小室みつ子 / 映画とかドラマとか戯言など

公式ブログからこちらに引っ越し。試用期間中です。

 『ホテル・ルワンダ』


 ずっと気になっていた『ホテル・ルワンダ』やっと借りてきました。で、さて、見るかーとテレビモニターをつけたら、ケーブルテレビでちょうどアメリカのSFドラマシリーズ『4400』をやっていて、なんとなくそっちを先に見てしまいました。そしたら、4400の帰還者のひとりが治癒能力があることがわかり、研究のために警察が保護しようとしたところ、その帰還者はルワンダからの亡命者(フツ族)であり、元医者で、フツ族民兵に脅されて病院にツチ族を匿うふりをして集め、フツ族が病院にやってきて皆殺しされるのを傍観していたことでルワンダ政府から犯罪者指定されていたことが判明。…なんと、『ホテル・ルワンダ』を借りてきて見ようと思ってつけたテレビで、いきなりやってたアメリカのSFドラマがルワンダの話とは…。不思議で奇妙な感覚に襲われました。こういうのってシンクロニシティって言うんでしょうね。けっこう私、あるんです。だからなんだという話だけども。


 で、そのままドラマ見てたら『4400』の警察官の男性がこのルワンダ亡命者に激しい怒りを見せる。亡命者は虐殺を傍観というより手助けした悪人であり、それを特殊能力があるためにルワンダ政府に渡さず保護するアメリカ政府の方針にも猛反発。男性に向かって「お前は何百人もの人が殺されるのを見ていた人殺しだ」と罵るのですが…。この警官の正義感から出る怒りが私にはどうにも居心地が悪かった。ましてやこの帰還者が治癒能力発揮するごとに帰還者自身の身体が蝕まれて死に至るとわかった時に、その事実に対して「俺は正義を感じるよ」とまで言うところなど、違和感がつのるばかり。というか正義感だけで亡命者を攻め立てるその姿に怒りさえ覚えました。お前が何を知ってるのか、と。いや、私も実際そこにいたわけじゃないですけどね。


 ルワンダでの大虐殺(100日で100万人近くが殺された)、民間人が暴徒化して武器を持ち無差別に殺し合っている異常事態(ツチ族だけでなくツチ族を匿ったりしたフツ族穏健派も殺された)。この警官が、実際にその時にルワンダにいて、この亡命者のような立場に追い込まれても、彼は彼の言う「正義」とやらを成し遂げられたのかと問いただしたくなった。たったひとりで暴徒化した民兵たちに刃向かうことができるのか?と。殺人など想像もしていなかった人たちでさえ、大虐殺に巻き込まれて狂っていった。子供でさえ、死に掛けた人にナタを振り上げて頭をカチ割っていたという、地獄さながらの状況。平穏で人権が守られている国アメリカの警官が、結果として加害者となってしまったひとりのルワンダ人をあそこまで非難するのが理解できなかった。この警官には想像力はないのかなあと…。


 まあドラマのワンシーンでありワンエピソードなんで、どこまで考えて脚本が書かれているのかわからないし、後の展開で警官の意識が変わる可能性もあるのだけど。実際、ルワンダ虐殺後に難民として近隣国に流れ込んだ人たちは、何百人何千人もの人を殺した加害者側だったそうです。そして難民キャンプでも殺戮が行われたこともあったそうな。国際的にこの大虐殺は多数民族フツ族が行ってフツ族=加害者という認識をされているけれど、ツチ族にも犯罪行為はあったようで、未だに行われているルワンダでの虐殺に加担した人たちの罪の検証は遅々として進まずのよう。


【以降ネタバレしてます】


 …と、映画の話より現実の問題のほうばかり先に書いてしまいましたが。この『ホテル・ルワンダ』、最初は興行的に利益が見込まれないとみなされ買い手がつかなかったようですが、ルワンダに起こった悲劇を知ってもらいたい人たちの運動によって上映可能となり、DVDが発売された後はレンタル・ショップでもかなりの人気映画になって、置いてある枚数もけっこうなものです。こうして多くの人たちに見てもらえるのはとてもいいことだと思う。


 ただ、このルワンダの虐殺はあまりにむごたらしい現実で、私はこの映画を映画として見ることができませんでした。『キリング・フィールド』を映画として見て評価とかするべきかどうか…というのと同じためらい。映画自体は残虐なシーンはほとんど描かれてません。だけど、ある日異変が起き、顔見知りの隣人たちがナタを持って隣人を殺しまくる状態に陥る、その怖さは映画からしっかりと伝わってきた。切れの悪い中国製ナタで頭割られたり、手足を切られたりして死ぬくらいなら、銃で頭を撃たれたほうがまだ楽な死に方だと思う。ナタを振り上げて人を殺している遠景のシーンでさえぞっとします。


