ドイツとトルコに鑑みる日本


◆ドイツの中のトルコ人


ネオナチによる過去のトルコ系移民連続暗殺が明るみになり、ドイツでは先週から連日ほぼトップニュースとして扱われている。当初は移民マフィアによる抗争事件が要因と思われていたが、見当違いだった。


銀行強盗・殺人容疑で指名手配となっていた男二人が、テューリンゲン州アイゼナハで焼死し、同居していた36歳の女が出頭した。ザクセン州・ツウィッカウのアジトと思われる家で爆破事件が起き、証拠隠滅の疑いもあり家宅捜査されたが、前述した被害者達の死体写真やDVD、更には犯行に使ったと思われる銃器が発見された。
被害者10名の内訳は、ギリシャ系移民一人とドイツ人警官一人、トルコ系移民男性が8人となっている。


不思議なことに、ドイツとは対照的に日本では殆ど報道されていない。在日コリアン犯罪者の通名・匿名報道に代表されるように、移民に同情的な日本のマスコミにしては不思議に思えるが、韓流だの中国経済だのと扇動している最中だから、ドイツへの関心が薄れるのも仕方がない。もしくは単純に、移民との共存が治安悪化と民族紛争に繋がるとの事実を隠したいためだろうか。


戦前はユダヤ人、そして今はトルコ人と、ドイツは移民問題の対処方法が分からない。
異なる民族が同じ国家の中で住むには、中国や旧ソ連のような強権力でも無い限り不可能だ。人権を重んじる現代のドイツにとって、両国のようなやり方は出来ない。


ドイツは今更ながら移民規制を強化している。移民の家族・親戚が芋づる的に来独している為でもあるが、滞在VISA申請・延長時におけるドイツ語能力の要求レベルは年々上がっている。昨年、メルケル首相はCDU青年部会議で多文化共生主義は失敗したと述べ、移民も同じ言語を話すべきだとした。同化政策とも言えるが、実質的には門戸を閉ざしつつある。
しかしながら、安い労働力として招き入れながら、利用価値がなくなったからといって、移民規制を強化するのは人権的観点からも問題といえる。
今のドイツは、金づるとして利用してきた異性の価値が無くなったと分かって捨てる詐欺師と同じと言われても仕方がない。
ドイツと対照的に、日本は移民の金づるとなっているが、騙されていることすら気づかない馬鹿な被害者といえる。


在日コリアンは在独トルコ人とは対照的に、合法的でもなく、ましてや戦前・戦中の強制連行でもなく、戦後の出稼ぎ不法入国・滞在の子孫が殆どだが、嘘の歴史を嵩に懸かって生活保護や各種税金減免等で特権階級を謳歌している。


トルコ人はコリアンとは違い嘘の歴史でドイツ国内で権利を主張しないが、ドイツでは毛嫌いされている。


ドイツ人の基幹民族であるゲルマン民族は、秩序や協調性を何よりも重んじる。その点で、合理性だけを求めるアングロサクソンとは大きく異なる。
宗教云々は別として、そんなドイツで、強面のトルコ人の若者が徒党を組み肩で風を切りながら街中を闊歩し、更には町を形成していったらどうなるか。結果は、目に見えている。


日本では中国人が増えているが、衛生概念や協調性の無い彼らは、自治体を悩ましている。
今はまだ一部の団地や住宅だけだから良いが、これが市町村単位となったら、住んでいる日本人はどう思うのだろう。



動画 シナ(中国)人4割 【埼玉】芝園団地の実態調査


在独トルコ人は、在日中国人ほど酷くはない。トルコ風呂からも分かるようにトルコ人は衛生概念が発達しており、イスラム教によって、無宗教で拝金主義の中国人よりは協調性も身に付いている。
それでも嫌われるのは、やはり“多すぎる”からか。


