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音楽と社会フォーラムのブログ

2016-12-10

第16回研究会、開催決定!

 今年も残すところ、あとすこしとなってきた今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか。
 
 2017年、はじめての研究会の開催が決定いたしました。

 来年2017年3月に開催される国際音楽学会ラウンドテーブルの準備研究会となります。

 使用言語は日本語です。

 広くみなさまからご意見、ご助言をいただければと思っております。

 ラウンドテーブルの趣旨文(英語)はここからダウンロードできます。


 以下に概要を記します。ふるってご参加ください。


・・・・・・・・・・・・・・・

        記

音楽と社会フォーラム 第16回研究会

国際音楽学学会ラウンドテーブル準備研究会

民族音楽学と音楽産業―「民族的なるもの」の流用―

1. 小野塚知二 西洋音楽の伝播と横領―近代日本の民衆音楽の経験と音楽産業―

2. 早稲田みな子 20世紀半ばのレコードに見るハワイ日系人エスニック・イメージ操作

3. 伏木香織 「バリらしさ」をめぐる攻防ー対立する権力、権益環境問題とポップ・バリ

4. 井上貴子 ビートルズインド―“Tomorrow Never Knows”を事例に―
 
全体討論


日時: 2017年1月7日(土)午後2時〜


会場: 東京大学本郷キャンパス経済学研究科棟10階 第4共同研究室

http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_08_01_j.html
http://www.cirje.e.u-tokyo.ac.jp/about/access/campusmapj.pdf

 土曜日に行われる研究会です。開始時刻(14:00)の前後は10階のドアを開けておきますが、それ以外の時間にお越しの方は、第4共同研究室の電話にご連絡いただければと思います。

 電話:東京大学本郷キャンパス経済学研究科棟玄関左手外壁に埋め込まれた内線専用電話ボックスからは、25573です。
 外線からは、03−5841−5573です。よろしくお願いいたします。


※国際音楽学会東京大会に参加希望の方は、

IMS Tokyo 2017 のウェブサイトから申し込みが可能です。

http://ims2017-tokyo.org/


 ぜひご参加いただければと思います。

 この研究会およびフォーラムについてご質問等がございましたら、本ブログ右側にありますメイルフォームよりフォーラム事務局までお問い合わせください。

 どうぞよろしくお願い申し上げます。


音楽と社会フォーラム事務局 

2016-11-28

ちょっとしたメタル話 その7 pumpkins-united!!

 すっかり寒くなった今日このごろ、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 2回連続の「メタル話」です! というのも、前回個人的な思い出と共に紹介したドイツメタルバンド、ハロウィンから、ビッグニュースが届いたのです。

 2017年秋から始まるワールドツアー「PUMPKINS UNITED WORLD TOUR 2017/2018:GOOD. AS. IT. GETS.」に、かつてリードヴォーカルを務めた2人、カイ・ハンセン(Kai Hansen,1984-1989在籍)とマイケル・キスク (Michael Kiske,1987-1993在籍)が参加することになりました! ホームページからの引用文をご覧ください。


「ストップ! 括目せよ。

 全世界のHELLOWEENファンにとっての大事件である。皆は、それを長年信じ、そして願い続けてきた ― ついにその時が。2017年秋、マイケル・キスクカイ・ハンセンは再びHELLOWEENとステージを共にし、伝説的なオリジナル・ラインナップが甦る。これはガセネタではない。ヴァイカート、キスク、ハンセン、グロスコフは、往年のHELLOWEENの楽曲をライヴでプレイし、ジョイント・ツアーを行なうのである。大ニュースだ、素晴らしい。しかし、落ち着いてほしい。それだけではない! PUMPKINS UNITEDの旗のもと、すべてのパンプキンたちが集結。アンディとキスクがヴォーカルを、カイとヴァイキーとサシャがギターを、そしてマーカスとダニがリズム・セクションを務めるのだ。」
http://pumpkins-united.helloween.org/jp/pumpkins-united.htmlより)


