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ククルス・ドアンの島

2018-04-05

一月に一度

 引っ越してから、完全に一月に一度の更新になってしまった。 一人だと、気ままな日々を送っておればよいのだが、二人になると、一緒に過ごす時間が多くなり、自分だけの時間を割くのが難しくなる。 一緒に過ごす時間が嫌ということではない。 食事の支度をしてくれているのになーんも手伝わんということにはならん。 横で、洗いもんのしたり、テーブルやら、茶碗やらを準備したりする。 確かに一人で過ごす時間はあるけれど、それはそれで、分担されたお仕事をやらなければならないのである。  

 なんといっても食事の心配をしないのは、まことにありがたい。 遅く帰って、近場のコレステロールこてこての食事をするのは、身体によろしくない年齢になっておるからな。 俺の体を考えて、薄味な味付けになっておる、ちょいと寂しい。 ちなみに俺は、高血圧ではない。 

 些細な喧嘩はするが、お互い長く付き合っておったから、気性を把握しているし、年も食っているからなぁ、どーすりゃいいかは心得ているのだ。 
 笑ってしまうのが、6本木と家の往復で、街中といえるところに身を置かないんだなぁこれが。 6本木といっても、歓楽街の方ではなく、ブルジョアな方々が住んでおる方だから、街らしい雰囲気じゃなく、隙間あれば、どこでもある筈の松屋マック、ケンタなんぞないし、セブンイレブンいい気分もない。 あるのは、あれだあれ、金持ち御用達の成城石井!! しかし、何故か、プアーズ御用達のまいばすけっとがひっそりと力強い味方として鎮座している。 

 俺んちの方は、町全体が閑静な住宅地と化しておるからな、混雑らしい混雑があるのは、朝くらいで、あとは毎日が日曜日みたいなもんさ。 でも、子供たちは、沢山おるんだな。 公園に小児科が賑わっておる。 
 
 結局、6本木とサイタマンの往復だから、静かに生活をしておるといえる。 電車の混雑だけは、どうにもならんけれどな、他は至って、穏かに時間が流れておる。 なんだろう、人の目を気にすることをしなくなってしまった。 一人で住んでおるときは、多少は異性を意識したんだが、今はなんも感じん。 お互いをパートナーとして認め合っているからかなぁ、他に意識を持つ必要がなくなった。 

 近場の川っぺりをせっせこランニングをしておるけれど、以前のように躍起になって走ってはいないな。 いずれ、レースには戻るけれど、走り方も変わった。 頑張ちゃいるけれど、一人で頑張っているわけじゃないから、それなりに気持ちが楽になったのかもしれない。 狭いながらも楽しい我が家ってことかな。

2018-03-08

The doors

 俺は相変わらず、音楽はダウンロード派ではなく、CDを買うという無駄を手元に持つタイプである。 当然だが、仮想通貨なんぞ、まるっきり信じておらん! 形あってこそだという岩石のように固い意思を持っている。 

 そんな俺もナマゾンで、中古やら、輸入やらのCDを買い集めるという中途半端さはある。 ナマゾンの攻略に乗っかり、ちょっとでも安くなると手を出してしまう。 時々、妙に値段が下がるんだよ、ありゃ完全に作戦だよなぁ、俺は見事に乗っかって、買っちまうなけれど、困ったもんだ。 頻繁にナマゾンから荷物が来るもんだから、彼女のチェックも厳しくなっておる。 最近じゃ、パソコンのキーボードを叩く音がすると、「また、ポチっとしたか?」 と覗き込まれる。 俺も知恵をつけ、中古のCDを買い、ポスト投函にて回収という業を使っておる。 

 最近のホームランは、The cult の Choice of weapon という一番新しいアルバムの前のヤツになるのかな、それ! The cult と言った時点で、知ってるヤツしか知らん。 当然、ここを頻繁に訪れておる奴らは知っておるであろう。 Blue・oyster・cult ではない。 イアン・アストペリーとビリー・ダフィーの今となっちゃ少なくなった、本当に危なさを兼ね備えているバンド! これ又、AC/DC と一緒で、不変のスタイルである。 硬質なギターの音に単純なリフだ。 そして、妙に説得力のあるボーカル。 

 どこを切っても、cult である。 1曲目の Hony from Aknife から、ガツンとやられる。 新譜を聴くのは、10年以上ぶりだから、ボーカルも時間を感じさせるが、相変わらず、説得力十分である。 インナーの白黒写真を見ると、ブードゥー教の教祖のような感じだ。 一番驚いたのは、レーベルが日本コロンビアになっておったことかな。 流れ流れて、コロムビアかぁ、偉いぞ日本コロムビア。 アニメの楽曲しか出せねぇかと思っていたが、なかなかの男気。 

 イアンの声を聴くと、思い出すのが、ジム・モリソンだ。 cult が活動を停止しておったとき、Doors on the 21St century の活動をしておった。 Youtube なんぞで、画像がアップしていたから気にはなっていたんだ。 映像は発売されているけれど、音源は発売されておらんようだ。 あの妙な説得力は、ジム・モリソン継承のものなのだ。 そーなると、The Doors が聴きたくなるんですよ。 60年代の音源は、レコードの方が合っている気はするんだけれど、レコファンレコードを売っぱらったときに The Doors ともおさらばしてしまった。 CDは持っているんだけれど、音がよろしくない。 買うか? こーなると、リマスター盤が欲しくなる。 

