『A Pouting Grimace』(Pi Recordings)




Personnel;

Matt Mitchell(p, Prophet6, electronics),

Kim Cass(b), Kate Gentile(drms, gongs, percs),



Ches Smith(vib, glockenspiel, bongos, timpani, gongs, tanbou, percs),

Dan Weiss(tabla),

Patricia Brenan(vib, marimba),

Katie Andrews(harp),

Anna Webber(fl, a-fl, b-fl),

Jon Irabagon(ss, sopranino sax),

Ben Kono(oboe, English horn),

Sara Schoenbeck(bassoon),

Scott Robinson(bs, Eb contrabass cl)

Tyshawn Sorey(conductor)


Recorded at System Two Recording Studios, Brooklyn, NY

on March 1-3, 2017






ものすごい数のパーソネルが、およそジャズとは思えないような楽器群を演奏してますけども、全員が参加して演奏している曲は「brim」一曲のみで、曲によってメンバーがかなり変わります。

マット・ミッチェル、キム・キャス、ケイト・ケイト・ジェンティルのリズムセクションが不動で(ただし、ミッチェルエレクトロニクスによるソロは除く)、そこに曲に応じて編成を変える。というやり方です。

まあ、昨今のジャズでこういうやり方自体は珍しくありませんけども、ここまでモダンジャズであまり使われない楽器群ばかりが参加しているアルバムは、相当珍しいと思います。

そのかなり変則的な楽器編成による演奏はこれに勝るとも劣らない、垂直の壁を全速力で登っていくような、物理法則に真っ向から挑むような曲ばかりで、相当に歯応えがあります。

このアルバムを出している、パイレコーディングスというレーベルは、ヘンリー・スレッギルのアルバムを出すために設したらしいのですが、その後はジャズのかなりアウトサイドにいる人々がドンドン集まってきて、かなり異色のカタログを作り上げているのですが(何しろ、現在のジャズにものすごい人材を送り込んでいる、スティーヴ・コールマンがアルバムを連発してますからね)、本作のリーダーである、マット・ミッチェルは、あのティム・バーンのバンドのメンバーだった人です。

ティム・バーンの音楽を一言で言うのは、大変困難ですが(笑)、一貫しているのは、キャッチーさゼロの旋律を延々と演奏し続けているサックス奏者であり、その多岐にわたる活動のほとんどが、必ずバンド名を伴っている事に特徴があります。

マット・ミッチェルも、ティム・バーン直伝と言ってよい、演奏するのが途方もなく大変そうな曲ばかりですが、その、現代音楽でもなく、フリージャズにもならない、絶妙で針の穴ほどの所を狙って表現される、実にシリアスで、どこからがコンポジションであり、どこからがインプロヴィゼーションなのかほとんど判別不能な演奏は、最早、唖然としながら聴くより他ありません。

コレをいきなり、「ジャズです!」と言って勧めるのはかなり躊躇しますが(笑)、ジャズという音楽がこんな所にまで来てしまった。という知るには、格好のアルバムであり、先日紹介した、スティーヴ・レーマン辺りを聴き比べでみると面白いのではないでしょうか。



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2018-07-01 エリントン入門に最適です!

[] Duke Ellington『The Popular Duke Ellington(RCA Legacy)


personnel;

Cootie Williams, Cat Anderson, Mercer Ellington, Herbie Jones(tp),

Bud Brisbois(tp) replaces Cootie Williams

Lawrence Brown, Buster Cooper(tb),

Chuck Conners(btd),

Johnny Hodges,(as),

Russell Procope(as,cl),

Paul Gonsalves(ts), Jimmy Hamilton(ts, cl), Harry Carney(bs,cl),

Duke Ellington(p), John Lamb(b),

Sam Woodyard(drms)

Recorded in RCA Victor’s Music Center of the World, Hollywood, California in May 9, 10, 11, 1966




デューク・エリントン楽団が長年ライヴで繰り返し演奏してきたレパートリーのごく一部を再録音する。というと、何か後ろ向きな印象を受けますが、内容はさにあらず。

改めてエリントン/ストレイホーン組によって新しいアレンジによって録音し直した作品集であり(B面の1曲目のみ新曲)、マンネリ感どころか、びっくりするほど新鮮なの事に驚きます。

この時、エリントンはすでに67歳なのですが、これほどのエネルギーは一体どこから湧いてくるのでしょうか。

一曲目はエリントンで最も有名な曲であろう「Take The “A” Train」ですが、出だしが6/8拍子でピアノの演奏から始まりそれが途中から4/4拍子になってやがてオーケストラの演奏に変わっていく様は大変スリリングです。

それにしてもエリントンのピアノの豪快でダイナミック、かつ、エレガントなピアノには驚きますね!

