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2018年08月14日

[]地方を元気にする 地方を元気にする - 僕が線を引いて読んだ所                        を含むブックマーク 地方を元気にする - 僕が線を引いて読んだ所                        のブックマークコメント

「建築」で日本を変える (集英社新書)

「建築」で日本を変える (集英社新書)

 伊東豊雄のことを知ったのは5年前の夏。レンタカーに妻と娘を乗せてしまなみ海道を走り、大三島で降りたはいいけれど、何の下調べもしていなかった僕たちは行き当たりばったりに行き先を決めるしかなく、面白そうだというのでとりあえず寄ってみたのが大山祇神社伊東豊雄建築ミュージアムだった。大山祇神社の巨木に気圧されそうだった印象と、ミュージアムから瀬戸内海の穏やかで明るい景色を眺めながら、こんなところで暮らすのも悪くないなあと思ったことは、今でも記憶にはっきりと残っている。
 伊東豊雄が何を目指しているか、繰り返し現れる次のような発言がそれを明らかにしている。

私は、これからは都市に向かって自らの個性や表現を競い合うような建築の時代ではないと考えます。とくに若い人にそう伝えたい。一つひとつのプロジェクトは小規模で地味であっても、みんなが小さな力を結集して、人びとが暮らす場所や地域をいかに楽しい環境にするかが問われているように感じています。大都市が魅力的であった時代はすでに終りを告げ、地方にこそ新しい建築のかたちを探るヒントがあるに違いないと考えるようになったのです。

 伊東豊雄が選んだ「地方」の一つが大三島だ。
 伊東豊雄大三島での活動は、〈第四章 建築の始原に立ち返る建築――愛媛大三島を日本でいちばん住みたい島にする」プロジェクト〉に詳しく紹介されている。大山祇神社参道活性化させるなど、さまざまな活動の拠点となるのがミュージアムだ。

ミュージアムは私の名を冠していますが、私の作品を展示するのではなく、伊東建築塾の塾生を中心に、島民や大学の建築学科の教授や学生と一緒に取り組むプロジェクトの発表の場と位置付けています。毎年、個別テーマを掲げて調査研究を行って、それを基に考えた、島を元気にするための提案をパネルや映像、模型で展示するというものです。ミュージアムに来てくれた多くの人に大三島の魅力をわかってもらって、島づくりを応援していただきたいと考えています。

 もう一度機会があれば、今度は自転車しまなみ海道を走り、元気になった大三島の様子を見てみたい。

f:id:mf-fagott:20110813140527j:image大山祇神社

f:id:mf-fagott:20110813151256j:image伊東豊雄建築ミュージアムからの眺め

2018年08月13日

[]挫折を力に 挫折を力に - 僕が線を引いて読んだ所                        を含むブックマーク 挫折を力に - 僕が線を引いて読んだ所                        のブックマークコメント

建築家、走る (新潮文庫)

建築家、走る (新潮文庫)

 日本を代表する現役の建築家著作を続けて読んだ。一冊は、隈研吾の『建築家、走る』。もう一冊は、伊東豊雄の『建築」で日本を変える』だ。新国立競技場建設のコンペティションに勝った建築家と、負けた建築家
 隈研吾は新国立のコンペには勝ったが、多くの「負け」も経験している。隈研吾からぜひ学びたいのは、挫折や失敗を力に換える逞しさだ。

 バブル崩壊を境に仕事がなくなった東京で、ゲーム的な方法論は、この、泥のように重たい現実にはほとんど通用しないんだ、ということを思い知りましたね。
 だから逆に、その後の不況は、ぼくにとっては感謝してもしたりない貴重な時間でした。東京での仕事がなくなったおかげで、地方の、それこそ泥くさい、汗くさい現場で、それぞれの風土――風土って、まさに土と風のことですが――を実感しながら建築に取り組むことができましたから。挫折って、人間に一番必要なものですよ。

