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mekaru_kの日記

2015-08-13

夏休み自由BL研究

今回はBLの話です。いかがですか皆さん。BL、読んでますか。
少女漫画フリークの私はこれまで「風と木の詩」や「摩利と新吾」のようにクラシック少女漫画という括りのボーイズラブはおさえてきたのですが、所謂「商業BL」は門外漢でありました。ご存知の通り、少女漫画BLコミックスは昔から分かち難い関係にあります。両方のジャンルで活動なさっている作家さんも少なくありません。近年はBLの研究が非常に進んでおり、多くの評論や通史が次々に発行されています。美術手帳や大手文芸誌に大々的に特集を組まれたのも記憶に新しく、世はまさにBL黄金時代です。
さすがに「全く知らん」ではいかんと思い、ネットで調べてよさそうなのをいくつか注文して読んでみたところ、今まで素通りしてきた自分にラリアットかましたくなるぐらいのショックを受けました。一概に"BL"と括っても近年のBLってものすごく多様化していて、驚くほど成熟してるんですね。おまけにほぼ毎日新刊が出ていてサイクルの循環も早い。これは研究が進むわけですよ。
数で言うとまだ50冊いかないぐらいしか読んでないのですが、今回は私が「面白かった!」「BL不得手の方にも自信をもってオススメできる!」という作品を数点ピックアップしていきたいと思います。BLビギナーゆえ取りこぼしの部分もあるかと思いますが、そのへんはご理解ご容赦の上でお付き合いいただけたら幸いです。
それではいきます。


・ 囀る鳥は羽ばたかない ヨネダコウ
私がBL漫画を手に取るきっかけとなった一作であり、20年以上暴力団取材してきたライターの鈴木智彦さんをして「未踏の地はここしかない」と言わしめた現代黒社会BLの傑作。今までのBL漫画ではどこか義賊のように扱われていた"日本のヤクザ像"のファンタジー性をぶち壊し、真っ向からアウトローの実態を描くことに挑んでいます。
これは私見なのですが、従来のBLアウトローモノには余分な甘さが不可欠だったように思います。恐喝、借金の取立て、違法薬物の売買など、彼らが日常的に行う汚れ仕事に目を背け、くさいものに蓋をして、甘ったるい睦言の漬物石でこれを封じます。黒社会ジャンルではイチャラブが毒消しのような役割を担っており、それこそが余分な甘さといわれるものの正体だったように思います。
でもそれでいいんです。古来よりBLはファンタジーと見なされてきたのですから。裏社会に生きる人間が(マンガの枠内では)手を汚すことなく堂々とイチャラブできる、そんなやさしい社会がBLにはあるのです。素敵じゃありませんか皆さん。
しかしこの漫画は例外です。描ききってしまった。ヤクザの組織構造や流儀や我々の想像を絶する非日常を描ききり、そのいずれにも合理性を持たせてしまった。加えてBL黒社会モノに不可欠だった毒消しとしての甘さが見られない。限りなく無糖に近い。それが新鮮でした。
前置きが長くなりましたが、あらすじを紹介します。

・・・ドMで変態、淫乱の矢代は、真誠会若頭であり、真誠興業の社長だ。
金儲けが上手で、本音を決して見せない矢代のもとに、
百目鬼力が付き人兼用心棒としてやってくる。
部下には手を出さないと決めていた矢代だが、
どうしてか百目鬼には惹かれるものがあった。
矢代に誘われる百目鬼だが、ある理由によりその誘いに応えることができない。
自己矛盾を抱えて生きる矢代と、愚直なまでに矢代に従う百目鬼

はい。ちなみに真誠会というのは歌舞伎町に実在する組織らしいですね。実在する組織の若頭をドMで変態のネコにしてしまうヨネダさんのお茶目さと肝っ玉が凄い。思わず「姐さん」と呼んでしまいたくなります。
この漫画の主人公の矢代というのはセックス狂いの淫乱なんですけど、セックスはセックスでも他者と"与え合う"セックスではだめなんですね。理不尽な暴力を"与えられる"セックスでしか満足できない、自傷代替行為ととらえてるんですよ。そのへんは少年時代のトラウマも起因してるんですが、とにかく矢代は誰かと与え合ったり共有することを過度に恐れています。心身の痛みも例外ではありません。
二巻のラスト、病院のベッドで矢代は過去を回想します。

