ドイツを陥れる真の差別主義者達

大東亜会議

ナチズムを短絡的に人種差別主義と結びつける人々が多いが、これこそ戦勝国の術中に嵌った安直な発想といえる。例えるならば、ネオスターリニズムや、ネオ毛派共産党との名称で、人種差別を行っている事と同じだ。スターリン毛沢東の行った自民族以外への卑劣な扱いは何故、お咎め無しなのだろうか。


だが現実には、それを実証付けるかのように、ネオナチと呼ばれる極右団体が外国人排斥を行っており、マスコミや左翼の扇動に利用されている。
とは雖も、ナチスをKKKのような白人至上主義と同じように捉え結成したネオナチ団体は、最早ナチスではない。ドイツ以外の各国におけるネオナチは、こういった似非ナチス団体が殆どで、ナチスを人種差別に結びつける役割を果たし、絶対悪を確立させ、ホロコースト産業の一役を担う存在となっている。ホロコーストが絶対事実とされ、検証が弾圧されている状況では仕方のない事か。
ドイツ国内においては、ネオナチによる犯行とされた移民への暴行事件が、実際には単なるならず者の短絡的犯行だったとの事例は多い。また、移民にしても、仮に喧嘩の発端が移民者側に有ったとしても、民族・人種差別問題に発展させれば世間が贔屓に見てくれる状況では、こういった擬似差別事件も無くならない。ネオナチにも差別を利用する人々にも、正義は無い。


ホロコースト問題を保留しても、確かにナチスユダヤ人差別を行った。だが、少し考えてほしい。当時の他列強はどうだったのかと。それこそ、ナチス以上の人種差別主義国家ばかりだ。一体、どの戦勝国ナチスを批判できる資格があるのだろうか。チベット人僧侶をSS(ナチス親衛隊)にしたり、日本と手を組んだドイツと、感情論だけで白地に日本を侮蔑したドイツ以外の欧米列強。ベトナム人を容赦なく大量虐殺し、日本軍捕虜志願者に対し法を無視して虐殺し、人体実験目的で原爆を落としたアメリカ。それだけではなく、近年のジャパンバッシングも同じくだろう。
果たしてどちらが、差別主義国家なのだろうか。当時の社会情勢を考えると、ドイツ以外の欧米列強の方が差別主義国家だったとしか結論するしかない。


当時のユダヤ人は、世界各国から嫌われていた。金貸しを不徳とするキリスト教イスラム教のせいで、金融はユダヤ人に牛耳られ、欧米経済は彼らの手中にあった。第一次世界大戦後のドイツ国内では、富を握った一部のユダヤ人と、失業にあえぐ多数のドイツ人の二極化が進んでいた。ナチスによる弾圧は人種差別というよりも、既得権益者に対する反抗と捉えることも出来る。もし、これを人種差別による動機だけだと断定すれば、日本は米国の人種差別により、戦争に巻き込まれたとの正論もまかり通る。原爆にしても、日本人が同じヨーロッパ系民族であったとしたら、果たして落としていたのだろうか?
新興ドイツ以外の多くの欧米列強は、世界各地に植民地を持ち、現地人に対する扱いも人以下だった。オランダ人女性はアジア人男性を人として思っていなかったから、欧米人の夫の前で裸になるのをためらうような女性でも、下僕として働いている彼らの前では平気で裸になり風呂に入る。そんな程度の意識だから、自ずとアジア人に対する扱いは卑劣さを増す。


さて、朝日新聞によって正義の連合軍として盛んに讃えられている第二次世界大戦下における米英のアジア観は、どうだったのだろうか。チャーチルルーズベルトを持ち出しただけでも、以下の有様だ。


