2005年07月18日
■白いヤツ
近所の書店で、ホワイトバンドが「7月中旬入荷分は、予約分のみで完売しました」になっていた。ヤフオクにも出てるようだし、この夏のファッションアイテムのひとつとして認知されてるんだなと感じました。
シリコンゴムは燃えるゴミなのか燃えないゴミなのか、発売元はちゃんと案内しておいたほうがいいんじゃないかと思います。
■[群青色]ここから哲学です?
http://homepage1.nifty.com/kuwajima/lac100/explanation/20010910....
光と色の100不思議−光と色のお話−赤いリンゴはどうして赤く見えるの?
赤いリンゴに青緑(シアン)の光を当てると、赤いリンゴは黒くみえるんだって・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%B2
色 - Wikipedia
このウィキペディアの説明にあるように、目は網膜に3種類の細胞をもっていて、それらはそれぞれ赤の波長に反応するセンサー、青の波長に反応するセンサー、緑の波長に反応するセンサーとなっています。その3つのセンサーの反応の度合いの組み合わせで人間は色を見ています。だから赤の強い波長がきたときには赤のセンサーだけが強く反応し、脳では真っ赤な色を感じるのです。
っていう風に高校で先生が同じ質問に答えてました。いい先生です。
http://www.hatena.ne.jp/1121527958#
人力検索はてな - 赤い色が何故「赤く」見えるのか教えてください。赤色が波長700nmに対応していることは知っています。そういうことではなくて、私が知りたいのは、700nmの光が、何故、青や..
波長700nmという外界からの視覚刺激により、脳内の特定部位の決まった活性により「赤」の認識を得ます。
という感じのがオーソドックスな説明ですよね。でもそれだけだと物足りない、私もそうです。
その立場から、少し思うことを。
・物足りないのは、自分の意識について言及されない点だと思います。脳内の活性が、自分が見てる「赤」と実感としてなかなか結びつかない(頭ではとりあえずわかるけど)。
・あなたが頭の中で認識している「赤」と私が認識している「赤」の色は異なる可能性があります。
外界からの同じ刺激によって、違う脳に同じ活性(構造)が起こるとは限らないから。ただ、今まで生きて学習してきたおかげで(感じているものは違っても)同じものを指す記号(言語)が共通化されています。
・あなたが、意識レベルで「赤」をどのように感じているか、おそらく私には分からない。説明もできない。
・自分が波長700nmから受ける脳の活性が、なぜ自分の意識レベルの「赤」になっているか未だ未解決。
以上よろしくです。
わかりやすくないかも…。
人間の目の構造上のもので網膜に700nmの光が当たるとその信号を視神経が脳に伝えられ脳はその信号を赤と認識しています。ちなみにミツバチは紫外線は見れますが赤色は見えないらしいですよ。他にもURLを載せましたので参考にしてください。色と光は本当に不思議です。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1425767
[教えて!goo] 色と波長の関係―吸光スペクトル
参考にしてください。
参考にしてください。
波長700nmの光が「赤く」見えるのではなく、その波長の光を「赤」と呼ぶように人間が決めただけのはずです。よって、その波長の光を感知する細胞がない赤色色盲の人には「赤く」見えるようなことはないはずです。
質問の意図と合致しているかはやや不確かですが、波長700nmの光が赤く見えるのはなぜかいという質問ですが、そもそも色は、連続したスペクトルの一部分を区切り、それに名前を付けただけのものであって、波長700nmの光が「赤」に見えるのではなく、波長700nmの光を「赤」と定めたものにすぎません。
色については、もっともわかりやすい例として、虹の色の数についてのそれぞれの文化による差があげられると思います。日本では虹は7色であると考えられていますが、諸外国では必ずしもそうではありません。これは端的に色が主観的な区分にすぎないことを表しています。
http://www.colordream.net/howto.htm
?F????b?m??
プリズムの虹色(七色)の可視光線で一番波長の長い光線が赤です。光の成分の赤い光線を反射(屈折)して赤い色に見えるといことです。また、私達の目の網膜の色を見分ける機能が赤を感じるということです。
http://www.colordream.net/taihi.htm
?F???????
URLは直接関係ありません
私は、すべての生化学反応は化学反応によるものであるところからこの疑問を自分なりに解決しました。
目の可視光を感知する細胞の中に含まれる、700nmの光を吸収する物質を使用すると
脳で「赤に見える」と判断する。
と考えています。
それは、例えば、白い紙に10cmくらいの円などの図形が書かれた紙を直射日光の明るいところで見つめ
その後、何も画かれて白い紙をみつめると
補色が浮き上がってkるという実験から推察しました。
赤い●を見つめた時に、赤を吸収する物質が
細胞から少なくなり
その後、平等に届く可視光を見ても赤の波長を吸収するその物質が少ないので、
赤以外の波長が届いていると脳が判断し
補色が現れてくるという考えからです。
自分では結論付けてしまいましたが、
しかも、中学一年生のときに思いついた理論なので、真実かどうかは自信ありません。
URLはダミーです。
なぜ青や緑ではなく、「赤」に見えるかという問いですが、答えはあなたが「その色」の名前を「赤」と教わったからです。
色の名前「赤」「青」「緑」があるとします。
それとは別に、物理的な色「A」「B」「C」があるとします。
あるヒトには、
「赤=A」「青=B」「緑=C」
と見えていたとします。
でも、別のヒトには、
「赤=B」「青=C」「緑=A」
という様に見えているかもしれません。
でも、自分が見える色を「この色は赤と呼ぶ」と教わったので、誰もが同じように「これは赤い」と答えます。
でも、それぞれのヒトの脳内でどのように表象されているかは、確かめようがないですから、本当に他人と自分が同じ色として感じているかはわかりません。
http://www.hatena.ne.jp/1121527958##
人力検索はてな - 赤い色が何故「赤く」見えるのか教えてください。赤色が波長700nmに対応していることは知っています。そういうことではなくて、私が知りたいのは、700nmの光が、何故、青や..