最後に待ってましたと言わんばかりにクーティウィリアムズのラッパが高らかに鳴り響きます。

2曲目「I Got It Bad」は比較的地味な曲ながら、エリント楽団の至宝、ジョニー・ホジスのアルトサックスがフィーチャーされた必殺の展開であり、悪いはずなどあるはずなく。

「Black and Tan Fantasy」のコシのあるハリー・カーネイのバリトンサックスのソロ。

「ザ・ムーチー」では、サックスの三人がクラリネットに持ち替えての、エロティックなアンサンブル。

ニューヨークキャバレー「コットンクラブ」を沸かせていたサウンドはこういうものであったのかと想像できますね。

本作はコレだけではなくて、クラリネットが活躍する場面が多いのも特徴で、60年代エリントンとしてはかなり珍しい事です。

かつて、エリント楽団には、バーニー・ビガートというクラリネットを主に吹く奏者がいたんですけども、彼が脱退してからは、サックス奏者がクラリネットに持ち替え(主にラッセル・クロコープ、ジミー・ハミルトン、ハリー・カーネイ)で演奏することが多いです。

お聴きになっておわかりになると思いますが、びっくりするほど演奏が若々しく、エネルギッシュで、しかも夜のエロスをたたえた音楽なのですね。

1920年代からエリントンとともに活動している大ベテランメンバーも一部いるわけですから、楽団のメンバーも結構な年齢なんですよね。

コレは単なるグーレテストヒッツではなく、これまでのキャリアをある意味総決算するために録音されたアルバムでして、エリントンはこの後、これまでの演奏の再録をする事はほとんどなくなり、基本は、組曲などの新曲をひたすら発表し続ける事になります。

時代はビートルズとジョン・コルトレインが最初で最後の来日をした激動の時代でしたが、そんな中、エリントンもまた自分の活動に一区切りをつけ、ココからは、かなりホンネむき出しの録音作品を次々とつくっていく事となります。

RCAの優秀なスタジオとスタッフによる録音でもあり、エリント楽団を全く聴いたことのない初心者にもオススメです。

いきなり戦前の古い録音から聴くよりも、この録音でエリントンの深く美しい響きをつかみ取ってから、古い録音を聴いた方が発見が多いです。

追伸

RCAソニーに買収されるに及び、ソニーからRCA時代のエリント楽団の録音が近年発売される事になりましたが、本作には3曲のボーナストラックがつきました。

その中の「キャラバン」がクラーベの入ったキューバ音楽風にアレンジされた大変な名演で、なんでこんないい演奏がカットされたのだろうか?と思うほどの素晴らしい内容でした。

恐らくは、アルバムのバランスを考えてエリントンがカットしたのでしょうが、ボーナストラックというものが基本的には好きではない私にとって、このトラックは大発見でした!

このトラックのためにCDを改めて購入する価値があると思います。




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現行のCDは左上のRCAのロゴがなくなってしまいました。残念!

2018-05-15 イベント中止のお知らせ。

[]イベント中止のお知らせ。

つつじヶ丘駅前で行う予定であった、プリンスのイベントは、諸般の事情により、中止とさせていただきます。

楽しみになさっている方、大変申し訳ございませんでした。

プリンスのイベント自体は別な形で近々行う予定ですので、よろしくお願いいたします。

2018-05-06 ジャズという途方もない蕩尽に人生を捧げた人の録音の発掘です。

[] Bill Evans『Some Other Time』(Resonance)

Bill Evans(p), Eddie Gomez(b),

Jack DeJohnette(drms)

Recorded at MPS Studio, Villingen on June 20, 1968



ビル・エヴァンスのこのトリオは非常に短命で、まとまったアルバムとしては、1968年モントルージャズ・フェスティバルでのライヴ、通称「お城のエヴァンス」くらいでしか聴くことができませんでした。


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短命だったのは、マイルスがディジョネットをバンドに引き抜いてしまったからなのですが、このトリオのスタジオ録音が、MPSのスタジオで、先述のモントルーでの演奏の5日後に録音されていた事が判明しまして、2016年にようやく陽の目を見ることになりました。

MPSは、旧西ドイツジャズレーベルですけども、弱小個人レーベルがほとんどのジャズレーベルですけども、MPSは異彩を放っていました。

当時ほ西ドイツの大手家電メーカーのSABAの副社長レーベルオーナーでして、その権限を使ってめちゃ優秀な録音機材を自宅(スイスなので別荘なのでしょうか?)に整備して、まさに、プリンスのペイズリー・パーク状態で録音していたんです。

