小室みつ子 / 映画とかドラマとか戯言など

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 『父親たちの星条旗』

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父親たちの星条旗

父親たちの星条旗


 見てからすでに数日経っています。なのにこの映画のことを考えると情緒不安定になって泣けてしまう…。映画を見ている瞬間よりも、見終わった後にじわじわと心に浸透してくる感じです。


 戦争映画は嫌いじゃないです。でもこの映画は内容が内容だけに見たい気持ちと、ああつらいなって思う気持ちが入り混じっていて、いつものようにわくわくと映画館に行くというのとは違ってました。


 日本軍がほぼ勝つことを諦めつつも、制空権を握れる貴重な硫黄島を一日でも長く死守するために草木も水もない岩の島でゲリラ作戦のために穴を掘り続けた。その壮絶な抵抗のためにアメリカ軍が「5日で終わる」と思っていた戦闘が1ヶ月越しても終わらなかった。日本軍は全滅。アメリカ軍も膨大な戦死者を出しての勝利。この厳然とした史実があるので、実際遠い過去にその戦場にいた兵士たちのことを思うと、両軍どちらの兵士も激しい戦闘シーンを見てるだけでかわいそうでつらくて泣けてきました。


 なによりむごいのは、現代のようなハイテクな武器も偵察能力もない時代のこと。戦闘はとにかくどれだけ兵力を投入するかという数で決まる。ノルマンディー上陸作戦もそうですが、前線で真っ先に上陸していく兵士たちがバンバン撃たれて倒れていく。それでも前に進み続ける兵士たち。10000人投入して100人生き残って敵が全滅すれば一応勝利ではあるけれど。最初から多大な犠牲者を想定しての戦いは前線の歩兵たちにとって地獄でしかない。無数の屍の上に到達する勝利。勝ったとしても生き残ったものたちの心の傷はあまりに深い。


 そういうむごたらしい戦闘を、イーストウッド監督は今まで見たことのないような構図で撮影してました。無数の戦艦の間を低空飛行していく戦闘機のシーンや、島の壁面に作られた日本軍の要塞(トーチカ)を狙って沖の戦艦から容赦なく砲撃が浴びせられるところとか。それは10日間も続いたそうな。それでも日本軍は凌いだ…。日本人として彼らに畏怖さえ感じると同時に、やはりかわいそうでたまらなくなります。


 戦争を始めるのは軍隊ではなく為政者。無邪気に志願した10代の兵士たちに戦争の意義が伝わっていたのかどうか。ベトナム戦争だか朝鮮戦争だかで徴兵拒否したモハメッド・アリは「個人的になんの恨みもない相手と殺し合うのなんてごめんだ」と言ったそうな。実際、会ったこともなく憎しみもない相手と殺し合いをすることの空しさ。それでも時代は戦いを選ばざるを得なかった。その中で兵士たちは戦争の意義とかなど考えることもなく任務を遂行する。でもそこは地獄。どこから敵が襲ってくるかわからない極限状態の恐怖の中で、生きるために、仲間を守るために見知らぬ敵に銃弾を浴びせナイフを突き刺す。原始的な恐怖は人間性をなくさせ冷静な判断も失わせる。友軍同士の撃ちあいも当時は相当多かったはず。


 兵士たちもすべてが規律を守るりっぱな兵士であったわけではないから、捕虜虐待やら国際法違反をした兵士も当然いたでしょう。だけど極限状態の戦場の真ん中にいて、生きるか死ぬかの恐怖の絶頂で襲ってくる敵に容赦を見せる余裕などないと思う。私がもし戦場に送られたら、自分がどういう行動を取るのか想像もつきません。ひょっとしたら恐怖のあまり残虐行為をするかもしれない。それか恐怖に負けて自決するか…。戦場に行かなかった者が戦場で戦ってきた人たちのリアルな気持ちなど到底理解できることはないと思います。どれほどの映画や本を読んでも…。


 世の中には軍隊=戦争を始めるもの=悪という思考に固まっている人たちがいます。その信念の元に自国の兵士を侮辱するようなことも言う人がいる。過去の戦争で戦争犯罪を犯した兵士もいるでしょう。でも、非難する前に想像力を使ってみてほしい。もしあなたたちが実際に戦地に送られたら、果たしてあなたたちが言うような人間としての高潔さを保てるのかどうか。戦場に行ったことがないのに簡単にそこで戦った兵士たちをジャッジすることは難しいと思うのですが。


