■ なぜ「快に忠実」がいいのか? 〜ポジティブ思考との比較


世の中効率主義です。
これはスピード社会だからです。
効率を重視する結果、ガンバリズムが定着しています。
これはよくないことです。


ガンバリズム:過剰な努力。ブレーキを踏みながらアクセルをふむような非効率な行為。


効率主義なのに非効率なやり方=ガンバリズムがのさばっている
なんという矛盾



スピード社会はだれにもとめられませんが、
ガンバリズムをやめて効率のいい方法に転換することなら誰でもできます。
過剰な努力をしなくてもスピード社会が矢継ぎ早に突きつけてくる要求についていけます。


リラックスして元気をだして明るく楽しく・・・


しかし、おれが勧めたいのはポジティブ思考ではありません。
「快に忠実」を勧めたいです。


「快に忠実」とは「好きなことやりゃあいい」という意味ではありません。


快に忠実:なるべく快になるよう行動し、不快なものを無理に快に感じようとしないこと。
好率主義:好きになれる率を重視する、ということ。快に忠実、とおなじ意味。


効率主義から好率主義への移行です。


さて、ポジティブ思考より 「快に忠実」のほうが強力です。
というか、ポジティブ思考のワナにはまってはいけません。
ポジティブ思考は良くない。


なぜか。


・ポジティブ思考は、快・不快の正確な認識をさまたげる


快不快が白黒で表されていて、好きなことが白、嫌なことが黒に着色
されていて、周りのものごとが白から黒にかけての濃淡として見えるのを
想像してください。
ポジティブ思考はこれらの濃淡を一様に白く染めようとします。
すると黒が灰色になってしまいます。
つまり、不快なできごとが分からなくなってしまいます。
必ず不快感をからだのどこかで感じ続けながらも、
それをポジティブ思考でごまかしてしまっている。


その結果、「ちょっとした悪い予兆」が見えなかったり、
出来事の重大性を正しく判断できないことにもつながる。


・したがって、ポジティブ思考は、強化学習をさまたげる


人間快・不快をつうじて学習します。
快なことはもっとしようとし、不快なことは避けようとする。
そうして行われる学習を強化学習といいますが、
ポジティブ思考は、快・不快の正確な認識をさまたげるので、
強化学習をさまたげます。
たとえば、不快を生み出している物事の対処法を学習しなければ、
いつまでも当人にとって不快なままになってしまいます。
(ただし、どうしようもない問題はポジティブ思考のほうがいい)


※成功者にポジティブ思考が多い、と言われるのは、ネガティブ思考よりは
ましというだけのことであり、
ポジティブになったら成功できる、と考えるのはあまりにバカげている。
それどころか、変にポジティブになっているがために成功できないでいる
人が多いのではないか?
ポジティブなことよりも、しっかり快・不快を感じて、即座に行動を改善して
いける(=強化学習していける)ことが大切。


・ポジティブ思考は、事実の正しい認識をさまたげる
楽観主義者は、まずい出来事を「まあ大丈夫だろう」と決めてかかることがあるし、
そもそもまずい出来事に気づいてないことさえある。
慎重になるべきときに楽観的でいるのは、事実認識の錯誤であり、問題ありだ。



では、どうすればいいか?

 


1、事実をありのままにみる
悲観主義ではなく、だからといって楽観主義でもなく、事実観主義を。)


2、快・不快をただしく感じる
(うれしいとき、気持ちいいとき素直によろこび、かなしいときつらいとき素直に不快さをかんじる。
ポジティブ思考で無理に楽しくやろうとするのでなく、素直に好き嫌いをかんじる。
好き嫌い観察主義。)


2(好き嫌い観察主義)だけでは幼児的なところがあるが、1にしっかり基づいていればそうした問題はない。
(そのことを以下長々と説明していくつもりだ)


