07年05月15日
■[本][mind]「『あまえる』ということについて」を読んで
「人はさびしいとおかしくなるネ」「人は自己欺瞞をかかえているとおかしくなるネ」「てゆか人がおかしくなる状況ってほとんどこの2つの複合技だよネ」なんてことを30年以上ぼんやり生きてきてなんとなく理解するに至りまして、さてそれでは自分のおかしいところをどうやってほどいていったらいいんだべ、とか思ったりしてるわけですが、たまたま手に取ったこの本の一番最後に載っていた文章を読んでたいへんな衝撃をうけました。
日本語ということば (Little Selectionsあなたのための小さな物語)
- 作者: 赤木かん子
- 出版社/メーカー: ポプラ社
- 発売日: 2002/05
- メディア: 単行本
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このシリーズは、赤木かん子さんがテーマに合わせて、古今東西の名文家によって描かれたいろいろな短編を選んでまとめたものです*1。わたしが最も衝撃を受けたのは、「『あまえる』ということについて」という、筆者が幼い頃の思い出を重ねて宮沢賢治の「セロひきのゴーシュ」を解釈した文章なのですが……何が衝撃って、これ、全国小・中学生作文コンクールの作文優秀作品なんだよね! 書いた人は当時小学2年生の中村咲紀さん。8歳にしてここまで、自分を手放さず欺瞞に流されずに思考を続けて、そこらの大人でも簡単には辿り着けない境地に達しているのか! ていう。正直、泣きました。わーん。ちょっともうみんなこれ読んでみてよ。すごいよ。いろいろ考えちゃう。
まず「セロひきのゴーシュ」に対する解釈がすごいんだよね。
だれも気がついていないけれど、ゴーシュの心の中には、へんなものがたくさん入っています。へんなものというのは、その人によってちがうけど、じこまん足だったり、つよがりだったり、がまんのしすぎだったり、色んなものがあります。そういうへんなものが心の中に入っていると、本当のじぶんがちゃあんと見えません。ゴーシュは一生けんめいれんしゅうしているつもりだけど本当のじぶんがちゃあんと見えていないので、本当のれんしゅうができていないのです。本当のじぶんをちゃあんと見ないでどんなにがんばっても、まちがったがんばりかたしかできません。それは、本当のがんばりにつながりません。
という視点から、ゴーシュの家に次々と訪れる動物たちのエピソードをひとつひとつ読み解いているんだけど、それがもう、叩いた膝が腫れ上がる!って感じで、ものすごくするどく的確だし、しかもやさしいの。そのやさしさっていうのも、一度傷ついたことがある人にしか持ち得ない類いのやさしさで……なんで8歳でこの視点を獲得できるのだろうと思います。わたしも同じぐらいの年齢のときに「セロひきのゴーシュ」を読んだけどちっとも意味がわからなくて面白くなかったし、大人になってもヘンな話だなあ、ぐらいにしか思わなかったもんね。編者の赤木かん子さんもこの作文を読んでやっとあの作品の意味がわかったと書いていましたが、本当に、そのためだけでも充分読む価値のある文章です。
でもそれは本題ではなく、きっかけにすぎないのでした。それに続く「わたしはゴーシュだった」と題して語られる回想からぐいぐいと引きこまれていきます。その章はこんなエピソードから始まります。
わたしが、ようちえんの年中のまん中へんのころだったと思います。
「さきのこと、ずうっとだっこしていなかったから、だっこしてあげようか」と、おかあさんが言ったことがありました。いもうとのまきがへやにいない時でした。
わたしは「いい」と言いました。
「どうして」
「まきがおかあさんにだっこしてほしいと思った時、いつでもだっこしてもらえるように、わたしはもうだっこしてもらわなくていいの、まきがだっこしてほしいと思った時、わたしがだっこしていたら、まきがだっこしてもらえないでしょう」
おかあさんは、その時、一生けんめいな顔をして、わたしをだきしめてくれました。おかあさんは「この日をずっとわすれない」と言います。「さきがそんなにだっこしてほしがっていることを、この時まで気がつかなかった」と言います。
わたしもぜったいにわすれないと思います。だって、その時のだっこが、わたしのおぼえているさいしょのだっこだからです。これよりまえのだっこを、わたしはおぼえていません。
