未来への扉

どこかに「秋への扉」があれば開けてみたいと思う暑さの中、ロバート・A・ハインライン夏への扉を読み終わりました。

未来は、いずれにしろ過去にまさる。誰がなんといおうと、世界は日に日によくなりまさりつつあるのだ。人間精神が、その環境に順応して徐々に環境に働きかけ、両手で、器械で、かんで、科学と技術で、新しい、よりよい世界を築いてゆくのだ。

「ぼく」(=主人公、ダニイ・デイヴィス)のこの述懐には、作者の楽天歴史認識が端的に表れています。『夏への扉』はこの歴史認識の上に成り立っているとも言えるのですが、作者がもし21世紀の地球の現状を知っていたら、このような作品を生み出すことはできたでしょうか。
夏への扉』は1957年、今から半世紀も前に書かれたSFで、主人公は「冷凍睡眠」という方法によって1970年から2000年へとタイムトラベルしてきます。主人公の目に映る21世紀は、十二分に満足できる時代として描かれています。そもそも未来は現在よりも「よりよい世界」になっているという前提があるからこそ、多額な費用のかかる「冷凍睡眠」という商売が成り立っているのです。
しかし、現実の21世紀は、科学技術のある部分においては既にハインラインの想像以上に進歩を成し遂げてはいるものの、主人公の言うように「日に日によくなりまさりつつある」と誰もが実感できる世の中になっているでしょうか? 「徐々に」ではなく急激に環境に働きかけてしまったために、人間の精神も肉体もその変化に「順応」しきれなくなっているのが、現在の我々の置かれた状況なのではないでしょうか。
ハインライン自身が主人公デイヴィスのように「冷凍睡眠」によって21世紀を目の当たりにし、タイムマシンによってまたもとの時代に帰ることができたなら、デイヴィスがしたのと同様、歴史に修正を加えるため、別の作品をこの世に送り出していたかも知れません。
いくつもある扉のうちの一つが「未来への扉」だったら、あなたは開けてみたいと思いますか?