世界は称賛に値する

日記を書きます

▼最近知り合いのサイトを偶然発見することが二度もあって、あんまり具体的で珍しい名前を日記に書くと、そこからたどられることがある、という事実を、実感的に学んだ。世のなかには、ふと触れたものの名前をとりあえず検索エンジンに入れてみる、という、恥ずかしい人間が存在するのである。私もそのひとりだ。知り合った人の名前を検索してみたことすらあるし、その結果、その人物の書いた文章を発見したこともある。むしろ、ふと思いついたそういう行為にそれなりの結果がついてきてしまったせいで、癖になってしまった、と言うべきかもしれない。最近は、ちょっと申し訳ない、みたいな気持ちが先に立って、人物の名前を検索することなんかは少なくなっている。が、たとえばある人が属している団体があって、その団体に対して、どういうものなのかな、と思い、その団体の名前を検索してみる、というようなことは日常的に行うし、その程度では普通、誰かを特定できるような情報に行き着くこともない。しかし、その団体が小さなもので、その言葉自体がウェブ上にあまりない状態だと、必然的にその個人のそばまで(情報的に)近づくことになる。さらにそこで、安易なハンドルネームやペンネームを使っていたり、たとえかなり一般的なものであっても、特定の行動をとったことを記してあったりすれば、容易に個人を特定できたりするのだ。上司に怒られた、という出来事は、日本中にいくらでもあって、その情報だけで個人を特定することはできないが、ある建物のなかでそれが行われたことが記してあって、その建物のなかで《上司が部下を怒る》という出来事が一度しか行われていなければ、その建物の関係者には、個人を特定される可能性が高い。

Utada Hikaru in BudoKan 2004 ヒカルの5 [DVD]
▼宇多田ヒカルのライブDVD。宇多田ヒカルの歌に対する思い入れは少ない。が、良い歌だと判断してはいた。というかそもそも私は、女性の唄う歌に対して、好きだ、と思うことがあまりない。たぶん、聴くより唄う方が好きだからだろう。学生の頃は友人との付き合いで、かなり頻繁にカラオケに行っていた。その習慣の結果なのか、むしろもともとそうだったからこそカラオケにはまったのか、わからないけれど、とにかく、私は、唄うのが好きらしい、と判断している。音楽を聴かない人間だったのにもかかわらず、普通に聴くようになったのも、聴かなければ唄えない、からだ。そんな音楽的軌跡を歩んできているため、女性の歌には、あまり興味が惹かれないところがある。無論、キィが高くて唄えないせいだ。しかしそれでも、聴いていて心地いいかどうか、くらいの判断なら下せるし、歌詞に対する評価もできる。そういった意味で、宇多田ヒカルの歌は、かなりレベルが高い、と思う。特に好きなのは『蹴っ飛ばせ!』という歌で、シングル曲ではない。とはいえ、思い入れがないのにアルバムを聴くはずもなくて、ラジオかなにかで最初は聴いたのだと思う。聴いてすぐにアルバム『ディスタンス』を借りた。そんなわけで、この曲は、かなり前から好きだ。ま、今さらだが、シングル曲も良いと思う。シングル曲のなかでは『光』が好きだ。ただこれは、PS2ソフト『キングダムハーツ』のオープニングの出来の良さも影響していると思う。主題歌で、オープニングの演出が素敵だったからだ。

Single collection (CCCD) TRUNK [si:]
▼ここのところCDをいろいろと聴いている。片っ端から聴いている、みたいな勢いである。最近の歌手には全然意識を向けておらず、開拓もしようとしていなかったから、評判の良さ、みたいな基準で選んだ部分が強い。だから、少なからず、ミーハー的な選択と言えるだろう。しかし、聴いてみて良ければ良いものなのだし、悪ければ悪いものなのだから、結局のところ大差はない。なんにせよ、有線なんかを意識の隅で聴きながら、ああこの曲調好きだな、と思うような歌が最近はないな、と思う。感性が鈍ったのか、時代が私の好みからずれつつあるのか、単なる巡り合わせの問題か、わからないけれど、なんというか、カラオケのレパートリーが増えなくて残念、みたいな気持ちを覚えるのだった。