Hatena::ブログ(Diary)

HM weblog

 | 

2009-03-30

  1. Brush-Ginger (Sweetened Vinegar Pickles)――正字正かなのやうな、さうでないやうな……?
  2. 2009-03-06T14:59:44+09:00 - HM stream――ウェブリブログ*ではなかった、記憶違ひ:

  3. 誤のごみ捨て場――正かなづかひ。移転誤のごみ捨て場 はてなでやれ先のはてなダイアリー(TopCoderとJ言語と時々F#)は現在殘念ながら「現代仮名遣い」の模樣。
  4. きままに!
  5. 埋れてしまってゐるので切り拔いておく。

    • アパッチ正かな軍でもアホッチでも何でもいいが(記號的に指示してゐるだけだから名稱は何でも構はない、其處に意味を見出さうと言ふのは未だに言靈信仰でもあるんだらう)、アンチ正かなの人の意見に反論する時は、最初は見下した調子を避ける事、淡々と事實だけを指摘する事、些細な事から話を膨らませない事、を當座、戰術として守つて頂きたい。
    • 相手が何かを解釋してゐる時は全て原典に就く事、こちらから主張する時は典據を示す事、場當り的な抽象論は避ける事。
    • 案外多くの人が出來てゐないのだけれども、大學入試レヴェルの文章讀解の技術を最う一度おさらひした方が良い。問題になる用語について、相手の文章を讀んで、前後關係から讀取れる意味を讀取る事。相手の反論の餘地なきほどに正確に讀取る事で、適切な反論が可能となる。其處ではこちらの主觀を交へない、純粹に技術的な讀取り方をする必要がある。逆に言へば、それが出來ないやうな曖昧な書き方を相手がしてゐるならば、それも問題として指摘可能な事實である、と云ふ事だ。
    • 三段論法程度の論理については熟知しておく事。相手が論理を述べてゐる時、こちらが論理を述べる時は、大前提→小前提→結論の形式で、言替へてみる事。それでいんちき・誤が見破れる。
    • 特に若い人に忠告したいのだが、議論の際には高校の教科書や參考書を手許に置いておく事。國語辭典と漢和辭典は紙のものを持つておく事。そしてそれだけに頼り切らない事。日本語の辭書の記述は往々にして中途半端で投げやりである事實を知つておく事。OxfordのPocket Dictionaryくらゐは持つておくといいが、ロングマン邊でも無いよりはいい。しかし、辭書の記述は、當座、文章を書くのに使へればいい、と云ふ程度の内容でしかないので、嚴密な議論の際に持出す時は批判的に利用するのでなければ危險。逆に、相手が辭書の記述を持出した時には、一往こちらでも辭書を參照して確認する必要がある。が、同時に、相手が辭書の記述をどのやうに扱つてゐるかを見計らふ必要がある。辭書の記述を見て單純にその解釋を押附けて來てゐる場合、相手は力押しでこちらを押切るのが目的で、こちらの話を聞き入れる積りがないから、注意が必要だ。
    • 法律や條文についてはウェブに上がつてゐるものを參考にしていい。けれども、理論や思想に就いては、ウェブで議論されてゐる事を安易に參考にする事は出來ない。ソクラテス・プラトンやアリストテレスでも、キルケゴールでもニーチェでも、原典(飜譯で良い)を持つてゐる必要がある。兔に角、古典の解説書や、それを利用した作者の主張してゐる本、二次的な派生本を頼るのは危險で、一度は直接原典に當つてみる必要がある。
    • 一方で、ヤスパースのニーチェ論、ベルジャーエフのドストエフスキー論のやうな、書き手がきつちりと讀込んだ上で精密な解釋をしてゐる本は有益なので、讀んでおくと良い。自分もどのやうに讀まなければならないかが解る點でも有益。
    • ジイドのドストエフスキー論、T.S.エリオットのシェイクスピア論のやうなものもある。これらは「ジイドの」「エリオットの」と云ふ枠組がある事を承知の上で讀むならば有益だが、「一面の眞理」として讀んでおく必要がある。