 自分で作ったガラスのテーブルに手を突いて割ってしまい、右手の自由が利かなくなるほどの大けがをしたことさえもプラスに変えてしまう。

 右手が動かないと、スケッチは前みたいには描けない。右手が不自由になって初めて、自分が能動的で、賢く、素早い主体から、環境に対して受動的な、ゆっくりしたゆるい存在へと、カフカ的な「変身」を遂げたように感じられました。主体と身体が分離したことで、初めて身体を実感することができるようになったのです。
 その「変身」が、実はちょっとうれしかった。以前、彫刻家のジャコメッテイが、「自分はケガをして身体が不自由になって、本当にうれしかった」と書いていた文章を読んだことがありましたが、彼のいいたかったことがわかりました。受動的な存在になると、いろいろなものごとに対して、感覚を開くようになるのです。

 このプラス思考は見習いたい。 
 自分の名を関した建物がどんと出現したときに、建築家は周囲から嵐のような批判を浴びることだってある。「炎上」である。建築家に一番必要なのは、その「炎上」を跳ね返す図太さ、逆境を糧にする逞しさなのかもしれない。いや、それは建築家に限った話ではないだろう。

伊東豊雄については、次回)

2016年03月08日

[]売れてたまるか 売れてたまるか - 僕が線を引いて読んだ所                        を含むブックマーク 売れてたまるか - 僕が線を引いて読んだ所                        のブックマークコメント

f:id:mf-fagott:20160308234751j:image:w240:left 読むたびに、僕を楽しませてくれる建築家石山修武の文章。この本もまた、期待を裏切らない。
 自らの商品を語る石山修武の文章は実に面白い。石山修武だったら、たとえどんなにつまらない商品でも、屁理屈を並べてそれがいかに価値あるものかを語って見せることができる。お客さんにとって、もう商品の善し悪しなんてどうでもよくなってしまう。読者としてその話芸を楽しませてもらえればもう満足なので、商品を手に入れる必要はもはやない。商品を買うつもりはないけれど、ダイレクトメールは読みたいからどんどん送ってくれ、今度はどんな商品をどんなテを使って売り込むつもりか、お手並み拝見といった気持だろう。そんなわけで、雑貨商、石山修武の扱う商品は、あまり売れないに違いない。
 石山修武自身が、「あとがき」でぽろっと本音を吐いている。

…本当にみなさんにわたしの商品を買って貰いたいのか、それとも何かを書くのが本来の目的なのか不明なのが自覚できてしまったわけだ。

ほらね。石山修武は自分の商売に至極満足している。売れなければ売れないで、売れないことを楽しむ術を知っているからだ。

わたしの商店のベストセラーを御披露する。もちろんベストセラーとは一番売れなかった商品である。わたしの商店は当然のことながら量より質を大事にするからだ。ベストは量ではない質である。そして質というものは最終的には個人の好き嫌いに属する。これが大事だ。別の言い方を短くするならば売れてたまるかのモノ。

 こんな調子で始まる文章の中で、石山修武は第十八宝幸丸のカツオを「宝」と呼び、宝の価値の分からぬ人間をおおいに憐れむ。そして、最後はこうだ。

そんなワケでハンマの宝幸丸の初ガツオは二度と売ってあげない。わたしが一人占めして初夏の初ガツオとともに満喫してやる。
ザマミロである。

 石山修武は文章の達人である。と同時に、人生を満足して生きる達人であるに違いない。

2015年12月17日

[][]鎌倉近代美術館 鎌倉近代美術館 - 僕が線を引いて読んだ所                        を含むブックマーク 鎌倉近代美術館 - 僕が線を引いて読んだ所                        のブックマークコメント

