キャピタル・C・インカゲイン その4

 土曜日の朝、テレビのスピーカーが言った。

「選ばれた者たちよ、約束の地はトウキョウである。始まりの時は近い。いざ、トウキョウへ!」


 樹は立ち上がった。向かう先は、姉の部屋だ。選ばれた者たち、とはあの手紙によって力を得た者たちであることは考えるまでもないことだ。しかし分からない。あの手紙はいったい何なのか。何の目的があってあんな物を寄越して来たのだ。部屋のドアを開ける。姉が死んでから、誰も使わなくなった部屋は以前のままの状態で保存されていた。少し埃っぽい部屋はとてもひっそりとしていて、辺りが石になって固まってしまってあの時以来時間が止まってしまったかのようだった。


 樹は姉のもとに届いた手紙を探した。姉を飲み込んだ時に見た、彼女の記憶。やはり彼女も手紙を受け取っていた。彼女の心の中を映し出す彼女だけの力……。そんな風に思いたくはないが、姉の死に際の黒も、穴も、彼女自身の力だったのかもしれない。


 とにかく、彼女の手紙に何か謎を解く鍵となることが他にも記されているのではないか、と思った。CCIという謎の差出人から届いた手紙。自分に届いた手紙とは別のことが姉に届いた手紙には書いてあるという可能性はある。だから何としても手紙を探し出す必要がある。そう思いながら部屋を物色していて、本当のところ自分はまだ姉のことを忘れられず、彼女の身に起こったことを突き止めようなどと考えているのではないか、とも思った。『姉がいなくなったことは、それほど気にしてはいない』などと言いながら、自分は……。思わず自嘲じみた笑いが込み上げてくる。馬鹿げているな、本当に。


 やがて、樹は封筒を発見した。差出人、CCI。姉のもとに届いた手紙だ。もちろん封は切られている。中には白い紙が一枚入っている。それを取り出して、樹は驚愕した。

 手紙には、何も書かれていなかった。封筒に書かれた差出人のCCIという文字だけが下の方に書かれており、それ以外は全くの白紙だった。裏返して見てもやはり何も書かれていない。つまり、姉には手紙が届いたが、何も書かれていなかった? そんなわけはない。では後になって文字を消したのか?

「どういうことだ……」


 その時、玄関のチャイムがピーンポーン、と鳴った。確か叔父も叔母も外出していて今は樹以外は家に誰もいなかった。正直わざわざ出て行くのも面倒だったが、何度も何度もチャイムを鳴らすのでうるさくてかなわない。誰だ、と思いながら手紙と封筒を置いて玄関に出た。

「はい、どちら様ですか」




 夕暮れ時の東京駅前。薄暗がりに身を潜めて辺りをきょろきょろと窺っている目が、一つ、二つ、三つ、四つ。凍るような寒空の下に黒いパーカーと黒い外套が、闇に溶け込もうとしている。車のヘッドライトの光の欠片に一瞬だけ照らし出されるその顔はどちらも若者、まだ子供っぽさの抜けていない少年のものだ。

「ねえ、サイ。いつまで張り込みしてるのさ」

「焦り過ぎだぞ、シン」

「つーか奴ら本当にここにいるのかねえ?」

シン、と呼ばれた黒パーカーはじっとしているのが嫌なようで、貧乏ゆすりを始める。

「ちょっとお前黙ってろ」

「どっか適当な場所見つけて、さっさと力使っちゃえばいいじゃん。運が良けりゃ能力者の一人や二人はオレたちに突っかかって来るかもよ? そんでそいつボコって、めでたしめでたし」

「お前がおめでたいよ。この愉快犯めが」

「? オレ誘拐犯じゃないけど?」

「とにかく、弟のお前が俺に指図するな。もう少し待て。もしかしたらあのヒトラーグループの方からまた何か呼びかけがあるかもしれないし」

「サイ、もしかしてビビっちゃったのかな?」

黒外套はパーカーの頭を軽く殴った。

「とにかく、完全に暗くなってからだ。失敗したときのことも考えろよ」

「ホントにやる気あんの? 今日は帰るとか言わないでくれよ」

「約束の地はトウキョウ、と奴らは言った。明らかに能力者を東京に集めようとしてる。いよいよ物騒なことを始める気だ。そして奴らは必ず能力者に接触しようとするはずだ。駅周辺にいることは間違いないだろ。お前こそ、いざって時に腹痛えとか言い出すなよ。テロリストだったら生け捕り、テロリストに協力する一般の能力者だったら即排除」