 筆者が言いたいこともほぼ同じです。前回ご紹介した「初期」のヴォーカルが帰ってきます。ツアーは、2017年10月28日のブラジルサンパウロ公演から始まるそうですが「パンプキンたちは、南米ヨーロッパアジア北米の選ばれた都市へと向かう」とありますので、おそらく日本にも来てくれると思います。1987年の初来日公演、中野サンプラザに出かけた10代の頃を思い出しました。上記HPでは映像(名曲がメドレーで流れます)を見ることができるのですが、現在のメンバーの姿をみて、自分も年をとったことを痛感させられました…

 オリジナルメンバーの一人、ベーシストのマーカス・グロスコフ(Markus Grosskopf)によれば「長いことプレイしていなかった曲やプレイしたことのない曲も確実に演奏するだろう」とのことです! 約3時間のライブになるとあります。また「このスペシャルなワールド・ツアーは、再結成ではなく、あくまで恐らく今回限りの事である」とされております…


 来日公演が実現した際は、筆者と同じ青春を過ごしたみなさんは勿論、若い人たちにも是非「伝説」に触れて欲しいと思います。

Und jetzt: Weiteratmen.



追伸:某新聞で本日、来年2月に来日するジャーニー(JOURNEY)が、なんとあの名作中の名作「Escape」(1981)と、こちらも名作「Frontiers」(1983)を再現するライブを行うという情報が掲載されていました! こちらも是非!

2016-10-29

ちょっとしたメタル話 その6 ハロウィーンによせて

 震えるような寒い日と比較的暖かい日、かわるがわる訪れる今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか。体調など崩されていませんでしょうか。

 今年も残すところ、あと2か月というところにさしかかってまいりました。今回は、もはやその存在すらお忘れかと思いますが、今年初めての「ちょっとしたメタル話」、「その6」をお送りします。



 街を歩くと、そこはすっかり「ハロウィーン」一色となっております。筆者が子供の頃は、「ハロウィーン」だから仮装(?)をして大騒ぎをする、という習慣はほとんどなかったと記憶しております。筆者を手伝ってくれている―仮装して研究室に現れた―大学4年生と話してみたところ、彼らの子供の頃にもこうしたイベントはなかったということでした。近年急速に(警察が事前に対応を準備するような)「お祭り」として定着したようですが、それにはどのような背景があったのか、気になるところではあります。
 
 毎年この時期に、街やネット上で多く目にするようになったオレンジのカボチャのお面をみると、筆者はやはり、あるバンドのことを思い出してしまいます。筆者の「メタル人生」においても極めて重要な位置を占めるバンド、ハロウィンHELLOWEEN. 2文字目が“E”に、すなわち“HELL”になっているところがミソ)です。

 ハロウィンは、ドイツハンブルク出身のギター2本のヘヴィメタルバンドです。ジャーマンメタル、そして現在でも多くのバンドが志向しているパワーメタルおよびメロディックスピードメタル創始者とされており、1986年のミニアルバムでのデビュー後、15ものフルアルバムを残しております。それゆえ、ハロウィンの歩みや作品、音楽性等については、すでに多くの情報がネット等で参照できますので、今回は筆者の個人的な体験(些かフィクションも含まれます)について書かせていただければと思います。

 中学生の頃、トップ40モノの心に残るメロディを好んでいた筆者は、ひょんなことからヘヴィメタルという「激しい」音楽の存在を知り、急速に惹かれるようになりました。若かったこともあり、とにかく激しい音、速い曲を追い求め、(当時は情報が少なかったこともあり)日々レコード屋さんに繰り出していました。某所でアクセプト(ACCEPT)の“Fast as a Shark”に出会い、こんなに速い曲(ツーバス連打の曲)が存在し、しかもそれがドイツのバンドの作品であったことに衝撃を受けたことをはっきり記憶しております。ただし、その後はスラッシュメタル(当時、一部では「ゴリバリメタル」と呼ばれていた)の台頭もあって、アメリカのバンド、メタリカMETALLICA)、アンスラックスANTHRAX)、スレイヤー(SLAYER)、エクソダスEXODUS)等にのめりこんでいきました。

