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2007年01月21日

[]連句への「潜在的意欲」 連句への「潜在的意欲」を含むブックマーク 連句への「潜在的意欲」のブックマークコメント

可能性としての連句―その二律背反の発想』(浅沼 璞著)を読みました。
連句とは、「詩的ミクロコスモスとして自己完結志向」を持つ発句と、「詩的連続世界の一重の断片として自己完結を拒絶する」付句群(平句)とが対峙しあうという、「二律背反=背反する両面価値(アンヴィヴァレンス)」を抱え込んだ詩形式であるといいます。
発句の自己完結性を支えているのは「切れ」です。「切れ」は垂直方向への往還運動を生成し、自己完結志向を高める契機となります。一方、付句はその内部に「切れ」を持つ代わりに前句との間に「切れ」を生成しながら、自己完結を拒否しつつ水平方向への連続運動を繰り返します。ここまでは、著者の独創と言うことではないでしょう。


面白いのはこの先です。
著者は、正岡子規によって切り捨てられた、こうした連句の持つ「二律背反」への「潜在的意欲」を様々の詩作品の中に見出します。
新興俳句運動における山口誓子、高屋窓秋らの連作俳句の試みの中に、
高柳重信の多行形式の中に、
山頭火など、自由律俳人の作品、とりわけ七・七の韻律を持つ短句の中に、
寺山修司俳句から短歌への転身の中に、
吉岡実の詩の中に、
眞鍋呉夫の句集に収められた俳句の配列の中に…


著者は次のように言います。

 自由律や新興俳句に代表されるような、新しい俳句形式に出会うための真摯な戦いが、断念したはずの連句(付句)形式へと潜在的に取って返すという逆説の提示は、あらためて私たちを戦慄させる。がしかし、(中略)その逆説にこだわるよりも、<潜在的意欲>によって顕在化してきた作品の質を、連句形式そのものと比較しながら、見極めることのほうが、俳句というジャンルの未来を考えるならば、より賢明であると思われる。



こうなると、連句の勉強も避けては通れないなあ…
ところで、音楽と連句との関係はどうなんだろう。たとえば今これを書きながら聴いているバッハの『ゴールドベルク変奏曲』の主題と30の小曲の連なりは、連句の発句とそれに続く平句の水平方向への連なりと、どこか響き合うものがあるようにも感じてしまうのですが。

すいとん大将すいとん大将 2007/01/22 22:34 連句に関する素養は、まったくありませんが、

ブログやチャットも、ひとつの連句と考えるのは、浅薄な発想でしょうか?

漱石の『猫』って、管理人が「吾輩」で、次々に現れる登場人物が
来訪者としてコメントを残していくと考えれば、

きわめて、現代的な小説だと思ったりして。

これも我田引水の一つ、なんて、な。
      ↑
『踊る!大走査線』の、いかりや長介さん風に。

mf-fagottmf-fagott 2007/01/23 21:59 ブログの記事を発句に見立てて、コメントを付句のように水平方向に連続させていけば、連歌的様相を呈することにもなりましょうが… 中にはそんな具合になっているブログもあるかも知れませんね。いろんなブログがあるようですから。まあ、気楽にコメントして下さい。

すいとすいと 2007/01/24 05:22 気楽ついでに、もう一句(?)我田引水、お許しを。

サッカーに例えるなら、ベッカムや中村俊輔のFK=発句。
オシムjapan監督いう言うところのパス回しを支える「水を運ぶ人」=連句。

FKにワクワク、こぼれ球をつなぐ様子にドキドキ。言葉とボールの違いはあっても、静と動のダイナミズムという点では共通するのでせうか?。

となれば、マラドーナの『神の手ゴール』は?
破調の極み?

すいとん大将すいとん大将 2007/01/24 05:43 一部訂正&補記
「水を運ぶ人」=連句では無くて「平句」となるのですね。恐縮。

ただし「水を運ぶ」と見せかけて、切り返し&フェイントなどで、ゴール!なんて意外性のプレーも、サッカーではときに生まれます。
それで観客を魅了する選手が『ファンタジスタ』。←名古屋ではストイコヴィッチ。
俳句の世界でも『ファンタジスタ』は、いろんなタイプの人がいるのですね。

mf-fagottmf-fagott 2007/01/24 22:43 文学からサッカーへと跳びましたね。求心的というより拡散的な、先の読めないこの展開はまさに連句的だったりして。
オシムってのは、なるほど面白いことを言う人ですね。今、サッカー好きの娘(=浦和ファン)に聞いてみたら、オシムが「水を運ぶ人」という言い方をしたってこと、ちゃんと知ってましたよ。勉強が苦手でも、そういうことはちゃんと知ってるんだ。
で、どういう文脈で出てきたのか僕は知らないけど、これって、「生きる(=勝つ)ために誰かが負わなければならない地道な労働」という意味合いが込められているんでしょうね。
もちろん、水の行き先は自分の田んぼ、なんて、な。

すいとん大将すいとん大将 2007/01/24 23:23 水を運ぶ=定型を踏まえ、地道かつ豊富に勤めるプレー、という意味のようです。
ただし、それだけでは試合に勝てない。
相対するチームが互いに「水を運び」合い、発句の出し手を潰し合えば、永久に0−0のままです。
そこで「水を運び」ながらも、均衡を崩そうという「潜在的欲求」が顔を出す

オシム監督も、水を運んでばかりの選手では物足りないようです。
マラドーナやストイコヴィッチのような「スーパー自由律」への憧れ。
句作に携わる人も抱いているのかな?

mf-fagottmf-fagott 2007/01/25 00:40 大将、その前に、「オウンゴールか!」って、突っ込みを入れて欲しかったんだけど…
さて、いろいろ書いて頂きましたが、そもそも「ベッカムや中村俊輔のFK=発句」というのは「我田引水」というより「牽強付会」じゃないかなあって思っちゃいます。僕の頭が固いのかもしれませんけどね。
連句のことはこれから少し勉強しようと思っています。大学時代に授業で「梅が香に…」で始まる歌仙をやったけど、もう30年も前のことですからね。やり直しです。

すいとん大将すいとん大将 2007/01/25 05:35 「蟹は、自分の殻に似せて穴を掘る」という、なんて、な。
試合の流れ、言葉の流れ、その変化の兆しを見つけるのが楽しみの一つ。
駄文を書き散らし続け、多謝。ここで結び?の一句(以前も載せましたが)。
面白し 雪にやならん 冬の雨   (芭蕉)