その問いは、私はなぜ他の誰でもなくこの私なのか、などの問いと同様に、それ以上答えようのない領域に入ってしまってると思われます。
あえて答えるなら「たまたま」と言う他ないのではないでしょうか。
http://itaru-m.hp.infoseek.co.jp/coffee/108.htm
ブレーク108・脳が見ている画像は正しいか?
まさに私が疑問に思っていたことです。
で、この答えは永遠に解決できないでしょうが、ヒントとなる実験を。
たとえば、赤が青く、青が赤く見えるメガネを掛けて1週間生活する。
そうやって、脳のどの部位が使用されているか調べる。
生活していくうちに、最初青く見えていたものが赤く、赤く見えていたものが青く見える可能性があります。
ウソと思われるでしょうが、逆さメガネを数日掛けていると、脳の方が補正して、数日でちゃんと見えるようになるそうです。
http://www.kurabo.co.jp/el/room/color/page1.html
クラボウ/[知識の部屋]色の話
成長の過程で赤と教わったからでしょうね。赤の範囲は個人で異なるかもしれませんが、概ね特別に視覚に問題が無い限りは、他人でも一般に赤という色を認識できます。
http://www.xsunx.org/columns/2ba_jiko/kanjou_bonnou.htm
xSUNx>感情がもたらす煩悩について
edgeover 様は「色」について尋ねておられますが、ご質問の意図するところはこちらの方が書いておられるように例えばなぜ甘いと感じるのかという問いにも通じるものと考えてよろしいでしょうか?と確認してみても、実は真に科学的な答えはまだ得られていない、というのが現時点での解答になってしまうとは思いますが、これは脳の記憶回路がどのように形成されるのか、という問いではないかと考えます。
http://www.scj.go.jp/omoshiro/kioku3/kioku3_2.html
日本学術会議_おもしろ情報館
なかなか適当なURLが見つかりませんが、赤色を脳が「赤い」と認識できるのは、こちらで示されている「手続き記憶」の一種と解釈できます。つまり、700nm周辺の波長による刺激には「赤い色だ!」と反応するように記憶に刻まれているということです。ただ、他の手続き記憶、例えば泳ぎを覚える、といったことと違って、色や味を記憶に刻むのは、自我が芽生えるよりも早い時期から行われますよね。ですのでこの「記憶に刻まれる」という実感がないにも関わらず、赤色を「赤い」と認識できることが不思議に思われるのもごく自然なことではないかと思います。
しかし、先の回答者様が示されていましたが、例えば虹の色を何色に識別するかといったことも同様に、その光の波長に対してどのように反応するかという記憶の形成が、各国の分化によって後天的(自我が芽生えた後で)に矯正されてしまった結果であるといえます。ご質問から翻って、実際には赤色と認識される波長にも幅があり、厳密には一色ではないわけですが、にも関わらずそれらがすべて「赤く」見えるのは何故?と考えていただくと、感覚的に理解していただけるかもしれません。
http://www.tdk.co.jp/techmag/magnetism/zzz22001.htm
第22回「感覚と磁気」|TDK Techno Magazine
質問者の疑問点は「なぜ700nmの波長を見ると、血液などを連想する「赤」を思い浮かべるか」ということでしょうか?
だとしたら色覚異常の線で調べたほうがいいと思います。
http://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2004/pr20040727_2/p...