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 10月11日、連休中はやっているだろうと疑いもせず、よく調べもしないで行ってみたら展示替えのためにまさかの休館中だった県立近代美術館。今年度一杯で閉館してしまうので、ぜひとも一度は行っておきたいと思っていたのだが、今日、美術の研究授業の一環で見学に行く生徒の引率教員の一人として訪れることができたのはラッキーだった。
 事前指導で生徒に見せていた古賀春江の「窓外の化粧」の実物に接することがやはり一番の楽しみだったが、松本竣介佐伯祐三などの作品も見ごたえがあったし、数は少ないが立体作品にも面白いのがあって、与えられた約1時間の観覧時間はすぐに経ってしまった。
 平日にも関わらず、大勢の人でにぎわっていたのは意外だったが、つい先日、NHKの日曜美術館で取り上げられたのだと聞き、なるほどテレビの影響は大きいのだと思った。(この番組は再放送があるとのこと、ぜひ観てみたい。)
 見学後の研究協議会では、美術館の学芸員の方たちから興味深いお話をうかがえて、とても充実したひと時を過ごすことができた。
 鎌倉に行っても、もうあの魅力的な空間で幸せな気分に浸ることができなくなるのだと思うと、ちょっと寂しい。
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2013年12月15日

[]一番古い記憶 一番古い記憶 - 僕が線を引いて読んだ所                        を含むブックマーク 一番古い記憶 - 僕が線を引いて読んだ所                        のブックマークコメント

天下無双の建築学入門 (ちくま新書)

天下無双の建築学入門 (ちくま新書)

 藤森照信『天下無双の建築学入門』の次の部分が興味をひいた。そして、自分の一番古い記憶のことを思った。

 生れてから現在にいたるまでの自分の記憶は、脳の中に定着された自分の世界は、建築と町並みによって安定と連続性を保証されているのだ。
(中略)
 人が人らしくありうるのは、自分が自分であることの証は、脳の中に作られている自分の世界の安定と連続によるのだけれど、そのことを人間は自分で確かめることはできない。しかし、建物や町並みを見て懐かしいと感じた時、実は、意識の奥で、その確認がなされており、確認できたことのよろこびが、懐かしいという得もいわれぬ感情となって湧きあがってくる。

 僕の一番古い記憶は建物の記憶だ。
 二歳と数カ月の頃、移り住むことになっていた横浜の郊外に新築中の家を、両親と見に行った時のものだ。北側の勝手口の小さな土間の辺りから中を覗き込んでいる自分自身のイメージを、僕は今でもはっきりと思い浮かべることができる。中では若い大工さんが一人、黙々と作業をしていた。
 それは純然たる「記憶」とは呼べないものかもしれない。その時のことは、両親との間で話題になることもあったから、それによって補強された部分もある。その後、その家には20年ほど住んだのだし、写真も残っているから、それらの新しい情報と混ぜこぜになっていることも確かだ。しかし、僕にはそれが自分の中で一番古い記憶であることは間違いないと感じるし、あの建築中の家を覗きこんだときの幼い自分の気持ちのありようが、いかにも自分らしいものであったと思えてならない。半世紀以上も前の記憶の中の2歳数カ月の男の子が、今の自分と同一人物であることは、疑いようもないのだ。今でも僕は、住宅建築現場というものに、格別の思いを持っている。
 その家はもう20年くらい前に取り壊してしまったけれど、もしその家が今でも残っていて、それを見ることができたとしたら、これ以上はないというほどの懐かしさを感じるに違いない。平屋建ての、小さな家だ。

2013年11月23日

[]お寺のことがわかる人になりたい お寺のことがわかる人になりたい - 僕が線を引いて読んだ所                        を含むブックマーク お寺のことがわかる人になりたい - 僕が線を引いて読んだ所                        のブックマークコメント

最近、古い建物の残る町を歩いたり、神社やお寺を観たりするのが楽しい。
そんな年齢になってきたんですね。
それでこんな本を購入。

お寺の基本

お寺の基本

少しでも知識が増えると、見る目が違ってくる。この門は、二階建てだから楼門だな、なんてね。これからは、建物のことだけじゃなく、宗旨の違いなんかについても勉強したいと思っている。

