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2006年08月12日

[]未来への扉 未来への扉 を含むブックマーク 未来への扉 のブックマークコメント

どこかに「秋への扉」があれば開けてみたいと思う暑さの中、ロバート・A・ハインライン夏への扉を読み終わりました。

未来は、いずれにしろ過去にまさる。誰がなんといおうと、世界は日に日によくなりまさりつつあるのだ。人間精神が、その環境に順応して徐々に環境に働きかけ、両手で、器械で、かんで、科学と技術で、新しい、よりよい世界を築いてゆくのだ。

「ぼく」(=主人公、ダニイ・デイヴィス)のこの述懐には、作者の楽天的歴史認識が端的に表れています。『夏への扉』はこの歴史認識の上に成り立っているとも言えるのですが、作者がもし21世紀の地球の現状を知っていたら、このような作品を生み出すことはできたでしょうか。
夏への扉』は1957年、今から半世紀も前に書かれたSFで、主人公は「冷凍睡眠」という方法によって1970年から2000年へとタイムトラベルしてきます。主人公の目に映る21世紀は、十二分に満足できる時代として描かれています。そもそも未来は現在よりも「よりよい世界」になっているという前提があるからこそ、多額な費用のかかる「冷凍睡眠」という商売が成り立っているのです。
しかし、現実の21世紀は、科学技術のある部分においては既にハインラインの想像以上に進歩を成し遂げてはいるものの、主人公の言うように「日に日によくなりまさりつつある」と誰もが実感できる世の中になっているでしょうか? 「徐々に」ではなく急激に環境に働きかけてしまったために、人間の精神も肉体もその変化に「順応」しきれなくなっているのが、現在の我々の置かれた状況なのではないでしょうか。
ハインライン自身が主人公デイヴィスのように「冷凍睡眠」によって21世紀を目の当たりにし、タイムマシンによってまたもとの時代に帰ることができたなら、デイヴィスがしたのと同様、歴史に修正を加えるため、別の作品をこの世に送り出していたかも知れません。
いくつもある扉のうちの一つが「未来への扉」だったら、あなたは開けてみたいと思いますか?

yossiyossi 2006/12/27 22:48 久々に読ませてもらいました。以前のものに対してのコメントでもよいのでしょうか?
まあ、いいか!ファゴットの田中先生のお話です。「教育」というものを、また少し考えているのですが、教育は「訓練」なのか、「引き出すすべ」なのか・・?訓練でなんとかなることもあるとは思いますが、もっとも大切なのはやはり「個人の持っている力」なのでしょう。かつて「私に子供を任せれば、どんな人間にも育てられる。」と言った思想家は誰でしたかね。以前にも書いたような気がしますが、私は「教育」を信じていません。きっかけを与えることができても、人を変えることなど出来ないと思います。田中先生はmfさんの内発的なところを引き出した、またはそういったやりかただったのでしょうね。
 このSFについても少しつながります。その内発的なところが、原則的に「善」であるのかどうか。私はもちろん「性善説」。「悪」もありつつ、それを抑える力があるはずです。人間が「道具」と「心」を持って、進化の正道をはずれた時から、種の保存のために「善」なるものを持たざる得なかった。そう考えると、未来はこの楽天的作家と同様、誰かがいつか何とかするだろうとは思います。もちろんそれは科学の進歩ではないでしょう。科学の限界を知って、その扱いをよりうまくしていくかもしれません。今は科学より経済の扱いの方が、問題かも知れませんね。ちょっと今そんなことを考えているので、ついついmfさんに触発されて書いてしまいました。