札幌チャレンジドに想う

私は、札幌チャレンジドでお仕事をさせていただいてから、気がつけば24年になる。

20代後半に差し掛かった頃、ちょうど生まれたてほやほやの札幌チャレンジドに出会った。

たぶん、今の札幌チャレンジドの中で一番古い存在だと思う。

生まれたてほやほやの頃は、事務所も講習会場もなく、NPO法人ボラナビの事務所内にある3段のカラーボックスが、私たちの事務所だった。

事務所もないので事務職員もいない。運営委員の一人が携帯電話1つもち、問い合わせ等に対応していた。

パソコン講習が開催される時は、運営委員が全員、仕事の合間を縫って参加したり、札チャレ通信を発行、発送作業をしながら、運営委員会を行なっていた。

 

私は、運営委員の人達の想いと札チャレの活動に取り組むその熱意に心を打たれて、運営委員の一人として活動をしたいと思い、運営委員になった。

 

この頃は助成金事業を主とした活動が多く、私もパソコン講師として活動に関わることが多くなった。

気がつけば、札チャレの活動が仕事となり、自分の糧となり今に至っている。

けれども、講習を受講される人たちはいつかは卒業していく。

卒業することは嬉しいことだけれども、自分だけが取り残されているそんな気持ちになることもあった。

でも、不思議とパソコンを勉強したい!という人は、いつの時も必ずいる。

私は、その気持ちに何とかしたい!と思いながら、三日三晩徹夜覚悟で講習に使うテキストや資料作成に明け暮れ、いつも頭の中は「テキスト、つくらなきゃ」「あれも用意しないと」「これもやっておいた方がいい」という、講習をこなすことでいっぱいだった。

 

私は講習が好きだ。その気持ちは今も変わらない。

けれども、講習に費やす時間に、自分の時間を全てに近いほど当ててしまった自分にちょっと後悔もしている。

もう少し、他のところに目を向けて、自分の時間を充実しておけばよかったかもと思う。

そうすれば、今とまた違った目線で物事を考え、行動すれば・・・また違う自分に出会えただろうと。

 

そんな気持ちにもかられる。

でも、私は札幌チャレンジドに関わる者として、札チャレという団体が誇らしく思うし、これからも「札幌チャレンジドの高橋めぐみです」と言い続けるだろう。

なぜなら、札幌チャレンジドという団体の土を耕すことから関わった人間の一人だから。

 

でも24年経ち、団体も大きくなり様々な事業を展開していくそのスピードに、追いついていけない自分もいて、時として歯がゆさも感じる。

 

組織の中に身を置き、自分自身が何者か?分からなくなるけれども、パソコン講師ということには変わりはない。

それが、今の自分のモチベーションを保っている唯一の手段。

 

障がい者である前にパソコン講師。

パソコン講師である前に、1人の一風変わった人間である。

このキャラは、長い年月を積み重ねて形成されたものなので、1日や2日ではそうそう変わることはないだろう。

でも、たまたまパソコン講師になっただけ、たまたま障がい者として生まれただけであって、そこに特別な使命も何も感じることはない。

使命なんぞを感じていたら、プレッシャーに潰されてしまうだろう。

そこまで私は強くし、賢くはない。

私でなくても、講習は成り立つし団体がどうこうということはない。

だから私は、身をおけるのかもしれない。

 

これから、年々老化と障害の進行(脳性麻痺は進行しないと言うが、それは断じて違うと思う)と向き合いながら、一講師の端くれとしてやっていきたいと思う。

 

使命は感じないと言ったけれども

そうですね・・・そうだよな・・・むずかしいな・・・と言いながらも

みんなと一緒に考え、それぞれの出来ることを見出して発信していきたい。

これが私の唯一の使命だと思う

 

 

 

 

雇用関係

【雇用関係に思う】

この頃、ちらほらと一般企業への就労にまつわる話が聞こえる。
私はもう一般企業などへの就職ということは考えてはいないし、そもそも会社勤めには向いていない性分なのかなあ?とも思う。
働く人、雇う人、お互いにそれぞれの考えがあり、それぞれの考えに尊重しないと信頼関係は生まれない。

