国立MANGAミュージアム構想と望月三起也先生。

『週刊少年キング』(少年画報社)の看板作品として知られる「ワイルド7」の望月三起也先生が、「短ければ半年」と医者から余命宣告されたことをネット上のインタビューで告白。

翌日、読売新聞の夕刊で、国立MANGAミュージアム構想が発表された。

長らく放置し続けたブログですが、思うところが有り、この春から、再開した思いますので、皆さんよろしくね!(^O^)/

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【ライフ・イズ・ビューティフル】3.11に私が思うこと。

ソチ五輪パラリンピック、思うところあり、旗艦ブログであるgooと、Twitterのみの更新で、反響を私なりにリサーチ。
2011年3月11日のあの時、いつものように電話で話をしていた子供時代からの心の師匠である元東映プロデューサー・平山亨さんも、2011年4月からの長い闘病生活の末、昨年の夏に逝去。我が半生を振り返り、亡き父への思いと同じように無償の愛の人であり続けた恩人達のその恩に報いる方法を日々考えながら、喪に服しておりました。
月日は流れ、ややこしい人も、私の予想通り元の木阿弥に戻られたため、悪縁を無事断ち切ることに成功したと判断(*´∀`)♪

今日の画像は、2012年、2013年、2014年の3月11日其々の新聞の朝刊と、2013年3月25日月曜日の朝刊「ママ もうすぐ一年生だよ」「友達たくさんできるかな」*愛海ちゃん新一年生の記事が載った物と、2014年3月10日の夕刊「孤児2人 92歳の子育て」の記事。

NHKBSプレミアムで2014年3月11日の午後一時から放送された大好きな映画【スティング】と同じく、夜九時から放送されたオススメの映画【ライフ・イズ・ビューティフル】のパンフレットになります。
3.10は、1945年に東京大空襲があった日。
戦災孤児の問題を、ラジオドラマで菊田一夫さんが鋭く描き、大反響を呼んだことによる松竹での【鐘の鳴る丘】シリーズの映画化。
戦後の子供たちに夢を与え続けた『冒険活劇文庫』と『少年画報』、『少年』といった少年雑誌の役割について。
東北の復興支援やボランティアなど、色々な立場の人達が、其々の思いで日々過されていることと思われます。
漫画史研究家であり、映画、アニメ、音楽好きでもある今の私に出来ることといえば、震災前と変わらずに漫画やアニメ、映画の話をすること、名作漫画の紹介や復刻に協力するくらいの僅かなことだけ。

面倒な問題からは解放されたので、四月からは気分一新、携帯電話も最新の機種に変更して、ブログ開設五周年を記念して、週一を目標にブログ更新を再開していきたいと考えております。(*´∀`)♪

さて、その前に1つだけ哀しい報告があります。
上田トシコ先生の名作漫画【フイチンさん】の出版契約が、故・上田トシコ先生の代理人より更新はせず解除したい旨の書面が株式会社パインウッドカンパニーの社長宛に届きました。

2009年3月9日、私がgooでブログを始めたのは、そもそも上田トシコ先生を偲ぶ会の報告の為。

コミックパークからオンデマンドの形で復刊をした経緯などを含め、私が上田トシコ先生が描かれた名作漫画【フイチンさん】へ対する想いをそのままダイレクトに伝えるためにブログを始めたのですから、同じくブログにてその終りについても報告させていただきたいと思うのです。

昨年からは、電子書籍化もしており、その経緯なども逐一報告してきました。

少女マンガ史に残る不朽の名作でありながら、長らく絶版の憂き目にあっていたこの作品に対して、ネット上で評価している漫画評論家は殆んど無かった為、復刊の為に情熱を持って動く筈もなく、復刊しても然程話題にもならずにいましたので、漫画史研究家である自分自身の手で直接宣伝するために始めたのがブログだったのです。

その甲斐もあってか、徐々にネット上でも上田トシコ先生の【フイチンさん】に対する評価が高まり、コミックパークさんの好意的な協力体制の下、販売数も順調に伸びていきました。