「ぶっ殺しゃ良いんでしょ、了解了解」
黒パーカーはニヤリと笑った。



 それからいくらか時がたった。大寒を少し過ぎた夜の空気はひどく冷たかった。おまけにビル風が強くて、普通の人間なら、肌を刺すような寒さに身を縮ませていなければならない。だが二人の黒い影はその能力のおかげか、これから為そうとしている行動への集中のためか、全く寒さなど感じていないようだった。そして黒外套が言った。

「行くぞ」

二人は大勢の人でごった返す東京駅の中へと入って行った。




 花梨がその時東京駅にいたのは、偶然というわけではなかった。成田空港で起きた事件について、ネットに上がった映像を見てみたが、誰がどうやって管制塔を爆破したのかは全く分からなかった。明らかに何らかの能力が使用されたのだろうけれど。もう他にはどうにも手がかりはないし調べようもない、と半ば落ち込んでいたところにテロリストのアナウンスが報じられた。


「約束の地はトウキョウ」


彼女は、矢羽樹に電話をかけた。もちろん、テロリストの新たな動きについて話そうと思ったからだ。また成田空港のように、どこかが襲撃を受けるのかもしれなかった。今度こそは止めなければ。

「ただいま、電話に出ることができません。ご用の方は、ピーという発信音の後にお名前とご用件を――」

 何度かけても樹は電話に出なかった。仕方ないのであきらめた。それにしてもテロリストの言うトウキョウとは東京のどこなのだろうか。そもそも能力者は日本全国に存在しているのか? それとも地球全体? いったいどれくらいの数の能力者がいるのか。成田空港を使えなくして国際便に大きな影響を出したのだから、少なくともテロリストたちは日本の能力者をターゲットに呼びかけをしていると想像できた。となると、能力者の集まりそうな場所と言えば真っ先に思い浮かぶのが東京駅だった。そして能力者が集まるところに、テロリストも現れる可能性がある。


 一人で行って自分なんかに何ができる? そんな思いはあったが、それでも何か行動を起こさなければいけないような気がして、花梨は家を飛び出した。



 そして今も東京駅の中のベンチに座っている。もう彼女はそこに半日くらい居座っているが、特に何も起きていない。だいたい、見た目では誰が能力者かも分からないのだ。もちろん誰がテロリストなのかも分からない。こうしてベンチに座って行き交う人の顔をじっと見ていても何の意味もないのだ。仮に東京駅にテロリストがいて、仮に能力者たちが集まって来ているとして、どうやって彼らが接触するというのか。だんだん馬鹿馬鹿しくなってきて、もう帰ろうかなと思ったり、まだもう少し粘ってみようと思ったり、を繰り返していた。


 駅に着いてからも樹に電話をかけてみたが、やはり連絡は取れなかった。

「なんか、完全に嫌われちゃった……?」

この前二人で空港に行こうと言った時も、彼は乗り気ではなかったし、その前に図書室でも彼は今にも殴りかかってきそうな勢いだった。

『あんたはとんだ偽善者だ』

『俺はいつか、俺の能力であんたを殺したいと思っている』

確かに自分は偽善者なのかもしれない、と彼女は思った。こんなところに来てテロリストの企みを止めようなどと正義を気取っているのかもしれない。でも、それでもいい。嫌われてもいい。誰かが傷付くのなら、とにかくそれを止めなければならない。今起きている騒動に自分も能力者という点では関わっているのだから、そのせいで誰かが傷付くのを見過ごすわけにはいかない。


 花梨はフウ、と大きくため息をついた。流れる人の波をずっと見続けていると、さすがに疲れてくる。それにしても暇だ。張り込み捜査を続ける探偵もこんな感じなのだろうか。思わず右手と左手でじゃんけんしたくなるくらい暇だ。


 しばらくぼんやりしていると、急に眠気が襲ってきて、彼女はうとうとし始めた。さっき樹の言葉を思い出したのがトリガーとなったのか、ふと昔のことを思い出してしまった。いや、うとうとしながら夢でも見ていたんだろうか。



「ねえ、あんた、もうちょっとみんなのこと考えなよ。このジコチュー」

中学一年生の時だ。槻景早耶佳という女子生徒が立ち上がってそう言った。彼女とは中学に入ってからの付き合いだった。それなりに親しい間柄だった。私はクラス委員長だった。ホームルームの時間に、秋の文化祭でやるクラスの出し物について話し合って決めるため、教室の黒板の前に立っていた。私に向かって放たれた彼女の文句に、教室内は一気に静まり返り、温度が2、3度下がったような気がした。クラスメイトたちの視線が私に集中していて、なぜか孤独を感じた。私は早耶佳に言い返した。