 高校生になった筆者は、ある日某レコード店で、当時最も好きだったメタリカの、待ちに待ったサードアルバム「Master of Puppets」を購入し、一刻も早く聴くべく帰路を急いでおりました。ただし、何気なく、とある場所に寄り道したところ、筆者の心と体を揺るがす音楽が流れており、些か予定が変わってしまいました。そこで流れていたのが、ハロウィンの1stフルアルバム(筆者はセカンドと考えていますが)、「Walls of Jericho」(1986)だったのです。


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 スピーディーかつヘヴィな怒涛の演奏、その上にゆったりと流れる心に引っかかるメロディの連続に、思わず聞き入ってしまい、しばらくその場を動けませんでした。迷わずお借りして帰宅。その夜は、購入したレコードではなく、お借りした「Walls of Jericho」を何度も聴いたことをよく覚えています(勿論、周知のように「Master of Puppets」がヘヴィメタルの歴史に残る名盤であることは疑いありません。その後愛聴盤となりました!)。
 
 何故そこまでの衝撃を受けたのか。おそらく洋楽に惹かれたきっかけとなった、(もとより好きだった)心に残るような美しいメロディと、当時追い求めていた速さおよび激しさとの融合という、無意識のうちに思い描いていた(当時の)筆者にとっての「理想の音楽」に、初めてめぐりあえたからだと考えています。それはどのような音楽か、とお考えの方、是非「Walls of Jericho」を聴いてみてください(とくにお気に入りは、“Walls of Jericho / Ride the Sky”、“Heavy Metal (is the Law)”)。一般的には、本作に続く「Keeper of the Seven Keys Part 1」(1987)および「Keeper of the Seven Keys Part 2」(1988)、とりわけ後者がハロウィン(初期)の名作とされますが(いずれも必聴です)、個人的には―粗削りではありますが―、「Walls of Jericho」を推したいと思います。

 その後、ハロウィンは、筆者が最も好きなバンドのひとつとなりました。それは、世界の多くの人々も同様であったらしく、世界中で多くのフォロワーが生まれました。これまでに、ハロウィンの曲のカバーを収めたトリビュートアルバムは、数種発表されるに至っています。ハロウィン自体は、メンバーの交代に伴い、少しずつではありますが音楽性を変化させてきたように思います(勿論、初期に通じる曲もあります)。
 
 筆者はその後、ハロウィン、そしてヘヴィメタルだけではなく、さまざまな音楽を気の向くままに幅広く聴いてきました。ただし、今でもつい「あの頃」のハロウィンのような曲、そうした曲を提供するアーティストを探し求めているように感じています。それほどに、ハロウィンを初めて聞いたとき―無意識のうちに思い描いていた「理想の音楽」との出会い―の衝撃は大きかったのだと考えています。みなさんにも、こうした経験があるのではないでしょうか。



 近年定着した「ハロウィーン」のお祭り騒ぎは、毎年筆者に上記のような「あの頃」を思い出せてくれるものとなっています。今年もCDを、いやレコードを引っ張り出し、「Walls of Jericho」を聴くことにしたいと思います。



 

2016-09-16

政治経済学・経済史学会2016年度秋季学術大会において本フォーラムの会合が行われます!

 涼しい日もときおりやってくる今日このごろ、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 政治経済学・経済史学2016年度秋季学術大会が、10月22日(土)・23日(日)、立教大学において開催されます。

 およそ1か月後です!!