日本には、移民一千万人計画という無謀な構想がある。比較的に真面目なトルコ人でさえ毛嫌いされるのだから、虚構で飾った中国人やコリアンの末路は容易に想像できる。
中国人やコリアンは今現在、日本で一位二位を争う移民人口を占めているが、犯罪発生率でも一位二位を争っており、その率も日本人より遥かに高い。
移民一千万人計画が実行されたら彼らや、その親戚縁者が雪崩のように来日し、日本が修羅場と化すのは目に見えている。詐欺師に騙されるのは自身が悪いとしても、そのトバッチリとして、関係のない人の命までも取られるのは、許せるものではない。


ましてや、中国人やコリアンは世界でも一位二位の反日国家出身者である。日本人を殺すのも、正義の鉄槌として躊躇しない。この点でも、国内で反ドイツ教育を受けていないトルコ人と全く異なる。
ドイツにはトルコ人学校が無いが、恐ろしいことに日本では反日教育がコリアンの民族学校で行われ日々、反日コリアンを生み出している。

中国人、朝鮮・韓国人の人口比と凶悪犯罪発生率の関係を調べてみた


中国人や朝鮮・韓国人(以下特ア人)の人口と凶悪犯罪(殺人、強盗、放火、強姦)の関係を図にした。


横軸は各県人口に占める、特ア人(外国人登録者)の比率。
縦軸は各県の凶悪犯罪発生率(人口10万人あたりの凶悪犯罪認知件数)


特ア人の比率が高い県ほど凶悪犯罪発生率が高まる傾向がある。
この回帰直線の相関係数は0.69で有意水準1%で有意だった。


この図から、二つの変数に相関があるのはわかるが、因果関係は不明。
(しかし特ア人の犯罪率は日本人よりかなり高いことはわかっている)


相関を示した別の原因として考えられるのは、凶悪犯罪が人口密集地で発生率が高く、特ア人が人口密集地に住む傾向が強いために、たまたま相関が示された、というもの。


それで、重回帰分析で検証した。目的変数は各県における凶悪犯罪発生率で、説明変数は各県における彼らの人口比と、各県の可住地人口密度の二つ。人口比は有意水準1%で有­意だが、後人口密度は有意水準5%でも有意ではなかった。つまり凶悪犯罪発生率を変化させるのは、特ア人の人口比の方だと言える。


この直線が信頼できるものとして話を進める。


直線を後に延ばして、彼らの人口比が10%(1千万人移民)のところの凶悪犯罪発生率は、35.7で2009年の全国平均6.5の5.5倍。


Y切片(X=0、特ア人が0の状態)は2.8で、この場合は凶悪犯罪は半分以下(0.43倍)に減る。
特ア人が犯人の凶悪犯罪認知件数よりも減るのはおかしいという意見があるかもしれないが、


帰化人や不法滞在者も凶悪犯罪発生率が高く、その分布が外国人登録特ア人と類似すれば、直線の傾きが大きくなる。
●未検挙事件が3割近くあること、およびその中で特ア人が犯人の比率が高ければ、直線の傾きが大きくなる。
●特ア人が多い地域では環境が犯罪を誘発する方向に悪化するとすれば、日本人の犯罪も増加する(たとえば犯罪誘発要因と考えられるパチンコ、闇金などの分布が、朝鮮・韓国­人の分布と類似していれば、その地域の日本人の凶悪犯罪を増加させ直線の傾きを大きくする)


ということが考えられる。


この直線の傾きから精度の高い予測が可能だとは思わないが、半分程度に見積もったとしても、特ア人の人口が凶悪犯罪に及ぼす影響は大きい。


この動画で主張しているのは、彼らをすべて排斥せよ、ではなく、犯罪を犯す者を排除せよということ。


犯罪を犯す危険性が高い連中までどんどん入れたり、犯罪者を強制送還しない、ということをしなければ、このような明白な相関は出なかっただろう。


【使用データ】
総務省 人口、人口動態及び世帯数
http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/17216.html


法務省 登録外国人統計
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001065021


警察庁 認知・検挙件数及び検挙人員
http://www.npa.go.jp/toukei/keiki/hanzai_h21/h21hanzaitoukei.htm


