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タンポポは死なず 〜Tanpopo NEVADA〜

2007-05-02 GW前半までに読んだ本

中薗英助北京飯店旧館にて』

北京飯店旧館にて (講談社文芸文庫)

北京飯店旧館にて (講談社文芸文庫)

 たぶん『ヨーロッパ無宿』というのだったが、昔途中で読むのを止めてしまったこの作家の冒険小説で、ヒーローは非武装なのだが、常に携帯するパイプを武器にする、という設定を覚えている。あれでコツンと頭を叩くわけ。この世代くらいでは「本物の西洋近代」フェティッシュだったのかなパイプは。

 なんか前も堀田善衛の通俗版とかバカにしたように書いて申し訳なかったが、そんな浅いものじゃないです。西洋近代的に月並にいうと「政治と文学」という問題設定に収まってしまうけれども、異文化(とも言い切れないが)を背景にする都市に謙虚に対した姿勢が、ノスタルジーから過去現在日中双方の支配権力に対する抵抗の契機を引き出してくる。そのこと自体が都市のディテールを描写した文芸の香気をたちのぼらせているから、そこには花田清輝のいうごとく「政治と文学に対立なんかない」。

海野弘『美術館感傷旅行』

美術館感傷旅行―45通の手紙

美術館感傷旅行―45通の手紙

 モダニズム自体がノスタルジーの対象である。そういう観点からのモダンアート再入門。観点は変わっても非転向の姿勢がいいから、女性向けにやさしい語り口であっても格調が高い。

八切止夫『徳川五代記』

徳川五代記―徳川綱吉 (1976年)

徳川五代記―徳川綱吉 (1976年)

 中薗『艶の隠者』と同時代的には権力の文化政策は「御法度」という形態をとるが、これに対する具体的な抵抗勢力として皇室と被差別の結びつきを構想しているのは隆『花と火の帝』の先駆になる。具体的というのはフィジカルにということだから、それは冒険であって文学的には通俗なのはいたし方ない。慶安太平記と伊達騒動と幡随院長兵衛に被差別史観から尊王倒幕陰謀論の一貫した脈絡を通してさすがである。また、最近文庫にまでなり妙に人気の高い『言海』の大槻文彦史料的に批判してもいる。

関楠生『ヒトラー頽廃芸術』

ヒトラーと退廃芸術―「退廃芸術展」と「大ドイツ芸術展」

ヒトラーと退廃芸術―「退廃芸術展」と「大ドイツ芸術展」

 モダンアートを総じて御法度にしてしまったのがナチズムである(インテリの初期ゲッベルスは例外)。これは芸術・対・権力である以上に芸術・対・大衆である点が難しい問題だ。リリアンヘルマンなどのアメリカ左翼の大衆嫌悪の淵源だし、例の都知事候補・外山恒一も同じような被害感だろう。上記・中薗著の背景になっている中国文革などはもっと徹底的、大規模なものである。そして現在は、イスラム原理主義がというわけだ。ただ、そのように大衆的に野蛮なナチスにも、文革にも、イスラム原理主義にも、一方それだけ通俗的な、冒険の要素があって、だれでもいくらかは大衆だから引きつけられないわけでもないのだ。

海野弘ニューヨーク黄金時代

ニューヨーク黄金時代―ベルエポックのハイ・ソサエティ

ニューヨーク黄金時代―ベルエポックのハイ・ソサエティ

 アートの享受/庇護者といえばハイ・ソサエティにしかずなのであって、また海野本。ローズヴェルトのようなオールド・マネーと呼ばれる世襲財産の金持ちが、成金の資本家と大衆の対立を調停する構図など興味深い話だ。なお、日本の近代が欧米を(単に民意反映の手続きでなく平等の理念として)民主主義先進国と誤解していたのは、そもそもその誤解こそが日本の近代の前提であったからだ。それはこの本を参照。

東アジアの王権と思想

東アジアの王権と思想