ですので、MPSの録音は他のジャズアルバムとは一線を画すクオリティである事は、ジャズファンオーディオファンの中では大変有名でして、故に、この録音の発掘には、狂喜乱舞せざるを得ないわけですね。

オスカー・ピーターソンの一連のアルバムを聴いてご覧なさい。びっくりしますよ。

とにかく、本作は驚くほど録音が素晴らしくて、まず、その事に感動しちゃいましたねえ。

ビル・エヴァンスの偉大さについては、私が今更いうことなど何もないですし(日本でも腐るほど論じられてきましたから、それをご覧ください)、現在のジャズピアノの基本を作ってしまったような人です。

とはいえ、あの底なし地獄みたいな恐ろしい世界にまで至ったピアニストはほとんどいないんですけども。

モントルーのアグレッシブな演奏に比べると、全体としては穏やかで、全員がインタープレイを熾烈に極めるみたいな展開はなく、曲の長さもコンパクトですが、それでもこのビンビンのクールネスとハードボイルドは尋常ではありません。

「ぐおー、なんだコレは、すげえ!」とかなんとか言ってる間に数曲があっという間に終わっていくように、トリオは淡々と驚異的な演奏を繰り広げるのです。

多分、エヴァンスたちはいつもの仕事としてスタジオに入って、一日中演奏して、アルバム数枚作れそうな数の曲目を演奏して、ハイご苦労さん。お疲れ。程度の事だったのかもしれません。

そういう日常がこういう信じがたい水準であったというのが、ビル・エヴァンスであった。という事なのであり、当時のジャズはそれほどまでに力があったという事の証左なのだと思うました。


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2018-03-04 エリントンのスピンオフ企画です!

[] プリンスのジャズ的側面を聴く 矢崎裕一 × mclean chance


※イベントは諸般の事情により、中止とさせていただきます。

申し訳ございません!

2018-02-26 結局ウェスに戻ってきてしまう。

[] Wes MontgomeryFull House』(Riverside)

転載ですが、ご興味ある方はぜひ。

http://himag.blog.jp/52998941.html

2018-02-25 前回の「いーぐる」のイベントの続きに行ってきました!

[] 『100年のジャズを聴く』を読んで @四谷いーぐる 2018.2.25

転載ですが、ご興味ありましたら。

http://himag.blog.jp/53028246.html

2018-02-20 『Sorcerer 』と合わせて1つの作品です。

[] Miles Davis『Nefertiti』(columbia)


転載ですけども、ご興味ありましたら。

http://himag.blog.jp/52998905.html

2018-02-19 マイルス・デイヴィスの最高傑作の1つ。

[] Miles Davis『Sorcerer』(columbia)

personnel ;

Miles Davis(tp), Wayne Shorter(ts),

Herbie Hancock(p),Ron Carter(b),

Tony Williams(drms)

Frank Rehak(tb), Paul Chambers(b),

Jimmy Cobb(drms),

Willie Bobo(perc), Bob Dorough(vo),

Gil Evans(arr)

Recorded at 30th Street Studio B, NYC on May 16, 17, 24, 1967,

at 30th Street Studio A, NYC on August 21, 1962




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このアルバムは、ジャズを本格的に聴いてみようと思って買った最初のアルバムでした。

理由は私が知っているジャズメン、マイルスハンコック、ショーターが入っていたからです(笑)。

いっぺんに聴けるなんてなんてお得であろうと思ったんですけども、コレ、当時は全くわかりませんでした。

異様なまでに静謐で、とてつもないテクニックで演奏されているのはわかったんですが、余りにもとらえどころがないというか。

しかも、全曲同じに聴こえてしまい、最後の1962年の、ボブ・ドロウのヴォーカルが入った演奏ばかりが耳に残るアルバムなんですよね。

マイルスのアルバムの中で最も難解なアルバムである事が後でわかってくるんですが(笑)、とにかく、とてつもないことだけはとにかくわかる。という手に負えないアルバムのトップクラスでした。

コレと比べると、テナーサックスがジョージ・コールマンの頃のクインテットの『Four and More』のわかりやすいことわかりやすいこと。

当時、18歳くらいであった天才少年のトニー・ウィリアムズが煽りまくり叩きまくりの中、全員が燃えまくるライヴは(しかし、根底にクールネスが常にあります)、な誰が聴いても興奮する、わかりやすい演奏です。