 ポチっとして買ってしまいました。 何周年記念盤とマニアック過ぎるもんは買わずに普通の ドアーズ ハートに火をつけて を買いました。 俺が聴いたアルバムの中で、針を落として、猛烈な衝撃を受けたアルバムは、そー沢山はない。 Vanhalen のファーストと、Kiss のアルバムも衝撃だったな。 あと、ELO の Time も衝撃だった。 

 1曲目の Break on through は未だに聴き倒す。 なんだろうエレピの単純イントロなんだけれど、強烈な力強さを感じるんだ。 そして、ジムのボーカルが被ってくるじゃない、そこで又、衝撃を受けるんだ。 これがファーストアルバムだっていうんだから、笑っちまう。 もう、既に The doors は出来上がっているんだもの。 レイ・マンザレクの攻撃的なオルガン! オルガンなんて、幼稚園でしか使わないと思っていた、それがあそこまでアドレナリンを出させちゃうんだからなぁ。 ベースが居ないという特殊な編成だったから、当然、キーボードで、低音をカバーし、ギターも低音をカバーしている。 ドラムはジャズっぽいが、このバンドには合っている。 

 リマスティングを施すおり、Break on through は原曲に戻した。 She gets で終了しているところが、High! という部分が入っている。 High! という言葉が、ラリっているという解釈をされるという理由で、切られた。 それが復活している。 そして、大作 The end の後半ボーカル部が鮮明になっておる。 解説にも書いてあったが 「地獄の黙示録の The end に近い」 

 俺の中では、地獄の黙示録の The end と、The doors の The end は別もんだと考えている。 両方、悪くないし、両方意味がある。 

 通勤時に The cult The doors という攻撃的な流れで、ウォークマンで聴いているぜ!! 

2018-02-19

時代屋の女房

 サイタマンになって、2ヶ月を越えた。 思っていた以上にいまの生活にすんなりとは入れたのには、笑った。 お互い長く一人で居ったから、やれ食べ方がどうの洗面台の使い方がどうのとギクシャクするかなと思ったが、そうでもない。 

 新天地に慣れたとしても、住み慣れたOH井は思い出す。 思い出す原因は、ちょっとした町の不便さだったり、通勤の大混雑だったりする。 あぁOH井だったら、直ぐ買えたのに、OH井だったらこんなに混んじゃいなかった!! と浮かんでしまう。 楽なほうに自分を流すからだろう。 

 CSの夏目雅子特集で、「時代屋の女房」 を観た。 勿論、OH井が出てくるのと、夏目雅子が出ているからだ。 観た覚えがあるが、とにかく面白くなかったことだけを覚えている。 覚えていないほど、どうでもよい内容だったのだろう。 でも、OH井が出てくるということで観たくなった。 

 オープニング、今はない三つ又通りの歩道橋に面した時代屋が出てくる。 昭和の臭いがする風景だ。 小学生の時分、チャリンコで、あそこら辺を散策したもんだ。 小さい本屋があって、品揃えは少ないけれど、趣味に偏った本が置いてあった。 あの僅かなスペースの通りも変わってしまった。 昔っからあるのは、ケーキ屋くらいか? 通りに入り口にゃデカイホテルが建っちまった。 阪急ホテルや、周辺にも小さいホテルがあり、外国人が闊歩している。 確かに渋谷新宿銀座に出るには良いロケーションだ。 俺らが住んで居った頃は、そんなこと誰も考えておらんかったから、汚い草競馬が近くあり、小銭で飲めるノーマークな駅だった。 

 りんかい線が通ってから、街は一気に変身したな。 他のとこから移ってくる連中に取っちゃ、その変身した街の方が住み易いんだろうなぁ、食い物屋もこまちゃくれて綺麗になっちゃった。 ごちゃごちゃした草臥れたおっさんばっかが集まる店の方が何となく良い。 ガキ共も、つっぱった感じで、ひねているほうが良かったりする。 OH井は、そんなところだった。 

 ロケーション範囲が狭いからか、OH井感が出ていない。 生き生きと町を撮ってくれれば良いものをこじんまりとして、この町がどーいう町かというのが感じられないのが残念だ。 

 今となっちゃ伝説になった女優、夏目雅子もらしさが出ておらん、銀幕に映える美しさは感じ取ることが出来る。 でも、俺らの世代三蔵法師の方が馴染み深いか。 広いゲーノー界、キャラ被りが居るんだけれど、夏目雅子に関しちゃ亡くなって、数十年経っているのにその隙間を埋める女優が出てこない。 それだけ稀有な女優さんだったのかなぁ。 天真爛漫さと、美しさを兼ね備えた女優さん。 