プレス・リリース 乳幼児期の視覚体験がその後の色彩感覚に決定的な影響を与える
これはどうですか。
http://www.qualia-manifesto.com/index.j.html
Qualia Manifesto Japanese Page
参考になるかはわかりませんが、脳科学の茂木健一郎さんのHPです。
この問題は、いろんな哲学者や科学者達が論じ続けて結論の出てない問題だと思います。答えが分からないだけでなく、どういう種類のことを言えば「答え」になるのか、それさえ分からない人が多いのではないかと思います。
そんな難しい(どう答えてよいのかも分からない)問題に「わかりやすく」答えるのは、ほぼ不可能であるように感じます。
どのような種類の答えをすれば「なぜ」に答えたことになるのか、まずその点をedgeoverさんが論理的に説明していただければ、少しは答えやすくなるかもしれません。
赤に見えるのはその波長の光を見た刺激を赤と呼ぶという学習によるものだと思います。
例えば血の色=赤いという図式は学習したものであり、それは世の中で一般的に共有されているものです。
もともと色というものは感情を表す「怒る」「悲しい」などのように主観的で抽象的な事を相手に伝えるために具体的な概念としたものだと思います。
ですから原色(と呼んでいる規定されたものもの)を見たときにほとんどの人が同じ色の名前を言える一方、曖昧な暗い青とか緑がかった茶色とか言うものを聞いたとき頭の中で想像するものは原色の場合よりも個人差が大きいと思います。
>>「この色は赤と呼ぶ」と言ったとき
>>この色は何故この色に見えるのか
ではなく、この色に見えるものをなんと呼ぼうか、がまず最初であり、「この色」=「赤」と規定したのが次に来るのだと思います。
そしてその規定されたものが受け継がれていった結果、その感覚を「この色は赤と呼ぶ」という言葉で説明するようになったのではないでしょうか。
ちなみに3原色というのは人間の主観的なものです。
人間が赤、青、緑を識別する細胞を持っているからそれで色が作られているだけです。
ある種の魚は4種の識別する細胞があるためその魚の世界は4原色で出来ているのです。
http://www.msn.co.jp/home.armx
MSN Japan
URLはダミーです。
意図した答えと違うようですので改めて解答させていただきます。
その前に先のsdskさんの答えにあるので、「甘い」がなぜ「甘い」と感じるかを例に挙げます。舌の味蕾が「甘い」と判断するのは糖分をセンサーのように感じ取った場合です。その理由として一説には「糖分は人間にエネルギーとして有用であり、快楽的なものの一種として判断することで摂取を促進する」というものがあります。つまり「甘い」は人間が進化の過程で自己の生命活動を円滑なものにするために作られた一種の分類の一つに過ぎず、またそれは多分に概念的なものであるということです。
そこから考えると、「赤い」もそれと同様とできるのではないでしょうか。一般に、自然界において我々が「赤」というものには有毒なものが多いです。それはベニテングタケやヤドクガエルに見られますね。いくつかの生物において「赤」が危険や警告の色として共通に脳で認識されるとすれば、それもまた一種の分類の一つなのではないでしょうか。視覚が発達した人間や、威嚇のできない小動物などが、遺伝的にある特定の波長を「赤」という強調・警告の分類の一つと認識するようになっており、それによって毒のある植物を見分けたり、動物ではその認識を利用して毒があることを周りに伝えることで、それぞれの生命活動を円滑に行っているとすればどうでしょう。ですからなぜその分類が「赤い」でなければならないのか、というのはおそらく「偶然そういう色をした有毒なものが多かった」とか、「脳の神経や目の細胞の反応に割り当てやすかった」とか、納得するには根拠の薄いものになってしまうでしょう。
Yahoo! JAPAN
URLはダミーです。
「赤」という色に対して人類全般が持っている共通印象が何故形成されたか、
というのがお聞きになりたいポイントだという推察の元にコメントします。
赤に対しては扇情的・あるいは危険な印象を持つ人が一般的には多いと
思いますが、これはやはり人間の血液の色が赤であることから進化の過程で
形成された感覚だと思います。その他の色に対する印象も同様。
色覚以外の感覚としては、髪の毛などのタンパク質が燃える時の臭いに
大抵の人が嫌悪感を覚えるとか、動物の子供の手足の短い体型に共通して
愛らしさを感じるのも、同様の理由で形成された印象・感覚だと思います。
edgeoverさんが述べられいる色の感覚は,クオリアのことだと思います。クオリアとは,「赤い感じ」「甘い感じ」のように、意識の下で感じる様々な質感のことです。クオリアが生み出される仕組みは,ほとんどわかっていないようです。
http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/12/mach.html
HPO:個人的な意見 ココログ版: 対話、ネットワーク、そしてマッハの原理 Mach!
意味的なネットワーク(関係性)においてのみ、700nm程度の光が「赤く」見えるのだと思います。そして、そのネットワーク(関係性)は、夕日や血と連結していると感じます。マッハの原理ではないですが、関係性においてのみ「意味」を持つのだと感じます。
URLはダミーです。
少し哲学的なことになってしまいますが、光の色を人がどう認識しているかは、第三者にはわからないということです。つまり私が見ている700nmの光もあなたが見ている700nmの光も同じ「赤」なのですが、脳の中でどのように認識されているのかは比較できないのです。色の表現が言語化された場合は、それまでの記憶とその文化によって700nmの光を表現してしまうので、仮に脳の中での色の感じ方が違っていたとしても、区別さえされていれば同じ表現になってしまいます。
わかりやすく説明すると例えばモニターの見え方の違いです。モニターやテレビでは光をいったんカメラで電子的な信号に変え、ふたたび光を再現し映像を作っています。同じ電気信号を処理してもわずかに光の再現力は変わってしまいます。しかし、一台のモニターしかなければ700nmの光が仮に青く表現されていても、比較することは出来ません。
目や脳の働きが正常である以上、700nmの光は毎回同じように「赤」と識別されます。しかし、各個人が描いている700nmの光はあなたが識別している「赤」と同じではないと考えるほうが自然だと思います。色弱や色亡の検査は「認識」力を調べているだけで、すべての人が違う「赤」を認識しているかもしれません。ただ人間はDNAによって設計されていますからある程度は近い認識をしているのではないかと、個人的には感じています。
URLはダミーです
この疑問、私も時々周りの人に投げかけて見るんですが、なかなか
満足いく答えが得られません。そもそも、質問の意図を伝えることが
本当に難しく、「なに言ってるの?」という対応をされることも
しばしばです。私自身の鬱憤を晴らすという目的もかねて、私なりの
意見を書き込ませていただきます。私も答えを見つけているわけでは
ないので、おかしな意見になってしまうかもしれませんが、
ご容赦ください。
edgeoverさんの身の回りに、けばい色の服を着るのが好きな方はいませんか?