「何がジコチューだって言うの」

彼女は鋭い目つきで私を睨みつけて言った。

「みんなから意見をちゃんと聞いてよ。あんたがやりたいことをいろいろ言って、みんなに無理矢理やらせようとしてるだけじゃん」

「私は、なかなかみんなから意見が出ないから提案してるだけで……」

「でもあんたが出した意見の中で決めようとしてるじゃん。あたしはそんなのどれにも賛成しないから。みんなだって、あんたが今言った出し物なんてやりたくないの。なんで気付かないの、バッカじゃない?」

すると横に座っていた担任の先生が勢いよく立ち上がり、

「槻景!! バカは余計だ! だいたい、お前だって意見何も出してないだろ」

と怒鳴ったので、早耶佳は不満そうな表情で、シュンとなって椅子に座った。しかし教室に満ちた気まずい雰囲気は消えなかった。先生はまだ少し怖い顔をしながらその場を締めくくった。

「文化祭の出し物についてはまた今度話し合うから、それまでに各自やりたいことを考えておくこと。水附、席に着いて良いぞ、ご苦労さん」


 私は結構ショックを受けていた。というのも、今まで友達にそれほど強い口調で文句を言われたことなんかなかったからだ。でも、早耶佳の言うとおり、確かに私は自分の意見ばかりをみんなに押し付けてしまったかもしれない、と思った。私は文化祭の出し物をとても楽しみにしていた。それで思わず浮かれていたのだ。あとで早耶佳にはちゃんと謝っておこう、と私は心に決めた。


 ホームルームが終わってから、私は教室を出た早耶佳を追いかけた。階段のそばまで走って、私は彼女に追いついた。

「ねえ、早耶佳」

――どうして、あんなことになってしまったんだろう。

「ちょっと待ってよ、早耶佳ってば」

――私は素直に謝りたかっただけのはず。

「もう、うるさい! せっかく無視しようとしてるのにっ! ついて来んなっ」

――きっとどうかしてたんだ。

「ひっどい。ちゃんと話聞いてくれない!?」

「は? ちょっと優等生でクラス委員だからって、なに良い気になってんの、うっざ!」

早耶佳は私の胸ぐらを掴んできた。素直に謝ろうとしていた気持ちを、踏みにじられたような思いがした。何かがブチッと切れる音がした気がして、それから一瞬意識がなくなった。いや、理性がなくなったのだろうか。言い訳をすると、「体が勝手に動いた」のだ。


 気が付くと、私の目の前に早耶佳の姿はなかった。動悸がして息が切れた。早耶佳は、階段の踊り場のところに転がっていた。私は、彼女を突き飛ばしてしまったのだ。誰かが呼んだのだろう、少ししてから担任の先生がそこにかけつけた。

「おい! 何やってんだっ」

その声で私は完全に我に返った。自分のしたことに、だんだんひどく嫌な実感がわいてきた。私は慌てて階段を降り、うずくまったままの早耶佳に近付き、彼女の手を取ろうとした。

「ごめん、大丈夫……?」

「触んないでよ……!」

私の手は早耶佳にパチンとはじかれた。床に水がぽたぽたと落ちていた。彼女は泣いていたのだ。先生は早耶佳を保健室に連れて行った。私はその場でうつむいたまま一人取り残された。床の水滴の数は早耶佳がいなくなってからも増えていった。……私も泣いていた。


 私は後で先生に呼ばれた。幸い、早耶佳は何カ所か擦り傷を負っただけだった。

「下手したら、大怪我だったんだぞ!!」

と怒鳴られた。先生に怒鳴られるのは覚えている限りでは初めてだった。ショックだった。自分が怒りに我を忘れて友達に怪我を負わせたことも、先生に初めて思いっ切り怒鳴られるのも。私はひたすら謝ることしかできなかった。今すぐ槻景に謝りに行け、と言われて私は泣きながら保健室へ向かった。

 擦り傷だけなのに、早耶佳はベッドに横になっていた。うつ伏せになって顔を枕にうずめている彼女の背中が細かく震えていた。私が来たことに気付いた彼女は顔を上げた。思った通り、早耶佳は目を真っ赤に泣き腫らしていた。

「ごめんなさい」

驚いたことに、二人の口から同時に謝罪の言葉が出た。私が一方的に責められても仕方ないと思っていたのに。私は、あんなことをするつもりはなくて、話し合いを自分勝手に進めようとしていたことを謝ろうと思っていた、許してほしいと言った。早耶佳は、花梨のことだからそうだろうと思ってた、と言った。なんだかムシャクシャしていて、ひどいことを言って本当にすまなかった、と彼女は言った。そう、彼女がそんなに悪い人ではないことは私もよく知っていた。彼女にも何か事情があったのだ。私たち二人は一緒になって泣いた。それでお互いに許し合えた。だから仲直りはあっけないくらい早かった。