 OH井でロケーションをしていながら、OH井駅を出さんかったのは、納得がゆかんよね。 ノスタルジーな駅舎が映像で残っていれば良いものを監督センスなさすぎ。 懐かしの品川公会堂から、駅前に出る狭い歪みまくっている石で出来た階段が、未だに好きなんだ。 階段の脇に寂れたパチンコ屋があり、時々連れて行ってもらった。 あまり玉で取るお菓子が、嬉しかった。 あの周辺だけ、多少ではあるけれど、昔の風景が残っている。 古い町並みは、ほっといても朽ち果ててゆくけれど、壊されてゆくのは、忍びない。 時々、OH井に戻るたんび、何かが無くなって寂しさを感じるんだろうなぁ。 

 映画は、やっぱ面白くもなく何にも残らない映画でしたよ。

2018-01-04

新年の挨拶っちゅーか、近況

 サイタマンになってから、2週間ほどが経過した。 住み慣れてしまうと、そこは天国! という訳でもないが、住み心地は良い。 近くに地域密着の恐ろしく安いスーパーがあり、西ユーも比較にならんほどに安い。 そして、周辺に幾つも点在するディスカウントショップ!! 買いもんには不自由せん。 東京じゃ聞いたことがないスーパーも多い。 隣の県なのに馴染みがなかっただけに新たな発見ばっかだ。

 隣の県といったら、K川である。 それになんといっても、寒い。 こっちは、東京よりも2℃ほど低いんじゃないのか? 今年は特別寒いらしくし、地元のじいちゃんも 「50年ここに住んでいるが12月でこんだけ寒いのは、はじめだな」 と言っておった。 新しき我が家は、日当たり良好で、晴れておる日は、暖房不要である。 ありがたきや太陽だ。 

 その代わり、朝のラッシュが半端ない。 K浜東北線も負けじと混んじゃいるが、人が降りたり、乗ったりを繰り返すが、こっちは思ったほど降りずに東京へGOなのだ。 7時の電車は普通に混んでおる。 お父さんは、偉いよねぇそんな電車に文句も言わずに乗って、家族のために働いているんだからさ。 

 片付けなきゃならないのになかなかやらない。 ある程度、普通に生活が出来れば、それでよしと言う感じかな。 そんなんじゃ駄目なんだろうけれど、ついついやらない。 引越し準備の一ヶ月間が大変だっただけに無用な努力はしたくないのである。 困ったもんだ。 さて、俺は来月からどうなるのだろうか? 行って見なければ判らない。 六本木なんて、私用で行くことなんて、ありゃしない。 おまけに埼玉くんだりから、そっちに向かうんだからなぁ、気持ちがちょいとばかり萎えるな。

 それでも、生活の拠点は、安定しているのだから、文句を言わずに働かにゃーならん訳だ。 だからといって、会社のために働こうなんてぇサラリーマンの鏡のような気持ちは一切ない。 自由気ままに風に揺られて、右に左に傾きつつ、気が向いたら風に逆らうのだ。 

 若い頃は、いつでもどこでも風に逆らっていたけれど、歳を食うと、そこまで体力がない。 そんな俺は、平均点を取る仕事しかしない。 そこそこの点を取って、それなりに流してゆく、俺の好みの仕事があると、精一杯頑張っちゃう! そーいう気性だ。 まずは、リハビリを始めた右手を完治して、山へ谷へと走りに行けばよろし。 

2017-12-01

12月4日にお引越し!

 引越しの準備も佳境に入っておる。 前回、5年ほど前に引越しをやっておるが、あの時は捨てれど捨てれどゴミは減らず、積めれど積めれど荷物は減らずという状態であった。 余裕かまして荷造りをしておるが、さすがにカウントに入ってくると、慌しい。 

 適当さが出てくる。 デカイダンボールに入れちゃえ入れちゃえと詰め込み始めておる。 

 これで、終わりじゃないところが怖いねぇ、向こうに引っ越してから、再び荷物を開いて片付けなきゃいけないんだもの、ほんと、引っ越しって大変。 

 生まれて間もなく、今のエリアに住み始め、結局半世紀居ったことになる。 おふくろは元々飛行機がブーーンって飛んでいるエリアに住んでおったから、親の代からずーーっとってことになる。 その土地を離れるのだ。 今は、引越しのことで目一杯だから、気にかけておらんけれど、落ち着くと懐かしく思うんだろうなぁ。 向こうの家族にも挨拶にゆき、なーんも持っておらん俺を受け入れてくれて、ありがたく思っている。 彼女のおふくろさんが、しきりに俺のおふくろのことを褒めていた。 「よく曲がりもせずにそこまで育ったね」 と、良いおっさんを捕まえて言われた。 おふくろや、弟は居らんけれど、間違いなくそこに存在しておるわけだ。 

 住んでいる場所が変わったからといって、俺自身が変わるわけではない。 地球の裏側に住もうが、隣街に住もうが、俺は俺なのだ。 そして、俺の存在の後ろには、おふくろや弟が居るということだな。

 HPの方が契約が切れるから、もしかしたら、アクセスできませんが出てくるやもしれん、このブログは変わらず、存在するから、HPが見れなくなったら、こっちを確認してくれ。 じゃー、バイバイ。