けれども、雇用する側は義理や人情だけで雇用をするのはなかなか難しい。
その会社の理念に沿って、総合的に動ける人材が欲しい・・・それが本当のところだと思う。

雇用する側の評価、働く側の熱意、それが100%合致すればよいのだが
なかなかマッチングせず、働く側は引いてしまうか、その場を去ってしまう。

雇用する側も、会社を守っていかないといけないのだから
常に重責がともなうと思う。

お互いの事情や思いを分かり合えばよいのだが
お互いに違った環境で生きてきた人間同士、なかなか分かり合えないというのが現状だと思う。
お互いに「わかってほしい」「こうすべき」という気持ちがあふれて、結論が出てるように見えてあやふやになってしまうこともあるだろう。

サービスを受ける、提供する関係よりも
利益や原資を伴う雇用関係って、実は人間関係の中で一番難しい関係だなあと思う。

みんな、そういう複雑な社会の仕組みや組織の中で
自分のやるべきことをしっかりとこなしている、そんなひたむきで一生懸命な姿に
世間知らずの私は、ただただ「すごいなあ」と尊敬する。

ちらほらと聞こえてくる声に
いつの世の中でも、関係性を保つのは難しいなあと。
でも、だからこそ人間同士のつながりを大切に、しっかりと、保っていたい。
人間は一人では生きていけないのだから。

そんなことを思う敬老の日でした。

友人の誕生日

今日8月24日は、私の大好きな友人の誕生日。

今生きていたら、53歳になる。

友人は、誕生日の日になると、いつも家族で外食していると言っていた。

友人が亡くなって6年になる。

ということは、7回忌を迎えたのかな。

友人は、私を札幌での一人暮らしを積極的に勧め、何から何まで全部やってくれた。

今の札幌人の自分がいるのは、友人のおかげ。

私は友人に全信頼を注ぎ、初めて自分自身を身失うぐらいに想いを寄せていた。

こんな気持ちになったのは生まれて初めてだった。

友人も私を信頼し、そして自分のことのように心配し、

何度も「こんなことをしたら体を壊す」「こんな状態でいたら歩けなくなる」と

大げさなぐらいに心配をしてくれた。

友人とは、いろいろあって一度距離をおいた時期もあったが

結局、物理的にも距離が遠くなかったせいか、何となくつながっていた。

 

 

やがて、私の引っ越しが決まり

私にボソッと「ここからいなくなるんですね。他の区にいってしまうんだ・・・」と

寂しそうに言ったのが最後だった。

 

大きな病気を抱えながら

自分の信念を決して曲げることなく、精一杯生きてきた友人を

私はとても誇りに思う。

お互いに別世界に生きてきた友人に、パソコンを通じて出会えたことは、本当に奇跡だ

と思う。

 

そして友人が入院していた札医大病院に、私も昨年から通っている。

私は脳神経内科に通っているのだが、いやでも心臓血管外科の前を通るので

友人のことを思い出す。

そして「私も、とうとう札医大病院に通うようになったよ」「今日も注射してきたよ」

と心の中でつぶやく。

 

 

今、友人が生きていたら・・・

何かにつけてたぶん、友人に「困った。どうしよう・・・」と言っていたかもしれな

い。

そして友人は笑って、「こうしたらどう?」「そんなの簡単なことだよー」と軽く言っ

て助けてくれるだろう。

 

でも、私はいつも友人に会えるような気がする。

空を見上げると、空の上からみんなを、私を笑いながら見ているような気がするので

私は今日も頑張れる。(ような気がする(^^;))

 

 

 

 

 

 

 

 

障がい者を自覚したとき

私は、生まれつきの障がい者

病名は脳性麻痺

両親は私を育てるために、それはそれは苦労したと思うが

私は普通に地域の幼稚園、小学校、中学校、高校、そして短大まで行くことが出来た。

これも周りのみんなの優しさと明るさのおかげ。

周りはみんな普通の人。いわゆる健常者。

だけど、私のことを普通の感覚で見て、ごくごく普通に接してくれた。

それが当たり前のことだと思っていた。

だけど社会に出て働くようになって、

少しずつ「障がい者」という言葉を耳にしたり、目にすることが多くなった。

障がい者とそうでない人の「なんちゃらかんちゃら」という言葉を

目にしたり耳にすることが、何だか違和感を感じた。

障がい者が特別なのか?

