「合田佐和子 90度のまなざし」展

昨日より、森岡書店銀座店にて「合田佐和子 90度のまなざし」展が始まりました。
『90度のまなざし』は合田さんが生涯にわたって書いた文章から80余本をセレクトした本、今年1月、合田佐和子さんの1周忌に合わせて刊行しました。
そして昨日は巖谷國士さんの講演と岡安圭子さんの朗読の会がおこなわれました。
講演の最初のほうで巖谷さんがおっしゃったのは、同時期に武田百合子さんの遺稿集が刊行されたことを振り返り、武田百合子はもちろん戦後を代表する文章家であるが、合田佐和子の文章も「本物の文章」である、このふたりに共通しているのは「見る人」、「目の人」であったということだ、ということでした。その後、瀧口修造さん宅で合田作品を初めて見たときのこと、合田さんが移住したエジプトの光、制作と生活が渾然一体となった鎌倉の住まいの清々しさなど多くのエピソードを紹介しながら、合田さんが言っていた「レンズ効果」、そこにこめられた「見ること」の意味へと、語りの時間が過ぎていきました。
そして最後に、巖谷さんは「合田佐和子は闘った人だった、ときにはケタケタと笑いながら、周りを怒鳴りつけながら、男性原理で貫かれている既成の美術界、日本のありかたにまったく媚びないで、無視して、ひとりで闘いながら駆け抜けていった」とおっしゃいます。これは合田さんへの冷静な批評にして最大の賛辞であると同時に、今なお闘い続けておられる巖谷さんご自身のことであり、年下の私たちへの「もっと闘いなさい」というメッセージだと思います。
森岡書店に展示・販売されているのは、中上健次「軽蔑」連載時の挿絵として描かれた(そして掲載されなかった)眼玉の鉛筆画のシリーズ、そして「ロゼッタギャラクシー」の油彩です。会期は10日まで、夜8時までやっています。合田さんの「眼」に囲まれた空間へ、ぜひおいでください。




先月刊行された平凡社コロナ・ブックス「合田佐和子 光へ向かう旅」と一緒にどうぞ。

新刊『荒木陽子全愛情集』


7月7日に『荒木陽子全愛情集』を刊行いたしました。長い時間をかけて、じっくり取り組んできた企画です。アラーキーこと荒木経惟さんの妻でエッセイスト、荒木陽子さんが生前に執筆したエッセイ、小説、詩など、これまで単行本に収められてこなかったものも含めたすべてを集め、1冊にまとめたものです。
天才写真家アラーキーに「私を写真家にしてくれたのはヨーコだった」と言わせ、「このポートレイトを生涯私は超えることはできないであろう」という遺影を撮らせた女性。荒木陽子さんは、夫の写真集『わが愛、陽子』に文章を寄せたことをきっかけに、雑誌の連載を担当したり、夫の写真との組合せで旅行記を出したり、エッセイストとして活躍し、天性の文章家と評価されていました。日常のことを天真爛漫につづるその文章の端々には、機敏に本質をとらえる観察力、人の情を感じ取る繊細さ、おとなの女性の官能が溢れています。
亡くなったのは1990年。ですから、エッセイには、今はもうない昭和の時代の映画館やホテルやレストランの名前もたくさん登場します。あの時代を懐かしんだり、おどけた冗談に笑ったり、夫婦の愛に感動したり、ちょっとしんみりしたり。写真のなかの陽子さんが、少女になったり女になったり、豪快に見えたり、はかなく見えたりするのと同じに、ひとりの女性のいろいろな顔を見せてくれます。
そして堀江敏幸さんの解説「ズブズブの現在を生きる 荒木陽子のために」は、陽子さんの文章の魅力、そして、生きることの喜びと悲しみを体現する荒木陽子という存在を、私たちの胸へと伝えてくれます。
ブックデザインは祖父江慎さんにお願いしました。シャネルの真っ赤な口紅をいつも使っていたという陽子さんにふさわしい、しっとりとした手触りの真っ赤な本になりました。784ページの、陽子さんの溢れるほどの「愛情」です。どうぞお手にとってごらんください。




表紙も赤、そしてポートレイト。陽子さん33歳のころと思われます。



ページの奥にも赤い色。



[書名]荒木陽子全愛情集
[著者]荒木陽子
[ブックデザイン]祖父江慎+福島よし恵(コズフィッシュ)
[仕様]四六判正寸/上製本/口絵+本文784頁
[定価]5000円(本体価格・税別)

