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メンタリティの作られ方

2011-05-12

傷が続くということ



たとえ誰かのせいで不幸になったとしても人間は基本的に自由なんだから、その不幸から抜け出す努力をすべきなんだよ。死ぬまで誰かのせいにしていたら、なんのために生きていたんだか本当にわからなくなってしまう。



けれど、抜け出せなかったら?例えば自分が居なくなると他の人間が傷つくとか逃げたいと思っていても状況が許してくれない場合は?



それはやさしさと言う言葉に置き換えることもできるけれど、同時にその人の弱さでもあると思うよ。自分がいなくなって傷つく誰かがいたとしても、その人間はやっぱりまた自分の力でなんとかすることが必要なんじゃないかな。寄りかかるのに慣れてしまうと逆に精神的な足腰がどんどん弱って、よけいにひどいことになるし



あぁ、この考え方がきっと彼の最も根本的な核となっている部分なんだ、と思った。若いからだとか、まだそんなに傷ついたことがないのだとか、そういう否定的な指摘もしようと思えばできる。だけどそんな指摘にはきっとあまり意味がない。そこが変わったらきっと彼ではなくなってしまうかもしれない部分に触れたような気がした。





泣くことはストレスの緩和になるんでしたよね?たしか

ため息もどうだよ。だけど体内から吐き出さなきゃならないほど溜め込む前に相談するべきだよ。



ただ、彼と一緒に居るほうが君は幸せだと思ったんだ。僕はね、いつだって君が心配なんだ。苦しんだり傷ついたりしないで生きているかどうか。それが守られるなら僕の独占欲なんてどうでもいいし執着をみせないことを薄情だと取られてもかまわない。



あなたはいつもそうやって自分が関われば相手が傷つくとか幸せにできないとか、そんなことばかり言って、結局、自分が一番かわいいだけじゃないですか。何かを得るためには何かを切り捨てなきゃいけない、そんなの当然で、あなただけじゃない、みんあそうやって苦しんだり悩んだりしてるのに。それなのに変わることを怖がって、離れてもあなたのことを思っている人間に気づきもしない。どれだけ一人で生きているつもりなの?あなたはまだ奥さんを愛しているんでしょう。私を苦しめているものがあるとしたら、それはあなたがいつまで経っても同じ場所から出ようとしないことです。



人間は実は自分が思っている以上に多くのものに守られているし、その状況を切り離してしまうことがいかに困難か、君もいずれ分かるときが来るよ。



その出来事の直後には、とにかくショックが強すぎて、まだ自分の身におきたことをきちんと理解できませんでした。それに漫画やテレビの中の不幸な事件が実際に自分の身の上に起こったこと、それが最悪な出来事だったにせよ、そういうことに巻き込まれた自分の境遇が何か特別なように思えて、その錯覚が一時的にでも私の気持ちを高揚させていたのだとおもいます。だけど三日もたつと、急にひどい嫌悪感に襲われ始めました。特別どころか、自分が馬鹿みたいにちっぽけで何の価値もない、くだらない人間に思えてきた。それから翌月の生理が来るまで殆ど一睡もできなくなりました。眠っていると恐怖心が追いかけてきて、安らぎから弾き飛ばされる感じがするのです。苦しみが私自身を夢の世界にすら逃がしてくれないのです。だから遅れずに生理が来たときには、心底、ほっとしました。神様に感謝してうれし泣きすらしそうになった。だけど、そんな安心も束の間です。逆に子供ができたりしてなかったことで、あの出来事は私と犯人だけが知る事実で他の何にも証拠もなく、相手はこれからもノウノウと生きていくのだと考えたら愕然としました。