それに対して、このクインテットの演奏は明らかに別モノです。

今にして、何が難解であったのか、考えてみますと、リズムセクションに原因がありますね。

ハンコックマイルスやショーターがソロを取ると、ほとんどバッキングを弾きません(自叙伝を読むと、マイルスが「弾くな」と言ったようです)。

トニーも、あのライヴのような叩き方よりも、後の『In The Silent Way』のような比較的ミニマルな反復を基調にしており(しかし、全く単調な作業ドラミングではありません)、ロン・カーターのベイスは余りにも自由奔放で、もはやリズムセクションですらありません。

こうしてみると、ボトムがフワフワとしているんです。

しかも、その上で演奏するマイルスとショーターは、調性感がかなりありません。

コレは、すべての曲がそのように作曲されているからで、驚くことに、ショーター、ウィリアムズハンコックがそれぞれ作曲しているんですが、全員が似たよう曲になっているのもすごいですね。

調性をものすごく薄くすると、曲調な似てきてしまうんでしょうね。

シベリウス交響曲もそういえばそんな感じです。

なんだかこうして書いているとフリージャズみたいですが(ボンヤリ聴いていると、オーネット・コールマンカルテットみたいに聴こえるんです・笑)、明らかに強力なルールが存在しているんですね。

そのルールに基づいて、自由奔放に全員が演奏しているので、フリージャズになりそうでならないわけです。

この余りにも高踏的な演奏を当時理解する人は余りいなかったようで、コレと次回作の『Nefertiti』はマイルスのアルバムとしては、悲劇的に売れなかったらしいです。。

マイルス史上、参加メンバーがこんなに渾然一体となって1つのサウンドをグループで完成させたというのは、多分、このクインテットだけであり、本作はその極点であり、アコースティックジャズが到達した極点なのであり、未だにコレを超えるアコースティックジャズというものは存在しません。

さて。

このアルバムのもう一つの謎は、このようにとてつもないところに上り詰めてしまったマイルスたちの演奏の最後に、全く脈絡もなく、1962年の、ギル・エヴァンスがアレンジした2分にも満たない演奏が付いているのだろうか?という事なんですが、マイルスを知る上でも重要な『自叙伝』でもよくわかりませんし、プロデューサーである、テオ・マセロの発言も読んだことがないです(もし、あったら教えてください)。

コレが誰の意図でつけられたのか、よくわからんのですが、マイルスという人は、録音してしまうと、あとはプロデューサーに任せきりで、出来上がったアルバムにもそれほど興味を示さず、もう次の事を考えているような人はだったらしいので、最後の曲をつけたのは、多分に、テオの判断なのでしょう。

テオの編集の大胆さは、エレクトリック期になると、ホントに大胆になっていきますが、多分、ココでもその鱗片が出ていたのではないでしょうか。

クインテットの演奏を聴いて、編集して何度も聴いていると「こりゃ、とんでもないアートだ!」とテオは驚いたんだと思います。

そして、同時に「アート過ぎて、マイルスが怒るだろうな、コレ」とも思ったのか、どこか壊してみたい。と暴力的に思ったのかは、もうわかりませんが、あの2分に満たない、それ自体はものすごくヒップでカッコいい演奏なのですが、明らかに目指している地平が違う、演奏が最後に来ることで起こる、絶妙な脱構築が、なんだか、ゴダール作品の唐突に音楽がブツリと切れたり、また、始まったりという、あの、暴力的なクセに美しくてオシャレ感すらあるあの感覚に近いもので、最後にケムに巻かれるんですね。

ウットリしてたところにスコーン!と打ち込まれるような。

そういう、マイルスとテオによる共犯関係が、まだジャブを食らわすくらいですけども、少しずつ始まりつつあるという意味でも重要な作品です。


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2018-02-18 とてつもない荒業に行ってきました!

[] 『Coltrane in Japan』を聴く@四谷「喫茶茶会記」

ジョン・コルトレインが、ビートルズ来日の熱狂の年である1966年に最初で最後の来日を行ったのは大変有名ですが、その東京公演の2日間が録音されており、コルトレインの死後に発表(彼のアルバムは死後発表がものすごく多いです)され、LP4枚にも及ぶ大作なのですが(初めアメリカではLP二枚組の抜粋盤として発売されています。全曲聴けるようになったのは日本の方が先のようですね)、その 7月22日の公演を全曲聴こうという、凄絶極まりないイベントに参加いたしました。