国土交通省 可住地面積
http://tochi.mlit.go.jp/syoyuu/H21/H21_tbindex.htm#p1-5


トルコ人の中のクルド民族


戦後復興期のドイツは、労働力不足を補うためにガストアルバイター外国人労働者)を呼び込んだ。
“ガスト”とは文字通り“客”の意味だったが、その子孫や家族が増え、今ではドイツ人口の10%を占めている。中でも最大の移民集団は、250万人を抱えるトルコ系移民。
しかしながら、トルコ系移民といっても、実際はトルコ民族ばかりではない。


トルコ共和国はトルコ民族だけの国家ではない。トルコ東部に住む国を持たないクルド民族も存在し、同国には凡そ1500万人も住んでいる。トルコ全体の人口は7500万人であり、クルド民族は少数民族とは言えないほどの人口を抱えているが、トルコ国内ではトルコ民族よりも権利が少なく、実質的に二等国民とされ、虐げられている。


クルド民族の元来の居住地域はイラン・イラク・トルコ・シリアにまたがっている山岳地帯であり、現在も四カ国のクルド民族の人口が多い。
5番目に多い国家は中東諸国ではなくドイツで、凡そ80万人にも及び、ドイツにおけるトルコ系移民の三分の一を占めている。1990年代後半以降は、トルコからドイツへの移民の8割にも及ぶ。
クルド民族はトルコ民族とは全く異なる民族であり、クルド民族はイラン人に言語学的には近い。彼らは部族を大切にし、復讐心が強い。更に、トルコで虐げられていただけに、反骨精神もある。
トルコへ行くとしつこい客寄せに参ることが多いが、トルコ民族は江戸時代の日本人に例えるのであれば商人あり、クルド民族は武士に近い。
クルド民族が、トルコでのハングリー精神を持ったままドイツに行ったらどうなるのか。
ドイツ国内でも、クルド民族とトルコ民族のイザコザは絶えない。その延長線上として、ドイツ政府やドイツ人と無用な軋轢が生まれるのは、必然的ともいえる。
更には、クルド民族は難民も多く、トルコ民族の移民よりも貧しく教育も行き届いていない。結果として、同じトルコ系移民でありながら、クルド民族とトルコ民族間で、どうしても生活や収入で差が出てくる。


1992年のロサンゼルス暴動では日頃、黒人・ヒスパニック系を差別していたコリアン系の商店が略奪・放火の標的とされた。対照的に日系の商店は一件だけ被害に遭い、後日、コリアン系と間違えた黒人が謝りに来たとの美談付きだが、もし、日本が大日本帝国のままで、コリアンも日本国籍を得ていたのなら、本土出身の日本人も黒人・ヒスパニック系の憎しみの対象になっていたことだろう。
大日本帝国時代の日本人とコリアンが一緒くたにされたように、トルコ系移民としてトルコ民族もクルド民族も一緒くたにされているのが、今のドイツといえる。
もっとも、戦前のコリアンは現代トルコのクルド民族のように自国の軍隊に虐殺される程の経験もなく、本土の日本人よりも優遇され日本人であることに誇りを持っていたのだから、今のような傲慢で恨まれるコリアンにはならなかったのかもしれない。


トルコ人に対する在独日本人の感情



動画 多文化主義の失敗例 ドイツの学級崩壊


明治23年エルトゥールル号・遭難事件における救出劇や日露戦争もあり、トルコ人親日的であると日本では慕われているが、ドイツに住む二世三世はトルコの教育を受けておらず、殊更親日というわけでもない。ましてや、トルコ政府に反感を持っているクルド民族が親日になる土壌は少ない。
故に、ドイツに住む多くの日本人は、トルコ人に同情的というよりも、むしろ、移民らしく目立たないように生活して欲しいと思っている。それは、増加しつつあるドイツ国内の中国人に対しても同様といえる。
確かに、ドイツ語が不自由な両親の元で育てば、一般ドイツ人よりも学力が落ちるのかもしれない。結果として、良い仕事にも付けないのかもしれない。しかし、だからといって犯罪に手を染めたり、ドイツの秩序を乱して良いわけがない。
日本人からしても、ドイツに住んでいながらトルコと錯覚するような町や、トルコ人の不良若者グループが多いように思うのだから、ドイツ人の心中は察するまでもない。皺寄せとして、日本人にまで排斥運動や滞在許可厳格化が広がってしまっては一溜まりもない。
いくら日本が道徳心の高い先進国であり、ドイツ人にとって尊敬に値する国民であっても、日本人のプラカードでも持ち歩かない限り、トルコ人と同じ外国人であり、中国人と同じアジア人でしかない。