港の人ショーケース。西荻窪FALLにて

東京堂書店神田神保町店の「創立20周年記念ブックフェア」には、たくさんのかたにご来場いただき、そして、本を手にとっていただき、本当にありがとうございました。ふだんから支えていただいている書店のみなさま、読者のみなさまの存在を強く感じ、おおいに励まされながら20歳の誕生日を迎えられたことは、本当にありがたいことでした。
さて、東京の真ん中から郊外に場所を移し、今度は西荻窪のギャラリーであり雑貨店である「FALL」の棚をお借りして、港の人の本をご紹介させていただいています。
ホロホロチョウのよる』のミロコマチコさんのサイン本、『渡辺のわたし』の斉藤斎藤さんのサイン本、そして、『うつわと一日』の祥見知生さんの落款入りバージョンもご用意しています。どれもごく少部数なので、お早めに。PR誌『港のひと』も配布していただいています。
会期は6月18日(日曜日)まで、約1カ月間。西荻窪は、本好きにとって大切なお店、今野書店忘日舎もある街。ぜひご来場ください。



祥見知生『うつわと一日』

鎌倉駅から港の人事務所へ向かうとき必ず通る御成通り商店街。周囲の庶民的な雰囲気に溶けこみながらも、すっきりと整った表情が際立つ一軒が、全国のうつわファンから注目されているギャラリー「Onari NEAR」です。うつわ祥見の祥見知生(しょうけん ともお)さんは、ご自身のこのギャラリーを拠点に、各地でのうつわの展覧会のディレクションや著作などで活躍されています。
祥見さんはご自身のお仕事を「うつわを伝える」と表現なさいます。蘊蓄や批評とはまったく違う「新しい言葉」、「自分自身の言葉」、そして「行動」で、「うつわはいい」「うつわを愛することは日々を愛すること」と語り続けています。2010年秋からtwitterを始めたとき、その言葉はますます熱を帯びて、溢れ出しました。
よいうつわと暮すことの楽しさや、気に入ったうつわで食べるごはんのおいしさを語るだけでなく、うつわの作り手たちに心を寄せ、土や火へと思いを馳せ、効率や経済重視の今の時代へ、また、バトンをつないでいく未来へと考えを深めていきます。人々を励まし、自分を戒め、ときに迷い、葛藤し、ときに喜び、ときに悲しみ……どの言葉も「本音」の響きを放っています。約6年間の祥見さんのツイートから、そのごく一部を選び出したのが、今回の新刊『うつわと一日』です。てのひらに包まれた、たったひとつの「うつわ」から、私たちはこんなにも多くの愛情や知恵や感情を受け取ることができる……これは驚くべきことです。


「Onari NEAR」の前を通るとき、大きなガラス越しに皿や鉢を手にとるお客さまたちの姿を目にします。その横顔や後ろ姿が、本を読む人の姿と似ているなと思ったことがあります。

優れた器とは、そこに人がいると感じられるものである。たとえ気の遠くなるほど昔に作られた器も、そこに作り手がいる、と感じられるもの。そういう意味で、人の一生の時間を、器は遥かに超えていくものだ。

生活をかえる。水を飲む。ごはんを炊く。器を真正面に置く。ぶれない。よいものはよいし、わるいものはわるい。美しいものは美しいと感じる。喧噪よりも静寂を。

それっぽいものではない、見せかけのものではないものと暮らすことが、結局は、自分の精神も身体も救ってくれるのだ、と最近思う。


これらは『うつわと一日』に収められた祥見さんによる器についての言葉ですが、このまま書物のことに置きかえて読むこともできそうです。
あるいは、読む人によって、他のいろいろなものにも置き換えることができるのかもしれません。現代の食について、人とモノとの関係、仕事と信念について……うつわ以外にも、この本にはいろいろな隠しテーマがあり、これから先も時代の変化につれて、違う可能性を宿していく本のようにも思えます。

これまでたくさんの著作を出してこられた祥見さんですが、このような言葉中心の本を作るのが念願だったとおっしゃってくださいました。地元鎌倉のつながりのなかでの本づくりは、港の人にとっても、特別な思いがあります。
うつわは、どんどん使うことによって育っていくそうです。この本も、読んでくださる人のもとで育っていってくれることを願っています。





奥付に落款の入った特別版は、現在、「Onari NEAR」(鎌倉)と、国立新美術館地階SFTギャラリー(六本木)にて開催中の「土から生まれる展」会場のみにて販売しています。