「俺は全部受け入れてきた。なんの憂いもない。誰のせいにもしていない。俺の人生は誰かのせいであってはならない」

死の淵にあっても他人を拒絶し、痛みを共有することを頑なに拒む矢代。痛みは誰かから与えられるものであって、舐め合うものではないという彼の信念を痛々しく思いつつ、同時にどこか頼もしい印象も受けました。受ける側には受ける側なりの強さと信念がある。それは攻める側が与えるものの強弱によって揺らぐことのない絶対的なものです。それから矢代は血の気が多いヤクザに「ホモ」「メス」「オカマ」と様々な中傷を受けますが、それらは一様に聞き流して「変態」という呼び方にだけ応じます。どうしてかは読んで頂ければ分かると思うんですけど、そのへんにヨネダさんの誠実さが感じられてすごく好感が持てました。
ちなみにこの作品、現在三巻まで出てて正規カップルが一回もセックスまで至ってないというBLにあるまじき(ある)スローテンポさなのですが、彼らが結ばれると死にそうな予感が凄いので、とにかく死に急ぐのだけは勘弁してほしいと思います。
この作品は男性が男性に惹かれるプロセスをきちんと描いてるのもポイント。それがヤクザという因果な商売と密接に関わっていて説得力があるのも良いです。そういった点からも囀る〜は「漫画は好きだけどBLは読んだことがない」という人のとっかかりに相応しい作品なんじゃないかと思います。おすすめ!

・ ミ・ディアブロ 梶本レイカ
これは大問題傑作ですよ。まず絵が凄い。エゴン・シーレ絵画のようなどこか不安になる線です。
あらすじです。

・・・「私は、悪魔に飼われている」
アメリカ人の父と、メキシコ人の母から生まれたジェイク。厳格な警察官の父と、娼婦で麻薬の売人だった母。いびつな家族生活は、いとも容易く崩れ落ちた。やがて警察官になったジェイクは、ギャングのリーダー・ミゲルと出逢う。おおらかで深いミゲルの愛情は、孤独なジェイクに甘く沁みる。運命の歯車はかくも廻りはじめた。交錯する嘘と欺瞞。愛を求め彷徨う魂が、最後に掴むものは――。

なんとメキシカンギャングの抗争をテーマにしたBLです。こんなのもあるんですね。本当にBLジャンルの豊穣さには驚かされてばかりです。
「僕はただ、自らの血統を証明したかったんだ。ホワイトであるためには父さんと同じ警官になるしかなかった」というモノローグにある通り、主人公のジェイクは自身に流れるメキシコ人の血を嫌悪しています。血の"正しさを"証明するため、ジェイクは厳格な父親と同じ警官の職に就き、ギャング(ナルコ)に潜入してリーダーのミゲルという男に近づきます。ミゲルもまた、組織を束ねる父親ルーマニア人娼婦の間に生まれた"半端な"人間でした。
メキシコの裏社会には、たとえ身内が権力者であっても当人がハーフである以上は幹部のポストに就くことが出来ないという厳しいルールがあります。スコセッシの映画『グッド・フェローズ』もまさにそこを突いたお話で、あの劇中世界でも純血のイタリア人でなければいくら大きな仕事で名を立ててものし上がることはかないませんでした。イタリアマフィア然りメキシコのナルコ然り、アウトロー社会というものはいつの世も血統がものを言うんですね。
話を戻します。潜入捜査官のジェイクと、三下ギャングのリーダー・ミゲルは、母方の血を心底憎んでいました。そして重度のファザコンでした。一刻も早く武功をたてて、自らの血の正統性を証明し、父親の信頼を得ようとあがきます。警官とギャングという対照的な立場でありながら、同じ思いを抱えた二人。彼らは互いの欠陥を埋めるように次第に心を通わせていきます。

