メグ先生の子育て応援記

 

2013-06-11 防災対策

土日と毎年恒例の保育士一泊研修に行ってきた。


初日の研修は、災害対策についての話であった。

保育園避難訓練の常識が、通用しない現実に愕然とするばかりであった。

実際に大地震がきたら、どれだけ子ども達を守れるのか?
今の対策ではかなり難しいと感じた。

早急に対策を考えて、体制を整えなくてはいけない。

新天地での二年目は、職員も皆
一致団結し、何事にも皆で助け合って、とても穏やかな保育が進められている。

退職した職員は、子ども達への声かけもやくざまがいの荒々しいものであり、子どもをどついたり、叩いたりする保育士や外見は優しさを装いっているが、決して子どもを真の意味で愛しているとは思えない無視や仕打ちをして、それがばれないように装っている保育士だったり、保護者には解らない様に巧妙にやるため、始末の終えない人達が幅を聞かせていた。

今年度は、そういった職員が居なくなり、本当の意味で保育園が安定している。

私が行く前にそれが原因で去ることしか出来なかった何人もの心ある保育士達を思うと、手放しで喜んでばかりはいられないが、それでも平和が感じられる日々に感謝でいっぱいだ。

いい保育をしよう!

いい保育園にならなくては、と強く思う。

しかし、自ら退職したそれらの職員が、何やら影でまだ私たちに何やらやらかそうと悪巧みをしている噂が聞かれる。

この現場の事実を知らない上層部の人達には、絶対に見せない悪さだったため、それに躍らされてしまうのてはないか、と多少不安はあるが、いい保育をし続けながら、どうにか真実はどこにあるのか?を解って貰える事に期待していたい。

人間不振になりそうだった昨年から、やっと抜け出せたのだから、頑張ろうと思っている。

2013-05-29 やり方が解るうちに書きだめ!

今日、明後日の二日間は、終日研修。

慣れない電車にいささか困惑

車内は汗かきの私には周りの方々の不快にならないかひやひやしながらの移動で、居心地は最悪!

そう思うほど、汗がさらに多くなり。

さて、昨日の続きを書こうと思う。

5月。

この間の日曜日に、上の娘の
コンクールが終わった!

日本歌曲コンクールと言ってメジャーなコンクールの一つである。

全国から2百数十人のすでに活躍中の声楽家が競った。

一次予選から、二次予選の50人に残った娘は、最年少であったが、幸運にも本選の十人に残ることが出来た。

本選に進めるとは思っていなかった娘は、本選までの一週間、先に入っていたスケジュールを迷惑をかけない程度に軽減し、本選の歌を作り上げ当日に。

主人も祖母も応援にいったが、手前味噌と思われてしまうかもしれないが、娘の歌が始まると、それまでウトウト首を下げていた聴衆の方々が、その歌で頭を上げだし、最後まで聴きいってくれていた。

澄みきった声で、会場に響き渡り、日本語の歌詞もしっかり聞こえて情景も伝わったいい歌だった。

場の空気も一瞬変わった様に思ったが、結果は6位入賞となる。

私たち一般聴衆にはわからないプロの審査員の先生方のジャッジなので、まだまだ精進が必要なのだな。と思いながら帰路に着く。

娘は、いい歌が出来た事に少し納得はしていたが、コンクールという採点、評価されながら歌うのは、本当に精神的にはかなり疲れただろうと思う。

最年少でもらえるはずだった賞も同年齢が三名いた為に、どうなるのか気になっていたが、成績順ではなく単純に誕生日の出生時間まで遡って3ヶ月違いで受賞ならず。

その後のエピソードではあるが、娘の歌に満点で一位をくれた審査員の先生もいたそうな。

あの時の娘の歌で空気が変わった感じがしたのは、あながち勘違いではなかった。

分かってくれる先生もいた事に感謝でいっぱいだ。

高校生の時のコンクールでは本選まで行けても、緊張で硬くなり思うような歌が聞こえてこなかったが、今回はずっと見守り続けてきた私も本選の歌は見事であった!

今回は、評価が思うようにしてもらえなかったが、確実に腕をあげている。

きっと、娘のこれからに繋がり、この結果はその先のいい意味での意義ある物であった
と思える、そんな確信にも似た予感がしている。

2013-05-28 久しぶりにブログができる

新しい携帯スマホにしてから、ブログの開き方がまだまごついてしまっていてやっと今回も、ここまで行き着いた状況である。

その間、色々な出来事があり、今回は少しその内容を書こうと思う。

最大の出来事は、夫の秋田の兄が癌で亡くなった事。

4月に秋田の義姉から癌で入院したとの連絡をもらい、夫ととり急ぎ、日帰りで見舞いに行くことに。

夜中に車で出発し、八時間かけて横手の病院に行き、病院滞在時間は、二時間弱と慌ただしいものであったが、義兄に会えて安堵のなか東京にとんぼ返り。

義兄は、私たちが来たことに涙を流していた。

しかし、その時点では、そんなに早い別れがくるなんて、誰も考えられないほど、義兄はしっかりして見えた。

夫と病院から見える山の頂きの景色を並んで佇む二人の背中が、今も忘れることが出来ない。

4月14日のことである。

4月末の連休の二日間がたまたま、十何年かぶりに連休が取れると夫が言い出し、夫婦で何処か温泉でもと考えていた矢先、秋田から、義兄が亡くなったとの連絡がはいり、葬儀がその二日間という何ともそれを予期したような展開に。