昨年に電子書籍化。

これから、更なる発展を期待しておりましたが、上田トシコ先生の七回忌目前に出版契約更新解除の連絡がきたのです。

そのため、コミックパークにおけるオンデマンド、電子書籍の販売は、当初の契約期間である5年を持ちまして終了となります。

在野にいる数少ない漫画史研究家である私・本間正幸は、上田トシコ先生の代表作である【フイチンさん】全三巻の復刊を、僅か五年の歳月ではありますが、出版プロデュース出来たことをこれからも生涯変わらず誇りに思います。
そして、日々の想いの記録がネット上に残されているのは、平成に生きる漫画史研究家としての私の矜持として、これからも皆さんに読まれていくことでしょう。


また、2001年夏の【少年画報大全】監修以来、インタビューに御協力いただけた故・上田トシコ先生始め、特集記事などで御世話になった先生方、図版の使用許諾を快諾いただけた総勢約300人に及ぶ先生方、及びその御遺族、著作権継承者の方達の御厚意に感謝致します。

お陰様で【少年画報大全】(少年画報社)は、2001年夏の発売以来、朝日新聞毎日新聞日本経済新聞、読売新聞夕刊を始め、数多くのマスコミで話題となり、2980円という高額書籍ながら現在まで三刷りを重ねて現役、累計発行部数は一万部を越える21世紀の現代に、漫画史研究家を志す者には必読の書として不動の地位と、出版関係者及び漫画専門古書店さんからの高い評価を獲得し続けております。

1月末発売の『週刊女性』では、10頁に及ぶ70年代漫画、映画、音楽特集にて、漫画と映画を私・本間正幸が解説を担当。

2014年は、年賀状に記したようにこれまでのマンガ史に併せて映画史研究家としても、華々しく初陣を飾ることが出来たことを身に余る光栄だと思っております。
需要と供給のバランスを考え、今年は映画史に関するこれ迄の研究成果も逐一発表していきたいと考えております。
先ずは私の蔵書となる映画パンフレットから見るアニメ史と映画史のアーカイブ化を進めていきますね!(*´∀`)♪

漫画史研究家、アニメ史研究家、映画史研究家


本間正幸



一昨日の首都圏での大雪は、実に45年振りの記録的な大雪、27センチの積雪になる。
さて、昨日は弥生美術館で午後2時から行われる企画展【降臨!神業絵師 伊藤彦造という男】のギャラリートークに参加するため、いつもより早目にお家を出たのだが・・・。
自宅から駅までの川崎鶴見臨港バスは、チェーン装着。
普段に比べて圧倒的に交通量も少なく、晴天により予想より雪解けも早かった。
伊藤彦造先生次女である伊藤布三子(日本舞踏家:立花志津彦)さんの参加もあって、弥生美術館のギャラリートーク会場は大盛況。
私は、10分遅れで会場入り。
会場には、私と同じ日本出版美術研究会のメンバーで、今、大ブレイク中の大橋博之さんの姿も久し振りにあったので挨拶。
企画展に併せ、河出書房新社より発売中の【伊藤彦造 降臨!神業絵師】1800円税別の中で、編者として名前を連ねる学芸員松本品子さんがギャラリートークの司会。
知る人ぞ知る三谷薫さんの姿も、勿論ある。
絵物語の大御所で、【白虎仮面】の作者である故・岡 友彦(歌川大雅)先生の著作権継承者である石田一王さんも、皆、研究会のメンバーだ。
午後3時10分からは、竹久夢二美術館のギャラリートークも始まり参加。
いつもに比べて参加者が少ない。
そう、最近、竹久夢二美術館のギャラリートークは、三回あるので、大雪で足場が悪く、都知事選もある今日を選んで参加しなくても大丈夫だからだ。
ギャラリートーク終了後、夢二カフェ港やで、伊藤布三子さんと研究会のメンバーで、いつもの情報交換会。
興味深い極秘情報と、会員の近況報告で盛り上がった。(*´∀`)♪
昨日は、大雪の影響が心配されるので、寄り道をあまりせず横浜の自宅へ。
都知事選の結果、舛添要一氏が圧勝。
午後八時には、当選確実のニュースが入る。
投票率は過去三番目に低い46.15%(前回より16.45%低くなる)。
深夜0時、98.64%の開票率の結果は

舛添要一氏65 元厚生労働相 2098985
宇都宮健児氏67元日弁連会長 977981
細川護煕氏 76 元首相 942309
田母神俊雄氏65元航空幕僚長 604472

過去の都知事たちを、青島氏を平均的な65点として基準値とし、私が点数をつけて上から目線で評価するとしたら、石原氏75点、猪瀬氏は25点の赤点、舛添氏の期待値は70点といったところだろう。