行動を起こさないといけないのか?

努力して、自立しないとダメなのか?

ボォーとしてたらダメなのか?

遊んでいたらダメなのか?

障がい者は生意気に見えるのか?

社会性に乏しいのか?

といろいろな疑問を抱くようになった。

やがて、私は一人暮らしをはじめ

障がい福祉サービスという名の障がい者が社会で生きていくための制度が施行されて、

居宅介護や移動支援が、一つのサービスとして成り立って

そして何より、仕事が就労継続支援事業というサービスとして位置づけられた。

その時、私は自分が障がい者であることを

あらためて自覚したような気がする。

仕事をするのにも、サービスを利用することになるのか・・・

何だか複雑な気持ちになった。

でも、仕事は仕事なので精一杯取組んできた。

今でも、それは変わらない。

なぜなら一人の労働者には、何ら変わりはないから。

っていうか、かわいそうなキャラでもないし

真面目なキャラでもないし

熱血満載なキャラでもないし

もちろん、頭がいいわけでもなく

適当に笑って、適当にやりすごし、適当に気にするキャラ

小心者で、それでいて「これをやりたい」「あれをやろう」が口癖のキャラなので

障がいがあろうが、なかろうが、この性格は変わらないだろう。

そして、私を昔から知る人間の中には「腹黒いヤツだなぁ」と笑って言う。

腹黒いキャラでないと、この世の中渡っていけない。

そう開き直る今の自分。

ただ、地域の中でみんなが穏やかに暮らすには

一人、二人の力だけでは、とうてい無理なので

みんなが、自分たちの地域で出来ることを少しだけ考えて

いい方向に地域づくりが出来れば、みんなにとって優しい社会になると思う。

私のような障がい者が、地域の中で笑って、たわいない話をして

美味しいものを食べて、イケてる洋服を着て、財布に優しい買い物が、

フツーに出来ればそれで十分。

願わくば、仕事が出来て、それなりの収入が得れればいい。

働いてお金を得ることで、自ずと金銭管理の必要性に気がつき

得たお金で好きなものを買ったり、美味しいものを食べたり

日々の生活を楽しんだり、行きたい場所に行くことで

「働いている意味」が実感できると思う。

何かの記事で見たけど、

「支援学校を卒業した人は働く意味が分からないまま、仕事に就く人が多い」という。

そりゃそうだ。

普通の学校の学生ならば、学校終わりにバイトをする人が多いので

その感覚で卒業後も働くのかも知れないけど

支援学校に通っていたら、バイトも出来ないだろう。

それも何だかなぁ・・・と思う。

一番良いのは、校外でみんなと同じく、カラオケに行ったり、お茶したり

外でおしゃべりしたり、バイトをしたり、塾に行ったりと・・・

フツーの放課後が、同年代の子供たちと過ごせればいいと思う。

それがインクルーシブにつながり、社会性を身につけることにつながるのではと思う。

私は高校を受験する際に、見学先の養護学校の校長先生に

「普通の学校に行っているのであれば、そのまま普通校に行けばいいのでは」

と言われ

「普通校から入学してきた生徒は我慢強くないので、中退する人が多いんですよね」

などと散々嫌味を言われ、そこまで言われて受験したくないと思い

意地になって、じゃ、普通校1本で受験するわ!と決めた過去がある。

だから、普通高校を3年間通って、何が何でも卒業してみせると

強く心に誓った。

全校生徒約1500人の中で、学校生活を送るのは確かに想像以上に大変だったし

みんなのペースに追いつくことで、毎日ヘロヘロだったけど

学校側は、私が入学するとわかったら

洋式トイレを設置してくれて、手すりもつけてくれた。

靴も履きやすい靴で良いと言われ、教科書も持って歩くのは大変だから

教科書1冊無料で用意してくれた。

その当時の学校なりの精一杯の合理的配慮だった。

私は手探りの、その合理的配慮が嬉しかった。

今であれば、当然のことかも知れないけど