すごいよねえ、このやり取り自体も、こんなふうに語れる彼女も。で、やっぱり、おかあさんがえらいです。彼女にさびしい思いをさせてしまったけれど、きちんと向き合って、そのことに気づいたときに、心から癒してあげてるでしょう。傷つくのはかなしいことだけど、それがきちんと癒されたときには、癒されたことは幸福な想い出になりうるし、癒された人はそれだけつよくなれるものだと思うんですよね*2。そしてこのおかあさんは、傷ついた子供に対する大人として、きちんと役割を果たしてる。だから、なるほど、彼女の思索における芯のつよさ、ぶれなさ、というのは、おかあさんの愛情があってのものなのだと、よくわかります。
そしてなぜ彼女が「ゴーシュだった」のか、友達がいなくてさびしくてつらかった幼稚園時代の想い出が語られるわけですが、この描写にもハッとさせられます。
わたしのようちえんのたんにんの先生は、わたしがつらいのをわかってくれませんでした。先生は、わたしがなくしものをしてないた時と、だれかにいじめられてないた時と、ころんでないた時にだっこしてくれました。わたしは、何でもないふつうの時に、だっこしてもらったことがありませんでした。わたしは、先生にだっこされてにこにこわらっているともだちが、うらやましかったです。わたしも、ないていない時にだっこしてもらいたかったです。
(中略)
ようちえんにつくと、おかあさんは、ちょうどえんていにいた先生に、わたしがともだちとあそべないことをそうだんしました。すると、先生はおどろいた顔をして言いました。
「さきちゃんは、教しつでは、いつもおともだちとあそんでいるから、大じょうぶだと思いますけど」先生のことばがはっきりと聞こえました。
わたしは、先生とおかあさんのはなしが気になって、あそんでいるふりをして、耳をすましていたのです(先生は、わたしのこと、見てないなあ……)。
わたしは、先生は、わたしがともだちがいないのをしっていると思っていました。だって、先生は、年しょうの時も、年中の時も、ずっとわたしのたんにんだったのです。わたしのことを見ていたらわかるはずです。
「さきちゃんはおともだちがいません。何とかしましょう」と、本当のことをちゃあんと言ってほしかったです。でも、もし本当に気がつかなかったのなら、「さきちゃん、おともだちいないの?」とわたしにちゃあんと聞いてほしかったです。先生は、そのどちらもしてくれませんでした。わたしは、この時からこの先生を、わたしのことわかってくれないわるい先生だと思うようになりました。
よくここまで自分の感情を冷静に見つめているものです。先生の欺瞞もはっきりと見抜いています。その説明のしかたもじつに論理的。こんなふうに過去の自分をきちんと整理して語れるのはすごく大切なことだと思います。彼女は自分がどのように傷ついていたのかをよくわかっています。
そして彼女はさびしくてつらかった幼稚園を卒園して、小学生になり、人がかわったように明るくなります。両親に素直に「だっこして」といえるようになり、友達もたくさんできて、本人も「しょぼんしょぼんしたようちえん生は、元気であかるい一年生になりました」と語っています。このあたりの描写も見事ですよ。読んでいてこっちものびのびした明るい気持ちになってきます。
でも本当にすごいのは、傷が癒されて終わり、ではなく、まだその先がある、ということなのです。
じつは、わたしは、ようちえんの先生やともだちのことは、あんまり、思い出したくなかったので、わすれようと思っていたのだけれど、このごろ時どき考えます。ようちえんの先生は、わたしが、「だっこしてください」と言ったらにこにこだっこしてくれたのかもしれません。ようちえんのともだちは、わたしが、「ともだちになってね」と言ったら、ともだちになってくれたのかもしれません。わたしが心をきつくしていたから、ようちえんの時わたしは、だれともなかよしになれなかったのかもしれません。わたしは、じぶんがわるいのに、人をわるいとずっと思ってきたのかもしれません。そういうことに気がついた今、わたしは、とてもかなしいです。
ゴーシュが本当のゴーシュにもどった時、わたしは、(めでたし、めでたしです)と言いました。でも、本当のゴーシュにもどったゴーシュが一ばん先にしたことは、かっこうに、「すまなかった」とあやまることでした。わたしは、ゴーシュも、今のわたしのようにかなしかったんだろうと思います。わたしのかなしさは、はんせいではなくこうかいです。わたしは今、ようちえんの先生にとてもわるいことをしたと、こうかいしています。
本当のじぶんじゃない時は、じぶんじしんもつらいけど、まわりの人もきずつけて、まわりの人にもつらい思いをさせているのかもしれません。