思わず「何でこの人はこんな色が好きなんだろう?」と思ってしまうような人、
きっと一人ぐらいはいると思います。でも、その人は本当に『けばいと感じる色』
が好きなんでしょうか?
3の方もおっしゃっているように、あなたとその人とでは見ている色が違うかも
しれません。その人の目に映っている色は、あなたにとってのおしとやかな色に
見えており、本人はいたって地味な装いのつもり、ということも考えられます。
上の例がいい例かどうかは分かりませんが、ある色がある色に見えている、という
のは個人の主観であり、そこに普遍的な理由はないように思います。あえて答えを
求めるなら、「赤が赤く見えるのは、edgeoverさんが見ているから」では
ないでしょうか?
人力検索はてな - 質問一覧
URLはダミーです。ご質問は、換言すれば「私にとって、世界はなぜこのような世界なのか」ということになろうかと思います。つまり外からの光や音や味などの刺激に対する反応が、なぜ「私」に「今のこのような世界となって写るのか」ということであると。
まず光の波長や網膜の細胞や脳のどの部分が反応しているかといった要素は、ハード面の話です。それに対してあなたがお知りになりたいのは、「意識」というソフト面の話だと思います。つまりこれまでの議論では「光→脳」の話が主だったと思うのですが、私はそのあとの段階、「脳→意識」が重要だろうと考えました。われわれ(の意識)は、外からの刺激をそのまま認識しているわけではありません。必ず脳味噌というハードが情報をフィルターにかけ、取捨選択し、足りない部分は過去の記憶から補足して、われわれがすんなり受け入れられる情報に編集してから意識にわたしています。ですから赤がこのような赤に見えるのは、「脳がそう見せているから」となります。より正確に言えば、「脳があなたにそういう認識を発生させている」ということです。その脳もあなた自身なので話が複雑になってしまうのですが……。
さてそう考えると、なぜそのようなことを脳はするのか、という疑問が出てきます。私が思うには、結局それは生きていくためであろう、ということになります。ある光の波長を「赤」という色として「意識」に認識させることが、生存競争に勝ち抜くために、あるいは生物として進化していくために必要であった(あるいは有利であった)からではないでしょうか。赤と青と黄を区別できたほうが生存確率は上がりますよね。アメーバ等、原始的な生物であればあるほど、感受できる外部刺激が少ないということからもそう言えると思います。匂いにせよ色にせよ、脳にとっては単なる電子的な信号でしかありませんから、それに「赤」や「不快な匂い」という特定のシンボル性を付与するのは意識のためであり、そうする理由は生きていくためだ、というのが結論になります。
さてそうなるとどのように意識というものが存在する(というか発生する)のか、という話になりますがそれは私もよくわかりません。なぜ生命という現象が発生するのかという疑問と同様に、なかなか解明するのはむずかしいことかと思います。どうも尻切れトンボになってしまってすみません。
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/kuoria.html
クオリア - 哲学的な何か、あと科学とか
答えになっていないので、ポイントは結構です。
こちらのサイトでは、科学的な(粒子の挙動とかを解析するような)アプローチでは、赤が赤く見える理由は説明不可能であると断言されています…
sshi.Continual
URLはダミーです。
結論からいってしまうと、「わからない」としか言いようがないと思います。
もうすこし厳密にいうと、『波長700nmの光がedgeoverさんの脳内で「edgeoverさんが赤と認識している色」に対応し、波長420nmの光がedgeoverさんの脳内で「edgeoverさんが青と認識している色」に対応している理由はわからない』ということになるでしょうか。
(1)ある波長を持った光が、人間の脳内で固有の「色」に対応していて、その対応関係は崩れることはない。
(2)その「色」の間には関係性(解答23のhihi01さんのおっしゃる関係性です)が成立している。
まず、以上の2点は、万人に対して認めてもいいでしょう(いわゆる色の錯覚や色盲等々は考えない)。この前提が成立しないと、異なる人間同士が色の同一性を認識できないということになります。この二点に加えて、さらに、「ある波長を持った光」が「固有の色」に対応する対応関係はなぜ今のように決まっているのか?という疑問に答えられれば、edgeoverさんへのお答えになると思います。
ところが、解答3のmasasanさんもおっしゃっているように、あなたが頭の中で認識している「赤」と私が認識している「赤」の色は異なる可能性があります。もうすこし言うと、二人の人が頭の中で認識している「赤という色」が、本当に同じ固有の「赤」なのかどうかを確かめる方法がない、ということです。
edgeoverさんは、
「赤、青、緑の三原色と対応する波長を入れ替えても関係性を崩さず説明できてしまいませんか。例えば、700nmを青、420nmを赤にしてもすべてのものが全部入れ替わっていれば関係性はOKでしょう。」