「 ミゲル ミゲル 私の血で お前が純血になればいい
私は白い血が足りず 私は黒い血が足りない 何者でもなく 悪でも 正義でもない
半身でしかなく 父さん あなたの 息子ですらない 」

これは彼らが体を重ねる場面からの引用です。肌を重ねて体液を交えることでかりそめの純血に陶酔する場面です。ここの描写がまたとんでもないんですよ。
いやエロいとかじゃなくてね…この漫画のセックスシーンはなんと言ったらいいのか、命を削って描いてるんじゃないかというぐらいの鬼気迫る描写力なんですよ。まずこの人の描くヤク中が死ぬほど怖い。体中の骨という骨が浮き出てて、眼球がくぼんでおり、髪がパサついてて、頬がこけてて、顔に変な斑点があって、口が半開きで、そこからのぞく歯がボッロボロなんですね。つまりヘロイン中毒の犯罪者の写真まんまなんですよ。そのヤク中同士がボッロボロになりながら互いの血と骨と体液を漏らさず味わうように抱き合っています。先ほど「エゴン・シーレ絵画みたいな線」と形容しましたが、セックスシーンではそこに餓鬼道地獄絵図を足したようなダイナミズムを見せてくれます。
彼らは組織との連繋や実父への執着を断ち、ついでにヤクも絶つことができるのか。そして母の血を、自身を肯定することができるのか。その答えは単行本で!
この漫画はボーイズラブというより人の愛の根底にある痛みとしがらみを追求したものですので、BLありき!という作品が苦手な方にもよろしいんじゃないでしょうか。先述のようにところどころの描写が死ぬほど怖いので人を選ぶ作品というのは間違いないのですが。ただし人によっては、その切実なまでに容赦のない暴力描写に安らぎを覚える場合もあるんでないかと思います。おすすめ!
(余談ですが作者の梶本レイカさんは凄まじい暴力描写でBL漫画界を騒然とさせた『高3限定』という青春漫画も描いてらっしゃいます。私は一巻の表紙でビビって二の足を踏んでいます。だって背中に生々しいアイロンの火傷痕ついてんねんで!青春!青春とはいったい!
しかし梶本さんの漫画であれば面白さは保証されてるので、踏ん切りがついたらチャレンジしてみようと思います。 ああゞ…高校…3年生……)


・因果の魚 新井煮干し子
ユニークなお名前ですね。たけし軍団みたいですよね。
あらすじいきます。

・・・いとこ同士で幼なじみの逸成と涼一。
社長御曹司で俺様な逸成と、彼に従うばかりの陰気な涼一との間にはいびつな主従関係ができあがっていた。
心酔する逸成からの征服を受け入れ、
喜んで体を差し出してきた10代の涼一。
しかし数年後、同じ会社に入った2人の関係は少しずつ変わりはじめて――?


