ライトノベルは下敷きになった作品を知らないと楽しめない?

ライトノベルを読んでみるとわかるのだが、これらの作品は、過去の膨大な「名作」が下敷きになっていて、それらを知らないと楽しめないようになっている。それがきちんと売れているということは、どう考えてもそれ以前に彼らが単に新作だけではなく、その新作を成り立たせるための背景である過去の名作に何らかの形で触れているとしか思えないのだ。

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50862008.html


本筋の「若者は本当に本を読まないのか」という部分には触れずこんなところばかり突っ込むのは申し訳ないと思いつつ。


たまにこの手の理論って出てくるけど、よく分かんないんだよなあ。リンク先の人がどの辺りの作品を想定しているのかよく分からないし、その下敷きとなった作品がライトノベル内外のどちらにあるのかでかなり変わってくると思うけど、実際に下敷きになった作品を「知っていればより楽しめる」じゃなくて「知らないと楽しめない」作品ってどれくらいあるんだろう。


ライトノベルの多くが過去の膨大な名作を下敷きにしている、というのは否定しない。例えば、『指輪物語』から『ロードス島戦記』が生まれ(言われてみればこれは下敷きというには遠過だったかも。訂正させてください)、『キノの旅』は『銀河鉄道999』が元ネタで、『イリヤの空、UFOの夏』の仮タイトルは『UFO綾波』で……(以下略)。でも、これらの作品って元ネタを知らなくても十二分に楽しめる。はず。大体、前提知識がないと楽しめないんじゃ、この手の小説の役割の一つとしてよく言われる、読書初心者用の入門書、ってのがこなせなくなると思うんだけど。いやまあ、実際にそんな役割があるかどうかは別としてさ。順番的にはむしろ逆で、アニメ調のイラストを多用したり、文体を簡潔明瞭にしたり、読者にとって馴染みやすく調整されたライトノベルを面白いと思ったからこそ、下敷きになった作品に触れようと思うんじゃないかな。


……なんかズレてる?リンク先の人はひょっとして『永遠のフローズンチョコレート』(読んでないけど)とかそういうのを想定してるのかしら。でも、ああいうのって例外中の例外だよなあ。そらまあ、漠然と共有されてるお約束、みたいのはあって、それを理解しないと楽しめない、ということは頻繁に起こりうるかもしれないけど。特定の作品を知らないと楽しめないとか滅多にないと思うんだよなあ。


ちょっとずれるけど、この手の話で思い出すのが、決まって『スレイヤーズ』で。スレイヤーズが好きだった10代の僕を、どうやって否定すればいいんですかの時も同じこと書いたけどさ。よくRPGのパロディ小説ってのが当時としては新感覚だったとかよく言われるけど、それってなんというか、歴史的な位置づけとしては正しいのかもしれないけど、『スレイヤーズ』以前(以外?)の素養がない読者が感じる面白さとはあんまり関係ないことじゃないかなあとか。『すぺしゃる』の方が、そういうのメインであったことは否定しない(にしたって、例えば記念すべき1話『白魔術都市の王子』のフィリオネル王子のネタとか、RPGがどうとかいうよりおとぎ話の中における昔ながらの「王子様」のイメージをパロったってだけだけど)けど、こと本編、それも2巻以降に限ってみるなら、お話自体は何か特別なことをやってるわけではなく、ごく普通に話が進んでるようにしか見えないんだよなあ。そらまあ、パロディとか強烈なキャラクター性とかもあるにはあるけどさ。基本的には、

確固たる正義なんてないし世界は大きくて僕らはちっぽけだけど知恵と勇気を持って誇り高く生きていこう、という人間讃歌だよ、基本的に。

http://kaolu4s.jugem.jp/?eid=125


だと思うんだよなあ。んで、どうしてこういう齟齬が出てくるのかというと、下敷きとなった作品を最初から知ってるかどうかの違いになるんじゃないかと思うわけで。


いつだったか、SF素養がある谷川流ファンの知り合いの方が、その人と『ハルヒ』から読み出したような素養のない若い読者では読み方が必然的に違うようなこと言ってたけど、そういうもんだと思う。