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僕が線を引いて読んだ所 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2006年08月19日 猫の哲学者 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

大人のための絵本、といった趣の本。

猫の建築家

猫の建築家

じっとしていても汗の噴き出す土曜の午後、まず本文を読んでから、もう一度最初から静謐な挿絵をぱらぱらと眺めているうちに、夏ばて気味の僕は少々居眠りをしてしまったようです。
夕方になってようやく日差しが柔らかくなってから、1時間ほど自転車に乗って他人の家の建物や庭などを眺めてわが家に戻ると、もう一度、最初からゆっくり読んでみました。いったいこれは何を言いたい本なのだろう。

主人公は猫。何度生まれ変わっても建築家になっている。

したがって、
いつも「造形」というものを考えている。
そして、
つねに「共生」というものを意識している。

猫は考える。

理由もなく形が作られ、機能もなく存在するものは、おそらくこの世界にない。
ただ、造られたままの形ではなく、
造られたときの機能を果たせなくなくなったものが、
幾つか残っているだけだ。
「しかし、何故、残っているのだろう?」
「どうしてすぐに消えてしまわないのだろうか?」
そう考えるとき、猫はいつも「美」という理由を思い出す。

ものに機能があることに議論の余地はない。しかし、機能を失ったものが残っているのは「美」のせいだろうか。猫たちは「美」に関して議論する。

「それはどこにあるのか」
「本当に価値のあるものなのか?」
「価値がないものなら、こんなに議論になるはずがない」
誰も「美」の意味を説明できない。

猫(たち)は、建築家であるよりも、哲学者であるのかもしれません。美とは何かという、哲学の古典的な課題に真摯に立ち向かいます。と同時に、もっとも今日的な問題にも直面しているようです。次の一節の難しさは、最初に出て来た「共生」という言葉をヒントに解きほぐせるように思うのです。

しかし、こうした自然の中に埋もれていると、自分の存在の小ささに気づかされる。
それが、何度もの生まれ変わりを通して、ますます感じるところである。
そして、それが、建築家としてとても大切な気持ちではないか、と猫は思うのだ。
何故なら、造ることは、立ち向かうことではなく、
造ることは、何かを許すことなのだ、と感じているからだった。

「造ること」は「許すこと」とはどういうことでしょう? ここに「共生」という考え方が隠されていると言えないでしょうか。
建築家とは哲学者であり、また同時にエコロジストでもなければならないということかも知れません。

詩情を湛えた文章と絵が、静かで優しい思索にいざなってくれる本です。


■追記(12/7) この本、最近文庫になったようです。
猫の建築家 (光文社文庫)

2006年08月18日 自然とつながる、人とつながる このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

『自分のためのエコロジーという本を読みました(甲斐徹郎著、ちくまプリマー新書)。
この本の存在は本屋の店頭で初めて知ったのですが、「もうエアコンはいらない」という帯に魅かれて買ったようなものです。

自分のためのエコロジー (ちくまプリマー新書)

自分のためのエコロジー (ちくまプリマー新書)

我が家ではなるべくエアコンを使わないようにしています。というより我が家には部屋を閉め切って楽器を練習するときのための小さいのが一台あるだけなのです。暑さは外からの風と扇風機の風でしのいでいます。湿気は木と漆喰が吸い取ってくれます。我が家の周辺は、僕が子供だった頃と比べればずいぶん宅地化が進んでしまいましたが、それでもまだまだ緑も残っているし、我が家の狭い敷地内にも出来るだけ樹を多く植えるようにしました。つまりは、少しでも自然とつながることで快適に暮らそうという作戦です。(この作戦の協力者「U設計室」に感謝!)
『自分のためのエコロジー』の著者はこう言います。

 現代の多くの人たちは、はなから、外の環境と「つながる」ことをあきらめているように思います。都市部では豊かな環境は期待できないから、室内を快適にするためには、室内を閉じて、人工的な技術を活用するしかない思い込んでいるのだと。
 でも実は、そうした「つながり」を絶った住まいが増えることで、自分たちの街の環境は悪くなっているのです。環境が悪いから、ますます「つながり」を断って閉じこもる傾向が強くなる。そして、自らの手でヒートアイランド化を促進するといったジレンマにはまり込んでしまっているのだと思います。

確かに昨今の夏の暑さは「夏なんだから当然だ」というレベルでなく、自分たちが環境を悪化させたことに対するしっぺ返しだと感じざるを得ません。世の中には「最近はどこに行ってもクーラーが効いていて、いい時代になったものだ」と感じる人もいるかも知れません。でも僕は真夏の日差しに焼け付く鋪道を歩きながら、地球が壊れつつあることを確信し、暗澹たる気分になることがしばしばです。
しかし、著者のポジティブな思考は、暑い夏を乗り越える気力を与えてくれます。
著者の考え方を単純化すると、以下のようになると思います。

,泙此⊆分の身体感覚にとって「気持ちいい」住環境(=エゴ)を追求する。(これは自然とつながることであるはず)
⊆,法⊆分と同じように考えている人とのつながり(=エゴ合わせ)を追求する。(こういう人は必ずどこかにいるはず)
このつながりが、便利さと豊かさを同時に獲得できる「自立型共生」という新しいパラダイム(世の中の価値構造)を生み出し、環境がよくなり(=エコ)、結局「自分はますます得をする」。