 大会2日目、23日のお昼休み(12:30 〜13:30)には、10号館 X202教室において、音楽と社会フォーラムの会合が行われます。議題は未定ですが、フォーラムの今後の活動について話し合う予定です。この会合にも是非ふるってご参加ください。


 なお、2日目の会合のみに参加される場合でも、大会参加費(前納:一般4000円、学生2000円、当日:一般4500円、学生2500円)をいただくことになっております。この参加費は、会員・非会員を問わず、大会に参加される方から、申し受けるものです。ご理解いただければと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 

 会場へのアクセス、構内図はここから、大会のプログラムここから、ダウンロード可能です。ご参照ください。よろしくお願い申し上げます。

2016-08-01

第15回研究会の内容をご紹介します! その2

 前回の記事に引き続き、2016年7月9日(土)に東京大学本郷キャンパスで行われた、瀬戸岡紘さん(駒澤大学)によるご報告「典型的な近代芸術としてのロマン派クラシック音楽の形成と終焉」の内容をご紹介します。

 前回の記事では、ご報告におけるのメインのレジュメを掲載しましたが、今回は、ご報告の際に配布された4種のサブのレジュメを掲載いたします。あらためまして、ご報告者の瀬戸岡さんに感謝を申し上げます。本当にありがとうございました!

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クラシック音楽を深く学ぶことは 最高峰の芸術を極めること
――クラシック音楽講座 全50回 をひとまず終えて――

