東三条院址


大河ドラマ「光る君へ」では東三条殿となっているが、藤原兼家の妹詮子(ドラマでは吉田羊が演じている)がこの屋敷で一条天皇を産み、その後皇太后となり出家して東三条院と称したことからこう呼ばれていた。

千年以上前の現実に、普通の街角で接することができるのが、京都の魅力の一つかもしれない。

三輪山


日本最古の神社と言われている奈良にある大神神社は独特な雰囲気を持つ神社である。
普通の神社にある本殿はなく、拝殿の向こうにある三輪山がご神体である。


そのため、三輪山にはハイキング気分で登るのではなく、登拝するのである。

飲食や写真撮影は駄目など、細かなルールが定められている。


白襷を首から掛けて気分を引き締める。


この門の前で、自らお祓いをしてから入山する。

頂上の奥津磐座往復で2時間15分ほどであった。

その後、山の辺の道を柳本まで歩き、32,532歩、17.5kmの大和路ハイキングの1日だった。

大谷祖廟Mar'24・春のお彼岸


まさにその通りで、ウクライナパレスチナで同様のことが行われている。
そしてそれは現代の日本でも同じことがいえるかもしれない。


大谷祖廟に隣接して広大な東大谷墓地があり、ご先祖様は16区に眠っている。
松や南天はお彼岸の花として相応しくないかもしれないが、我が家の庭から持参してきたもので、きっとご先祖様はお喜びになっているに違いない。

学校文化の舞台裏・京都市学校歴史博物館


明治になって首都が東京に移り、このままではいけないと、京都の町衆が教育による復興を目指して、全国に先駆けて64の小学校(番組小学校)を作ったことはよく知られているが、それらの資料をはじめ、京都市の学校に遺されていた教科書や教材や卒業生が寄贈した資料などを蒐集し展示しているのが、旧開智小学校にある京都市学校歴史博物館である。

常設展示に加えて、今回は「潜入、学校文化の舞台裏」と題する企画展が開催されている。
その中に、僕の寄贈した資料も展示されているというので出かけてみた。


学級委員の任命状や学級日誌が展示されていた。


3月28日までである。

鬼門除け・黒七味

古来、陰陽道では北東(艮)の方角は鬼が出入りする方角として、また対角線の南西は裏鬼門とも呼ばれ、ともに忌み嫌われていた。
この鬼門から鬼が入らないようにと、平安京では北東の守護として比叡山延暦寺が建立され、裏鬼門の守護には石清水八幡宮が当てられた。
庶民の家でも様々な工夫がなされ、鬼の嫌がる柊の木を植えたり、難を転ずるとして南天を植える家も多い。
現代でも京都の街なかにはいたるところに鬼門除けを見ることが出来る。
そんな中、ここではちょっと変わった鬼門除けを載せていきたい。


大和大路の支店である。
祇園の本店に鬼門除けが施されているかは不明だが、
鬼門除けに七味とくれば、鬼もそう簡単には入ってこれないだろう。