 しかしこのことは花梨の心に深く深く残ることになった。彼女は小さい頃から甘やかされて、何不自由なく育てられてきた。周りの大人に叱られることもほとんどなく、そういう意味では滅多に傷付かず、逆に誰も傷付けずに過ごしてきた。それに、何をやってもそれなりに上手いことこなしたから、周りの友達にもちやほやされる人間だった。普段から叱られないキャラだったため、周りの友達も多少のことでは何となく花梨を叱責できなかった。そうやって育った彼女は喧嘩の仕方も身に付けず、怒りを抑えることもほとんど知らなかった。そして槻景早耶佳を傷付けたことで初めて、誰かを傷付けること、それに伴って自分も傷付くことを知った。この時のショックは、花梨に「もう自分の手で誰かを傷付けることは絶対にしない」と誓わせるのに十分だった。ちなみに、このことがあってから花梨と早耶佳は仲を深めたが、翌年になってすぐ、早耶佳は親の仕事の都合ということで東北地方の遠いどこかへ引っ越してしまったため、二人は再会を誓い合って別れたのだった。


 見えない誰かが彼女に言う。

「誰かを傷付けたくないなどと言って、お前は偽善者に過ぎない」

――偽善者でも何でも、私はとにかく人を傷付けたくないんだ。

「結局、誰かを傷付けることで自分が一人になってしまうのが怖いんだろう。だから偽善に走るんだ」

――何と言われようと、私は誰かを傷付けないように行動すると決めたんだ。

「いいや、お前は誰かを傷付けたくないなどと言って行動することを恐れているただの臆病者なんだ。目の前のことに向き合わず、己の中の戦いから逃れようとしているだけだ」

――違う。

「他人を傷付けたくないと思って何かをしているつもりでも、お前は実は何もかも避けているんだ。お前が本当に傷付けたくないのはお前自身に他ならない。」

――違う。

「偽善は偽善でもお前の偽善は何かを為すのではなく何も為そうとしない偽善だ。お前の拒絶の能力が、その動かぬ証拠ではないか」



「違うっ!!」
花梨は自分の声にハッとして目を覚ました。東京駅のベンチでうとうとしていたら眠ってしまったのだ。座ったまま眠ったから、首が痛い。周りを見回すと、なんだか騒々しく人々が動き回っている。騒いでいる若者の声が聞こえる。

「おい、あっちでなんかすごいことやってるぞ!」

その時どこからか小さな爆発のような音が聞こえた。花梨の心臓は跳ね上がった。能力者が現れたんだ、とすぐに分かった。


 現場に着くと、やはり能力者がいた。しかも二人だ。黒いパーカーを着た中学生くらいの少年と、黒い外套を着たこちらもまた若い男だった。二人は壮絶な能力バトルを繰り広げていた。面白がって二人の戦いを遠くから見ている人が大勢いた。怖がって逃げる人もいる。警察がかけつけていたが、能力者を前にはどうすることもできないようだった。だいたい、警視庁が木っ端微塵になった今、どうせまともに動けないのではないか。無造作に、パーカーの少年は手から青い炎を出した。対する外套の青年はバチバチという音と青白い閃光、稲妻だ。二人の能力が、ぶつかり合う。


 何とかして戦いを止めなければ、と思ったが、どうしたらいいのか分からなかった。偽善者、自分が傷付きたくないだけだ、逃げているだけで何もしようとしてなどいない、という誰の物とも分からない言葉がよみがえってくる。花梨は耳を塞いで、もうやめて、と心の中で叫んだ。その時、彼女の横をすっと通り過ぎて、戦う二人に近付いて行く人が現れた。それは背が高く、少しカールした長い金色の髪をふわりとなびかせた女性だった。大きなレンズのサングラスをかけていて顔は見えなかった。白いトレンチコートに、下は細身のジーンズという格好で外見だけならばただのちょっと派手なお姉さんといった感じだった。しかしあまりに堂々とした足取りに、花梨はこの人物が能力者であると直感で分かった。


 近付いて行く女性を見て、戦っていた二人は動きを止めた。女性は二人の間に入って止まった。

「もう停戦にしましょう」

低いけれどしっかりしていて綺麗で、よく通る声だった。彼女は戦いをやめさせようとしているようだった。花梨は、この人なら二人を止められるかもしれないと思った。

「お姉さん、能力者だね? もしかしてあのテロリストの人だったり?」

パーカーの少年の方がそう言った。

「ええ、あなた方や他の選ばれた方々をトウキョウへお招き申し上げたのは私共です。私はT‐Rという者です。大変恐縮ではありますが、お二方ともご同行をお願い致します」

外見に似つかない丁寧な口調で女性は言った。見た目から、外人かと最初思ったが流暢な日本語を話すところから考えて多分日本人だろう。ただ、彼女の言葉は流暢なだけでなく、何か拒否しがたい響きがあったように思われる。黒外套の青年は首を傾げた。