どうも「主従」とか「征服」とか「喜んで体を差し出す」ってのが引っかかるなあ。そもそもこの作品、単行本の帯が全く内容を汲んでなかったんですよ。俺様御曹司×従順な下僕ってやつ。とでも書けば売れるか〜って飲み屋で顔を赤くした出版社の人がノリで決めたとしか思えないセンスなんでありますよ。そのせいか、公式のあらすじも少しいい加減に思えてなりません。この漫画が描いているものは主従関係などではなく、近親憎悪とモラトリアムからの脱却だと思います。何が俺様御曹司と下僕じゃ。
閑話休題御曹司の逸成と、身内の企業にコネで入社した涼一は顔の造作や背格好が瓜二つのいとこ同士です。しかし性格はまるで正反対。昔から社交的で世渡りが上手い逸成は陰気な涼一を「出来の悪いおれだ」と内心嫌悪し、涼一は決断力のある逸成に憧憬し、何をするにもべったりとあとをついて行きます。自立心のない涼一に苛立ちを覚えながらも、彼から伸ばされる手を拒めない逸成。その関係は逸成に海外赴任が決まって突如終わりを迎えました。
赴任中に一度も会うどころか文のひとつも交わさなかった二人が数年ぶりに再会するわけですが、自分がいなくなってすっかりダメ人間と化しているに違いないと思っていたのに、なんとそこそこ大きい仕事を任されていて、部下からの信頼も厚く、おまけに若い女子社員から好意を寄せられてるデキる男に変貌している涼一を見て逸成は愕然とします。こいつは本当にあの涼一か!?だとすると俺が知ってる出来損ないの涼一は何だったんだ?もしかして俺がいないと駄目なのではなく、俺がこいつの傍いたから駄目だったのでは…?自問を繰り返し、ついに涼一本人を問い詰めます。
「お前はずっと俺(出来のいい自分)になりたかったんじゃないのか!!」
というね。あそこのやりとりに新井先生の共依存の捉え方があらわれていて好きですね。続きはコミックスでご覧下さい。(いい加減電子コミックのサンプルみたいになってきた)
モラトリアムからの脱却が共依存的な二人の関係にどう影響するかがこの作品の肝だと思っているので、これを「俺様御曹司×下僕の主従関係」とみなすのはやっぱり頂けないですね。強いて言うならなんだろうなあ。「半身×半身の脱皮」とかかなあ、そんな帯文句じゃ売れないかもしれないけど。
あとこの漫画で一番興味深かったのは涼一に密かに思いを寄せる女性社員のキャラクターですね。この密かってのがポイントですね。決して主張はしないけれども、涼一を所有物化していた思い上がりの逸成に冷水を浴びせ掛けた上に屈折した二人の関係を微修正までしてくれるんですよ。モブなのに。この子がですね、非常に面白い。「当事者ではなく傍観者として物語に参加したいという作者と読者の願望を投影したキャラクターなんじゃないか?」というのは知人の指摘なんですけど、これがまさにその通りで、目からウロコが剥がれ落ちました。確かにBL漫画に登場する女性キャラクターって、一部の例外を除けばかませ犬同性愛に偏見がない無害な傍観者のどちらかってイメージがあるのですが(あくまで個人のイメージです)この女性キャラクターは後者の要素が兼著です。当人たちだけではどうしようもない関係性を正すには外部からのアシストが不可欠なわけですが、この作品に関しては「このいじらしい二人を見守りたい!あわよくばくっつけたい!」という読者の願望が具現化して作品世界にまで影響を及ぼしてしまっている印象すら与えるんですよ。腐女子ってすげー!調律者!
個人的にとても興味深いテーマであるわけですけど、BL時空では日々恐ろしいスピードで研究が進んでいるので、この「物語に介在する傍観者としての女性キャラクター(読者自身)」はとっくに語り尽くされて風化してる段階かもしれません。詳しいテキストが読める書籍やサイトがございましたら教えて頂きたいです。
というわけでちょっと話が混線してしまいましたが、この漫画は帯文句に全く興味を抱けない人でも楽しめる内容なんではないかと思いますので、進化したBL共依存のあり方とBLの女性キャラクターが担う役割にご関心がある方におすすめします。



あと三冊ぐらいご紹介するつもりでしたが、長くなってしまったので分割します。力尽きました。いつになるかは分かりませんが、次回は「坂の上の魔法使い」シリーズとJUNEコミックスの巨匠・杉本亜美先生の作品あたりに触れたいなあ。BLをひととおり読み終わったらGLコミックにも手を出したいですね。例によってGLも「おにいさまへ・・・」と「ガラスの城」ぐらいしかおさえてないような少女漫画馬鹿なもんですから、かなりの長期戦が予想されます。しかし折しも世は夏休みですからね。課題図書は多いほうが燃えます。

今回は三冊しか紹介できていませんが、今回のテキストが皆さんのBL漫画選びの一助となれば幸いです。また漫画小説映像作品問わずBLGL作品のおすすめは随時募集しておりますので、「これを読まず(見ず)して語るな!」という作品がありましたら教えていただけるとめっぽう喜びます。
では長々とお付き合い下さりありがとうございました。あれば次回!