「中国に対する友好度」、最も高いのは米国人、低いのは日本人―マレーシア華人 2011年11月22日 レコードチャイナ

(抜粋)ヨーロッパ人(英国を除く)は「50点」と辛口。特にドイツ人は中国人を「闇市場」「マフィア」「パクリ」「素養がない」「レベルが低い」などと馬鹿にしていると怒りをあらわに。


◆消えない国内外の民族紛争


アメリカの政治学者・ハンチントンは、自著『文明の衝突』で今後の世界は文明同士の争いが顕著化すると訴えている。
とはいえ、現在もまだ文化と文明の明確な定義はなく、一般的には文明は未開の対義語とされる事が多い。英国の文化人類学者・タイラーは文化の定義を信仰・道徳・法律・風俗等の複合とした。ハンチントンは文明の定義を広範囲の文化圏と定義しているが、実際には狭義の文化間の争いが絶えない。


文明・文化の定義付けは置いておくとしても、過去から文明・文化間の対立は絶え間なく続いており、冷戦でさえタイラーの定義からすれば文化間の対立となる。
しかし実際の世界における対立要因は、文化や文明等の複雑なものではなく、民族でしかない。
狩猟・採取、農耕・牧畜時代の食料と食料を供給する土地の奪い合いから、近年の国家間による資源獲得紛争も、今ある地位や収入、即ち利権を守りたい故だが、敗れれば民族も滅び伝統も歴史も消え去る場合もある。すなわち、後世に自身の思想や遺伝子を残せないとのことだが、だからこそ、必死に戦う。
そして、民族同士の争いは国家間だけではなく、国家内でも起こる。


ドイツだけではなく、欧州各地で噴出する移民問題が既に証明している。ヨーロッパを震撼させたユーゴスラビア内戦は、記憶に新しい。フランスやイギリスでの度重なる暴動は、就職で一番不利な立場になる移民抜きには語れない。

今年は、世界一平等で幸福な国と言われたノルウェーで、外国人排斥派による大量虐殺テロが起きた。
これらは、全て民族間の争いともいえる。


力で少数民族をねじ伏せている中国でさえ、チベットウイグルでの独立闘争を抑えられず、最近ではチベット人僧侶の抗議自殺が相次いでいる。隣同士の民族・国家でさえ争う人類が同じ国家の中で共存するには、超越的な強権力がなければ不可能といえる。


神が支配するか、人類が神に近いくらいに賢くなれば話が違ってくるが、今のままの人類で、この先も人類の統治を望んでいるのであれば、民族は違う国家で住み分けるしか無い。


ドイツに対しては、労働対価が安いとの理由だけで移民を召喚すべきではなかったと言う他ない。
日本はドイツに習い、無用な紛争を生まないように、移民受け入れ拡大だけは阻止しなければならない。移民を受け入れた国には、結婚と同じように責任がある。移民を受け入れてからでは、遅い。
移民の大量流入は、人口減少における労働力不足以上の、弊害を齎す。


不法滞在者を国外退去させるのは当然としても、移民を排斥し、虐殺する行為は許されない。それと同じように、移民を政府として積極的に受け入れることも、決して許されない。
移民の増加に比例して、犯罪や憎しみが増えるのは耐えられない。嫁と姑のように、離れていた方が良い関係を築ける場合もある。
人類を信じたいが、それは盲信することではない。人類は人類の限界を知る必要がある。過去の共産主義が失敗に終わったのは、人類の能力が共産主義に追いつかなかったからだが、移民との共存も同じといえる。盲信は、暴走と悲劇しか生まない。


これは排外主義ではない。これこそ、地球という星での多文化共生主義に他ならない。