太平洋戦争について・シルバー回顧録

人種差別主義者であった英国の首相チャーチルと共謀して、アングロサクソンによる世界制覇を目指し、白人による植民地支配体制の現状維持を図り、アジア、太平洋地域での権益拡大を図った大統領フランクリン・ルーズベルト(1882〜1945)こそ、太平洋戦争を惹き起こした真犯人であるという歴史上の事実を、日本人は決して忘れるべきではありません。
注:1)
ルーズベルトという名前には彼以外にも、日露戦争における講和条約の仲介に当たった、二十六代大統領のセオドラ・ルーズベルト(1858〜1919)がいました。
注:2)
イギリス陸軍の騎兵中尉としてインド駐留の経験を持つチャーチルについて、主治医のモーガンは1942年に著書で次のように述べています。
チャーチルは人間の皮膚の色のことしか考えなかった。彼はまさにビクトリア朝ビクトリア女王在位1837〜1901)的人間だと私が思うのは、彼がインドや中国のことを話す時だった。
「黄色い小人たち」、「細目野郎」、「弁髪野郎」というのは、彼が中国人のことを言う時によく口にした言葉であった。
注:3)
数百年もの間ジャワ(現インドネシア)で植民地支配を続け、有色人種に対する蔑視、差別意識が特に根強いオランダから米国に移民した子孫であるルーズベルトによれば、
日本人のような野蛮な人種をなくすために、極東でヨーロッパ人とアジア人種の交配を促進してはどうか、日本人の侵略行動はおそらく、その頭蓋骨が白人に比べて未発達であるせいだというのであった。
(1942年八月六日、駐米イギリス公使、サー・ロナルド・キャンベルとの会談の際の発言)
注:4)
ルーズベルトの長女の夫であるカーチス・ドールの証言によれば、ルーズベルトは一家の会食の席で家族にこう言いました。「私は決して宣戦はしない、私は戦争を作るのだ」。そして真珠湾の前日の会食では、「明日戦争が起こる」とつぶやきました。



ルーズベルト大統領(当時)の主席補佐官ウイリアム・レーヒー提督は、開戦後間もない昭和十七年(1942年)一月に出した覚え書きの中で 日本の野蛮人と戦う際は、かつて戦争ルールとして認められていたことを全て放棄しなければならい。 という当時米国内で言われていた言葉を引用しました。
トルーマン米大統領ポツダムにおける対日戦争終結のための会議に出席中に原爆実験成功を知り、それを日本に対して使用することを直ちに決断しましたが、その際の日記に
このことは遺憾であるが必要なことなのだ。なぜなら日本人は野蛮人であり、無慈悲、残酷、狂信的だから
と記していました。相手を野蛮人と見なせば、又そういう理由にすれば何をしても許されるという、人種差別、蔑視、偏見に基づく一方的な考え方でした。
1927年に大西洋単独無着陸横断飛行をしたリンドバーグの「第二次世界大戦日記」によれば、
我々には勇敢な行為であっても、彼ら(日本兵)がそれを示すと狂信的な行為ということになる。我々は声を限りに彼らの残虐行為をいちいち数え立てるが、その一方で自らの残虐行為を包み隠し、ただ単なる報復措置として大目に見ようとする。
と述べていました。
(その二)
原爆開発を担当していたロスアラモス研究所から原爆投下作戦を指揮するために、原爆搭載機の発進基地であったテニアン島に呼び寄せられたウイリアムパーソンズ大佐も、投下後の記者のインタービューに答えて、
ジャップがひどい目に遭うことについて、特別な感情はなかった
と語っていました。
つまり相手を自分と同じ人間であるとは全く思っていなかったので、十万人〜二十万人の人達を残虐な方法で一度に殺害しても、可哀想だとか罪の意識を全く感じなかったのです。教育の無い連中ならばともかく、ある程度の教育をうけていながら、当時の政府指導者を含むアメリカ人(白人)は有色人種に対して、これほどまでの蔑視、思い上がりをしていたのです。
(その三)
当時のアメリカの雑誌タイムの記事によると、
普通の日本人は知性が低く、無知である。たぶん人間なのだろうが、人間であることを示すような点はどこにもない
とありました。


アメリカの差別主義は第二次世界大戦時だけではない。過去には、ネイティブアメリカンを虐殺し、奴隷貿易で多くのアフリカ人を物のようにアメリカに運び、病人や負傷者を船から海へ投げ捨てるような悪行をしてきた。戦後においてのアメリカでの人種差別政策は表面的には1964年7月2日に公民権法が制定されたことにより終焉するが、ロス暴動からも分かるように、世間における差別は、今でもはっきりと残っている。


このような状況であるから、ナチスにおける優生学・アーリア民族主義も、当時の欧米ではとりわけ際立ったものではなかった。
にも拘わらず、ナチスのアーリア民族主義だけを盛んに喧伝し、ナチス絶対悪を刷り込ませる現代の風潮は滑稽としか言いようが無い。それよりも、戦後も続いたアメリカによる人種隔離政策、オーストラリアにおける白豪主義南アフリカにおけるアパルトヘイトがお咎め無しなのはどう考えても問題だ。アングロサクソンによる残酷で長期、ユダヤ人やアジア人も含め広範囲の民族に渡った人種差別は“綺麗な差別”で、ドイツ民族の行った自民族優位思想、ユダヤ人迫害は“人類全体が永遠に糾弾すべき絶対悪の差別”なのだろうか。そもそも、優生学はイギリス発祥だ。これを糾弾するのであれば他欧米列強はもとより、現在も続く中国内漢民族の夷狄思想・中華思想による国内異民族虐殺浄化や、日本蔑視も対象としなければならない。