「T‐R? イニシャルか?」

「私共の用いるコードネームです。記号のようなものと思って頂ければ」


 大変なことになった。仲裁に入った能力者はあのテロリストの一味だった。花梨はついさっきまでは自分が争いを止めなくては、と思っていたことも忘れてこれからどうなるのかとハラハラしながら、事の次第を見届けようと思った。つまり周りで見ている一般人の野次馬と何も変わらなかったと言える。パーカーの少年と外套の青年は黙り込んでお互いのことを見ている。どうするか、と考えているのだろうか。金髪の女性は背筋をぴんと伸ばして直立不動のまま黙っている。その場にしばらく沈黙が流れた後、少年と青年が同時に動いた。少年がニヤリと笑って言った。

「悪いけど、オレたちあんたらに従うつもり、全っ然ないから」

突然少年は青い炎を、青年は青白い稲妻を、金髪の女性に向けて放った。

「……愚かですね」

ダメ! と思った時、それまで微動だにしなかった女性がさっと身を翻した。激しい炎と閃光に、観衆がワア、とどよめいた。三人の姿が、見えなくなったと思った次の瞬間。

「え……? どういうこと?」

爆発も衝撃も、風すらも感じなかった。それでも三人の姿だけが、跡形もなく消えていたのだった。




 樹が目を覚ましたのは、どこか薄暗い空間だった。少し埃っぽく、どこか古めかしい感じのする臭いの建物の中、コンクリートの床に彼は横たわっていた。体を起こすと、後頭部に鈍い痛みを感じた。

「確か、あの時殴られて……」

 建物は広かった。どこかの工場の倉庫のようだ。倉庫の中はあまり明るくない電灯がいくつか灯っているだけだった。窓の外は既に暗くなっている。夜になるまでここで転がっていたということだ。樹は、とにかくここを出ることにした。立ち上がって一歩足を踏み出した彼は、何かが足に当たったことに気付いた。見た目にはそこには何もない。しかし、確かに何か物体があって、彼の行く手を阻んでいるのだ。手で触ってその物体がどうなっているのか探ると、恐ろしいことが分かった。見えない物体は、壁のように立ちはだかっていて、その壁が隙間なく四方を取り囲んでいるのだ。また、上には天井のように蓋がかぶさっているのも分かった。つまり、透明な箱の中に閉じ込められたようになっているのである。樹はすぐにピンときた。これは能力者の力に違いない。

「やっと起きたかい、矢羽樹くん」

いつの間にか、目の前に一人の男が立っていた。三十代くらい、膝まであるロングコートを着た男だ。その顔を見て、ハッと思い出した。そして樹は現在の状況を瞬時に理解した。

「あんたは、今日家に来て俺を殴った……押し売りセールス?」

「いきなり人を殴って気絶させるのはいくら押し売りでも押し過ぎだろう。……ふむ、この状況でボケをかますとは、思ったより君は度胸があるようだね」

男は小さく笑いをこぼした。おそらく自分をここに閉じ込めているのはこの男の能力なのだろう、と樹は思った。そして、自分を捕えようとする存在など一つしか思いつかない。

「で、何か用かい、テロリストさん」

「うん、実は君に死んでもらいたくてね」

男はにこやかに言った。それから彼はポケットから煙草を取り出し、ライターで火をつけた。樹は一呼吸置いてから口を開いた。

「煙草嫌いなんだよね、臭いし煙いし」

実際は壁に遮られているため臭くも煙くもないが。男は反論した。

「別に良いだろう、これから死ぬんだから」

「あんた嘘つくの下手だねえ。最初から殺すつもりならもうとっくに俺は死んでるはずだ。今まで生かしといて、今になって殺すというのはどう考えてもおかしいだろ」

男は少しの間黙って煙草をふかしていたが、唐突に言った。

「よし、僕は君が気に入ったよ」

「やめてくれ、気色悪い」

「東京タワーを倒した男、知っているだろう? 君はその男を殺したよね? 実は彼は僕たちの貴重な仲間だったんだがね」

「知らないな、そんな奴」

「そこで、君に与えられる選択肢は二つだ。一つ、僕たちに協力するという条件で今君が入ってる箱の中から出してもらう。ただし僕に向かって、お兄さんどうか助けてください、と跪いて懇願しなければならない」