と書かれています。結局のところ、これが正しいのではないでしょうか。人間の脳内の「色」を直接比べる方法はないので、光の波長と波長の間の関係性が同じであれば、すべての色が全部入れ替わっている人がいても、その人を見つけることはできません。例えば、あるAさんとBさんが脳内で見ている「赤」と「青」がまったく逆に入れかわっていたとしても、色の関係性が保たれてさえいれば、他の人はもちろんAさんやBさんにも「脳内の色」の違いはわからないからです。だって、二人とも波長700nmの色は「赤」、波長420nmの色は「青」だと思っていて、波長の間の関係はちゃんと保たれているんですから。
edgeoverさんのご質問は、『何故、波長700nmの光が「脳内で認識している赤色」に見えるのか?』ということだと思います。私はこのように『そもそも「脳内で認識している赤色」が個人個人で同じかどうか調べる方法がない』と思っているので、「どうして私にはこの色に見えるのか?」という質問には「わからない」「たまたまそう見えている」としか言えないと思うのです。
人間の「脳内の色」を直接とりだす方法がもし存在するなら、ある波長の光と「脳内の色」の対応関係が判明することになりますが、それができないと、それがなぜその対応なのか?という問いには答えられないのではないでしょうか。
私はあなたが「赤」だと感じている色を「白」だと認識しています。
質問者の疑問はおおかた理解できましたが、それに答えるには、まずは上の文の誤りを証明する必要があります。そしてそれは不可能なのです。
感覚は個人だけのものですから。皮膚で例を挙げるとすれば、同じ力を二人の人間の同じ部位に与えたとして、痛いと感じる人もいればくすぐったいと感じる人もいるでしょう。それは体重とか皮膚のコンディションとかが違うからでしょ? と思うかもしれません。しかしそれが答えです。眼球を通してあなたが認識している色は、眼球を介している以上、他人と共通の論理で考えることはできないのです。眼球や脳みそを一般化して捉えているところに破綻があります。
Online papers 1: Philosophy of consciousness
2回目失礼いたします。
ご納得いただける回答がなかなか難しい質問ではありますが、私自身非常に興味深く拝見させていただいており、よい刺激を受けておりますので、この機会に持論を展開させていただきたいと存じます。脳神経科学でもまだまだ発展途上にある研究対象ですし、私はその専門家ではありませんので、あくまでも素人が支持する一仮説で、誤った情報を基にした論理展開が多分にある可能性を予めご理解いただき、もしももっとお詳しい方が居られたときには修正して頂けるチャンスがあると有難いです。
赤色を「赤く」感じる感覚、痛みを「痛い」と感じる感覚も同様に、生まれて初めて痛みの刺激を感じたときからその感覚が「不快」な意識に繋がっていると考えられています。切り離すことの出来ない{刺激}-{感覚}-{意識}の連携がそこにはプログラムされています。このプログラムは、人類が人間として成立するよりももっともっと前の存在であったときから、危険や利益に対して、より俊敏に反応するようにと進化の過程で淘汰され培われてきた、とするのが最も自然な解釈であると考えます。従って、この感覚は人間に限らず、多くの動物に組み込まれておりますし、原始的な環境で既に血の赤、海の青といった、色とその意味が共有されてきましたので、その刺激から引き出される感覚や意識もやはり共有されるのでしょう。では{刺激}-{感覚}-{意識}の連携が正しいとして、進化の過程でこの中のどれが始めに存在したのか?ということを考えてみます。単細胞生物でも、光の方向に集まる反応が見られたり、栄養の豊富な場所を感受するセンサーがあることが知られています。即ち、既に原始的な生物ですら、刺激を感受するセンサーを持ち合わせているということです。しかもそのセンサーは非常に精巧で、好みの波長を識別することが出来たり、複数の栄養成分を区別できたりするようです。そこには巧みな感覚器官があることを意味します。原始生物の時代から地球上の生命が一貫して晒されてきた環境にいることが、この感覚器官成立の理由であると考えられます。逆に、光すら届かない環境で生きる生物もあります。これらの生物は光に反応する感覚器官を持ち合わせません。ですので、連携プログラムも失われているか、違う形に変化しているものと考えられます。環境が異なることを極論すれば、青い波長に対して、我々が感じるところの「赤い」という感覚を持つことも可能性としては十分にあり得ると考えます。
では、{感覚}から{意識}の繋がりはいつ、どのように形成されたのか。この問いは、経験を遺伝的に継承させるプロセスに繋がるものと考えます。このシステムを説明することは私には出来ませんし、知る限りでは未だそれらしい仮説もないようです。しかし、例えば誰に教えられたわけでもないはずなのに、飼い犬、飼い猫が排泄の跡を隠すように後ろ足で砂をかける行為や、親鳥が外敵に狙われそうな子供から注意を逸らすためにわざと怪我をしたように振舞う行動などに見られるように、経験から得たものを本能的な行動に還元して、遺伝的に受け継いでいく仕組みがあることは間違いがないものと思われます。