この人種・民族差別問題は、扱いをデリケートにすべき問題だからこそ、利用されやすい。今の在日朝鮮人を見てほしい。彼らは、偽りの歴史捏造で多くの既得権益を勝ち取っている。在日朝鮮人を糾弾しても、差別だと声高々に叫べば、日本人は萎縮するのだから世話は無い。
仮に、日本人が差別を利用したらどうだろうか。嘗てのアメリカにおけるジャパンバッシングも、日本人が「人種差別だ」と叫んでいたらどうだったのだろうか。とは雖も、民族という概念を血ではなく語り継がれる思想道徳と捉え、他国を植民地にするよりも日本民族と同じように扱うために併合してきた日本人には、理解出来ない恥ずべき行為だ。


ホロコースト検証が解禁された場合は、ナチス戦勝国のイメージ変化も有りえるから、戦勝国既得権益者は是が非でも阻止するだろう。
では実際には、第二次世界大戦時のナチスヒトラーはどのように日本人を捉えているのだろうか。ヒトラーは日本人を、東方アーリア人として賞賛した。そして、ヒトラーに“我が闘争”の執筆を求め政治顧問にもまでなったハウスホーファーは、日本語を流暢に話す日本通であった。ヒトラーは戦後の戦勝国によって矮小な人種差別主義者にされているが、少なくともルーズベルトチャーチルよりは平等主義者だったのではないだろうか。
むしろ、歴史を紐解いてみると、ドイツ人は稀に見る平等主義者と分かってくる。民族の気質はそう簡単に変わらない。現代ドイツ人は正義感が強く、民族差別を一番の悪と考えている。戦後の自虐的教育の賜物かもしれないが、他欧米よりも有色人種への扱いは今も昔も、民間レベルのみならず国家レベルにおいてもドイツは人道的なのかもしれない。


ヒトラーの「日本論、日本帝国主義論」

ヒトラー狂人説が執拗に流布され、日本左派運動はこの見立てをそのまま受け入れているが如何なものであろうか。れんだいこは、ヒトラーの強権手法に凶的なものを認めるのにやぶさかではないが、理論は案外としっかりしてたと看做している。この辺りは今後更に検証していきたい。ここでは、ヒトラーの「我が闘争」その他における「日本論、日本帝国主義論」を見ておくことにする。


我々にとって日本は、如何なる時も友人であり、盟邦でいてくれるであろう。この戦争の中で我々は、日本を高く評価すると共に、いよいよますます尊敬することを学んだ。この共同の戦いを通して、日本と我々との関係は更に密接にそして堅固なものとなるであろう。
ヒトラーの遺言」


ヒトラーの日本観

●ところで、SS長官ハインリッヒ・ヒムラーは、大戦中、日本軍の強さに感銘し、御用科学者に日本人がアーリア民族であることを立証させようとしていたことで知られている。彼は、日本人から日本刀を贈られたとき、日本人とゲルマン人の祭式の共通性を発見。学者の協力を得て、どうしたらこの共通性を種族的に解決できるか、の研究を進めたという。

これは、ヒトラーがつねづね、「なぜ我々は日本人のように、祖国に殉ずることを最高の使命とする宗教を持たなかったのか? 間違った宗教を持ってしまったのが、そもそも我々の不幸なのだ」と語っているのを聞いていたからという。(ヒトラーは日本の神道を高く評価していた)。


●また、戦局がドイツに次第に不利なものに傾いていった1944年夏、ヒトラーは高校(ギムナジウム)に日本語を必須科目として取り入れることを命令している。最初はとりあえず一校だけをモデル校に選んで試験的に授業を始めることになったが、最終的には全ギムナジウムで英語のかわりに日本語を必須科目にする計画だったという。


絶対悪の定義付け、絶対善の定義付けこそ、戦争を生み、人々を洗脳し愚鈍な家畜にさせる。だが、少なくとも思考停止は悪だ。現代人類は再び戦争を起こそうとしているのだろうか。


ユダヤ人にも責任の一端=反ユダヤ主義でチャーチル元英首相が論文 時事通信社2007年03月12日