あの男に引きずり倒されたとき、私はとにかく死ななければいいと思いました。だからやっぱり実際には殆ど抵抗できなかったのかもしれません。実は正直、よく覚えていないのだけれど、そんな気がします。だって絶対に嫌だという嫌悪感よりもそのときは痛い目や死ななければいいって服従する気持ちのほうが強かった。本当はそれ以外にほとんど考えてなかったのです。もしかしたら相手を怒らせないように私は媚びるような態度さえ取っていたのかもしれない。そう思った時はぞっとして、トイレで何度か吐いたりしながら、かならず朝まで眠れなくなります。眠ろうとするとお前はあんなやつのすることを受け容れようとしたって、みっともない人間で責任は自分にあるんだって、そう責められるような気持ちになる。そうなると、もういても経ってもいられなくなって無意識にふっと何かを考えてしまう時間や眠るのがこわくなるのです。
あのとき、私はすっぱりあきらめながら、ああ世の中はこういうことが本当にあるだ、そして私にも起こるんだ、と妙に悟ったような気持ちになりましたね。もしかしたら、あの気持ちが絶望って言うのかもしれないなんて、後から思ったりもした。友達にはケガのことを坂道を下るときに自転車で転んだなんていって、ドジだなぁ、なんて笑われて、私は誰からも疑われなかったことに心の底からほっとしたけれど、なんだかそれで本当に全てから自分が切り離されたような気もした。
だけど夜道は怖かった。本当にいつも怖かったんです。必ず逃げるように走って帰った。部活で遅くなったとき、いつもあなたが送ってくれて普通にしていたけれど本当は命の恩人みたいに感謝してきました。だけど一つだけごめんなさい。そんなあなたを前にしているときでさえ、私の中にはいつも恐怖があった。あなただっていつどうなるか分からない、そしてもし彼がそんな人だったら、それは一度ひどい目にあったのに二人きりになった私が完全に悪いんだって、そんな風に考えていました。もちろん一方で冷静な頭の中は分かっています。あのときの男が全部悪くて、世の中にはそういう人が確かにいるけれど私を守ってくれる人もかならずいるのだと。だけど全てをあの男のせいにしたとき、やっぱり私はそんなやつを、いくら死にたくなかったからといって一瞬でも受け容れようとした自分をおぞましく思うのです。そして何もかも堂々巡りを始めるんです。
私はだんだん、何も感じないように、考えないようにする癖がつきました。
そして私は妙な行動を取るようになりました。あれから私はケガをすると、自分で手上げをしているふりをしてピンセットでガーゼをつまみ、なぜか傷口をわざとひろげるようにしてグリグリと強く押し当ててしまうのです。どうしてそんなことをしてしまうのかは分かりません。そうやって痛みがピークに達するまで傷つけてからじゃないと、ようやく本当に手上げを始めるということがよく分からないのです。私は自分が壊れてしまったように感じます。最近では朝、起きて顔を洗ってご飯を食べると言うことさえ苦痛です。そういう基本的なことが一番つらいです。母も私の不調には気がついていて、だけど何も語ることができない中、上手く話が通じなくて何度か口論になりました。時にはイラダチがピークに達して突発的に家をでてしまうこともあった。それでとうとう表面的には母ときっちりと話し合って、無理に受験する必要はないから、とにかう卒業までなんとかこうこうには通うことを約束しました。そして来週ぐらいから一度、心療内科に相談に行くことが決まりました。
だけど私は多分、その場でなにも語ることができないと思う。今、お風呂から出たら膝が刺さったあたりがシビれるように痛んできて、急に全てを言いたい衝動に駆られて、だけど、この気持ちもきっと明日には消えて跡形もなくなっているのでしょう。この手紙をあなたに渡せるかどうかも書いている時点ではわかりません。
こんな重たい話を長々とごめんなさい、あなたにはずっと事情もわからぬまま心配をかけてしまいましたね。だけど、これが全てです。最後まで読んでくれて、本当にありがとう。



恋という感情は恐ろしい。気づかれないように少しずつ心の中に忍び込み、いつか名前を呼んでもらうのをじっと待っている。




ナラタージュ (角川文庫)

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永遠のとなり


うつは私も経験者なんですよ。といっても随分と若いときのことですけれど。


へぇ、と小さく言う。自分自身がうつ患者であっても、やはりそういう告白を聞くとどう反応していいか分からない。きっと自分も病気のことを告げるたびに相手をこんな気持ちにさせているのだろうな、と考えてしまうだけだ

私の場合は抑うつ状態に陥らざるを得ないような大きな原因があって、その原因がなくなったことで快方にむかったのですけれど。あなたも何か原因があるのなら、とにかくその原因を消してしまえると一番良いと思います。

原因を消す、ですか?
どこか物騒な言い方に聞こえて、つい聞き返してしまう。

そうです。なくすんじゃなくて消せばいいんです。例えば、すごく意地悪な人がいたとして、その人のせいで落ち込んだときは、その人と和解しようとなんてしないで、その人と二度と顔を合わせないようにするとか、そういうことですけど。なんだかちょっと分かりにくいですね。

彼女はそういって自分からおかしそうに笑った。



うつ病になったとき、どうしてそんな病気に罹ってしまったのかを考えずにはいられなかった。医師の言うことはわかりやすかった。何事にも真面目すぎる、責任感が強すぎる、プライドが高すぎて小さなことで傷つきやすい、細かなことを気にしすぎる、これという趣味がなくてストレス発散方を知らない、といったうつ病気質に家族や会社での大きなストレスが加わって当然のように発病したのだ、と。
そういう明快な説明だけで納得できる患者など恐らくいないだろう。
私は考えた。いままでの人生とは何だったのか?私は一体どこでどう間違ってこんな羽目に陥ってしまったのか。
いつの間にか漂着していた精神科病棟の病室で、つくづく自分の人生が味気なくつまらないものであることを痛感せざるを得なかった。そして自分でも意識してこなかった意外な内面の真実に突き当たった。
私は私という人間のことが本当に嫌いだったのである。そう気づいた瞬間、何だそうだったのか、と全てが了解できる気がした。

