K氏の読む価値無し日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

元id:kimagureの日記です。狛犬邑武と名乗っていた時期もあります。
 

2017-10-14

旅をする批評「現代サブカル批評の基本原理について」

12:17 | 旅をする批評「現代サブカル批評の基本原理について」を含むブックマーク 旅をする批評「現代サブカル批評の基本原理について」のブックマークコメント

また出張ばかりしています。本当に遊ぶところのない場所ばかり行っているのでマジで暇な時間が多かったです。

そんな時に思いついたり思い出したりしたことがあったので備忘録として書いておきます。

1.リベラル文化人お約束(極論を言う→マジレスされる→逆切れする→呆れられる)

きっかけはコレ↓。

東浩紀@ゲンロン6発売中さんのツイート: "総選挙になったら棄権だな。今回は堂々と棄権を訴えよう。バカげすぎている。"

http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/hazuma/status/909449813019697152

思い出したのはコレ↓。

棄権推奨が極論にすぎないのは、投票率が下がっている≒棄権が増えているなんだから、それによって政治が良くなっているかどうか、または、A総理が「投票率で言えばJ党支持者は国民の1〜2割程度なので、マイノリティにすぎないことを意識して謙虚政治をしなければならない」とか言っているかどうか*1を考えれば5秒で分かることである

何故このような意見を言ってしまうのかと言えば、メディア流通する言説が「誰にでも言える優等生的な意見」か「極論」かの二つしかないからでしょう。「共感する」と「酷い意見批判する」というのは誰でも(婉曲表現)出来るからね。

それを「棲み分け批評」を書いた人がやるのが興味深い(婉曲表現)。書かない浅田彰VS書きすぎる福田和也から、理知を失った浅田彰VS常識を失った福田和也*2

2.スキゾはパラノに勝つ(ことになっている)

宇野常寛氏の新刊母性ディストピア』がゼロ年代新潮で連載していたアレの単行本ではなく、主にテン年代ウェブ集英社で連載していた「政治文学の再設定」の単行本化と知り、「宇野常寛とは何だったのか過去形)」と称して、ゼロ年代――前田久氏の名言宇野常寛90年代宮台真司評価し損ねた人が褒めているだけ」から始まる宮台・東浩紀大塚英志浅羽通明などのフォロワー*3時代――からテン年代――AKB48評価を巡り宮台・東*4にそっぽ向かれて、理論パートナーだった濱野智史氏がぶっ壊れて批評自体ボロボロになった時代*5――までの話を、新潮連載と単行本比較しながら書こうと出張中は思っていた(今はそんな時間無駄をしたくない)。

そんなことを考えていた時思いついたのが「スキゾはパラノに勝つ(ことになっている)」という基本原理でした。

簡単に言うと「特定価値観常識ガチガチに縛られている(パラノ的)人間は、そんな価値観などから自由な(スキゾ的)人間に勝てない」という価値観である

浅田彰の「パラノvsスキゾ」から宮台の「オウムオタク)やオヤジVSコギャル」、宇野の「セカイ系決断主義VSマイルドヤンキー」、あずまんの「観(光)客の哲学」までに繋がる「ガチガチ価値観を持つ旧人類VS自由価値観の俺ら」の流れがソレである。昔の2ちゃんねらーもそうかもしれない

けど、これを言っている人たちは近代主義天皇主義になったり(酷いのはネトウヨになったり)、転向してしまうんだよな。

もしくは「アイドルバカにする古い価値観に縛られた人々」みたいな意味不明批判になってしまったり。

そもそも重要なのは自由価値観を持って「何を成す」かであって価値観の有無ではないんだよな。

――というわけで、以上の基本原理二つは隘路に陥ってしまうわけです(続かない)。

*1:逆はいつも言っているけど。

*2:書いてみて気づいたが、理知を失った知識人常識を失った保守論客って鶏肉のない唐揚げみたいなもんじゃないの?