話が少し飛びます。病原体などに感染すると人間は、次からその病原に素早く反応して抵抗性を上げるために、病原体を認識する抗体を作るようになります。抗体はそれぞれの病原体を正確に認識しなければなりません。このプロセスでは、ある特殊な細胞の中で、遺伝子を組み立てなおして、それぞれの病原体にぴったりとはまるような抗体を生み出す仕組みがあります。これはノーベル賞を受賞された利根川進先生の研究です。この仕組みは生命が、病原体への感染という「経験」を遺伝的に受け継ぐ仕組みがあるということを意味していると私は理解しました。と同時に、それを効率よく行うためには、経験(刺激)から得られる感覚、意識がある程度繋がりやすくなっているはず、と私は推測します。つまり、生命維持に関わるような重要な刺激には、かなり高い精密さで、しかし柔軟に{感覚}-{意識}間を繋ぐよう、細胞のレベルでそういった反応システムが準備されているのではないでしょうか。サルの赤ん坊は、生まれたときから母親の表情、例えば笑顔と不安の表情などを、目の大きさや口の形などから識別しているらしいという研究があったと記憶しています。その研究自体は、表情という非常に漠然とした刺激をどのように感受するのかについて調べたものですが、興味深いのはこの研究では、赤ん坊の反応を基に認識度を評価していました(脳波などの測定もしていたとは思いますが)。これは{感覚}-{意識}の連携がすでに生まれたときから備わっていなければ成立しないはずです。このことは{感覚}-{意識}の連携が人間だけのものでなく、幅広く動物に共通するものである証であると私は解釈しております。
感覚の精密さ、例えば(実際に可能かどうかは分かりませんが)699nmと700nmを区別することなどは後の訓練で補えますが、まず第一に赤色を「赤い」と認識できるのは、予め準備された連携プログラムがあって、最初の刺激を受けて活性化されるのを待っているから、なのではないかと私は想像しています。
ちなみにその利根川先生は現在、脳における記憶の仕組みとその過程で神経が
どのように発達するのかについて研究を行われておりますが、ひょっとするとedgeover様と同様の疑問に端を発しているものかもしれません。
http://www.hatena.ne.jp/1121527958#a18
人力検索はてな - 赤い色が何故「赤く」見えるのか教えてください。赤色が波長700nmに対応していることは知っています。そういうことではなくて、私が知りたいのは、700nmの光が、何故、青や..
私も質問者様の疑問が特定できません。
よって、どのような回答が求められているのか理解できません。
たとえば…、
「それが特定の色に見える理由」の「特定」とはどういうことでしょうか。
人類の全個体が「特定」の共通イメージで以って認識しているという前提をしているのか、
或いは、一人の人間が今日も明日も一定のイメージで以って認識しているという前提なのか、
或いは、一人の人間の神経回路が今日も昨日も一定の反応を以って認識しているという前提をしているのか。
また、
「人には「赤く」色ずいて見えますが」の「色づいて見える」とは、
人類全個体の脳内に於いて色を認識した時点での脳の科学的な反応、現象のことを指すのか、
或いは、人間の各個体が「赤く見えます」と言ったときのそれぞれの「イメージ」そのものを指すのか。
また、
「「青」や「緑」ではなくあの赤色にみえる」と言われても、私には他の人のイメージは言葉や数字、記号などを介さないと知れない訳で、そこに媒介物がある以上「あの赤色」は永遠に伝わらないわけです。
また、
例えば「私は質問者様のイメージする所の「青」で以って「赤」と認識している」という前提に立つ場合と、私と質問者様の「あの赤」は同一という前提に立つ場合では答えは変わると思うのです。
逆に言えば、「700nmが青に見えない」とか、「現実には700nmが赤く、420nmが青く見える」というのは質問者様が独自に定義されていることで、「言葉や波長の関係性以外のどういう観点でそう定義づけることができるのか?」を論理的に伝えて頂けないと、回答の方向性が定まらないのです。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061495828/qid=11216239...
Amazon.co.jp: ロボットの心―7つの哲学物語: 本: 柴田 正良
クオリアがでてきたので。
↑の本は、ロボットが心が持てるかということを論じている哲学の本です。
この本の第6章でクオリアについて論ぜられています。
「緑色に対して”赤”の感じのクオリアの生じさせながら、行動上のすべての反応では緑のクオリア機能が生じているような生物」を仮定した話がちょうどでてきています。
この仮定に対する説明はちょっとここにまとめきれないので、書店などで手にとってみてください。
質問の意図に合っているといいのですが・・・。
人間の心的、内的状況と同じものをどうロボットが持てるかということは、人間のそれがどうなっているのかを知る必要があるということなんでしょうね。
URLはダミーです。赤という色が疑いようもなく私の意識にありありと現れているというのはなぜなのかという問いは、結局そうだと観念せざるを得ない領域なのではないでしょうか。
意思の力で今知覚した赤い色を青い色に捏造することがたとえできたとしても、改めて赤を見たらやっぱり赤い色が意識に現れるものです。これを意思によって変容させようとしても無理が出てきます。
人が今こう感じたという原的な事実は変えることができません。色覚はとりわけその事実性がありありと表れるので、確信の強度が高いです。粉飾もし難いです。色の感覚はそうした変えようもなさや粉飾のし難さに支えられているのでしょう。また、赤を見ることをどうしても否定したいという力を持つのもバカらしいことです。