これは机上の空論ではなく、「経堂の杜」と呼ばれる集合住宅を作った著者自身の実践例も挙げられています。植物の持つ冷却効果を生かした住まいの例です。
こういう本を多くの人が読み、庭に一本の樹を植えたり、窓に簾を垂らすといった小さな行動から始めて、それが大きなうねりとなっていくといいと思います。

u-ochu-och 2006/09/16 00:11 コマーシャルして頂きありがとうございます。
調子が悪いところがあったらお知らせください。工務店と一緒に伺います。

mf-fagottmf-fagott 2006/09/21 21:42 「彩苑にも感謝!」って書くべきでしたね。このブログ、視聴率が悪いのであまりCMにはならないと思いますけど。
建物の方は、今は特に悪いところはありませんが、自分の体(特に眼)はこのところ急激に老化が進んでいます。

2006年08月12日

[]未来への扉 未来への扉 を含むブックマーク 未来への扉 のブックマークコメント

どこかに「秋への扉」があれば開けてみたいと思う暑さの中、ロバート・A・ハインライン夏への扉を読み終わりました。

未来は、いずれにしろ過去にまさる。誰がなんといおうと、世界は日に日によくなりまさりつつあるのだ。人間精神が、その環境に順応して徐々に環境に働きかけ、両手で、器械で、かんで、科学と技術で、新しい、よりよい世界を築いてゆくのだ。

「ぼく」(=主人公、ダニイ・デイヴィス)のこの述懐には、作者の楽天的歴史認識が端的に表れています。『夏への扉』はこの歴史認識の上に成り立っているとも言えるのですが、作者がもし21世紀の地球の現状を知っていたら、このような作品を生み出すことはできたでしょうか。
夏への扉』は1957年、今から半世紀も前に書かれたSFで、主人公は「冷凍睡眠」という方法によって1970年から2000年へとタイムトラベルしてきます。主人公の目に映る21世紀は、十二分に満足できる時代として描かれています。そもそも未来は現在よりも「よりよい世界」になっているという前提があるからこそ、多額な費用のかかる「冷凍睡眠」という商売が成り立っているのです。
しかし、現実の21世紀は、科学技術のある部分においては既にハインラインの想像以上に進歩を成し遂げてはいるものの、主人公の言うように「日に日によくなりまさりつつある」と誰もが実感できる世の中になっているでしょうか? 「徐々に」ではなく急激に環境に働きかけてしまったために、人間の精神も肉体もその変化に「順応」しきれなくなっているのが、現在の我々の置かれた状況なのではないでしょうか。
ハインライン自身が主人公デイヴィスのように「冷凍睡眠」によって21世紀を目の当たりにし、タイムマシンによってまたもとの時代に帰ることができたなら、デイヴィスがしたのと同様、歴史に修正を加えるため、別の作品をこの世に送り出していたかも知れません。
いくつもある扉のうちの一つが「未来への扉」だったら、あなたは開けてみたいと思いますか?

yossiyossi 2006/12/27 22:48 久々に読ませてもらいました。以前のものに対してのコメントでもよいのでしょうか?
まあ、いいか!ファゴットの田中先生のお話です。「教育」というものを、また少し考えているのですが、教育は「訓練」なのか、「引き出すすべ」なのか・・?訓練でなんとかなることもあるとは思いますが、もっとも大切なのはやはり「個人の持っている力」なのでしょう。かつて「私に子供を任せれば、どんな人間にも育てられる。」と言った思想家は誰でしたかね。以前にも書いたような気がしますが、私は「教育」を信じていません。きっかけを与えることができても、人を変えることなど出来ないと思います。田中先生はmfさんの内発的なところを引き出した、またはそういったやりかただったのでしょうね。
 このSFについても少しつながります。その内発的なところが、原則的に「善」であるのかどうか。私はもちろん「性善説」。「悪」もありつつ、それを抑える力があるはずです。人間が「道具」と「心」を持って、進化の正道をはずれた時から、種の保存のために「善」なるものを持たざる得なかった。そう考えると、未来はこの楽天的作家と同様、誰かがいつか何とかするだろうとは思います。もちろんそれは科学の進歩ではないでしょう。科学の限界を知って、その扱いをよりうまくしていくかもしれません。今は科学より経済の扱いの方が、問題かも知れませんね。ちょっと今そんなことを考えているので、ついついmfさんに触発されて書いてしまいました。

2006年08月06日 暑い! このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

暑中お見舞い申し上げます。
f:id:mf-fagott:20060804071036j:image:w300
前から読みたいと思っていた夏への扉』(ロバート・A・ハインラインを読み始めました。
ずいぶん前のことですが、『本の雑誌』の中でリプレイ』(ケン・グリムウッド)を絶対おすすめと太鼓判を押している人がいて、読んでみたら本当に面白かったので、学校の司書さんにタイムトラベルものの面白い小説をほかに知りませんかと聞いたら、教えてくれたのがこの本だったのです。きっと期待に応えてくれると思います。

夏への扉 (ハヤカワ文庫 SF (345))

夏への扉 (ハヤカワ文庫 SF (345))

リプレイ (新潮文庫)

リプレイ (新潮文庫)

tomtom_poemtomtom_poem 2006/08/09 22:01 この花の写真はお庭ですか?

mf-fagottmf-fagott 2006/08/09 22:14 これが自分の庭だったらすごいんですけどね…
これは先日泊まった原村のペンションの庭です。写真をクリックすると、もっとほかの写真も見ることができますよ。