47年間もの長きに渡って嫌いな人間と一緒に生きてくれば、誰だって心に陰鬱な陰りを生じさせてしまうのはむしろ当然ではないか。
むろん、少なからず誰にだって自己嫌悪というものはある。何も私だけが特別というつもりはない。ただ、その自己嫌悪が他の人たちよりも幾分強すぎたのだ。そのわずかな自己嫌悪の大きさの差が、しかし、大きな結果の差へと結びついてしまった。それはなぜなのか?次のような譬えをはたと思いついた。

人生はいわば階段や梯子を上るようなものだ。みんな一段一段、自分の前に用意された長い階段、梯子を渡っていく。一段上るというのは、その段を強く踏みつけ、全体重をかけるということでもある。問題はその踏みつけ方にある。自己嫌悪の強い人間は一段踏むたびにその階段を踏み壊してしまう。梯子を思い浮かべるとしたら、足をかけていた壇を次の段に上がるたびに一本一本折り続けてきたということになる。
この譬えは強く腑に落ちるものがあった。

確かに私という人間はいつもいま現在も自分から逃げているところがあった。生き延びること、前進するということはそれまでの自分を捨て去り、常に新しい自分に為り変わっていくことだと信じていた。そうした考え方は一見前向きのようにも見えるが、実はその反対だ。為り変わるとは、結局、それ以前の自分を全否定することに他ならない。過去の自分は現在の自分よりも駄目でつまらないものだと規定して生きてきたのだ。
これは極端な捉え方のようだが、病室のベッドでクリーム色の天上をじっと睨みながら、何日も何日もそれまでの47年間の自らの来た方をもく年始手、ようやくたどり着いた結論がそういうことだった。
だからこそ、私は私のことが本当に嫌いでも、いまのいままで平気な顔で生きてこられたのだ。だが、あくまでも階段をのぼり続けている限りにおいて可能なことであった。

一度、ぐいと頭を押さえつけられ、一つ上の段に足がかけられなくなってしまうと、もう体勢を維持するすべがなかった。何しろ一つ下の階段も、そうしていまたっている段でさえも、自分で踏み壊してしまっている。あとはただ何かの拍子にバランスを崩してしまえば真っ逆さまにひたすらおちていくしかない。

おちていく私には、どこにもつかまることの出来ない過去がない。
自らの過去をあまりにナイガシロにし続けていたのだな、と悟った。現状への不平や不満ばかりを募らせて、いつも性急によりよい自分になろうとしすぎていた。だからこそ、こうしてずっと嫌いつづけてきたかつての自分自身たちから強烈なしっぺ返しを受けているのだ、と。それからの私はできるだけ現在の自分を認められるように心がけた。
過去の自分もなるべく肯定的に思い出すように努めた。決して自己嫌悪に陥らないように気をつけた。そうなりそうもないときは、思い切ってよそに関心を振り向けるよう習慣づけた。いつでもどんなことがあっても自分だけは、今の自分というものを根本的に愛し認め許すようにしようと言い聞かせ続けてきた。そうした他愛もない子供じみた自覚だけが自らの病気を徐々に癒してくれる、と考えるようになったからだ。











自分ひとりが幸せになるんじゃなくて周りのみんなも幸せになって欲しいと思う気持ちもわからないでもないけれど、ちょっとそれは贅沢すぎるのかも。

人間は誰だって自分が幸せになるだけで精一杯なんだ、下手したら妻や息子の幸せにだって手を貸してあげられない。ただ、誰にでも幸せになる権利があると思う。

けどそれは自分は不幸でも構わないから他人が幸福であれば、それで良いという考えは、どう考えても不自然でしかないという理由で、そういう権利は誰にでもあるはず

人間は死に掛けたときは自分で自分を守るしかないし他人の事なんか本当に動でもいいんだって、そう思ったって全然構わないと思った(心の病を経験して)それは自分が一番大事というのとは、ちょっと違っていて、自分の命が脅かされている時、人は、とことん、自分勝手になっていいと思う。自分を守れて始めて、他人を心配する権利が得られるのだと思う

人間は自分というこの狭苦しい、別に面白くも何ともないような弱っちい世界から
どうしても抜け出すことが出来ないだ
だから、枠にとらわれないように、幸福は人それぞれのそういう折り合いの付け方でしかないんじゃないかな











永遠のとなり

永遠のとなり