「とりあえずその選択肢はナイな。というかお兄さんというよりあんたオジサンだろ」

「もう一つは、僕たちに反抗した罪を償ってその軽い口を二度と叩けないようにされる、だ。もちろんあの時は僕たちの組織のことも公にはされていなかったから君はそうと知らずに彼を殺したんだろうが、結局選ばれた人間を殺した罪には変わりはない」

「あんたたちに罪を裁く権利があるとは思えない」

「あるさ。なぜなら僕たちはある意味世界を救うメシアなんだから」

「そりゃ驚いた、あんたに火をつけたらよく燃えそうだな」

「君にはチャンスをやってるんだよ。君も選ばれた人間の一人だ、いろいろ苦しい経験をしてきたんだろう。共に分かち合い協力しようと言ってるんだ。言うのを忘れていたが、僕はコードネームB‐Aと呼ばれている。僕も、この通りでね」

男はズボンの裾を上げてその足を露わにした。樹はそれを見て少し驚いた。男の両足は金属でできていた。つまり義足ということだ。

「僕は君を気に入ってるんだ。仲良くやろうではないか。悪い話じゃないだろう?」

樹は黙り込んだ。この男の話はそうそう容易く信用できるものではない。

「まあいいよ。一日だけ考える時間をやる。このまま長時間閉じ込めておくと、中の酸素が薄くなって君は息苦しくなるんだけど、今日だけ特別に壁に小さい穴を開けておいてやるから、心配しなくてもいいよ、それじゃ。あ、言っとくがいくら君の能力でも壁を壊すのはかなり骨が折れる。もし壊されてもその時は君の命はないし、新たな箱に閉じ込めることもできるから無駄な抵抗をしないこと」

男はそう言って樹から離れていった。しかし倉庫から出るわけではないようだ。離れたところで何かをしている。


 とりあえず樹は床に座り込んだ。テロリストに従うつもりはない。しかし、あえて反抗して、どうするというのか。奴らには何か奴らなりの目的が一応あるのだろう。どうせ幼稚な物だろうけれど。ところが一方、樹の方には目的といった目的は無かった。他の能力者に殺されないことだろうか。気に食わない奴を殺すことだろうか。彼はいまいち自身の行動方針を決定できなかった。なんとなく手持無沙汰で床のコンクリートの埃を集めたりしていたら、あることに気が付いた。それと同時に、倉庫の中に誰かの声が響いた。B‐Aという男のものではなかった。樹は声の方を見た。




「おい! どうなってんだ、出しやがれ!」

叫んだのは黒いパーカーの少年だった。青白い炎が、見えない壁に阻まれて消えた。彼の横にはもう一人別の男、こちらは黒い外套の青年が同じように閉じ込められていた。そして彼らに近付く男がいた。ロングコートを着て、煙草をくわえた男だ。