    • 福田恆存の本、松原先生の著作を讀む――さうしたら、その周邊の本も徹底して讀んでおかなければならないし、さらに一般的な古典・名著も讀んでおかなければならない。實は福田さん、松原先生だけを讀んでゐる間の方が、論理には切れがあると云ふ事になり兼ねないのだが、福田さん的な・松原先生的な物の見方をするとはどう云ふ事かを意識する爲にも、小林秀雄や唐木順三、保田與重郎と云つた人々、T.S.エリオット、D.H.ロレンスと云つた人々にも讀書の範圍を擴げた方が良い。福田さんの『西歐作家論』に出て來る作家の本には目を通しておくべきだ。
    • 漱石の場合、主な長篇を讀んでおく。鴎外の場合、短篇、特に後期の歴史小説を讀んでおく。漱石の講演、鴎外の短文も見ておく必要がある。例へば、假名遣意見の解釋にしても、鴎外の發言を通して見て、鴎外がどのやうな人物であるかを知つてゐれば、どのやうな意見ならば鴎外の言ひさうな意見であるかは、解ると云ふものだ。鴎外は、同時代のものを「守る」等と云ふ觀念は全く持たなかつた人物で、それゆゑ明治の新時代になくなりつゝある江戸時代以前の「古きよき」日本人の生き方を晩年ずつと書き續けた。鴎外は、なくなりつゝある日本的なものを、敗北を承知でずつと書き續けた。假名遣ひにしても、江戸時代の契沖の事を持出して話をしてゐるのだし――それなのに「同時代」の「アクチュアル」なうんたらかんたらと云ふ解釋をしてしまふのは、要はその人が鴎外を理解しないで、自分に都合良く鴎外を歪曲してゐると云ふ事だ。
    • 歴史については、クリストファ・ドーソン、林健太郎、堀米庸三、宮崎市定、或は内藤湖南邊を俺は讀んでゐるけれども、面白いから讀んでゐるに過ぎない(最近トインビーの歴史の研究をサマヴィルの簡約版で讀んだら意外と魅力が無いのに氣附いた)。一往通史として概説書を何册か讀んでおいて常識を持つてゐれば馬鹿にされない。實際には、知識に關するつつこみに對しては、そんなに氣にする必要は無い。相手に「知識がない」と極附けられる事があるけれども、それはさうやつて極附けてこちらを默らせようとしてゐるだけの事だから、議論の本質に關らない事で、無視して良いし、しつこく言ふ人間は、そのしつこさゆゑに非難されるべき人間である事實を指摘するといい。
    • 橋本進吉時枝誠記山田孝雄の著作は、出來れば持つてゐた方が良い。橋本博士の本は、岩波書店から出てゐたが、大學のテキストとして大量に出まはつたので、古本屋で安く買へる。時枝博士の本は、國語學原論は最近岩波文庫に入つた(續篇がまだ)。しかし、戰後に書かれた國語問題に關する本は、絶版で、古本でも入手困難になつてゐる。それらも國語問題に興味のある人は何とかして掘出して來なければならない。山田博士の本は、地方の古本屋には先づないが、專門店に行けば容易に手に入れられる。
    • 論語や聖書は目を通しておくといい。聖書は、文語譯がいい譯文だとされてゐるけれども、斜め讀みするには新共同訳邊を適當に讀んでおけばいい。論語は、宮崎市定の譯を谷沢永一が絶贊してゐたが、それほど突出していい・それだけ讀んでおけば良いと云ふものでもないから、他に二、三册拾つて來て、合はせて讀んでおいたらいい。桑原武夫の評釋は樂しく讀めたが、論語の解説書はどれも解説者の主觀が強く這入り込む傾向があるので、一册だけ讀んで事足れりとするのは危險。呉智英の本でも案外偏つてゐるので、のめりこむべきではない。どちらかと言ふと、論語より聖書の方に魅力がある。論語の現實主義は、日本人にとつては解り易いだけに、それほど學ぶべきところは多くない。聖書の理想主義と論理主義とは、日本人にとつて異質なもので、「自分の外部の世界の思想」として氣をつけて讀むと參考になる(讀めば身に附くと考へない方が良い)。
  6. 『國語學原論』は先日購入した。『續編』も文庫になってゐる。
 |