さて、佐村河内守氏の中の人が、新垣隆さんだった騒動について、私が思うことその2。

2月6日(木)発売の『週刊文春』(株式会社文藝春秋)2月13日号の

驚愕スクープ高橋大輔ソチ五輪」使用曲も【NHKスペシャルが大絶賛「現代のベートーベン」全聾の作曲家・佐村河内守はペテン師だった!ゴーストライター懺悔実名告白】

「私は18年間、彼と普通に会話していました。彼の指示で『交響曲第一番HIROSHIMA』を作曲、大震災の被災地のための『レクイエム』も作りました」告白を決意した新垣隆

ノンフィクション作家・神山典夫(こうやま・のりお)1960年、埼玉県入間市生まれ。信州大学人文学部心理学科卒。
1996年、「ライオンの夢 コンデ・コマ前田光世伝」で第3回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。「ピアノはともだち 奇跡のピアニスト 辻井伸行の秘密」(講談社)「みっくん、光のバイオリン」(佼成出版社)等、音楽に関する著書多数。

+本誌取材班


今回の騒動、TwitterやブログなどのSNSが発達した現代において、一億総評論家現象が顕著となり、本来部外者であるはずの匿名の第三者による無責任な憶測や批評が噴出するという面白いことが判った。

1980年代後半、明治学院大学社会学社会学科で主にマスコミを専攻し、社会福祉についても基礎だけは学んだことがある私は、ここ数日間、テレビの報道、Twitter、新聞、掲載紙を確認することからこの騒動に接した。
偶然にも、ソチオリンピックに際し、2月のみ朝刊3670円+255円=3925円で読売新聞の夕刊も楽しむことが出来るとの地元販売店の折り込み広告から2月5日夜8時に申込みをし、遡って2月4日からの夕刊を届けてもらっていた。
夕刊も併せて購読するのは、実に24年振りになるかも知れない。
テレビとネットのみの報道で、物事を判断する風潮はいかがなものだろう。
新垣隆さんや、佐村河内守氏と直接の関わりがなければ、少なくとも、問題提起をした掲載紙、新聞での報道も併せて検討してから発言をするようにした方が良いのではないのかと私は考える。
以前から実際に新垣隆さんを知る人物からの発言は余りにも少なく、当初テレビで流された新垣隆さんの画像は、我らがマツダ映画社のホームページからのものだった。

心から音楽を愛し、人知れず無声映画伴奏楽団カラード・モノトーンのメンバーとしてひたむきに演奏を続けていた誠実で寡黙な彼の姿を知る私は、ゴーストライターと言うより、まるでアニメ【タイガーマスク】における伊達直人のような印象を彼に受けた。
表舞台で脚光と称賛を浴び続けていた佐村河内守氏が、本来、説明責任を果たすべき会見の場に姿を現さず、影武者であった新垣隆さんが全ての矢面に立ちマスコミから一身に詰問をされる姿。
新垣さんの風貌とは裏腹に、滅び行くサムライの姿、剣術の名人であることを周囲にはひた隠し、幼い子供の子育てと、認知症の母の面倒に愚痴一つ溢さずに暮らしている現代の【たそがれ清兵衛】の姿を彼に見出だしたのは私だけだろうか?
彼は会見で「出来ることなら、これからも、音楽の仲間と一緒に活動を続けたい。」と言った。