瀬戸岡 紘 (FSS会員・理事

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 クラシック音楽は,人類のつくりだした芸術としては「最高度の芸術」といってよいと思われます。そういう理由は,私がクラシック音楽を好きだからとか,他の芸術の価値がわからないから,などということではありません。
 クラシック音楽は,まず第1に,人類の到達した最高度の社会と考えられる近代社会に生きる自立した個人の心を表現しようとします。自立した個人とは,迷わずまっしぐらに突き進むような人ではなく,「これでいいのか,いけないのか,それが問題だ(To be, or not to be, that is the question ―― シェークスピア)」とつねに考えながら生きていく人のことです。たとえばベートーヴェンピアノソナタ14番(通称「月光の曲」)の第1楽章は,短調から始まったかと思うと長調へ,でもすぐまた短調に,さらにちょっと長調になったかと思うと短調に,といった具合に変化していきますが,「これでいいのか,いけないのか・・・」と悩む近代的な個人の心のうちを見ごとに表現しているといえますね。
 クラシック音楽は,第2に,人類の到達した最高度の社会としての近代の思想や哲学とあい通ずる表現の仕方をとっていることが多いといえます。たとえば「ソナタ形式」とは,第1主題が出てきたあと第2主題が現れ(提示部),両者があいまみえつつ展開し(展開部),最終的に最初の主題と似ているようでありながら最初の主題そのものではないもの(両者の統合によって生まれてきたもの)が現れて(再現部)終わっていきますが,それは近代哲学の最高峰としてのヘーゲル哲学でいわれる弁証法的展開(正 → 反 → 合)の音楽版そのものです。ソナタ形式を最もうまく活用した作曲家ベートーヴェンでしたが,なんとベートーヴェンヘーゲルとは,同じ年(1770年)に,同じようなところ(ライン川中流右岸地方)で生まれ,同じ歴史的大変動(フランス革命)を横目で見ながら育ったのでした。感じとったことを,ヘーゲル哲学の大著に,ベートーヴェンは音楽の大作に結晶させていたのですね。
 クラシック音楽は,第3に,何をもって表現するかという点でも他の芸術を圧倒しています。近代になって急速に発展した楽器(弦楽器管楽器など)ばかりでなく,近代に誕生した楽器(ピアノなど)が音楽をつくる主要な手段となっています。第4に,その規模も圧倒的です。たとえば100人規模の合唱など,前近代では考えられない芸術活動でした。まして100人超のオーケストラについては言うまでもありません。そればかりではないのです。第5に,この100人超の演奏者たちも,芸術を織りなすからには,たった一人の誤りも,手抜きも,出しゃばりも,いっさい許されません。聴衆からすれば,そうした些細な誤りは,すぐわかってしまうからです。自立した自由な個々人が集合してつくる芸術ながら,全体の均整が完全にとりきれていないと成立しない ―― これほど神経を集中してつくらないと成りたたない(精緻さが要求される)芸術は,世界に古今東西あまたある芸術(美術,建築,ひろくは文芸をふくめて)にはなかったことです。
 クラシック音楽を楽しむことは,すでにそれだけでも,われわれの心を豊かにしてくれるものであることは言うまでもありませんが,この芸術を深く学ぶことが人類の創造してきた幾千万の芸術のなかの最高峰を極めることでもあるのだということを知れば,それが現代に生きるわれわれにとって,いかに精神的栄養になるものであるか,理解できることでしょう。そのことをシューベルトについて,もう少し深読みしてみましょう。
 シューベルトは,近代人の心を近代思想に支えられながら作曲したベートーヴェンとほぼ同じ時代(没年はベートーヴェン1827年シューベルト1828年)に,おおむね同じ場所(ヴィーン)で,同じ思想の洗礼(啓蒙思想と市民革命の政治思想)を受けながら作曲活動をしました。だから,シューベルトベートーヴェンと同じように,あるいはそれ以上に民主主義者でした。たとえば,多くの歌曲は歌い手とピアノ奏者とが一体になって演奏するようにできていますが,特徴的なことはピアノ奏者が歌い手の伴奏者(脇役)として演奏するのではなく,歌い手と対等の演奏者として登場するように作曲されていることです。歌い手は歌い手として最も美しく歌を歌いあげ,ピアノ奏者はピアノ奏者として最も美しくピアノを弾きあげる ―― ということは,自立した個々人は最大限自分の個性を発揮しつくす ―― のですが,それでいて両者が一体となったとき,それぞれが別々に演奏するときには考えられなかったような極上の美しさが醸しだされるようにできているのです。ここには,個々人の「自由」だけではなく,相互に「平等」で,かつ「友愛」の心で繋がれているべきだとするフランス革命理念(Liberté, Égalité, Fraternité)が体現されています。あるいは,近代的な感覚をもつ男女は,男は男として最も雄々しく,女は女として最も美しくあり,その両者が結合したとき最上の人生が描きだされるのと同じようなものだといってもよいでしょう(この点については当機関紙第46号拙稿参照)。
 シューベルトの近代的民主主義の考え方は,さらに,たとえばピアノ五重奏曲「ます」第4楽章に一層よく表れています。ヴァイオリンピアノヴィオラコントラバスチェロの五つの楽器が,順次変奏していく主旋律を弾き(主役になり),他の者は主役でないときはそれぞれ伴奏者になってゆき,最後に全員がふたたび主役になって終わっていくのです。「みんな大切な人,そしてみんなで支えあっていこう」という近代初期の政治理念が芸術の形をとって訴えかけられているのです。当時の政治思想に精通している人なら,それを聴いたとき,その美しさとともに,背後に秘められた高尚な思想を読みとり,得もいわれぬ感動にひたることになるに違いありません。ちなみに,美しいメロディーの背後に高い思想や主張が隠された作品は,広義のロマン派を中心にたくさん存在しています。
 ところで私は,長年にわたり「クラシック音楽講座」をつづけてきました。始めたきっかけは,最近の大学院生たちが,就職難と研究面での競争激化に直面して自分の専門だけしか勉強しなくなっている傾向をなげいてのことです。専門のことしか知らない(できない)人を,私は「専門家」といわず「専門バカ」といっています。世の中に「専門バカ」が増えることは大変危険なことです。なぜなら,そういう人は往々にして大真面目な顔をして本筋からはずれたようなことを言ったり,ときとして間違ったことを言ったりするからです。大学院生たちには,いろいろなことができる(わかっている)からこそ,そのこともよくできる(わかる)本当の意味での専門家に将来なってほしい,そのためには,さしあたり上記のような深い内容が隠されている芸術としてのクラシック音楽をたまには勉強してもらうのもいいのではないかと考えてのことでした(実際には3か月に1回,年4回程度実施してきました)。
 始めた当初は,経済学を学ぶ数人の大学院生だけが相手でしたが,噂を聞いた人たちのなかから参加したいという人も現れ,「どうぞ」といっているうちに,20人を超え,50人を超え,100人を超え,最終回の第50回(2月13日)には,私の大学での最終講義を兼ねたこともあって600人を超える人が参加してくださいました。全50回でとりあげた内容もバロックから20世紀の作曲家までほぼすべての作曲家と多彩な作品の紹介にわたっただけでなく,とくにそれらの作品の社会的・歴史的背景にまで深入りしてみることを重視してきました。
 この「クラシック音楽講座」は,私の勤務先の大学の教室を会場として実施してきましたが,定年退職につき従来のように教室を使用できなくなるため,ひとまず終了します。しかし,多くの参加者から継続実施のご要望を受けているため,何らかの形で今後とも実施できればと考えています(本稿は,一部,同講座最終回の内容にもとづいています)。