2015-07-24

インサイド・ヘッドを観ました。

観ました。
私たちを支えるあらゆる感情はどれも不可欠で表裏一体であることを示した素晴らしい映画でしたね。

でも今回訴えたいのはインサイド・ヘッド本編についてではありません。
ネットで散々こき下ろされてるドリカムPVへの不満でもありません。

同時上映のショートフィルム「南の島のラブソング」に一言申したくキーボードをとらせて頂きました。
どうしても納得がいかない。

※作品概要※
友達も恋人もいない火山島ウクが長きにわたってひとり、仲間を求めて歌い、ついに出会えた火山島レクに情熱的なラブソングを奏でるというロマンティックミュージカルアニメハワイアンテイストに溢れたほのぼのとした作品です。

かいつまんで言うと一人ぼっちの活火山くんが歌う「一人はさびしいよ〜仲間が欲しいよ〜」という歌に感応した活火山ちゃんが地表からニョキニョキ出現するが、活火山くんはこの時すでに役目を終えて休火山となり、消滅しかけてたためすれ違ってしまうという火山を擬人化したラブストーリーです。
ついに擬人化もここまできたか。
せっかく生まれてきたのに彼が見当たらない。大好きな彼の歌が聴こえない。
悲嘆に暮れる活火山ちゃんは優しい歌声で彼を呼びかけます。

私もさびしい〜あなたがいない〜♪

するとどうでしょう。平地になりかけてた休火山くんに地脈が漲り、大きな活火山に生まれ変わりました。感無量の二人(二座)。もう離さないよ。離れないで。心地よいハワイアンミュージックのデュエットとともに、二つの活火山は合体して永遠の愛を誓います。アロハオエ。  おしまい。



どういうことなんだ…?そんな互いの都合でニョキニョキ出現しやがって、お前たちはゴードン・ヘルか…?地球を足掛かりに夫婦で全宇宙を支配するつもりなのか?6つの魔神パワーで叩き潰されるのか?
いや、いいんですよ。アニメですから。山なんかどんどん出来てなくなればいい。
でもあまりに展開がチープすぎるでしょう。どうしたピクサー
雄大な自然の一部なのに、互いの姿を目視出来ないと愛を育むことができないっていうのがなんとも寂しい。
地脈から、さざ波から、そよ風から、優しい通り雨から。いとしい貴方の歌がきこえる。貴方を感じるという、"感じる愛"の方向に持っていって頂きたかった。
千の風になって」という歌がありますね。あれは人間にとっては(好意的な意味で)気休めに過ぎませんが、地球とダイレクトに繋がってる山々にとっては縁が深いはずです。彼らはプレートで繋がっているのですから。
とにかく視界に入れるとか合体するとか、「あまりに人間臭すぎる手段でしかラブソングを紡いでいけない山」に対して失望してしまったんですよ。だって山ですよ?
そっちのほうが子供には入っていきやすいからっていうのも分かりますが、いきなり生えるっていう最終手段以外に出来ることあったんじゃないかと思うんですよね。
たとえば雲(煙でもいい)が活火山ちゃんにのびてきて彼女を包んで合体した山の形を象るとか、視覚的にも分かりやすく運んでいく方法はあったはず。それだけに残念でなりません。

しかし『インサイド・ヘッド』本編ではちゃんと愛すべき噴火山(山…?)が活躍するし、諸々を差っ引いてもこの夏最高のハッピーブレイントラスト映画になってますので、まだご覧になっていない方は是非、劇場に足を運んでご覧下さい。
観たあとは自分の脳を思い切り抱きしめてやりたくなるはずです。
私の感情たちも、きっと大画面でこの映画を楽しんだに違いないのですから。

そうだよね、ライリー!

