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2008年09月10日 「国語」の教室 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

国語教科書の思想 (ちくま新書)

国語教科書の思想 (ちくま新書)

著者の、小学校・中学校の「国語」の教科書を読み解くときのその切り口は鋭くなかなか面白い。これは石原千秋らしさが横溢した快著だ。しかし、著者自らが「ほかならぬ私が分析する以上、分析の過程に「私」というバイアスがかかることは言うまでもない」と断っているように、これはいくつかある読み方の中の一つに過ぎないということは忘れてはならないだろう。
それに、あるテキストからある種の「道徳」的なメッセージを読み取ることが可能であったとしても、実際に教室での授業が「道徳教育」になってしまっているかどうかは、実は別の話なのだ。著者が分析しているのは教科書であって、それを用いた授業ではない。ましてや、その授業が生徒にどういう変化を引き起こしたかなどは、全く考察の埒外だ。
著者は、高校の教科書の定番教材である『羅生門』『山月記』などについて、

「エゴイズムはいけません」といういかにも道徳的なメッセージを教えることができる教材なのだ。

と述べる。「教えることができる」というのはその通りだろう。しかし、このすぐ後に次の一文が来る。

戦後の学校空間で行われる国語教育は、詰まるところ道徳教育なのである。

ここに明らかに論の飛躍がある。
羅生門』の主人公である下人の心理と行動を丁寧に読み取り、最後に生徒に感想を書かせてみる。さまざまな感想が出てくるが、最後の場面でエゴイストに変じる下人を非難する生徒は少ない。下人の行動力を賞賛する生徒さえいる。もし『羅生門』を道徳教材として機能させようとするならば、教師には生徒に対するそれなりの働きかけが求められようが、今どきそんな意図を持ってこの教材を取り上げる教師はいまい。
舞姫』を何度か取り上げたことがある。読後に感想を書かせると、どの生徒も一様に豊太郎の身勝手さを非難する。まさに道徳読本として読まれてしまっているのだ。失敗である。どうしたらこの教材から多様な読みを引き出せるか。これは難しい課題だと思う。
「学校空間」というのは、教材を生のままポンと生徒の前に投げ出して終わりではないのである。そこに教師という仕事の難しさがある。

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