 それにしてもクリント・イーストウッドの相変わらずの冷徹な視線。壮絶な戦闘シーンでもことさら悲惨さとか怒りとかを前面に出さず、淡々と静かに出来うる限りの時代考証と共に語っていました。特に戦場のシーンと交互に映し出されるアメリカ本土でのお気楽な民衆や政治家や軍部の上官たちの描き方は憎憎しい。硫黄島に国旗を立てた3人を呼び戻し「英雄」として祭り上げ、軍事資金のための国債宣伝のために全国ツアーをさせる様子など、非常に辛らつでシニカル。戦場に行ってない人々たちの無神経さは見てる私でさえ傷つく。戦場のシーンより本国の話見てるほうが人間が嫌いになる。そしてパーティで出された、この映画の骨子でもある国旗を立てる兵士たちの姿のミニチュアケーキ…。そこに真っ赤なクランベリーソースをかけるシーンなどぞっとしました。血にまみれた多くの仲間の死に際を見てきた衛生兵にとって、それはただただおぞましいものにしか見えない。


 この映画は所謂「戦争映画」の範疇には入らないような気もします。監督が描きたかったのは、戦場にいる兵士と、アメリカ本土でリアルな戦場を知らないままいる国民との気持ちの大きな乖離であり、悲惨な戦場と対比するように挿入される本土でのバカ騒ぎの愚かしさであり、そして、旗を立てただけで英雄にされた兵士3人の苦悩だったと思います。英雄にされるのをひたすら拒んだインディアンのアイラは、実際「250人の仲間がいて生きて帰ってきたのは27人しかいない。これで自分が英雄と呼ばれるなんて恥ずかしい。耐えられない」とインタビューで答えていたそうですが、この気持ちこそまっとうなんではないでしょうか。仲間が死んでいくのを黙って見ているしかなかった上に生きて帰ったら英雄扱い。精神的拷問です。


 それと実際に硫黄島で戦った人たちの記録を丹念に追って作られた原作なので、ドキュメンタリータッチでもあるところが、異色の戦争映画になっています。第2弾の日本側から描かれた『硫黄島からの手紙』。私は冷静に見られるのかどうか…あまり自信がないです。死ぬことはわかりきった上で本土にいる者たちが一日でも長く生きられるようにその島で戦った人たち。いろんな人がいたでしょう。卑怯者も正直者もいただろうし、勇敢でまっとうな人も、卑劣な人もいたでしょう。でも、彼らは確かにそこで戦った。自分のためか、仲間のためか、祖国のためか、本人にしかわからないけれど。映画を見終わっておいしい食事をし、車でゆったりと帰宅し、お風呂に入り、眠りにつく自分。裕福な国となった今に生きる私たちの生活は、過去の戦争で死んだ人たちの屍の上に成り立っている。民間人も兵士も等しく、その時代を生きたことに敬意を払いたいと思う。映画を見ていて、ずっと頭の中に浮かんでいた言葉は鎮魂でした。彼らの魂が平穏でありますように…。


 …と、戦争のことばかり真面目に語ってしまって、映画の感想ではなくなってしまったみたいです。映画としてもすばらしい。映像の微妙な色合い、戦闘シーンの斬新さ。抑制の効いた台詞と演出。これほどイーストウッドの演出がハマった映画もないかもしれない。『ミスティック・リバー』も同じ感じだけれど、こっちは嫌いな人もたくさんいただろうなと思う。私は傑作だと思ってますが。


 そして俳優陣で光っていたのはやはり主人公の衛生兵ドクを演じたライアン・フィリップ。どう見ても二十歳そこそこに見えるしその年齢の役どころなのに、実際は30歳過ぎてることにびっくり。『クラッシュ』でもまっとうで誠実な若き警官役をやってましたが。あのナイーブな眼差しがいいのかな。これから楽しみな役者さんです。


 すばらしい戦争映画は数々ありますが、そういうのを見るたびに見終わった後も心にずっと突き刺さったまま、自分が現代に生まれていかに幸運かと思うと同時に、あの時代に生きた人たちの過酷さを思って頭を垂れる気持ちがずっと続いています。自分に子供がいたら絶対戦争に行かせたくない…。でも有事になれば、私は何かしたいとも思う。日本のために。戦争は嫌だけれども、軍隊は否定しないし、戦争も政治的解決が難しい場合最後の最悪の外交手段としてはアリだとは思う。それをいかに回避するか。そのためには国の元首だけでなく国民すべてが冷静に対応し、リテラシーを高めるしかないかなと思います。そしてマスコミに正常な判断と倫理観を期待したい(まあ無理だろうけれど)。マスコミはどんどんひどくなってきているようにしか思えないから…。


 クリント・イーストウッドを改めて尊敬した映画でした。とてもいい映画です。エンドロールではモデルとなった実在の主人公たちや兵士たちの写真が出てきますが、それを見ても泣いてしまう…。みんな若々しく、愛らしく、無邪気そうな笑顔を見せていた。ラストシーンもすばらしい。ひと時、海で無邪気に戯れる兵士たち。そこが何百人もむごたらしく死んでいる戦場であることをふと忘れさせてくれ、なんともいえない静寂とせつなさが漂って、とても美しかった……。