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僕が線を引いて読んだ所 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2007年06月27日

[]小説の豊かさ 小説の豊かさを含むブックマーク 小説の豊かさのブックマークコメント

前回、「小説の豊かさ」という言葉が出てきましたが、このことに触れてもう一つの作品を取り上げたいと思います。
小川国夫「物と心」
濃密な情感を湛えて魅力的なこの掌編を初めて読んだときのことを、僕ははっきりと覚えています。大学に入学して間もない頃です。僕の高校時代の恩師がM社から現代文参考書を出すことになり、その手伝いを頼まれたのですが、そのとき恩師から渡された資料(入試問題のコピー)の中に「物と心」があったのです。
僕の本棚にある小川国夫の本は、この「物と心」の収められた『生のさ中に』のほかに、アポロンの島』『一房の葡萄』『漂泊視界』(いずれも角川文庫)の4冊です。恩師から渡された資料が小川国夫を知るきっかけになったのだったかどうだか、そのあたりの記憶はもう曖昧ですが、これらの作品が大学生だった僕に強い印象を刻んだことは確かです。
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池田満寿夫装丁。いい感じですね。もちろん、とっくに絶版になっています。)
この「物と心」はときどき高校の国語の教科書にも採用されるようで、08年度用の「現代文」の教科書見本の中にもこの作品を収録しているのがあります。(今は教科書選定の季節です。)
どの教科書にも本文に続いて「学習の手引き」という欄があって、作品の理解を促すようになっていますが、この教科書にも「物と心」の本文の次に、

「浩は自分の小刀で掌を切って、宗一に見せるようにした。」とあるが、なぜこういう行動をとったのか、考えてみよう。

という課題があります。
鉄のスクラップの中から持ち帰った錆びた小刀を兄弟でといでいるのですが、「丸刃」にといでとりかえしがつかなくなってしまった弟の浩は、隣でとぐことに耽っている兄の宗一のことが意識されてならず、上のような行動をとってしまうのです。この浩の行動の背後にある心理を考えさせるためにこの作品が教科書に採られているといってもいいくらい、ここはこの作品のかなめの部分なのですが、この心理はひとことで言い尽くせるような単純なものではありません。僕はまだこの作品を授業で取り上げたことがありませんが、ここでの浩の心理について、生徒の意見を引き出すのはなかなか難しいような気がします。かといって、こうした部分を、選択肢の中から選ばせるような問題で片付けてしまうと、作品の読みがやせ細ってしまいます。
ところが実際、過去には次のような大学入試問題があったのです。

浩が自分の掌を傷つけたのはどういう気持からか。左記各項の中から最も適当なもの一つを選び、番号で答えよ。
(1) 掌を切ることによって、自分の小刀がよく切れることを兄に誇示したかったから。
(2) 小刀を上手にとぎあげた兄が羨ましくなり、とぐことを中途で止めさせたかったから。
(3) 自分とはうらはらにとぐことに没頭している兄の関心を、自分にひきつけたかったから。
(4) 自分は小刀を丸歯にといでしまったのに、兄の小刀はよく切れるように思えたから。
(5) 兄が憎らしくなり、自分の掌を傷つけて復讐してやろうと考えたから。」

答え (3)

実はこの問題は、僕がお手伝いした参考書に例題として載っているのです。ですからもう30年以上も前のものですが、入試問題の中にはしばしば見られるタイプの問題です。こうした設問が、入試問題として不適格であるとはいいませんが、「小説の豊かさ」を前提としたならば、やはりいろいろな答えを許容できるような出題の仕方が好ましいとはいえるでしょう。

tomtomtomtom 2007/06/29 23:40 小川国夫は僕が学生時代に愛読した作家の一人です。まだ、教科書に載っているのですね。最新刊のエッセイ集が出ています。読もうと思っているのですが……。

mf-fagottmf-fagott 2007/07/01 22:46 『夕波帳』ですね。僕は上の記事を書いたあと、『漂泊視界』(角川文庫)を拾い読みしています。魅力的な文章です。

mari777mari777 2007/09/18 02:19 「……、考えてみよう。」という文末表現に、「『小説の豊かさ』を前提とした、いろいろな答えを許容できる授業展開をしてください」という思いをこめました。
「……、整理してみよう。」や「……、まとめてみよう。」と、使い分けているのです。
むなしい努力のような気もしますが、教科書の「手引き」でできることはそれくらいが精一杯。
この作品が先生方の腕と熱意によって、現代の高校生にどのようにひびくのか、楽しみに見守っています。

mf-fagottmf-fagott 2007/09/19 01:16 教科書作成の側からのコメント、ありがとうございます。
多様な読みが可能な場合は、こちらから先に解答例を与えず、生徒に自由に書いて提出してもらって、出てきたものを生徒に紹介するようにしています。
教科書の「手引き」には「話し合ってみよう」というのもよくありますよね。生徒に活発に意見を出してもらって互いに批評しあうというのが理想なのですが、これはなかなか難しいです。