2015-06-20

マッドマックス 怒りのデス・ロード感想(ネタバレ含む)

※思い切りネタバレしてますので、未見の方はお戻り下さい。







マッドマックス 怒りのデス・ロードを鑑賞しました。
100点満点中7兆点ぐらいの出来でしたね。限界まで膨張した期待値を易々と超えていきました。
ジョージ・ミラーが長年温め続けたアイデアやプロットが、ベテランスタッフやキャスト(命がけで撮影に臨んだスタントを含む)の熱意と化合して核融合を起こしたような、そんな印象を受けました。

筋は至ってシンプル。マックスと美女軍団が荒野を爆走して、ならず者どもを蹴散らして帰ってくる。
ジョージ・ミラーの過去作「ベイブ/都会へ行く」ならぬ「マックス/怒りの荒野を行く」とも言うべき要旨でした。
シンプルでありながら、独自の思想や宗教観、狂人なりの秩序や規律、凶悪な改造車、凶悪な重火器、飛び交う棒、火炎ギターと、限界まで肉付けしたような厚みのある映画に仕上がっていました。
説明やフォローを限界までそぎ落とすことで、彼らの狂気や文化の隔たりが強調されていたのも良かったです。



とにかく素晴らしい点を挙げたらキリがない映画なのですが、私が一番心を打たれたのは重火器でもバカデカツアートラックでもイモータン・ジョーの悪魔的なカリスマ性でもなく世紀末が育んだ粋筋でした。
イモータン・ジョーに忠誠を誓う武装集団「ウォー・ボーイズ」のメンバーであるニュークスと、ジョーの花嫁の一人として迎えられ、フィリオサとともに安住の地を目指すケイパブルは地獄の荒野でめぐり合います。ニュークスは予告で「What a lovely day !(なんてサイコーな日だ!)」って狂喜しながら特大の砂嵐に突っ込んでいったクレイジーな彼です。どうやら死期が間近に迫っているらしく、どうせ死ぬなら武功をたてて名誉の死をと意気込んでいます。しかしヘマをしてジョーの怒りを買ってしまった彼は、失意のどん底に叩き落とされました。ケイパブルは彼をあやすように慰撫し、二人は次第に心を通わせていきます。
ところが荒野の初恋が実ることはありませんでした。ウォー・ボーイズに追い詰められ、彼らは窮地を迎えます。二人は離れ離れになるのですが、お互い今生の別れであると理解しているのに、好意を伝えることはありませんでした。
なぜなら、愛を知らないからです。生き地獄である世紀末で、愛ほど不確かなものはありません。そんなものは悪漢どもに蹂躙され、とうの昔に失われていました。
そもそもウォー・ボーイズのメンバーであるニュークスが生殖能力を持っているかどうかすら定かではありません。使い捨ての駒で早世を運命付けられている彼らは、ジョーの妻に手出し出来ないように虚勢されていたかもしれません。あるいは忠誠を示すために自ら睾丸を差し出したかもしれません。妻を迎えて命を「創る」のはジョーの特権で、彼らはジョーのために生き、殺し、死ぬだけです。
人間の命が等しく安い世紀末で愛を知らずに生きてきたわけです。
ニュークスは最期に彼女に語りかけます。「俺を見ろ」と。
愛などとうに失われた地獄での俺の生き様を、俺が生きた証をどうか見届けてくれ、と。何もかもが絶対で、何もかもが曖昧だった世界に俺がいて君と生きた、それだけが確かなのだと。そうして荒野に散っていきました。
彼が殉じたのはイモータン・ジョーへの忠誠ではなく、ケイパブルへの愛でした。

色恋なんてしゃらくさい、命取りだ、という世界でこれだけ濃密なラブロマンスをやれたということが驚きです。「俺を見ろ!」愛を知らない男が放った最上の愛の告白に、胸を打たれる思いがしました。




遺されたケイパブルは、彼のいない世界を生きて、種を蒔き、かの地を豊かにしていくのでしょう。
「種」は忌むべきものではなく、受け継いで、大切に育むものだと知ったからです。
そうしてまた、次の世代へ繋いでいく。地獄の荒野に緑が芽吹く日はそう遠くないのかもしれません。





なんてサイコーな日だ!