私は、彼と同じく無声映画を心から愛する仲間の一人として、彼のこれからの音楽活動も、出来る限り応援していきたいと心から思う。

以下の文章は、ある程度客観的な視点で、今回の騒動を個人のブログ記事として記録するものであり、一部内容に改訂を加えておくのもその為だと考えてもらいたい。
私のブログ記事は、原稿料が一切出ていないため、アイディアの草稿メモの記録に過ぎず、時間をかけてまで文章を整えることは普段殆んどしていない。
機会があれば記事内容が再録され、別の形でもっと公の場で公開されることも起こりうるから、草稿からどのように変化していくのか、その記録を残しておくのもブログならではの特性であり利点であると考えている。
今回の一連の騒動に関しては、私の予想を遥かに上回る事態に発展しており、新垣隆さんを直接知る無声映画関係者から彼を擁護する発言が、ネット上あまりにも少ないことにもいささか驚いている。
これは、無声映画にまで興味がある正統な映画史研究者の少なさを、如実に表している一種の悲劇であり、現実に起こっている事実なのだ。
無声映画鑑賞会にまで、足を運んでくるプロの映画史研究家は数少なく、上映会参加者の多くは殆んどはまだ学生か、素人、そして、ブログなどでの発言手段や読者、影響力を持たない高齢者となってしまう。
私が少しでも多く記録しておかなければ、『週刊文春』の記事では一切触れられていない新垣さんの無声映画や音楽にかけてきた大切な情熱の部分、関係者の証言記録が減ってしまう。
下手な文章でも、事実に即した証言記録は、後々重要な意味を持つようになると映画と漫画史研究家である私は考えている。
新垣さんの普段の人柄、人間性を知る上で、無声映画伴奏楽団カラード・モノトーンとしての活動は、【タイガーマスク】における伊達直人の部分、音楽に対する無償の愛の部分だと私は思うのだ。

本来は、「無声映画鑑賞会と、マンガ研究とアーカイブについて思うこと」と題して発表する予定だったブログ記事ですが、一昨日からの世間での話題とキーワードに併せて、社会学的視点による内容に急遽冒頭部分を付け加えて発表させてもらいたいと思いますので、そこんところよろしく。(*´∀`)♪

「現代のベートーベン」と異名をとる佐村河内守氏の存在については、一昨日の昼まで正直何も知らなかったし、興味もなかった。
一昨日の夜、2003年頃より旧知である無声映画ピアニストの柳下美恵さんのTwitter上での呟き「新垣隆さん」というキーワードが、今回の騒動に関して私の好奇心をそそる結果となるのだが・・・。
昨日の午後2時半頃より会見をした佐村河内守(50)氏の中の人だった新垣守(43)さんについて、私は2003年頃より直接面識があった。
午後のニュースなどで、新垣隆さんの画像提供元になっていたマツダ映画社のホームページ。
私が知る新垣隆さんの素顔は、無声映画伴奏楽団カラード・モノトーンのメンバーであり、年末恒例の紀伊國屋ホールでの無声映画鑑賞会を始め、江東区古石場文化センターでの江東シネマフェスティバルなど、年に必ず数回は、舞台に立つ新垣隆さんの演奏を耳にしていたし、楽屋での新垣隆さんの素顔もマツダ映画社の上映会スタッフの立場で目撃しているのだ。
物静かで誠実な人柄。
見た目が少し老けて見えるので、見た目が少し若くみえる私より、最初は彼の方が年下だとは思わなかったし、10人いれば10人が私の方を年下だと思うことだろう。
その彼が、18年間、佐村河内守(50)氏の中の人としてゴーストライターに徹していたとは、まるで見抜けなかったし、そんな素振りさえ少しもみせることはなかった。
東京千代田区のホテルで行われた会見の冒頭で、「指示されるまま、『私も佐村河内さんの共犯者』です」と謝罪。
18年で20曲以上提供、報酬は700万円くらい。
一方、佐村河内氏の印税収入だけでも3500万円近いとテレビ側は報道。
楽曲の著作権を全て放棄し、フィギュアスケート冬季五輪、オリンピック代表で国民の期待を一身に背負って頑張る高橋大輔選手のことを考えて「高橋選手には、五輪で堂々と闘ってもらいたい」と、今回の衝撃の告白。
佐村河内守氏については、最初会った時から普通に会話しており、「耳不自由」装っていたと発言。
これに対し、佐村河内氏の代理人である折本和司弁護士は、横浜で午後6時過ぎ反論があると発表。
「現代のベートーベン」のこれからの「運命」は如何に!

追伸

尚、映画と漫画史研究家である私は、本来なら昨日は、東京・西新宿で開かれた「アンパンマン」の作者、やなせたかしさんに感謝する「『ありがとう! やなせたかし先生95歳 おめでとう!』の会」(やなせスタジオ、フレーベル館主催)にファンとして最後のお別れをしたかったのですが・・・。
やなせたかし先生が社団法人日本漫画家協会理事長を務めていた2010年6月に、当時漫画史研究家として最年少であった正会員(2003年に入会)から、ネットストーカー退治に対する私の対応に対して、渡辺教子事務局長による理事会への一方的な報告、判断により自主退会の形を取らされました。
今回の騒動で、少からず面識のある新垣隆さんを知る者として、ファンとして、やなせたかし先生にお別れを告げるより、同じ無声映画を心から愛し活動を続け、直接面識の有る数少ない仲間の一人として、新垣隆さんの会見の様子、テレビの報道を見守ることの方が、人として大切なのではないかと考え、参加を見送りました。
私は、これからも無声映画を心から愛する仲間の一人として、新垣隆さんの才能と人柄を応援し、今までと何ら変わらず交流していきたいと考えています。