*3:「東浩紀の悪しき劣化コピー」を批判していた人が現在東浩紀の悪しき劣化コピー扱いされていることに時代面白さ(婉曲表現)を感じます。

*4高井麻巳子ファンで、結婚を機にゆうゆに転向した男が秋元康評価するわけがない。

*5:正直小説トリッパーの新連載、キツいっす。

2017-09-17

いつもどおりの小説シリーズ「これは推理小説ではない」

22:33 | いつもどおりの小説シリーズ「これは推理小説ではない」を含むブックマーク いつもどおりの小説シリーズ「これは推理小説ではない」のブックマークコメント

(前略)

「鍵を壊すぞ!」

 ドアを何度叩いても部屋の中から鈴木からの返事がなかった。業を煮やした田中はそう叫んだ。

ちょ待てよ。アイツはただ寝ているだけかもしれないじゃないか

 この屋敷の持主である佐藤は焦りながら田中の肩を掴んだ。

「じゃあさっきの叫び声はなんだったのよ? 鈴木さん以外のメンバーはみんな食堂に居たわ。鈴木さんのことが心配じゃないの?」

 高橋佐藤に怒りながらそう言った。

鈴木さんの身に何か起こったのかもしれません。佐藤さん、この部屋の合鍵はありますか?」

 山本はドアに耳を当てながら尋ねた。

「いや、合鍵は作っていない。鍵は鈴木に渡した一本しかない」

 佐藤は青い顔をしながら首を振った。

「冷静になってみれば、中に鈴木さんがいるとは限らないのでは? 鍵をかけて外に出ているだけかも」

 伊藤は皆から少し離れたところからそう言った。

「こんな嵐の夜にか? ありえんだろう。こんなに俺たちが騒いでいるのに出てこないなんてありえんだろう。そもそもさっきの叫び声は何だったんだ」

 田中はイライラしながら伊藤に指をさした。

「僕は可能性の話をしているだけですよ」

 伊藤は肩をすくめた。

佐藤さん、やはりこの部屋の中で何かが起きていますよ。体当たりしてドアの鍵を壊すしかない」

 田中佐藤の方に向き、ドアを叩きながらそう言った。

「――仕方ない。ドアの鍵を壊そう」

 佐藤はため息をつきながら同意した。

「では、山本君手伝ってくれ」

 田中はそう促し、二人でドアに体当たりを始めた。十数回ぶつかった頃、金属音がしてドアが開いた。

大丈夫か、鈴木?」

 佐藤が先頭となり部屋に入った。

鈴木!」

 鈴木は床にうつ伏せになり倒れていた――その背中にはナイフが刺さっており、そこから血が流れていた……。

<読者への挑戦>

 犯人はこの登場人物の中にいます。犯人を当ててください。

<参考:登場人物一覧>

表1鈴木田中伊藤高橋佐藤山本
性別男性男性男性女性男性男性
職業人気小説家刑事医者弁護士大学教授無職
家族妻1人妻子2人妻子1人旦那1人妻1人独身
思想リベラル保守自由主義人権派左派ネトウヨ
犯人0%10%5%2%13%70%
NO推理、NO探偵? (講談社ノベルス)

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精神と自然―生きた世界の認識論

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解題「これは推理小説ではない」

22:34 | 解題「これは推理小説ではない」を含むブックマーク 解題「これは推理小説ではない」のブックマークコメント

推理小説基本的には「ゲーム性」が含まれており、そのため犯人真相を見抜くための情報は作中に提示されており、犯人を当てることが可能であることは担保されていることになる(これの有無を「フェア」と表現されることが多い)。

逆に言えば、情報提示犯人特定の可否は、推理小説の「ゲーム性」という点だけで作者と読者の間で取り決められたお約束にすぎないわけで、そういう「ゲーム性」とは関係ないもの(たとえば現実殺人事件)にはそういうお約束存在しない。

たとえば、北朝鮮問題について多くの報道があるけれども、何故そんなに色々な情報が出るのかというと基本的には「知る権利」の話であって、北朝鮮日本人との間のゲーム性の話では(当たり前だが)ない。

それ故に、推理小説とは違い、ニュースなどで提示されている情報の正確・不正確を決定するお約束存在しない(推理小説のように「嘘であっても推理によって見抜けるもの」という概念はない)。

上記の小説「これは推理小説ではない」は、表題のとおり、唐突死体発見シーンと読者への挑戦しかないため、犯人が誰かという推理が出来ない小説という大変読者をムカつかせるものとなっている。

それだけではなく、あからさまにミスリードをしている登場人物一覧(「犯人率」って何だよ?)にバカにされたように思うのではないだろうか。

しかし、ここで考えてもらいたいのは、世の中の多くの「これは推理小説ではない」ものについて、十分で正確な情報も与えられず、それどころからこちらの予断と偏見に付けこんだミスリードまでしているものに対して、ムカつきもせずバカにされたとも思わずに、喜々として推理したりしていませんか?ってこと。

小説タイトルを「これは推理小説ではない」としたのは別に推理小説っぽく見えるけど、推理小説お約束を守っていません」という宣言という理由だけではなく、世の中の大半のもの推理小説ではないということなのです。

 
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