胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

ぼっち

ラジオを聞いていたら、朝井麻由美さんが書いた『「ぼっち」の歩き方』が紹介されて、著者インタビューが流れていた。(朝井麻由美さんは、泉麻人氏の娘とのこと。)

それを聞いて、私はつくづく自分は「ぼっち」だわと思う。
山も旅も一人がいい。一人で飲み屋にも入れる。映画も一人がいい。一人でもやることがたくさんある。
話し相手は夫ぐらいでいい。

人と話して、人生観変わったり楽しいこともあまりない。
小さい時から、本がお友達。
小学校卒業文集の将来の夢で「本に囲まれて暮らしていたい」と書いたら、職業を書くように注意された。
中学生の学級日誌に、マリヤ・プリセツカヤの白鳥がどんなに素晴らしいか感動した話を書いたら、担任から「友達をつくるように」と心配して言われた。
大きなお世話なのである。
本当に「ぼっち」にとって、学校生活は苦労の場だ。私は強かったから、いじめはあまりされなかったけど(されていたけど、関係なかった)、今の時代は「ぼっち」にとって学校は地獄かもしれない。
どうぞ、人間の修行と演技の修行と思って、学生時代を乗り切ってほしい。

社会人になれば、「ぼっち」でも生きる道がさまざまある。「ぼっち」でもパートナー次第では、いい家庭も作れる。

私は、夫と山には行ったことがあるけど、映画とか買物とか一緒に行かない。旅行さえ、家族旅行の他は行かない。

夫と行った山は私の記憶に残らない。誰かといると依存してしまうので、お任せしてしまい思い出せないのだ。ひとりで計画し、怖い目にあったほうが、ルートも景色も思い出に残る。

会談も3人以上になると、もうただ演技でニコニコしているだけである。
なるべく宴会などは時間の無駄なので出ないことにしている。

「ぼっち」の正しい生き方を極めないといけないと思うこの頃だ。