2だけでもそれほど簡単ではない。好き嫌いをありのままにかんじている人はめったにいない。
現代のスピード社会においては誰でもガンバリズムに汚染されているところがあって、
「しなきゃ」「すべき」に追われて、自分の本来的な好き嫌いの感覚・感情が貧困になってしまって
いるところがある。このことに気をつけて自分の本性を育てていきたいものだ



※ポジティブ思考とクリエイティブイメージングは違います。
クリエイティブイメージングとは、積極的に快のイメージを育てることです。
これは、なんでもかんでもプラスに考えるポジティブ思考とはぜんぜん違います。
似てますが。
クリエイティブイメージングは、有効だとおもいます。
のちにおれの考えたクリエイティブイメージング技法を紹介する予定です。




■「快に忠実」をつらぬく2大ポイント: 快の探索、快の気づき


さて,上に書いた「快に忠実」を以降では<<基本態度>>とします。
その定義を再掲します。


快に忠実:なるべく快になるよう行動し、不快なものを無理に快に感じようとしないこと。



さて、上で書いたように、ガンバリズムから抜け出して幸せになるには、
事実観主義、好き嫌い観察主義
がたいせつです。


ただ、事実観の話をすると、いろいろテーマがありすぎて話がややこしくなります。
(論理的態度、統計のウソの見抜き方、誤りやすい言葉のワナ、ありがちな誤認、原因帰属のミス、などなど。)


だから、事実観はできているものとして、どうすればいいかを考えていきましょう。


さて事実観主義ともうひとつありましたね。
好き嫌い観察主義です。これには観察力が必要です。言い換えるとすぐれた感覚が必要です。
それを快覚となづけましょう。「感覚」という語とおなじイントネーションで呼んでください。


快覚:自分が今感じている快・不快に対する観察力・気づきの力。


つまり、快覚による快の気づきがガンバリズムから抜け出すときの一つの重要ポイントです。


そのためには、快の点数付け、快の感想文などが有効です。
また快スケジューリングも有効です。
これは、どういう順序で何をやるのがもっとも快適かという基準でおこなわれるスケジューリング
です。たとえば、ディナーで食べる順番を自分でコーディネートしたり。


それから、理性による快の探索も重要です。


なぜなら、積極的に快を探そうとしなければ見つかる快の範囲もせまいからです。
見つかる快の範囲がせまいというのは疲れた毎日をまねきます。
快を自発的に探そうとしなければ、うるおいのない毎日が待ってます。
そうするとがんばらないとやっていけなくなる。
頑張らなくても力がわいてくるようにしたいのに、それではだめですね。
うるおいがあれば、頑張らなくてもやっていけると思うんです。
といったわけで、積極的に快を探そうとすることが大切です。


さて、まとめてみます。
まずガンバリズムから抜け出すために明るく元気になろうと提案し、
だからといってポジティブ思考のワナにはまってはいけないよと指摘し、
事実観主義と好き嫌い観主義をみたす「快への忠実」こそ大切だとのべ、
「快への忠実」を以降の文章での<<基本態度>>と位置づけました。
このうち事実観主義は、今回は詳細を省きます。
好き嫌い観主義は、快への気づき主義です。
だけどたんに気づいてるだけではだめで、積極的に快を探索しないといけない。
積極的な好き嫌い観主義が必要なんですね。


そういうわけで、
快覚による快の気づき、理性による快の探索
が「快に忠実」という基本態度をつらぬくための2大ポイントです。

念のために書きますが、これは片方だけではだめです
快に気づいてるだけでは積極性がない。積極的に快を探ったり探したりしないといけない。
また、快の探索をしているだけでもダメで、探索しているときに気づく力がないと探索
している意味がない。




まだまだ続きますが、ここまで出来れば何ができるか、を書いておきます。
それは、「快覚の能動化」です。


快に気づき[快覚]  :  気持ちよさを感じ
ながら
快に忠実  :  気持ちいいように動いていく[行動化]


つまり、快覚の能動化です。気づきと忠実性がマッチすることによって
初めて能動性が実現される
という点は重要だとおもいます。