うつわ祥見HPはこちらへ→

創立20周年記念ブックフェア。東京堂書店神田神保町店にて

2017年の4月、港の人はおかげさまで創立20周年を迎えることができました。日頃、応援してくださっている皆様に謹んでお礼申し上げます。ほんとうにいつもありがとうございます。大切にすべきことを見失うことなく、気を引き締めて、今後も書物づくりにはげんでいきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
さて、節目のこのとき、東京堂書店神田神保町店3階人文書コーナーにて「港の人 創立20周年記念ブックフェア」をおこなっていただいています。これまで刊行した書物のなかから約120点を並べていただいており、港の人としても、久しぶりの大規模なフェアになっています。ふだんはほとんど書店に並ばない学術書や少部数の詩集、在庫僅少の本なども置いていただいています。また、『渡辺のわたし 新装版』の斉藤斎藤さん、『ホロホロチョウのよる』のミロコマチコさん、『シベリウス宣長』『ハリネズミの耳』『散文詩集 鬼火』の新保祐司さんなど、著者のかたがたにサイン本も提供していただきました。
フェアは来月半ばまでの予定です。今月これから刊行の新刊、それから現在制作中のPR誌「港のひと」も順次仲間入りの予定。どうぞお運びいただき、ささやかではありますが一生懸命取り組んできた20年の歩みを見ていただければ嬉しいです。


合田佐和子『90度のまなざし』


2月17日。画家の合田佐和子さんが亡くなって、1年が経ちました。合田さんは53歳のときから、鎌倉でもひときわ静かな一画に住まい、創作を続けておられました。
合田佐和子さんといえば「眼の画家」としてご存知のかたも多いと思います。1991年、中上健次が「朝日新聞」に「軽蔑」を連載したときの挿絵を、8カ月間ずっと眼のデッサンだけで通して注目を集めました。しかし、合田さんのキャリアのスタートは、廃物を使ったオブジェであり、状況劇場天井桟敷の舞台美術、映画スターのブロマイドを素材にした油絵、ポラロイド写真、自動書記など、自由闊達に、そして旺盛に、描き続け、つくり続けてきました。
紛れもなくアーティストであり、眼の人なのですが、その文章も、とても魅力的。どこからこんな自由な言葉が出てくるのかと思うような常識を超えた表現に彩られています。
合田さんが雑誌などに発表した文章を集めたのが、新刊の『90度のまなざし』です。デビュー直後の20代に書いた詩のようなエッセイ、インスピレーションの源泉となっている幼い頃の思い出や、絵を描くときのことから日常のことまで、生涯にわたってたくさんの文章を書いたのですが、そこから82本を選び収録しました。文体は奔放で発想は右脳的ですが、書評や映画評を読めば、とても頭脳明晰な人であることがうかがえますし、寺山修司瀧口修造への追悼文などには、追悼文や人物評にありがちなお世辞じみた言葉は一切なく、でも、合田さんがその人を慕う気持ちや、相手の本質をいかに的確に捉えていたかが伝わってきます。明るくて陽気で、うじうじしたところのないのもよいのです。
次女でコラージュ作家の合田ノブヨさんには、巻末に言葉を寄せていただきました。「好きなように生き、描き、本当に濃い人生だった」と語っておられます。
他人の評価や世間体には耳を貸さずに、自分だけの美の世界を追い求めた合田佐和子さん。『90度のまなざし』には収録しませんでしたが、2003年の松濤美術館での展覧会「影像」のカタログのために書かれた「航海図」という文章から以下に引用します。合田さんの肉体はもうこの世にはありませんが、永遠とは何かということを、魂で教え続けてくれるような気がします。
 

時代のしるしが私達に要求することに正しく向い合ってゆく努力をしていると、近代が到達したものの対極を見出したいと思うようになってゆく。
なぜ古代や超古代には芸術が存在したのか。それを知るためには、もっと霊性にいたる必要がある。




短歌のわたし、小説とかの私

『渡辺のわたし 新装版』刊行記念、斉藤斎藤さんと佐々木敦さんによるトークイベント、一昨日無事終了いたしました。
当日トーク開始の15分ほど前に初めて会い、簡単な打ち合わせのあと、そのまま会場へと赴いたおふたりですが、不思議なほど波長が一致し、話は即核心へと突き進んでいました。対談の相手に佐々木敦さんをご希望された斉藤斎藤さん、短歌のことはまったく知らないとおっしゃりながらも斉藤斎藤さんのことは以前から注目していたという佐々木敦さん、それぞれの発言が相手の心にクリアに響いているのが、いちばん後ろの席にいても手にとるようにわかりました。
短歌と批評、形は違っても同じ時代に「言葉」と格闘しているおふたりが向き合い、率直に語り合う姿は、清々しいものでした。「わたし」「わたしたち」「あなた」……誠実に言葉を使うときに誰もが避けて通れないやっかいな問題から眼をそらさないおふたりのお仕事は、作品を読む私たちを揺さぶり、心を打ち、驚かせつづけてくれることと思います。
寒さ厳しいなか、会場に来てくださった皆様、ありがとうございました。お世話になった、紀伊國屋書店新宿本店の梅崎さんはじめ皆様にもお礼申し上げます。




加護亜依smapをしのびながら控え室でサインをする斉藤斎藤さん。サイン本は紀伊國屋書店新宿本店売場にあります。