赤という色がありありと赤いと意識に現れるのは、その知覚を変えたり打ち消したりする意識の介入する余地が非常に狭いし、入ってきてもすぐに撥ねつけられるからだと思います。だから、青でも緑でもなく赤と見えるのではないでしょうか。
http://www1.coralnet.or.jp/nobuyosi/syn.html
N2's Homepage! 共感覚
解答になるか分かりませんが、3番さんの解答の補足にはなるかもと思い、解答させていただきます。
共感覚と呼ばれる現象があります。
「赤」とは全く関係のないものを見て赤が見えたりする人が世の中には存在するそうです。現在では「一つの感覚の刺激によって別の知覚が不随意的に引き起こされる」現象として説明されています。
このような全く関係のないものを色彩としてとらえられる(人がいる)ことを考えると、色彩をとらえる脳の仕組みは生物学的に備わっていると言えそうです。その上で17番の方などが解答してるように、的確な視覚体験によってその仕組みは補完される訳です。もちろんその色彩をどう分類し、なんと呼ぶかは文化によって大きく左右されますが、類似の遺伝子に基づいているという点で、私の見る赤とあなたの見る赤は同じであるという一つの証拠にはなります。
その上で、なぜ特定の波長の光が赤になったかは、偶然としか言いようがありません。なぜ指が5本なのかと同じ問いかと思います。(それなりの理由はあるにせよ)色を受容する細胞の種類や配置、神経回路のつながりが進化の過程で偶然にもそうなったと考えるのが妥当かと思います。
ついでですが、あなたも分かっているとおり、なぜ「赤」が青ではなく、この赤なのかという問いは科学的に答えることは出来ません。あなたの体験と私の体験を脳内の電気信号と対応づけて比較することは可能ですが、赤が赤に見える、という体験そのものを比較することは出来ないからです。他人に自分と同じような意識があるということさえ、確かめることはできないのです。
勢いで書いてしまいましたが、少しでもお役たてれば幸いです。
http://ao_zatsu2.at.infoseek.co.jp/write/s_doku_12.htm
?_?o?ł???b?P?Q
いつもと違う色に見える薬→LSDなどの幻覚剤。この作用の仕組みがわかるホームページを探してみましたが私には見つけられませんでした。
どなたか調べて!
del.icio.us
もしかしたらただの詭弁かもしれませんがこの質問に興味を持って考えてみたのでいちおう貼っておきます。
- 上記の”乳幼児期の視覚体験がその後の色彩感覚に決定的な影響を与える”という実験(とても面白い実験だと思いました)から単色状況下で過したサルは色の認識に障害があるという結論が出ています。
- 通常、赤が赤く見えるのはその物が赤(700nm)の波長を反射、その他を吸収するからだと言われています。では何故(通常の)学習の過程で赤は赤という”色”として認識されるようになったのか。がポイントになっていると感じました。
- 自分は前から赤が赤として認識されるとかいったことに対して絶対音感的なイメージを持っています。赤はいつでも赤に青はいつでも青に見えるからです。
そこで思いついた仮説がまず身体があり、それから認知が始まるのではないか。というものです。
器官は違いますが例を挙げると、音を認識するための器官(内耳)は高い音を認識する所から低い音を認識する所までがライナーに並んでいる( http://ja.wikipedia.org/wiki/聴覚 )事から、聞くという観点だけで言うと非常に効率がよく出来ています。その上で高い音を”聞く”と音が高いと”感じ”るのではないでしょうか?
光に話を戻すとスペクトルの中の”赤”が網膜に入る -> 網膜から脳に機械的に脳に送られる -> 脳が赤が見えたと感じるといった流れかな?
現象が先にあって、それから認知が始まると言い変えてもいいかもしれません。つまり、脳は赤いと”感じ”る前から赤を”見て”いるという事ではないのかと思います。
ついでに実験のサルの場合は最初から赤が赤く見える目(もしくは赤く認知できる脳)を持っていても、同時に青を青と見せられる環境がないと色の絶対的な認知が形成されないまま定着してしまう。(相対音感しか持っていない場合のパターンに似ています)のではないかと思いました。
http://homepage3.nifty.com/BABASUMIO/sb037.html
?N?I???A??]?ō??????_(54)
URLは、はずしているでしょうが、参考まで・・・
>何故、青や緑ではなく、この「赤」という色に見えるのか
個人的な意見としては、「赤」という色に見えるのではなく、あなたの身体の器官が報告してきた諸情報を元にして、あなたの「意識」が「赤」だと「判断」しているという表現が正しいと思います。
記号論を引き合いに出して恐縮ですが、
>しかし、正確には、手書きの「デリダの署名」と打たれた「J.Derridaの文字」である。「J.Derridaの文字」もまた署名なのだとすると、ここには少なくとも二つの署名があることになる。署名の差異、差異の署名。だとすればこのとき、署名そのものは一体いかなるものでありうるのか?なぜ「私」はこれほどまで執拗に署名しなければならないのか?何が「私」をして署名させるのか?そもそも「私」とは一体誰なのか?「J.D.」とは一体何者なのか…?
