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今こそ世界史の教養が必要


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文藝春秋SPECIAL」2015年夏号(文藝春秋、2015)[Kindle版]



 本書のタイトルは「教養で勝つ 大世界史講義」だ。世界史ファンにとってはこの価格でこれだけ読めれば満足だろう。最初の池上彰佐藤優の対談だけでも価格以上の値打ちがある。「世界史から何を学ぶか」(野田宣雄)や「『イスラム国』指導者の歴史観」(浅川芳裕)や「ムスリム商人が作った中世グローバル経済」(宮崎正勝)、「ウェストファリア条約宗教戦争』の終わらせ方」(佐藤健志)や「人口減がニュートンライプニッツを生んだ」(柳谷晃)、「フランス革命が明かす『暴力』と国家の真実」(萱野稔人)や「南北戦争は世界初の『総力戦』だった」(阿川尚之)も読ませる。

 「カタヤマ教授、世界史入試問題を解く」(片山杜秀)を一緒に解いてみるのも楽しい。1943年10月の宣言を答えさせる一橋大の問題はすさまじく難しいが、片山は出題の問題点(宣言の主語のこと)を批判しており、真剣なバトルを見る思いだ。

 対談「日本人よ、世界史で武装せよ ドローン、宗教戦争、そして核の脅威──『分析不能』の現代を読み抜く」で佐藤優が明らかにする2015年の国際情勢は、現実問題に対するアクチュアルな感覚を呼び覚ますと同時に、その背景にある世界史をもっと知りたいという渇望をかきたてる。佐藤のこうした発言は外国政府から警告を受けるほどの、観方によれば物騒なものである。

 その発言を少しだけ拾う。プーチンの核発言(クリミア半島併合をめぐって、「核戦力に臨戦態勢を取らせることも検討していた」と2015年3月15日に発言)が単なる失言でないことを、イランをめぐる動きから解き明かす。4月2日の米英独仏露中の六ヵ国とイランとの間で結ばれたイラン核問題に関する枠組み合意について、「ロシアは、アメリカがイランの核保有を容認したと判断した」と佐藤は読む。この合意ができたとたんに、イエメンの内戦激化が始まる。

 サウジアラビアパキスタンの秘密協定が実行されると、カタールオマーンアラブ首長国連邦などがパキスタンから核を買えるようになる。さらに、「エジプトは自力開発するし、ヨルダンも自力で開発できると思う」と佐藤は言う。結局、「二〇一五年は、核という最大のパンドラの箱が開いてしまった年だと思います」と述べる。それは「世界史のステージが変わってしまったことをも意味するのではないでしょうか」とも。

 この対談は繰返し熟読するに値する。本書は全体として、世界史上の重要な問題について有益な展望を与えてくれる。名前は挙げないが中にはお粗末な論文もあるけれども。

 これだけ勉強になってこの値段は安い(評者は Kindle 版で読んだ)。高校以来の世界史のブラッシュアップにも役立つだろう。

 「達人10人が選ぶ 教養力増強ブックガイド」というセクションがあり、いろんな人が推薦書を挙げている。この中では、松原隆一郎が挙げる三冊が興味深い。題して「奴隷貿易とポピュラー音楽」。「高校時代、世界史はつまらなく感じる教科の最たるものだった」と語る著者が挙げる書だから、面白くないわけがない。もうひとり、高島俊男が「日本を元気づけた古典」として挙げる、「世界史の教養書を三つ」もユニークだ。

 巻末の「白熱座談会 黒船が来た! 日米中衝突の宿命 世界史の中の幕末明治 半藤一利×船橋洋一×出口治明×渡辺惣樹」も面白い。幕末から明治にかけての奇跡の十五年をめぐる日本と世界の情勢比較は示唆に富む。気にかかるのは、百五十年後の日本の外交官の存在感が希薄なことだ。能力も教養も不足していることが窺える。猛勉強と、それを活かす主体的戦略的意志が必要ではないか。一般読書人にとり本書に書かれている程度が常識となる世の中になれば、彼らが「外交のエリート」などと嘯くことはもはやできなくなるだろう。今こそ世界史の教養が必要だ。