わたしは、もうこうかいしたくないと思います。わたしは今、本当のじぶんです。本当のじぶんをちゃあんと見て、そのじぶんをたいせつにしてなくさないようにしたいと思いました。
わたしは、いつかようちえんの時の先生に会うことがあったら、「あく手をしてください」と言いたいと思います。その時わたしは心の中で、(めでたし、めでたしです)と、じぶんに言ってやろうと思います。
ここ読んでうわーってなりました。自分を傷つけた相手を、許して、認めて、うらみを手放してるんだよねえ。もう、すっごい大人。めちゃめちゃ大人。相手を悪者にして、自分は被害者で、という解釈のままとどまらずに「とてもかなしい」にもかかわらず、きちんと過去の自分を客観的に見つめなおしている。彼女のいう「本当のじぶん」というのは、自分の心にウソをついていない、一切の欺瞞のない状態だと思うのですが、それはつまりこういうことができる(あるいは、こういうことをせざるをえない)、ということなんだなあ、と、よくわかります。この矛盾のなさ、ぶれなさ、誠実さ! 過去のわだかまりを「いつかようちえんの時の先生に会うことがあったら、『あく手をしてください』と言いたいと思います」と、未来に開いているのもすばらしいじゃないですか。
わたしなんか小学2年生の母親になっててもおかしくない年齢なのに(わー)、全然こんな域まで達してませんからねえ。誰かを許すなんて、本当に難しい。いつまでも過去のしょーもないことにこだわりまくりで、本当の自分から目をそむけてばかりで、まだまだ「心の中には、へんなものがたくさん入っています」から……まったくもって彼女には感心させられたし、自分の弱さみたいなものをつきつけられたような思いがします。
しかし、彼女は、まだその先に行くのです(!)。それがタイトルの「あまえる」ということについてなのですが……もう、このへんはきちんと原文を読んでもらったほうがいいと思うので引用はしません。やはりここでも彼女の両親はすばらしいと思いました。彼女のたどりついた結論は、生きていくうえでの他者との関係性ということに対して、至極まっとうな感性だと思います。こんなふうに思える人は、強いよ。
本物の知性というのもこういうことなんだろうなあ。自分がずっとぼんやり考えていたことが、難しい言葉をひとつも使わずに、こんなに鮮やかに描き出されているのを目の当たりにして、ものはこうやって考えるんだ、というお手本を見せてもらったような気がします。うつくしくて、ありがたくて、まぶしくて、尊い。この文章に出会えてよかった!
あまりに衝撃的だったし、いろいろ考えさせられたので、けっこうな分量を引用しましたが、実はこれでも全体からするとごく一部なのです*3。小学2年生でこれだけ長い文章を書けるというだけでも驚きなのですが、さらに驚くべきはその構成力。「セロひきのゴーシュ」の解釈から、自分の過去の想い出、気づきを経て、結論に至るまで、とてもわかりやすく筋道立てて語られています。指導した先生もえらいなあ。
彼女が語っていることの中に、自分が探していた答えを見出すことができる人は、わたし以外にも、ものすごくたくさんいると思うんですよね。傷ついている人、さびしい人、人とうまく関われない人、他人に甘えられない人、日々の自分にどこか違和感おぼえている人(とかいったら今の日本人はほとんどあてはまってしまいそうだ)……もし、引用部分を読んで、引っかかるものがあるのなら、ぜひ、めんどくさがらずに原文を読んでみてください。冒頭で紹介した本に収録されています。Amazonで見たらマーケットプレイスにしか残っていないようですが、たいていの図書館にはある本だと思います。なんだか、こればかりは引用部分だけ読んでわかった気になってもらうには、あまりに惜しいと思うので(引用したところだけが特筆モノなんじゃなくて、あえて引用はしませんでしたが、さらにすばらしいところもたくさんあるし、全体の構成も非常に見事なのです。原文を読まないのは本当にもったいないです)。もしかしたら人(というより状況かな)によっては、よけいにさびしくなったり、つらくなったり、彼女がうらやましくなったり、心が揺れてしまうかもしれないけれど、それも自分ときちんと向き合う手がかりになってくれるはずです。
わたしもきっと、これからの人生で何回もこの作文を読み返すと思います。
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これがどのように読み解かれているのか、それだけでも確かめてみる価値はありますよ。
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