今日はまた、今年何回目かの鎌倉に行ってきた。逗子駅から歩き始めて、名越切り通しを越え、光明寺というコース。
逗子の駅前でいただいた逗子のハイキングガイドのパンフレットを頼りに、名越の切り通しを目指したが、その途中で立ち寄った妙光寺と岩殿寺がとても気に入った。背景の山とお寺の建物が素敵に調和している。逗子とか鎌倉というのは、お寺を建てるのに実にふさわしい地形なんだと思う。
f:id:mf-fagott:20131123120547j:image:w250 妙光寺

f:id:mf-fagott:20131123124042j:image:w250 岩殿寺

2013年04月28日

[][]大磯界隈歴史・文学散歩 大磯界隈歴史・文学散歩 - 僕が線を引いて読んだ所                        を含むブックマーク 大磯界隈歴史・文学散歩 - 僕が線を引いて読んだ所                        のブックマークコメント

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大磯駅から徒歩10分くらいで、島崎藤村旧宅に着く。
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萩の枝で作られた下地窓。
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大正硝子の窓に、庭の新緑が写る。
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大磯で最期を迎えた藤村、ここに眠る(地福寺)
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鴫立庵。ここは日本三大俳諧道場の一つ。(他の二つは、京都の落柿舎と滋賀の無名庵)今でも頻繁に句会・歌会が行われているそうだ。
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創業明治24年の「新杵」で西行饅頭を買い、後半に向けて腹ごしらえ。
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この後、大磯に多く残る横穴墓群を見て回り、さらに茅ヶ崎市美術館で「藤間家所蔵、文人名主由縁浮世絵」展を見学。充実の一日。企画し案内してくださったFさんに感謝。茅ヶ崎駅近くの居酒屋で飲んだビールが美味いこと! ちょっと飲みすぎて、翌日の演奏会は、頭の芯に少し痺れが残ったままステージへ。

2011年11月03日

[][]読書用椅子 読書用椅子 - 僕が線を引いて読んだ所                        を含むブックマーク 読書用椅子 - 僕が線を引いて読んだ所                        のブックマークコメント

鎌倉で知人の出演する演奏会があった。せっかく鎌倉まで行くのだから、どこかもう一か所寄って来ようと思って調べたら、こういう展覧会があったので観て来た。

神奈川県立近代美術館(鎌倉)開館60周年
シャルロット・ペリアンと日本
2011年10月22日〜2012年1月9日

ペリアンという人を僕は知らなかったけれども、「戦前戦後を通じて日本のデザイン界に多大な影響を与えた」女性デザイナー(展覧会のチラシより)だという。
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こういうところで、シンプルで使いやすそうでおしゃれな家具を見ると、自分の家に置いてみたくなったり、座りたくなったりする。もちろんそれは無理なので、自分で似たようなデザインの家具を作ってみようか、などと考えたりする。今までパソコン用の机だとか、ガーデニング用の棚だとか、いろいろ作ったけれど、椅子は作ったことがない。くつろいだ姿勢で本が読めて、そのまま寝てしまえるような居心地のいい椅子を、いつかぜひ作ってみたいと思っていた。ペリアンのシェーズ・ロングというのはまさにそのための椅子、という感じで、これと良く似たデザインで商品化されたものが展示されていて座ることもできた。しかしこれは体がかなり仰向けになるので、座るよりは横になるという感じで、あっという間に読書から睡眠へと突入してしまいそうだ。
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cascadefcascadef 2011/11/07 10:46 私も読書用の椅子が欲しい。たとえ眠くなってもこんな椅子が合ったらなあと思います。この記事、Facebookでシェアしてもいいでしょうか?

cascadefcascadef 2011/11/09 00:01 フェイスブックでシェアしました。

mf-fagottmf-fagott 2011/11/09 20:30 cascadef様、当ブログを読んでいただきありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

2011年01月17日

[]職業と家庭と 職業と家庭と - 僕が線を引いて読んだ所                        を含むブックマーク 職業と家庭と - 僕が線を引いて読んだ所                        のブックマークコメント