その心のこもった配慮だけで充分だった。

きっと、友達やクラスメート、先生方が、本当に私のことを見ていてくれたからだと

思う。

まあ、クドクド書いてしまったけど

障がい者は障がいはあるけど

あるからこそ、強くも弱くもなる。まるで七変化だ。

七変化は面白い。魅力的に見える。可能性もたくさんある。

それをみんながフツーのこととして受け止めれば

あとはどうってことない。

と思う。

 

某B型就労支援事業所に通っていた時【その5】

2015年9月10日

11日になってしまった・・・

体調が悪く、病院に行けなかった。

住宅のエレベーターはみんなが利用するものだから、お互いに譲り合うことも当然。

これも時間のためなのか?

少しは時間だけではなく、周りのみんなのことを考えたら、どうだろうか?

主任(職員)さんは、急に背中が痛くなり、みんなの前で大騒ぎ。

おやつを自分のおごりと言い、おやつを出す。

普通に16時に帰る。

同じ職員のMさん、Yさんのことも考えて欲しい。

社員として、主任の自覚がなさすぎる。

あの人は口ばかり。何もしない。

あの人の勤務態度の悪さを、社長に訴えたい。

 

9月11日

12日になってしまった。

ヘルパーさんが3日間同じ人。

とにかく細かくつっこんでくる。

私はその時、その体調や様子に判断しているので違って当然。

何か言えば、言い訳や話をそらす。

嫌な気持ちの3日間だった。

やってもらっていることはありがたいが、引け目を感じる。

もどかしい。

 

9月30日

保険会社から病院に連絡がいった。

弁護士さんに治療の経過報告と今後のことについて連絡。

治療は継続とのこと。

 

10月3日

Iさんの言動、態度、すべて気になる。針のむしろだ。

Aちゃんは不安定。

主任(職員)親子はは、役立たず。

正直行きたくない。

Iさんは、私にはメールのやりとりをやめたいと言ったが、AちゃんにはOK。

優しい。

私は悪者にされている。

悪者にされる意味もわからない。

第一、くだらない。

今は、ちょっと頑張れない。

イライラしてる。かんしゃくを起こしそうだ。

Aちゃん、何とか落ち着いて欲しい。じゃないとAちゃんも周りの人も影響を及ぼす。

 

10月1日

病院から健康保険での治療を告げられる。

10月3日

弁護士さんから連絡あり。

しばらくは健康保険で治療してくださいと言われる。

 

 

 

 

某B型就労支援事業所に通っていた時【その4】

2015年9月1日

9月になってしまった。

今日は病院→事業所→大谷地病院とハードな1日。

ヘルパーさんは、誰のために存在するのだろうか?

利用者のため?

時間短縮のため?

ヘルパーさん自身のため?

だんだんわからなくなってきた。

私たちはロボットではない。

コマでもない。

思い通りにいかないのが世の常なのに、人のせいにしないでほしい。

私だって自由に動きたい。

だからここにいる。

主任(職員)さんとヘルパーのSさんは似ている。

悪口を言うのをやめてほしい。

私の気持ちも考えて欲しい。

誰とは言わないけど、そういう人には感謝の気持ちはもてない。

W(今はS)さんが再会を喜んでくれた。嬉しかった。

 

9月2日

新しい薬で1日中ダウン。

熱中症をおこしかけていた。

つらい。動けない。

トイレに行くのもやっと。

部屋の中にトイレがあれば。

今夜、新しい薬を飲む。

平気か・・・悩む。

仕事や生活にも支障がおきる。

行きたいのに行けない。

パソコンの仕事がしたい。

スキルアップしたい。

でも、どこを目指しているのかわからない・・・

色々考えると頭が混乱する。それが原因で夢をみる。

人間関係は、私もうまくなれない。だから悩む。

同じ共同住宅に住むEさんが梨をくれた。うれしかった。

お見舞いに行こうと思う。

 

