「○○が完結すればライトノベルを卒業できるのに」

  • ってよく言うけど、考えてみれば不思議な台詞ではあるよね。別に、好きならそのシリーズだけをずっと追っかけててもいいし、その作品以外に興味が持てないのならそれは既に「卒業」している状態だと思うのだけど、「ライトノベルはいつか卒業しなきゃいけない」「今の自分は一刻も早く卒業したい状態にある」「単位を一つでも取りこぼしていると卒業できない」といった思考があの定型句からは見えなくもなくて、それはそれで強固なジャンル意識の現れなのかなあ、とか。
  • でも一方でライトノベルを「卒業」できるのはアニメや漫画、ゲーム、或いは小説の中でいうとミステリーやSFと比べれば、ジャンル特有のコードがなく、あったとしてもそれは他の物で代替可能だからで……とか考えると色々複雑。例えば、アニオタ学部作画オタ学科の人が実写映画に作画オタ的な楽しみを求めることはできないだろうとは思う。けど、ライトノベルは基本的には小説の一種に過ぎないから、「いい加減ライトノベルなんか卒業して○○を読めば?」という言葉もある程度成立する。
  • これまたアニオタにおける魔女っ娘物とか変身ヒロインとかに顕著な気がするけど、オタクにはある程度「子ども向けのものを見ている自分」に対する自負、といったようなメンタリティがある。あると思う。でも、ライトノベル好きの人にそういうメンタリティを持ってる人っているのだろうか。……というか、そういうメンタリティってオタク内部で通用するものなんだろうか。ここら辺は、オタク内部での趣味としてのライトノベルの地位、とかいった話にも関わってくるのかもしれない。
  • ちなみに○○の中には、長期シリーズや、長らく続刊が出ていないシリーズのタイトルが入る。もっと具体的に言うと、作品と付き合っている期間が、読者が入れ替わると言われる一定のサイクルー――巷では3年といわれてるらしいけど、ここの数字はさして重要じゃないかもー――をはみ出した辺りで出てくる言葉じゃないかと思う。