TUTAYAまで、現代文の授業で見せる『鉄道員』のDVDを借りに行ったついでに『マイ・アーキスト ルイス・カーンを探して』というのも借りて来た。僕はルイス・カーンという名前すら知らなかったのだけれど、いったいどんな作品を残した人なのか、興味がわいたのだ。
観てみると、このドキュメンタリー映画は、建築よりもむしろその設計者であるルイス・カーンという人物を追うことに主眼があった。そして、たまたま同時に借りた『鉄道員』との間に、意外な共通点があることに気がついた。
『鉄道員』の主人公、佐藤乙松は根っからの仕事人間で何よりも仕事を優先、そのために自分の娘の死に目にも妻の死に目にも会えない。「俺はぽっぽやだから、身内のことで泣くわけにはいかない」と言って、涙を見せることもない。家族を深く愛してはいるのだが、職責を全うしようという気持ちは頑なといっていいほど強く、それゆえ家族への負い目を感じつつ生きることになってしまう。しかし乙松は、最後に不思議な形で家族からの許しを得ることになる。
ルイス・カーンもまた、仕事への情熱と家族への愛情のはざまで人知れず苦しんだ人間なのではないか。妻と二人の愛人の間にそれぞれ一人ずつの子供をもうけ、それぞれに愛情を注いだが、一般的な意味での幸せな家庭を築くということにはならなかった。しかし、ルイス・カーンが愛人との間に残した息子、ナサニエル・カーンは、世界中に残された父親の建築作品を訪ね、父親と関わった人たちの証言を集めて制作したこの記録映画の最終章において、ルイス・カーンは建築という仕事を通して人々への普遍的な愛を実現したのだという認識に至る。
佐藤乙松は自らが駅長を務める駅のホームで倒れるが、ルイス・カーンが突然の最期を迎えたのもペンシルバニアの駅だった。

鉄道員(ぽっぽや) [DVD]

鉄道員(ぽっぽや) [DVD]

マイ・アーキテクト ルイス・カーンを探して [DVD]

マイ・アーキテクト ルイス・カーンを探して [DVD]

2010年11月17日

[]建ててしまった人も読みたい住宅本 建ててしまった人も読みたい住宅本 - 僕が線を引いて読んだ所                        を含むブックマーク 建ててしまった人も読みたい住宅本 - 僕が線を引いて読んだ所                        のブックマークコメント

f:id:mf-fagott:20101117225434j:image:left:w200
石山修武というのはやっぱりなかなかの文章家だと思うのである。この『笑う住宅』も、読んでいて、なぜか心地よいのだ。(というようなことは、以前にもこのブログに書いた。)もちろん、僕はただ文章を味わっているだけではなく、その内容を楽しんでいるのだ。その内容というのは、8年前に家をたててしまった僕が今さら知ったところでどうにもならないようなものであって、「もう建ててしまった人は読まないでください、後悔しますから…」という注意書きが必要なんじゃないかと思うほどのものなのだが、読んでいて面白いんだから、もう死ぬまでに絶対に家を建てるつもりがない、というか、建てたくても建てられない人間が読んだって構わないじゃないか、と思うのだ。いや、むしろ、これから家を建てようと企んでいる人間よりも、「もう建ててしまった人」の方が、石山修武の訴えていることがよーくわかるという意味では、この本の読者としてふさわしいと言えるかもしれない。よーくわかる授業が生徒にとって楽しいように、よーくわかる本は読者にとって楽しい。最初に書いた「なぜか心地よい」というのは、「よーくわかる」というところから生まれてくる感覚だろう。石山修武はなぜあんな変てこな形の家を作ったか。僕はあんなのに住みたいとは思わないが、ああいう形になったワケというのは、実によく納得できる。あれは石山修武の住宅観の具現化であることは勿論、その文章からも立ちあがってくる彼の人間としての魅力が形をなしたものでもあるだろう。そんなことを考えつつ本書に収められた図版を見ていると、ドラム缶のような住宅の実物に、一度お目にかかってみたいなどと思ってしまうのだ。