今度も二日間と前回と変わらない強行軍になるが、また、二人で車を飛ばし、秋田へ向かうことになる。

早くに父を亡くしている夫にとっては、父の様に思っている義兄とのお別れは、本当に辛いものであったと思う。

私にとっても優しくしてくれた義兄姉、夫婦仲も良く義姉の悲しさも心痛く感じた。

今となっては、日帰りで見舞いに行ったことをが、多少悔やまずに出来たと思っている。

そして改めて、私も夫を大切にこれからも夫婦仲良く共に生きて行きたい。いつか訪れる別れのときに、後悔しないように!と、心に思った。

主人の田舎は、秋田県雄勝郡東成瀬村

仙人の郷という本当に田舎の風情が色濃く感じられる自然のいっぱいのところである。

今度は、義兄の墓参りに娘達も連れて行けたらと思っている。

2013-04-03 久々のブログにコメントを頂けた。

有難いことで、うれしい!

子ども達のランドセル姿を楽しみにしていたいです!

新年度になり、やはり忙しい毎日となっているが、新しい子どもたちもとても穏やかで、進級児もとても落ち着いている。

昨年の4月の乱暴な言葉の飛び交いや、走り回りも見られない。

保育士が代わっただけで、こんなに子どもたちが落ち着くのかと、何だか予想以上に穏やかなスタートとなっている。

子どもたちの顔が、とてもにこやかで、何かにいつも気をとられて落ち着かないと言った此までとは全く違う安定を見せている。

どの子も自分を柔らかく表現して、出せている!

この一年間感じられなかった平穏な保育になっていく予感がする。

保育士達のこどもたちへの言葉かけも気になるような大声は聞かれず、皆忙しいだろうに、そんな雰囲気は微塵も感じられない。

何故なのだろうか?

良いことたが、不思議でたまらない。

素晴らしい質の高い保育んするには、未だ未だ皆で頑張らないといけないが、人間として心の穏やかな保育ができると、感じている。

いい一年になりますように!

余談だが、明日は上の娘のライブにいく。

ある有名なジャズデュオのかたから、CDアルバムの中でジゲストとして歌う機会
を頂き、アルバムリリースのライブにゲストとして出演する。

クラシックではない、ジャズの感じで、アルバムの中の一曲だけだが、それでも町のレコード店に娘の歌が入っているCDが並ぶのだ。

記念に購入しなくてはいけないと思っている。

大学院二年生だが、少しずつ活動範囲が広がっている。

コンクールなども今年は色々と挑戦するようだ。

そっと見守って、時にはステージなどで楽しめたらと期待している。

2013-03-30

年度末、この一年は色々と戸惑いや発見があった。

携帯をスマホに変えて、操作に戸惑いながら、今日やっと何とかブログが書けている。

その間、卒園式も無事済み新年度準備で今は落ち着かない時間となっている。

前職の卒園式には、いくことが叶わなかったが、子どもたちは卒園式で立派だったに違いないと思っている。

ピカピカの一年生になる姿でどこかで会えるのを楽しみにしている。

さて、今の園では、園長は保護者対応等あまり全面に出てやってはならないと言われ、保育士の負担は大変と感じている。

自分自身も保護者と寄り添う方向がこれまでの自分らしさであった為、何だか事務所にこもっている事に、未だに慣れない。

園長職はそうでなくてはいけないのかもしれないが、どうも調子がくるってしまっている。

保護者にとっては、耳に痛い話しは保育士には責任を追わせたくない。

保育士は、いつも保護者の味方であってほしいからだ。

でも、今の園ではかなり保育士の役割が突っ込んだものであり、私がついていけていない。

今年度で退職していく職員には、そんな私の方向の理解が得られず自分たち
の思う通りに保育出来ないと反発された。

子ども達を呼び捨てし、乱暴な言葉が飛び交う保育には、やはり黙って見過ごす訳にはいかない。

また、自分が悲劇のヒロインになって
周りの職員には、陰で色々命令していた職員もいた。

若い後輩にパワハラまがいの事を繰り返す職員もいた。

でも、4月からは、心ある職員集団になる。

出来ればそう言った職員も自身を見つめ直しながら、一緒にやっていって欲しかった。

そんなのは偽善と言われても、私は最後まで諦めたくなかった。

だからその分もいい保育園をつくっていかなくてはならないと強く感じている。