2時間にも及ぶ演奏に、たったの3曲しか演奏していない。という凄まじい内容なのですが、こんな演奏をほぼ毎日電車で移動しながら日本各地を回っていたんです。

コルトレインは、このツアーの翌年の1967年に病死しますが、原因はこのような凄絶な音楽活動にあったのだと思います。

コルトレインの演奏は、1950年代から1960年代まで、一通り聴いており、その点での驚きはもはや私にはないんですが、やはり優秀な再生装置で聴く晩年のコルトレインの演奏は、凄まじいです。

コルトレインとその臣下たちの演奏は手数が多くて一見轟音ですけども、とりわけコルトレインのテナーは、驚くほど律儀で、「Peace on Earth」にしても、「My Favorite Things」にしても、和声は壊してませんし、4を基本にリズムを取っている事を崩しません。

要するに、トコトン基本に忠実で、むしろその点に驚きます。

コルトレインがジミー・ギャリソンをずっとバンドに入れ続けている(ホンの一時期ギャリソンを手放すのですが)のも、クリックとしての役割を愚直に勤める彼がいないと、どうしてもコルトレインの音楽というのは成り立たないんですね。

「My Favorite Things」のギャリソンの長いベイスソロを聴くと、彼が恐ろしくオーソドックスなジャズ・ベイシストである事がよくわかります。

この曲は6/8拍子ですが、クロスリズムとしての4/4拍子でずっとソロを取り続け、少しもポリリズムにもならず、ずっと4拍子のままです。

この前のカルテットは、ギャリソンを中心にすえて、トレイン、マコイ・タイナー、エルヴィン・ジョーンズが繰り広げる、ポリリズムの祭典がものすごかったんですけど、そういうメンバー同士のいい意味での競い合いみたいなものは、この晩年の編成ではむしろ弱まっているんですね。

とはいえ、コルトレインのテナーソプラノは更にすごい事になっていて、テナーはほとんど高音しか使わず、ソプラノは壊れるんじゃないのか?という爆音で吹いていて、恐いくらいです。

もう、何もかも振り払ってとにかく没入し尽くしたい。という、そういう吹きっぷりですね。

有り体に言えば、イッちゃっているというか。

それをやっても演奏が壊れないようにするために、コルトレインには、ギャリソンのような忠実でオーソドックスなプレイヤーがどうしても必要だったんでしょうね。

ラシッド・アリのドラムも、エルヴィンと比べると、リズムの点ではむしろ普通です。

そうしないと演奏がロストして、めちゃくちゃになってしまうからなんでしょうね。

コルトレインは若いファラオ・サンダースフックアップして現場で鍛えるためにバンドに入れたんでしょうけども、コルトレインとの釣り合いが余りにも取れてないですね。

力量が違いすぎます。

こういう混沌とした状況で、コルトレインのテクニックが乱れず、猛然と一曲50分以上も演奏しているんですよね。

しかも、間髪入れず。

各人のソロ、とりわけコルトレインのそれはものすごく長く、ジャズが持っている、各人のソロを回していくという意味がもう消失してしまって、ハテなんの演奏してるんだっけ?というくらいになってしまうので、音楽の構成としてはかなり問題です(モダンジャズは原理的にこんなに長く演奏できる音楽ではないと思います)。

そういう問題点がとても多い晩年のコルトレインのクインテットですけども、それでも胸を打たれるのは、ひとえにコルトレインの演奏の物凄さですよね。

最早、ノンシャランなジャズというものを圧倒的に逸脱した、この公演の司会を行った相倉相人の「コルトレインの祝祭が始まります」という名MCが示す通り、「祝祭」と言う言葉がピッタリな演奏だと思います。

とにかく、圧倒的な経験でした。

身も心も音楽に捧げ尽くした、ジョン・コルトレインの演奏はなかなか手強いですが、一度経験してみる価値は間違いなくあります。

いきなりこのライヴを聴くのは無謀だと思いますけども、コルトレインの黄金カルテットの演奏や50年代のマイルス・デイヴィスフックアップされた頃の、自身のスタイルを模索中のコルトレインから聴いてみるといいかもしれませんね。

実は、1950年代からコルトレインの演奏は、ものすごく真面目で求道的な所は全く変わってませんね。

この、真面目で求道的でトコトンまで行かないと気が済まない。という、ジャズメンとほとんど相入れない価値観をもって演奏にのぞんでいたコルトレインが、いろんな人々を巻き込んでいき、教祖的に見られるようになってしまうんですけども(ここにコルトレインのものすごい功罪の「罪」の側面がある気がするんですが、この話には立ち入りません)、コルトレインが晩年目指していたのは、これだけ荒れ狂いながらも、グルーヴ感を失わないという、ブラックミュージックであった。かなり異形の。という事に尽きるのではないでしょうか。

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