 最近DVDで見た、旧ユーゴの内戦の話『ノーマンズランド』、エル・サルバドルで起きた内戦を子供の視線から描いた『イノセント・ボイス 12歳の戦場』(これはとてもいい映画です)などもそうだけど、正規兵ではなく訓練もなされてない普通の人々が民兵として武器を持ち、かつて同じ小学校で学んだ知り合いや、恋人でさえも殺しあうようになる、その隣人がある日殺人者となり自分もまたなりうる怖さは、普通の戦争(正規軍同士の戦い)以上だなとしみじみ思います。特に貧しくて、教育が行き届かず、産業も発展しきれていないのに、武器だけはがんがん先進国から入って来て、そこらへんにいる血気盛んな若者が銃どころか、対空ロケット砲まで持ってしまう怖さ。『ブラックホーク・ダウン』でも描かれていましたが、統制のとれた正規軍より、武装して暴徒化した民間人ほど始末に終えないというか手の出しようがない…と改めて思う映画です。


 主役のホテルの支配人ポールを演じるドン・チードルの演技はすばらしかった。悲しげな表情、華奢な身体で、別に自らヒーローになるつもりもなく、シンドラーを気取るつもりもないのに、成り行きで1000人を超えるツチ族の人たちをホテルに匿い、何度も何度も追い込まれる度に、ホテル業で培った臨機応変な如才ない機転や賄賂で乗り切っていく。銃を向けられた人たちをひとり1万フランで買うからと兵士に懇願するシーンなど、地獄の沙汰も金次第そのまんま。彼は飽くまで妻と子供を守りたいために行動したけれど結果的に他の人たちも救った。その描き方が好感です。


 そして映画はルワンダで起こった悲劇を描いてはいるけれど、大げさに残虐シーンを盛り込んで強く押し出して訴えようとはせず、飽くまでポールの視点から淡々と描いている。実際の虐殺のど真ん中のシーンはなくとも、じわじわと周りに異変が起き、気づくと隣人たちが殺しあっている凄惨な状況に陥る恐怖がうまく描かれていたと思います。個人的に感動とか衝撃とか、そういうのは一切感じませんでしたが…。逆に始終醒めた目で見ていたような気がします。ポール一家が無事脱出を果たして、最後に姪っ子たちと感動の再会をして終わるシーンでも、ポール一家が喜ぶ周りに立つたくさんの孤児がいるので、一緒に喜べないし、余計に複雑な気持ちになっただけ…。


 映画を見ていてずっと私の心を支配していたのは、なんというかもやもやとした疑問と空しさと苛立ち。ルワンダの虐殺はポルポトの虐殺のようなイデオロギーによるものでもなく、所謂民族対立でもなく、外国人支配層から独立を勝ち取る戦いでもない。一応、少数ツチ族と多数派で裕福層が多いフツ族の対立構造はあるのだけど、実際騒乱が起こる前までみんなそれなりに混じって生活してるし、主人公など自分はフツで妻がツチだったりする。結婚までするほど普通に一緒に暮らしていたわけで、真っ二つに別れて始終対立し憎み合っていたようには見えない(映画では)。


 だいたい、フツ族ツチ族と言っても、元々違う民族でもなく、植民地時代にベルギー人たちが勝手に肌の色や鼻の幅とかで、「お前はツチ族、あんたはフツ族」って適当に分けて出来上がったもので、実際は民族的違いなど全くない。単に宗主国に都合がいい集合体をツチ族と決めて政権を任せただけのようです。ツチ族フツ族かわかるのは、ID(身分証明書)だけ。IDにぺたんと押された「HUTU」と「TUTSI」という文字だけのレッテルだけの違い。この事実だけは知った時に驚きました。


 だからその構造からして私には納得できない。どうして、彼らはその植民地時代にレッテル分けされただけの「作られたふたつの部族」をいつまでも受け入れて、「自分はフツだ」「私はツチよ」と自ら言っていたのか…。独立して自分たちの政府ができたのなら、「我々は違う民族ではない、同じ民族だ」と、植民地支配が残した禍根をなくし、新しい価値観を築く努力ができなかったのだろうか…と、本当に傍観者で現状を知らない故の素朴な疑問が渦巻いてしまうのです。ツチ族が政権を取っている間、フツ族とされた人々は抑圧された怒りをずっと抱えてきたのだろうけれど…。でも結局、ヨーロッパの植民地政策時代の価値観にずっと翻弄されたままというのが悲しい。