2007年06月22日

[]小説のテーマ 小説のテーマを含むブックマーク 小説のテーマのブックマークコメント

書きあぐねている人のための小説入門

書きあぐねている人のための小説入門

書きあぐねているわけではないんだけど…
だって、まだ書こうとしたことさえないんだから。
でも、小説家を目指しているわけではないけれども小説の読み方を教えることも仕事の一つである僕にとっては、この本から得た収穫は少なくありませんでした。たとえば次のような箇所。

小説というのは本質的に「読む時間」、現在進行形の「読む時間」の中にしかないというのが私の小説観であって、テーマというのは読み終わったあとに便宜的に整理する作品の一側面にすぎない。

これを書き手の側から言えば、

テーマのようなものを事前に設定してしまったら、作品の持つ自在な(融通無碍な)運動を妨げることになってしまう。

ということになります。
ここで最近授業で読んだばかりの「山月記」の話しになるのですが、使っている教科書に準拠して作られた自習用の課題帳に次のような設問があるのを見つけました。

この小説のテーマとしてふさわしくないものを、次の文中から選びなさい。
  ア 人間存在の不確かさ
  イ 変身・怪異の恐怖
  ウ 自我意識の苦悩
  エ 芸術至上主義
  オ 自己中心性

さて困ったことに、僕にはこの中のどれが「山月記」のテーマとしては「ふさわしくない」のか、自信を持って答えることができないのです。読みようによっては、どの選択肢もテーマになり得るように思えてしまうのですが、どうなんでしょう。
この手の設問は、大学入試問題などでもときどき見かけますが、仮に答えが明確に出たとしても、作品の読み方を狭い枠の中に閉じ込めてしまうと言う点で、好ましい問題とはいえないと思います。(上の問題は、テーマが複数ありえることを示唆している点で、まだましな方かもしれません。)
保坂和志はテーマに関して次のようにも言います。

学校の授業というのは、成長期にいろいろな型の思考力を養うトレーニングのシステムだから、その一環として、小説を読んでテーマという一側面を考えることは無駄ではないけれど、「小説の豊かさ」というのは、テーマのような簡潔で理知的な言葉で語れば足りるものではなく、繁茂する緑の葉に木の幹や枝が隠されていくように、簡潔な言葉で説明できる要素が、次から次へと連なる細部によって奥へ奥へと退いていくところにある(この「小説の豊かさ」というのは、ひじょうに大事なことです)。
斜体部は原文では傍点

上に言う「小説の豊かさ」を、僕も小説を教室で読むときにいつも念頭に置いておくようにしているのですが、教壇で教師がひとりでしゃべっているような授業では、この豊かさは損なわれてしまいがちです。せっかくたくさんの生徒がいるのだから、この豊かさが生徒達によって引き出されることが理想です。もちろん、理想どおりに授業が進むことはなかなか難しいのですが…
実は、「山月記」で検索してこのブログにたどり着く人が最近すごく多いんです。もちろん、ここにはロクなことが書いてないから、皆さん数秒で他のサイトへ移っていってしまうのですが、おそらく「山月記」の授業で苦労して、授業のヒントを得ようとネット上をあれこれ探索している先生がたくさんいるんでしょうね。
小説を教えるためには、本当は自分でも小説を書いてみることがきっと役に立つのだと思いますが、そこまでしなくても、『書きあぐねている人のための小説入門』のような本を読んで、書く立場に立って小説について考えてみるというのも有意義なのではないでしょうか。

2007年06月12日

[]太宰治の不幸 太宰治の不幸を含むブックマーク 太宰治の不幸のブックマークコメント

太宰治の「走れメロス」を読んだらもっと太宰の作品が読みたくなって、本棚から引っ張り出してきたのは『お伽草紙』(新潮文庫、これもまた古典に取材した作品です。
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奥付には「昭和52年5月20日十刷」とありますから、買ったのはほぼ30年前になるわけですが、どうやら読まれることなく本棚で眠っていたようです。古典を下敷きにした作品は当時の僕には取っ付きにくいと感じられたにちがいありません。しかし今読んでみると、実に面白い。
「新釈諸国噺」は、西鶴のもとの作品に肉付けすることによって、登場人物たちにいっそう生き生きとした存在感を与えることに成功した傑作で、短編小説の醍醐味を存分に味わえます。西鶴の語り口調の魅力を損なうことなく、それでいて紛れもない太宰の文章に仕立て直してしまうところは、さすがです。
「お伽草紙」の方は、太宰治自身が饒舌な語り手となって、はっきりと読者の目の前に姿を現します。この語り手は、空想家であるよりはむしろ批評家です。つまり、昔話をもとに大きく創造の羽を広げるよりは、その昔話の内部へと降りていこうとするのです。そして降りていった先に語り手が見出すのは、現代人に通じる普遍性であり、当然そこには自己自身の内面が重ねられるのです。だから「新釈諸国噺」と比べるともとの作品からは自由になりながら、かえって自分自身からは自由になりえないという皮肉な結果を招いています。それだけ太宰治らしい魅力を湛えた作品になっているとも言えますが、それは同時に、太宰の初期の作品から一貫して見られる息苦しさに覆われているということを意味します。
「浦島さん」の亀の次の語りは、そんな息苦しさに言及したものと言えるでしょう。