9月7日

しばらく書かずサボってしまった。

めんどくさいという気持ちになった。

でも、体調もよくなく落ち込んでいた。

主任(職員)さんの機嫌が悪かった。

私よりも早く帰った。

不信感を抱いている。

ああいう人が主任なんて、信じられない。

Aちゃんの入院・・・よくわからない。何とも言えない。

個人的には入院して、今よりも改善されるなら、入院するのも1つの治療だと。

彼女は自分で自分のことを判断が出来ないと思う。

周りが見えないと思う。

私は彼女に対してイライラしている。

自分のことを限られた人しか話さない。作業をしないだろう。

Aちゃんにイライラしている自分に腹が立つ。

自分はどうでもいい人間。

Iさんが心配してくれているのは嬉しい。

Kちゃんが気をつかってくれるのが嬉しい。

でも、自分が小さい人間だと。

ぽからのみんなに会いたい。

私も、今の生活は入院しているのと似ていると思う。

いつかは、在宅生活に・・・とも思う。

だから、Aちゃんも長い目で考えて欲しい。

まだ若いのだから。

 

9月9日

10日になってしまった。

今日は金曜日。カラオケの日。

誘われて参加した。

Wさんは素直な人。

歩けるのがうらやましいと思う。

私もその気持ち、よく分かる。

私はIさんがうらやましい。

動けるし、自分のことは自分で出来るから。

うらやましい・・・本当の気持ち。

ただみんな、言わないだけ。

Aちゃん、ありがとう。

もっと利用者の立場になって考えて欲しい。

私は息つく時間がない。

息が詰まる。イライラする。

人が嫌になる。自己嫌悪に陥る。

共生共働は夢のような話だ。

 

某B型就労支援事業所に通っていた時【その3】

2015年8月28日

今日は久しぶりに街に出た。

帰ってきたら、責任者の笑い声が聞こえた。腹が立った。

私は操られている気がする。

誰のための何のためのヘルパーなんだろう・・・

時間、時間と言われて、私たちはロボットではない。

主任(職員)は、分かっているふりをする。

共同住宅は、主任(職員)の下でも何でもない。

なのに、わかったような口ぶりをしないでほしい。

元の家に帰りたいと思った。

むなしくなる。

 

8月29日

30日になってしまった。

今日は朝のサービスが時間通りに来なく、1時間ほど予定がくるってしまった。

腹が立ち、言葉を失った。

今の責任者の態度には目につく。

本当に介護者なの?と思う。

主任(職員)さん、責任者・・・会いたくなかった。

事業所を休んだ。

爆発しそうだった。

すべてがむなしくなった。

あの2人に支援を受けないといけないと思うと、自分が嫌になった。

主任(職員)さんに「あなた、きらい」と言ったら、私はここにはいられない。

職員って、そんなにえらいの?って思う。

気にしないようにしようと思うけど、目につく。耳に残る。

主任(職員)に、私の生活を乱されたくない。

共同住宅に住むAさんに、飲みに誘われた。

同じく共同住宅にすむKさんが、荷物を持って4Fまで来てくれた。

私もみんなから元気をもらっている。

この住宅に住む人たちと少しずつ仲良くしたい。

そして、少しでも役に立ちたい。

 

8月30日

台風の影響で風が強い。

ヘルパーさんには、いろんな人がいる。

私は支援を受けているので、あまり言いたくないけど、我慢にも限界がある。

チームワークで支援して欲しい。

何か言いうと、苦情とみなされる。

それがもどかしい。腹が立つ。

事業所のメンバーであるIさんが怒っていた。

嫌な気分になる。

場を考えて欲しい。

でも、言いたいことはよくわかる。

だから、考えてしまう。

主任(職員)さんがいる時に行った欲しかった。

これからどうなるんだろう?

住宅も就労も。

事業所にいるとつらくなる。

息が詰まる。苦しくなる。

早く帰りたいと思う。

原因は分からない。

自分の時間をつくりたい。

今はそれだけ・・・