 それと、ルワンダから撤退する多国籍軍や報道関係者、その他の白人たちを非難することは簡単だけれど、内戦に関しては不介入の国連の姿勢はしょうがないのではないのかと私は思ったりします。介入したらしたで、結局反発を受ける。石油もダイヤモンドもないルワンダは助けるに値しない国だったという裏事情があるにしても、介入しないで背を向けた白人たちを責める気にはなれない。冷たい視点だとは思うけれど、自国をまとめられる強い政府・体制を築けず、そういう内乱状態に漬け込んで武器を輸出してくる先進国たちの食い物にされていたアフリカの国自体にも問題があると思ったりするのです。


 国連軍の大尉ニック・ノルティが、なんとなく国連や世界が助けに来てくれることを期待していたポールに言う言葉、「君たちは黒人だ。ニガーでさえない。アフリカ人だ。(だから欧米は無関心だ)」が現実であると思うし、報道カメラマン役のホアキン・フェニックスが言う言葉もまた真理。「世界の人たちはニュースを見て、まあ、なんて酷いこと…と言って夕食に戻るだけだ」。実際に私たちは過去にルワンダのニュースを見ているはずなのに、覚えていなかったり、ああかわいそうにと思っても、次の瞬間には夕飯を楽しんでいたはず。それなりの年齢になった今は災害のニュースを聞けば赤十字に募金くらいはするけれど、それ以上のことはできないし、たぶん普段は忘れてる。


 この映画を見て、何も知らなかった、何もしていなかったことを恥じる人もいるでしょう。鬱になる人もいるでしょう。だけど、ポールやその他のルワンダの人たちにとっても、他の世界で起きている悲劇はやはり他人事だったりする。人間はそういうもの。だから、最後に撤退したとはいえ、外国の紛争に巻き込まれた人たちのために、現地に行き、手を差し伸べようとする人たちは本当に偉いなあと思う。『ブラックホーク・ダウン』見た時、「ああ、絶対兵士になんてなりたくない。自分の国でもないのに、なんでこんな目に合って助けに行かなくちゃいけないの?自分の家族を自国で守って死ぬならまだわかる…。ソマリアから撤退したってしょうがないよ…」と思った私からしたら…。だからといって、知らないままいていいとは思わない。この映画の意義も尊重します。


 そしてこの映画は、声高に悲惨さを訴えているわけでもなく、見捨てた先進国を非難しているわけでもなく、この国に起こった恐ろしい出来事を淡々と見せることで、見た人たちに考えてもらいたいという、ある意味謙虚な演出であるところが、私は好きです。こういう悲劇が起こると、非難をする対象を求める人たちがいる。悪いのは植民地化した上に見捨てた欧米、悪いのは学ばないルワンダの人たち、悪いのはただ傍観していた世界中の人たち…などなど、いろいろ言えるし、どれも真理はあるかもしれない。でも、私は誰かが特別悪いとは未だに思えず…。内戦が絶えず、治安も悪く、未だに暗黒時代のような国があるアフリカ(特にサハラ砂漠以南)。飢餓、貧困、疫病、ゲリラによる抑圧や弾圧。絶えることのない争い。アフリカだけの問題ではないのだけれど…。日本だって明日戦争が始まってるかもしれない状況なのだから。


 世界のあちこちで紛争があり、たくさんの人たちが虐殺されたり弾圧されたりしていることを知りつつ、私はやはり今日も明日もまた、のんびりと映画見たり食事をしたりしている。数日間ルワンダのことを考えたとしても、いつか忘れているのでしょう。でも、人間は状況によって扇動されれば恐ろしいことができてしまう動物なのだという気持ちは消えない。こういう映画を見ると、同情とか怒りとかより、私は厭世というか人間嫌悪のほうに気持ちが行ってしまうのですよね…。冷たい人間なのかも。


 この『ホテル・ルワンダ』は、もしかしたら『ロード・オブ・ウォー』(私的今年見た中での最高傑作)と一緒に見るといいかもしれません。内戦を抱えたアフリカの内側から見た映画と、その国たちに武器を売り歩く武器商人を通してみる国際社会。アフリカだけでなく先進国を含めた裏社会。武器輸出大国は、中国・ロシア・アメリカ・イギリス・フランスなどの国連常任理事国という皮肉。国連は必ずしも正義を行う機関ではなく、第二次世界大戦戦勝国が作った国同士の利益の駆け引きをする場所であることも忘れてはならないと思います。そして、武器だけは先進国並みになってしまったアフリカ…。日本からは遠いけれど他人事ではない。