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今夏は、スタジオジブリ宮崎駿監督の新作映画【風立ちぬ】公開と衝撃の引退発表、続いて11月23日(祝)には実に14年振りとなる高畑勲監督作品【かぐや姫の物語】が、全国ロードショーで公開。
テレビアニメ【鉄腕アトム】放送開始50年とテレビでの特番、国民的アニメ【サザエさん】放送開始45周年など、マスコミの報道についても、日本のアニメの歴史が話題となる機会が多かったような気がする。
サザエさん】の作者・長谷川町子さんの師匠である田河水泡のらくろ館のある東京都江東区森下文化センターとの共催で、我等が無声映画鑑賞会でも待望の「夏休みレトロアニメ大会」が開催された。
漫画映画だけの特集上映は十数年ぶり、本邦初公開のスペシャル企画森下文化センター所蔵の「ノラクロ少尉」のデジタル化完成ともなれば、さぞや鑑賞会初参加となる漫画・アニメ研究者が殺到するかと思いきや、会場はいつもの御贔屓さんが大半で、逆に驚かされてしまった。
世界から注目を集める日本の漫画やアニメの実証的な歴史研究については、未だ黎明期のような有り様だ。
日本人の漫画史やアニメ史研究者については、大変残念なことに層が薄くレベルも低い。
紀伊國屋書店から発売された「日本アートアニメーション映画選集」全12巻の定価は30数万円と個人の研究者では中々手の出せない代物だったが、デジタル・ミームから発売の「日本アニメクラシックコレクション」DVD4巻セットなら個人でも充分購入可能な御値段。2007年発売時には、私も直ぐに購入させてもらった。
さて、熱心な会員の皆さまには、今回上映された「日本まんが短編集」に、どちらの商品にも収録されていない作品が含まれていたことにお気付きだと思う。
また、「マンガの足跡」では、ポパイやミッキー、ベティーやウサギのオズワルドなどの作品が、何時、どのような形で日本に紹介されていたのか大変興味を持った。
現在、日本漫画史や日本アニメ史の黎明期から興味を持ち、実物の資料にあたる実証的な研究者は驚くほど少ない。
あの有名な「タイガーマスク伊達直人」現象が話題となった際、AMラジオに10分間生出演して、漫画原作とアニメの違いを解説出来たのは、在野にいる漫画史研究家である私だけだったのだから驚きだ。
サザエさん】の漫画やアニメについても、現在発売中の雑誌『猫生活』(緑書房)にて、私の顔写真入りのインタビュー記事がカラーページに掲載されているので、是非、御一読の程を。
さて、フィルムからビデオを経てDVD、Blu-rayと、アニメ史を研究するための環境は著しく好転し、容易かつ手軽に作品を収集、保存、繰返し観ることすら出来るようになってきている。
しかし、無声映画時代の作品だけは、どうしても作品発表時の形態、フィルムで大画面、活弁付き、出来れば生伴奏で楽しみたいと思うのは贅沢なのだろうか。