私はただ、あなたと一緒に遊びたいのだ。竜宮へ行って遊びたいのだ。あの国には、うるさい批評なんか無いのだ。みんな、のんびり暮らしているよ。だから、遊ぶにはもって来いのところなんだ。(中略)どうも陸上の生活は騒がしい。お互い批評が多すぎるよ。陸上生活の会話の全部が、人の悪口か、でなければ自分の広告だ。うんざりするよ。私もちょいちょいこうして陸に上がって来たお蔭で、陸上生活に少しかぶれて、それこそ聞いたふうの批評なんかを口にするようになって、どうもこれはどんでもない悪影響を受けたものだと思いながらも、この批評癖にも、やめられなぬ味がありまして、批評の無い竜宮城の暮しにもちょっと退屈を感ずるようになったのです。どうも、悪い癖を覚えたものです。文明病の一種ですね。

「新釈諸国噺」の方は、そんな批評が奥に引っ込み、上質な娯楽小説になっています。しかし太宰にとって、西鶴の作品世界に遊ぶことは、竜宮城の逸楽をむさぼることにも等しかったのでしょう。そして、「批評の無い竜宮城」にいつまでも留まっていられず、すぐに「陸上」に浮きあがってきてしまうことをどうすることもできなかったのが、太宰という人間の不幸だったのではないでしょうか。

■今までに取り上げた本の著者別索引

すいとん大将すいとん大将 2007/06/13 22:01 「惚れたが悪いか」だったっけ?「かちかち山」の狸が沈んでいく泥舟から叫ぶラストシーンがありました。太宰の作品の中では好感の持てる一場面です。三島由紀夫の「近代能楽集」と共に小生の19〜20歳の頃の「忘れられない一冊」です。…懐かしいです。

mf-fagottmf-fagott 2007/06/14 21:10 若いときに読んでいたら、僕も「お伽草紙」の方が「新釈諸国噺」より面白いと感じたかもしれません。「お伽草紙」の中では、「瘤取り」を一番に推したいと思います。「性格の悲喜劇というものです。人間生活の底には、いつも、この問題が流れています。」という結びの文句は、身につまされます。

OystaiOystai 2007/07/08 14:26 YCSの新米Vnでございます。来期から、奥様のお隣です。よろしくお願いいたいます。で、紹介されてた「御伽草子」、購入して読んでみました。面白いですねえ。「竹青」がお気に入りです。青い鳥?老子?(ただいま読みかけ)など色々ちりばめられているようで不思議なお話でした。
文学史で名前を暗記したような作家の本は正直難しくて敬遠していたのですが。これを期に色々と読んでみるつもりです。

mf-fagottmf-fagott 2007/07/08 21:53 Oystaiさん、コメントありがとうございます!
僕もOystaiさんのブログ、見せてもらいましたよ。
同じオケのメンバーとして、これからもよろしくお願いします。

2007年06月02日 イギリスに学ぶには このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

古くて豊かなイギリスの家 便利で貧しい日本の家 (新潮文庫)

古くて豊かなイギリスの家 便利で貧しい日本の家 (新潮文庫)

60回近くも渡英したというイギリスびいきの著者によるイギリス礼賛の本。にもかかわらず、読んでいて少しもイギリスという国の魅力が伝わって来ません。著者は事毎にイギリスと日本とを比較し、イギリスの優位を主張しますが、その比較の仕方はどう見ても公平さに欠けるのです。イギリスを賛美するためには、公平さを損なおうと論に矛盾をきたそうと、そんなことは意に介さないかのようで、これでは読者の共感を得ることは難しいでしょう。
たしかにイギリスの家が景観に配慮して建てられていることや、古い家でも手をかけて大切に住み続けていることなど、住宅に関して日本がイギリスに見習うべき点は少なくないと思います。でも、そうしたイギリスの良さを際立たせようとするあまり、日本の最悪の例ばかり引き合いに出されてしまうと、国粋主義者じゃなくたってあまり愉快ではありません。
「だったらイギリスに住めばいいじゃん」と思いながらも、最後まで読んでしまいましたが、結局伝わってきたのは著者がいかにイギリスの家、イギリス人のライフスタイルイギリス人の価値観に惚れ込んでいるかということ、それだけ。その先にイギリスの本当の姿が見えて来ないのです。
日本の住宅事情を少しでも改善しようと本気で考え、そのためにイギリスの家のいい所を取り入れようとするなら、イギリスについてその負の部分も含めて正しく理解するのでなければ、結局形だけの真似事で終わってしまうように思うのですが、どうでしょう。

すいとん大将すいとん大将 2007/06/10 15:51 江戸っ子を気取りたがる人ほど、上方の風物にケチをつけたがる…とか…落語か何かにあったような?。サッカーも同様、本当にチームのファンなら「負」の部分にも目を背けません…名古屋グラ8を応援し続けていると(嫌でも?)そうなります。

mf-fagottmf-fagott 2007/06/10 23:08 教育改革を強引に進めようとしている我が国のリーダーも、イギリスを手本と考えているようですが、そのイギリスの教育も見直しを迫られているようなので、そういう所もしっかりと見据えて欲しいと思うんですよ。