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クラシック音楽講座で これまでにとりあげてきたテーマは,以下のとおりです

 第1回〜第20回ごろまでは資料の配布がなかったため,正確な記録はのこっていません(当初の参加者は数人の大学院生 等 ―― 大学院生が「将来 研究者をめざす以上,幅広い教養,とくに深い文化的教養をもっていなければならない」 とのポリシーから開始したもの)

 第21回 〜 第26回ごろまでは,資料として楽譜のコピーを配布していた程度なので,講座の内容の記録はのこっていません(当時の参加者数は 十数人〜20人強)。

 第27回  ショパンショパンのバラード
 第28回  ピアノは歌う
 第29回  近代日本の歌曲
 第30回  プロテスタントの讃美歌
 第31回  リストとそのピアノ曲
 第32回  フランスクラシック音楽
 第33回  アメリカ建国の理念クラシック音楽
 第34回  ロシアクラシック音楽
 第35回  ヨハン・セバスティアン・バッハ ―― 一生を教会にささげた人生とその音楽
 第36回  クリスマスクリスマスの音楽
 第37回  シューベルトピアノ曲
 第38回  バロック音楽 : その幕開けから最高峰までを概観する
 第39回  ラフマーニノフの音楽を解析する
 第40回  ロマン派の時代とブラームスの音楽
 第41回  市民革命の時代とベートーヴェンの音楽
 第42回  モーツァルトの音楽はなぜこんなに美しいのか?
 第43回  ヴィーンはどのようにして「音楽の都」になったのか?
 第44回  ピアノ芸術の魅力 ―― ピアノ名曲をとおして)
 第45回  東欧北欧名曲をたずねて ―― いわゆる「国民楽派」について考える
 第46回  イギリスクラシック音楽 ―― 近代的市民にとっての芸術音楽について考える
 第47回  ロマン派とは何だったのか?
 第48回  チャイコフスキーバレエ音楽――なぜロシアでこんなに美しい芸術が生まれたか
 第49回  歌曲合唱曲 ―― 民謡アリア歌曲合唱曲 をめぐって ――

   (最近の参加者数は 100人以上 ―― ほぼ3か月に1回の割合=年4回程度 実施)


■■■■ クラシック音楽講座 第50回 をかねた 瀬戸岡 最終講義の すべてを いつでも ご覧になる / お聞きになる ことが できます■■■■



さる2月13日におこなった駒沢大学における私の最終講義のすべてをご覧になる / お聞きになることができます。 当日はお仕事や先約や突然の用事のために来られなかった方々,または,聞き落とした / もう一度聞いてみたい という方々,ぜひ ユーチューブを開いてみてください。

方法は簡単 ―― インターネットに 「瀬戸岡」 「最終講義」 の2語を入力して検索すれば画面と音声が出てきます。

 全体は 3本の論説と 演奏の 計4本 からなっています。


1.すべての戦争は 国内矛盾の対外転嫁として 引きおこされる―― 平和をまもるためには国内の小さい問題を放置しないことが大切

2.日本が「和の国」になったのは 島国で 気候が温和だから では ない―― 日本古代史には学校で教えられていない苦難克服の長い過程があった

3.優れた芸術は 雑念のない 自由な個々人によって 生みだされる―― 人類の創造した 最高の芸術と考えられる クラシック音楽 のような高度な文化遺産が生まれにくい時代,それが現代である