無声映画時代の作品だけは、やはりフィルムで活弁付き生伴奏で楽しみたいなぁ。」

漫画史&アニメ史研究家

本間正幸


上の文章は、無声映画鑑賞会の季刊である会誌『活狂』No.155通巻第187号、2014年1月1日号に掲載させて貰った私の原稿です。(*´∀`)♪


今日の画像は、左から1月24日(金)千代田区立日比谷図書文化館で開催された東京宝塚劇場 開場80周年カウントダウンイベント?「わが青春のタカラヅカ」講師:高橋真琴(画家)の会場で講義終了後、希望者にサインを入れて販売された高橋真琴画業60周年記念画集【夢見る少女たち】(パイ インターナショナル発行・2013年12月15日)と、2001年から毎年いただいている年賀状の御返事。
右に文化庁主催のシンポジウム【マンガ研究とアーカイブ】で配布された資料、そして、基調講演をされた清水勲先生が主宰する日本漫画資料館が発行する『諷刺画研究』第59号、2014・1・20。
我が無声映画鑑賞会の季刊である機関紙『活狂』。
10ページ徹底特集・懐かしの70年代プレーバック!発表!「漫画」「映画」「歌謡曲」ベスト5の記事が掲載された『週刊女性』(主婦と生活社)第58巻第6号通巻2775号になります。(1957年3月22日第三種郵便物認可)2014年1月28日発行・発売(毎週火曜日発行・発売)
この記事の中で、「漫画」と「映画」について私のインタビューが4ページに渡り掲載され、「映画」では、私が師事している脚本家の石森史郎先生のインタビューも掲載、「歌謡曲」では、平成仮面ライダーでもお馴染み、イケメン俳優の半田健人さんのインタビューが2ページに渡り掲載されていますので、オススメです。(*´∀`)♪

2014年1月30日(木)、日暮里サニーホールでの今年最初の無声映画鑑賞会も、お陰様で会場ほぼ満員の大盛況ぶり。(*´∀`)♪
朝日新聞と、読売新聞でも紹介されていたとのことで、会場で新たに入会される会員も増え、受付の女性スタッフたちは対応にてんてこ舞い。
お中入りで売られるお煎にキャラメルも完売となり、中には買いそびれた人が出るほど。
無声映画研究とアーカイブの大切さを誰よりもいち早く唱え実践された我が師匠、松田春翠先生の偉業と、継承者である御遺族・マツダ映画社のスタッフの皆さん、そして松田春翠門下の姉弟子であり、日本を代表する活動弁士澤登翠さんの努力と精進の日々に頭が下がる思いです。
澤登さんは昨年、文化庁映画賞映画功労部門でも賞を受賞されました。(*´∀`)♪

さて、2014年1月26日(日)午後1時から文化庁主催、政策研究大学院大学1A会議室で行われたマンガ研究とアーカイブのシンポジウムで私が感じたことは、映画研究とアーカイブに比べて漫画やアニメ関連については余りにも遅れている御粗末な現状報告だった。

開会の挨拶、石垣鉄也(文化庁文化部芸術文化課支援推進室室長)5分間
連続シンポジウムについて、夏目房之介10分間の発言内容については聴き逃したが、然程問題は無いだろう。
肝心の清水勲先生の講演「漫画研究とアーカイブ」40分間には間に合った。(*´∀`)♪

プレゼンテーション「マンガ収蔵の現状・事例報告」60分間

吉村和真氏、宮本大人(明治大学准教授)、表智之氏、佐々木果(まんが編集者/学習院大学大学院非常勤講師)

休憩(20分)