「はあ〜、これが今日の獲物か、活きは良いね。輸送業務ご苦労、T‐R」

彼のそばに白いコートを着た金髪サングラスの女性がふらりと現れた。

「B‐A、あなたこそ、一日に三人も閉じ込めなければならないとは、正直同情しますよ」

「まあね。ホント肩凝るよ。で、この二人は?」

「反抗し攻撃を仕掛けられたため、連行して来ました」

「なるほど、では殺すか」

パーカーの少年は何かをわめき続けている。黒い外套の男が口を開いた。

「お前たちテロリストの目的は何だ」

B‐Aという男が煙草を床に落として靴で踏み潰してから言った。

「それを知ってどうする」

「どうせ俺たちのことは殺すつもりなんだろう。だったらそれくらい教えてくれ」

「ここまで来て従う気はゼロか。ダメだなこれは。お望み通り死んでもらう」


 突然、黒パーカーの少年が床に膝をついた。首を曲げ、下を見るような格好になった。腕を上げて、上にある何かを支えるような様子だ。

「な、なんだよこれ!」

「見えない天井に押し潰されて死ぬ気分はどうかな?」

そう男が言うと、外套の青年の顔には明らかに焦りの表情が浮かんだ。パーカーの少年は低くうめきながら、どんどん床に押し付けられていく。

「おい、やめろ! 分かった、お前たちに従う。だから俺たちを解放しろ」

それでもロングコートの男は表情を変えなかった。パーカーの少年はもう床にうつ伏せになり、もがき苦しんでいる。外套の青年は見えない壁を叩きまくって必死に訴える。

「頼む! 殺すなら俺を殺してくれ。弟は見逃してくれ!」

B‐Aはニヤリと嬉しそうに笑った。

「これ君の弟か、それは良いね。じゃあよく見てな、家族の最期を」

次の瞬間、少年の身体が見えない何かによって潰された。気味の悪い音がして赤が飛び散った。男の高らかな笑い声が響いた。青年の声にならない悲鳴をかき消した。

「フフ、あなたも相当残忍ですねえB‐A」



 女が笑ったのと、二人のテロリストの足元に真っ黒な渦が現れたのはちょうど同じ時だった。渦は一瞬にしてそこにあった物を飲み込んだ。

「っ! どうやって出た!?」

真っ黒な渦の近くに現れたのは樹だった。T‐Rと名乗る女は、樹の闇に飲まれて消え去った。B‐Aは、すんでのところで黒を避けたが、左腕を持って行かれた。

「詰めが甘いんだよ」

さっきまで樹が閉じ込められていた場所には、見えないけれどまだ箱が存在していた。箱の壁も天井も全く傷付いていない。そのかわり、床に人の通れるくらいの穴が開いていた。床はただのコンクリートのままになっていたため、黒で床をくりぬいて脱出したのだった。


 樹はB‐Aに向かって再び黒を伸ばしていった。完全に飲み込もうとしているのだ。B‐Aは素早く動き回り、壁を作って黒の進行を妨げた。黒い闇は壁を乗り越えてB‐Aに近付く。それでも男はものすごい速さで走り、黒を避けた。義足であのスピードかよ、と樹は思った。再び自分を取り囲もうとする見えない壁を、樹も避けなければならないため気は抜けなかった。


 一方、黒い渦は、外套の青年が入っている箱の壁の一部もじわりじわりと溶かしていた。壁の一部に穴が開くと、黒い外套の青年はすぐさま外に出た。その視線は一度押し潰された彼の弟の死体に向けられたが、彼はうつむき、そして顔を上げた。彼の目はB‐Aを捉えていた。ある種の決意に、ギラギラと燃える目だった。


「くそ、ガキどもが調子に乗りやがって!」

ピッ…………ピッ…………


さすがに手負いで二対一では勝ち目がないと判断したのか、B‐Aは一目散に倉庫の出口へ走った。


ピッ……ピッ……ピッ……


樹と外套の青年はB‐Aを追いかけて急いで出口へ向かった。倉庫の出口は一つだけだった。


ピッ、ピッ、ピッ、ピッ


二人は出口の前で足止めを食らった。

「くそ、壁で出口を塞がれてる」

そう来たか、と樹は黒で倉庫のコンクリート壁をぶち抜こうとした。しかしそこもあの見えない壁があって、小さな傷がついただけだった。別の場所で試してみてもやはりあの壁に阻まれた。どうやらもともと倉庫のコンクリート壁の内側にぐるりと壁を張ってあったらしい。


ピ、ピ、ピ、ピ、ピ


「この音ってまさか」

と外套の青年が言った。二人は顔を合わせた。その「まさか」だと確信した。


ピピピピピピピピ!


樹は黒を使ってまた床をくりぬいた。これ以上力を使うと疲労がひどくて動けなくなりそうだった。地面の下をくぐって外へ出る通路が出来上がった。

「来い!」

「俺までその黒いのに飲み込まないでくれよ」


 二人が急いで外に出ると、すぐそこに海があった。迷わずに二人は海の中に飛び込んだ。すると次の瞬間、ズガアアアンとすさまじい爆音が聞こえた。水面から顔を出して見ると、倉庫がものすごい勢いで燃え上がっていた。やはり、B‐Aは倉庫のどこかに仕掛けてあった時限爆弾のスイッチを入れたのだった。もう少し脱出が遅れていたら二人ともやられていただろう。


 冬の夜の海は心臓が止まりそうなくらいの冷たさだった。二、三十メートルほど泳いで泊まっていたボートから安全な場所に上がった。息を切らしながら周りを見ると、外灯が辺りを照らしていた。どこかの埠頭のようだった。逃げ去ったB‐Aの姿はもうどこにも見当たらなかった。近くにレインボーブリッジが見えた。東京から遠く離れた場所へ連れて来られたわけではないと分かった。外套の青年が小さく「シン……」とつぶやいた。二人はそれから少しの間燃え上がる赤い炎を見ていた。




 ニュースのジャンルの中から、テロリスト事件関連という項目をクリックする。



【成田空港を襲撃したテロリストらは22日(土)、「選ばれた者たちよ、約束の地はトウキョウである。始まりの時は近い。いざ、トウキョウへ!」と日本全国にアナウンスした。テロリズムに詳しい国際情勢解説者の××氏は、警視庁、国会議事堂、東京タワー崩壊も同じテロ組織による犯行であるとみている。氏は、一連のテロ行為は近年我が国との外交関係の悪化が騒がれる諸国の中の過激派によるものである可能性を示唆している。】