演奏 : サラサーテロマンスベートーヴェンヴァイオリンソナタ 「春」
ピアノ 井手麻理子ヴァイオリン 井上春菜 ―― 瀬戸岡ゼミ卒業生)

シューベルト 「音楽によせて」,「冬の旅」から, ほか (テノール 秋島光一)
フィンランディア ほか (合唱 駒沢大学合唱団
瀬戸岡 (作詞・作曲) 「白駒の思い出」 (合唱 駒沢大学合唱団


全部 見る/聞くと3時間45分ほど (休憩込み) かかりますが,各部分は40分程度ですので,何回かに分けて ご覧/お聞きになってください。 とくに 最後の演奏は 美しくも 熱演ですので,最後までご覧 / お聞きくださることをお勧めいたします。

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■■■■■■ ベートーヴェン交響曲に よせて ■■■■■■■

■ ベートーヴェン 交響曲 第3番 『英雄』
 ベートーヴェンは,ライン川右岸地方の生まれ,18歳のとき対岸のフランスで革命が始まり,28歳のときフランスナポレオンの時代に入りました。芸術家として育っていく最も多感な時代に,すぐ近所に起こったこれらの事件は,ベートーヴェンの作品に絶大な影響を与えないではいませんでした。
 フランス革命がめざしたことは,王や貴族の時代を終わらせ,かわって近代的な市民の時代をつくること。さて,近代的な市民とは,どういう人のことでしょうか? 「自立した人」のこと,すなわち「自分で考え」,「自分で行動し」,「自分で責任のとれる人」のことです。「みんな,みんな,市民はそういう人になろう」,「そのことをとおして王や貴族の時代を終わらせよう」ということは,当時のフランスばかりでなく,ライン川をはさんだドイツでも高い自覚をもった人たちの大きな目標になっていました。ベートーヴェンも,ほかでもなくそのようなことに共感をもったひとり。
 ところで,当時の新興市民たちのなかには,ナポレオン・ボナパルトフランス革命理念を体現しているのではないかとの期待がありました。ベートーヴェン交響曲第3番にもそのような期待から,もともと「ボナパルト」という名が付されたといわれますが,いろいろ思索をめぐらせたあと最終的に「英雄」という名前に落ちついたようでした。ではその意味は何か? ベートーヴェンにとってこの作品に心の底から賭けた願いは,「ひとりひとりの市民が自立した立派な人になる」こと,そして「そういう人は英雄というに値する」ことであり,さらに当人の意思さえあればだれでも英雄になれるのだから「市民はひとりひとり英雄たれ」と呼びかけることだったと考えられます。
 このような壮大な思想を秘めた交響曲は,交響曲をたくさん作曲したハイドンモーツァルトにもなかった前代未聞のこと。そうだからというべきか,演奏するオーケストラの規模といい,演奏時間の長さといい,のきなみ従前の交響曲の倍といっていいような前代未聞の大作。まさに画期的な交響曲です。
 第1楽章は,自立しようと起ちあがる市民の姿を描いています。もちろん目前には困難も立ちはだかる。でも,新興の,それゆえ,たとえ年配の人でも気持ちの上では若さに満ちている,そんな新興市民たちの壮大な決意と強い行動力が,フルオーケストラの熱演による芸術となって聴く者に訴えかけてきます。指揮者の根本さんは,とくにその点では,抜群の能力が発揮できる人です。だから,この楽章を聴くだけで,ひとびとは「そうだ,オレも起ちあがろう」,「わたしも頑張ってみるわ」という思いにかられますよ。
 しかし,人生は甘いものではありません。期待は裏切られ,少なからぬ人は挫折する。第2楽章は,そういう健気ながらも悲嘆にくれることもある市民の心情を「葬送行進曲」という形を借りながら描いています(当時のベートーヴェンにとって葬送すべき人はいなかったようですから,この楽章は葬送の様子を描いたものではないといっていいと思われます)。この楽章を聴く人は,「そうだ,オレにもこんな気持ちになることはある」,「わたしにもあったわ」と,たまらぬほどの深い共感を抱くことになると思われます。第2楽章は,途中で微かな希望とも思われるメロディーが登場しますが,すぐに掻き消されます。聴く者の共感は,さらに,さらに深まる――そこにベートーヴェンの魅力があります。それまでの交響曲の第2楽章の多くが穏やかな曲だったことを考えると,ベートーヴェンが常識をこえてでも,自立した人間が激しい苦悩を背負うことのあることを,自分の体験から語ってみたかったことがわかるような気がしますね。
 では,第3楽章は? いえいえ,ここから先は,本日の賢明な聴き手としてのみなさん,ご自身で考えてみてください。第4楽章も,ですよ。とくに終楽章は,ベートーヴェンが示唆したかったことは大きいようですから,探ってみてください。
 すぐれた芸術家はいちいち説明しません――ただ「この作品から感じとってください」というだけで。ベートーヴェンがこの交響曲にどんな期待を込めたか,何も語っていませんが,それは賢明な聴き手のみなさんを信じていたからなのですから。