第2部

討議「マンガ・アーカイブの意義と課題」70分間

表智之、佐々木果、宮本大人吉村和真

質疑応答、30分間予定が、50分間に。
フィルムと紙の違いなどはさておき、マンガ研究とアーカイブと題しておきながら、内容は国営マンガ喫茶構想の各店舗案内といったところだった。
川崎市市民ミュージアムは、大阪国際児童文学館の教訓を生かせず、やがては同じ様な末路を辿ることになりそうだ。
学習院大学大学院教授となった夏目房之介氏が川崎市市民ミュージアムアーカイブに関わるようだが、彼は批評家や評論家の類いの自称、マンガ・コラムニストであり、漫画史研究やアーカイブにおいては、今まで何ら実績を残せていないのでは?
近年はメディアでの露出もまるで無くなり、彼の親派である伊藤剛氏風に云えば「ナツメ・イズ・デッド」状態。
尚、「テヅカ・イズ・デッド」を唱えた伊藤剛氏も、正に「イトウ・イズ・デッド」状態となり、皮肉にも手塚治虫先生の再評価は、今も続いている。(*´∀`)♪
期待の明治大学米澤嘉博マンガ記念館は、ロフトプラスワン規模のイベント開催に併せた企画展に、飲食のないマンガ喫茶機能をつけた程度の閲覧室だし、石子順造構想から進化のない現代マンガ図書館の凋落は、1978年オープン時の繁栄を知る私にとって、見るに忍びない悲惨な有り様だ。
一方、オープン当初、眉唾ものと見ていた京都国際マンガミュージアムのスタッフの皆さんによる誠実な努力の積み重ねには、感服し、敬意を評したい。
プレゼンテーションを担当した京都精華大学教授となる吉村和真氏とは、2001年ぐらいに面識があった。
ラジオやメディアでの発言など、興味深く、昨年は、朝日新聞社手塚治虫文化賞の会場で声をかけられたが、ゆっくりと話す暇もなかった。
今回は、シンポジウム終了後、14年ぶりに名刺交換。
『活狂』を手渡し、昨年マツダ映画社から発見され、マスコミに対し未発表段階である街頭紙芝居末期の活字による詳細な作家及び作品リストの存在と、アーカイブについて伝えておいた。
京都国際マンガミュージアムについては、漫画史のアーカイブの第一人者であり、日本仏学史学会会長である清水勲先生がその蔵書を寄贈し、現役の研究顧問でいればこその繁栄だろう。
私が余り興味がなく、一般人と大して変わらない知識の昭和末期から平成の現在に至るマンガ作品など、初心者から学生、院生レベル迄の漫画研究の素人向けアーカイブについては、こちらの施設で全て用が足りるし、今後のマンガ研究とアーカイブ施設群の旗艦として存在価値が高まって行くことだろう。
そして、北九州市漫画ミュージアムの取り組みについては、大阪国際児童文学館川崎市市民ミュージアム現代マンガ図書館米澤嘉博記念マンガミュージアムなどの施設の現状を反面教師として、地方の利点を生かし、誠実に頑張ってもらいたい。
北九州出身で、長らく東京在住だった故・関谷ひさし先生の原稿が、遺族の手によりこの地に寄贈されたのは象徴的な出来事であり、関東のマンガ研究とアーカイブの施設に、漫画史における関谷先生作品の偉大さを理解し評価できる研究者が不在だった悲劇を物語っている。
研究者の無知については、救いようがない。
周囲からの期待が最も大きかった明治大学関連の施設スタッフが、偉大なる先人である故・米澤嘉博氏、故・内記稔夫氏の遺志をつぐのに相応しい人材だったのかどうか私には甚だ疑問だが、継続は力なり。
頑張って盛りかえして貰いたいものだ。

無声映画時代のフィルムと、街頭紙芝居については日本有数のアーカイブ機能を持つ株式会社マツダ映画社の関連会社であるパインウッドカンパニーと業務提携し、昭和時代の漫画やアニメ、映画、音楽の収集、保存、発掘、研究、復刻、アーカイブ事業に専念し、映画やテレビ、雑誌の取材などマスコミ関係者や、実証的なプロの研究者や編集者、弥生美術館、竹久夢二美術館、逓信総合博物館、国立民俗歴史博物館など公的な専門美術館や博物館の学芸員向けとなる我がメトロポリス漫画総合研究所の意義や存在価値、需要については、これから益々高まっていくことだろう。

週刊女性』のインタビュー記事掲載により、これからは昭和の少女マンガ史と無声映画時代から昭和迄の映画史についても、芸域を拡大してインタビューに応えます。(*´∀`)♪

さて、国営マンガ喫茶構想レベルから脱しきれていない明治大学の施設の存在意義と、10年後の未来はあるのか?

それは、神のみぞ知ることだ。

質疑応答の際、最初の質問者が清水勲先生であったことが面白く、マンガ研究とアーカイブの現状に対する危機意識の強さが感じられる。
その後は、自己アピール大会となり、参加者の危機意識の欠如、世間一般の期待とかけ離れたマンガ研究とアーカイブの現状に呆れるばかりであった。
完全なるアウェイの会場で、問題提起をしても無駄なこと。
議論するより引き続き実績を積み重ねることだけが、今のマンガ研究とアーカイブにとって大切なことだろう。
ギャラの出ない所で、相手の問題点を指摘しても、逆恨みされ、証拠隠滅、問題点を改善された後、こちらが悪者にされるだけ。

我がメトロポリス漫画総合研究所のマンガ研究とアーカイブ構想は、常に進化と発展を遂げているので、ネットなどでも随時情報公開していきたい。

漫画を中心にアニメや特撮、無声映画に街頭紙芝居、音楽、ラジオ、テレビに至るまで、昭和の大衆文化全般を、社会学視点で実証的に検証し続けますので、引続き乞う御期待の程。(*´∀`)♪