>>131名無しさん 20xx/1/22(土) 21:08
 テロリストは厨二病 (´・ω・`)

>>132名無しさん 20xx/1/22(土) 21:09
 テロリストのセリフがあまりに幼稚な件www
 これはもう厨二の日本侵略としか
 マスゴミは騒ぎたいだけ。テロリストと同罪

>>133名無しさん 20xx/1/22(土) 21:13
 これ見てみな↓
 http://
 ××氏のブログ、マジキチ

>>134名無しさん 20xx/1/22(土) 21:14
 ××、ネトウヨ乙wwwww

>>135名無しさん 20xx/1/22(土) 21:15
 日本終わったなorz
 テロリスト氏ねよ

>>136名無しさん 20xx/1/22(土) 21:17
 死ぬ前に彼女とデート行っとこう ド(‵・ω・´)ヤ

>>137名無しさん 20xx/1/22(土) 21:18
>死ぬ前に彼女とデート行っとこう ド(‵・ω・´)ヤ ←
 リア充 (´∀`)ノシ

>>138名無しさん 20xx/1/22(土) 21:19
 今ならテロを怖がってる女に優しくすればモテるかもね
 ※

>>139名無しさん 20xx/1/22(土) 21:22
 ここで重大発表!
 東京にいなきゃ安全です

>>140名無しさん 20xx/1/22(土) 21:23
 ktkr!
ウチ川崎市だからセーフ

>>141名無しさん 20xx/1/22(土) 21:25
  >>140
 ちょ、おま、それは無(ry
 近過ぎアウトだろ。常考

>>142名無しさん 20xx/1/22(土) 21:26
 きゃあああああああああああああああああ早く逃げなきゃ!

>>143名無しさん 20xx/1/22(土) 21:27
  >>142
 池沼か?
  >東京にいなきゃ安全です
 ところでこれって釣り?



 稲玉士は仙台市内のネットカフェにいた。カプセルホテルよりも安上がりだと気付いて夜はほとんどネットカフェにいることにしていた。彼はテロリストが大々的に自分たち能力者に対して呼びかけを行ったことを知った。やはり何も知らない一般人からすれば、この騒動は訳の分からないテロとしか言いようがないようだった。能力者である士にとっても分からないことだらけなのだからそれも当然だ。今彼が気になっているのは、テロリストの目的よりも、手紙を送りつけてきた「CCI」についてだ。「CCI」はおそらく能力者を作り出した張本人と言える。しかし能力者を作る理由が分からなかった。能力者に何かを求めているのか。テロリストとグルということはないだろうが。それにしても、このタイミングで東京から抜け出しておいたのは正解だったな、と士は思った。とりあえずは騒動に巻き込まれずに済みそうだった。


 朝になって彼がネットカフェから出ると、誰かに肩を叩かれた。振り返るとそこには見知らぬ少女が立っていた。彼女は赤いマフラーを巻いている。多分高校生くらいだ。

「ねえ、キミってもしかして能力者?」

少女は初対面のはずである士に気持ち悪いくらい明るく話しかけた。士は思わず身構えた。

「あれ? 違った? せっかく能力者に会えたと思ったんだけど」

せっかく、などと言われても困る。というか実際、能力者だ。もしかしたらこの外見で実は彼女もテロリストかと思ったが、とりあえずこちらと戦おうという意思はないようなので、士は尋ねてみた。

「あんた何者?」

「あたしの名前? 槻景早耶佳。テロリストの言う、選ばれた者、でーす」

「あの手紙を受け取ったということだな」

「なんだ、やっぱ君能力者じゃん。実は一人で東京行くの寂しいし、一緒に行かない?」

「なんで東京に行く?」

「新幹線じゃない、普通?」

「違う、どうして行くのか理由を聞いてるんだ」

「だって来いって言われたし。なんか行かないと殺されそうじゃない?」

行って殺されるかもしれないではないか。なんだかあまり自分の頭で考えるということが得意そうには見えない少女だった。士はこの人と話していても無駄だな、と思った。彼は槻景という少女に背を向けて歩き出した。

「そうか、じゃあさよなら。悪いが東京には一人で行ってくれ」

「えー、冷たっ」

槻景早耶佳はそう言って少し怒ったようだったが、やがて何事もなかったかのように士とは反対方向へ歩き出した。どうやら無駄にポジティブな性格であるようだ。


(担当:御伽アリス)


 遅くなってすみません。やっとできました。物語に動きをつけたい! と思って書いたらこんなことに。いろいろとツッコミどころ満載で次のうつろいし先輩には迷惑をかけるかもしれません。ただ、一つだけ言えることがある。書いてて楽しかったです!!