■ ベートーヴェン 交響曲 第7番
 「あなたの目指してみたい人生って,こんなもんじゃない?」というベートーヴェンの声が聞こえてきそうな交響曲,それが第7番です。
 第1楽章は,近代的な生き方に目覚めた人びとを喜びの世界へと誘ってくれるかのように予感させる長い序奏のあと,みんなが喜びに沸きかえっているような主題(第1主題)が登場してきます。そのあとに登場する第2主題は,通常なら第1主題と対照的なのが普通ですが,ベートーヴェンのこの作品では,ここでも喜びを別の形で謳っているかのよう。全体にとてもリズミカルで切れ味がいい(それは終楽章まで一貫している)。こうして展開していく第1楽章は,まだカネとか地位とか名誉とか時間などにとらわれることの少なかった新興市民たちの将来への素朴な夢を描いてみせ,聴く人たちに勇気をあたえる曲だといえます。
 ところが,いえ,むしろ,そのためにというべきでしょうか,第2楽章は一転。ベートーヴェンは,もうひとつの「葬送行進曲」を書いたのではないかと考えてみたくなるような曲です。シンプルな旋律の高揚していく様は,人間の避けてとおれない苦悩のエスカレートそのもののようです。途中で明るい旋律もでてきますが,すぐに消え,苦悩は増幅します。ここでも,「あなたのこれまでの人生って,こんなもんだったでしょう?」,「オレの人生もそうだったんだ」というベートーヴェンの声が聞こえてきそうです。
 では第3楽章は? ここでも,交響曲第3番のばあいと同様,賢明なみなさんご自身が考えてみてください。もちろん第4楽章も。
 ともあれ,フランス革命後のヨーロッパ。ここを転機に,いろいろなことが変わりました。演奏会の聴き手も,それまでの貴族から新興の市民が中心に。芸術家,なかでも音楽家は,自身の作品を理解してくれる人がどんな気持ちをもって聴いてくれるか,たいへん気になるもの。そうである以上,音楽をつくりだし演奏する人たちも,ベートーヴェンのころからは,新興の市民の心情を察しながら,市民に代わって芸術作品を創作するようになりました(そういう一連の音楽を「ロマン派」音楽といいます)。
 自立した近代的な市民とは,「迷わず,まっしぐらに突進・・・」というような人ではありません。いつも「これでいいのか,それとも・・・」と迷いながら,いえそればかりか,迷った末に間違えてしまって落ち込むこともしばしば・・・,でも展望を切り拓いて前進しようとする・・・というような人のことです。ベートーヴェン自身もそういう人でした。交響曲第7番は,ベートーヴェンが自身で体験してきたことをもって,市民に問いかける,まさに不朽の名作だといえます。
                           (2016年7月 ♢ 瀬戸岡 紘)