二つの署名はこうして全てを宙吊りにしてしまう。したがって私たちはその差異から、手書きの署名と打たれた署名の差異から、はじめなければならない。
ご質問の内容は、上記の引用文内「署名そのものは一体いかなるものでありうるのか?」という問いに近いものなのではないでしょうか。
「赤」という呼び名はどうでもいいのだと、僕も思います。そして同様に、「700nmの光」、「あの色」という言葉もまた呼び名に過ぎないのではないでしょうか。それらは全て記号と呼ばれるものなのですが、問題なのは、僕たち人間が記号を通してしか物事を認識出来ない点にあるのではないでしょうか。edgeoverさんが言われている「あの色」というものも、edgeoverさんが認識出来ている以上、それは記号でしかなく、記号であることに関しては「赤」「700nmの光」などの呼び名と同じだと思います。
おそらく、この問いを言い換えれば、「僕たちが記号として認識しているあの色をあの色たらしめているもの、その認識を担保しているものは何か?」
ということなのだと思います。
記号による認識を担保できるものがあるとしたら、それは記号以前の何かでなくてはなりません。僕たちが求めているものは多分、記号では表現不可能なものなのだと思います。残念ながら人間はいわゆる差異の体系、記号による認識によらなければ、何かを認識することすらできません。
無理にその「担保する何か」を言語化するならば、それはすでに「あの光」ではなく、僕たちが「あの光」をあの光として繰り返し認識しうる可能性なのだと思います。
「赤」を「赤」たらしめているのはその可能性そのものであって、記号ではないと思うのです。もちろんあの700nmの光でもありません。可能性は見えないものですから。(「可能性」というのも記号に過ぎませんが、便宜的に記号を使う以外に僕は方法を知りません)
ではその「繰り返される可能性」とは何か?ということになりますが、多分、ここが行き止まりなのだと思います。
なぜなら、僕が今使っている言葉が、意思の伝達の手段として機能しうるのもまたその「繰り返される可能性」のおかげですし、僕たちがあの色を赤であると繰り返し認識可能なのも、その「可能性」のおかげです。
絶対に偽造不可能な署名というものはありえないのですが、それはなぜかというと人間は偽造可能なものしか認識できないからです。
ではなぜ偽造可能なものしか認識できないのか?ということになりますが、その問いそのものが偽造の可能性によって担保されているのですから、どうにもなりません。
同様に、あの赤はなぜ繰り返し認識されうるのか?、あの赤を赤たらしめているものは何か?
という問いも、その問い自体がその何かに担保されてしまっているのだと思います。
問いをもって問いに答えるようなことになってしまいました。
僕が理屈でたどり着けるのはここまででした。
長文失礼しました。
URLはダミーです。
あなたのご質問は「赤という名前で呼ばれている視覚情報を私が今このように知覚しているのは何故か?」ということと解釈して返答します。
案1
生物が進化していく途上でそのように情報を知覚する形質が突然変異で発生し、その性質は生存に有利であったためその性質を持つ個体は増え、偶々その知覚機能を持った個体の一つがあなただった。
案2(私が考えている方です)
あなたの魂が現在のあなたという物理的存在というあり方で世界を体験しようと決めた際に、今の赤の知覚の仕方がその他のあらゆる赤の知覚の仕方よりも、より目的に適った体験ができると判断しその知覚方法を選択したため。
結局「私は何故今このように認識しているのか」をより深く知るためには、「私とは何であるのか」をより深く知る必要があると思います。何を認識しているのかによってその主体が何であるかを知ることにもなるわけですし。その意味ではURLは参考になるかもしれません。
OCN|一般向けトップページ
URLはダミーで。
質問者さんが見ている「赤」と、私の見ている「赤」が意識レベルで同じ色なのかは分かっていません。
想像なのですが、外界の刺激に対して、音や味と同じに、脳が発達していく過程で、神経が便宜的にその様な感覚として、認知・記憶するようにしただけで、特に今感じているこの色で見える必然性は無いと思います。
最近、「チェック模様」について、脳の状態を観測して、どのような模様を見ているか調べる実験が成功したというニュースがありました。もしかしたら、そう遠くないうちに、脳神経の分野から答えが出るかも知れませんね。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4403230520/etocom05-22/...
Amazon.co.jp: 色彩について: 本: ルードウィヒ ウィトゲンシュタイン,Ludwig Wittgenstein,中村 昇,瀬嶋 貞徳
http://www.shinshokan.co.jp/shopcart/html/sho/shinshokan_23052-0...
?F??????ă??[?h?E?B?q??E?B?g?Q???V???^?C???^???[?h?E?B?q??E?B?g?Q???V???^?C???@???????@?????哿???@???c????????
■ルードウィヒ・ウィトゲンシュタイン「色彩について」
まだ紹介されていないようなので、紹介させてください。
有名な哲学者のウィトゲンシュタインが、死の直前に色彩について書いた本です。
色彩を、光の波長などといった科学的・物理的現象として捉えるのではなく、
言語の問題として捉えています。
「透明な赤は存在するが、透明な白は存在しない。」
「輝く茶色は存在しない。」
などといった言葉が印象に残っています。
さて、ウィトゲンシュタインの色彩論がどのようなものだったのかを、
わかりやすく説明できるといいのですが、うまく説明できそうもありません。
もうしわけありませんが、紹介だけとさせてください。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480086196/etocom05-22/...
Amazon.co.jp: 色彩論: 本: J.W.V. ゲーテ,Johann Wolfgang Von Goethe,木村 直司
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4875023200/etocom05-22/...
Amazon.co.jp: 色彩論: 本: ヨーハン・ヴォルフガング フォン・ゲーテ,Johann Wolfgang Von Goethe,高橋 義人,南大路 振一,中島 芳郎,前田 富士男,嶋田 洋一郎
この本の元になった本ですが、ゲーテの色彩論が有名です。
同時代のニュートンが、色彩を物理的な現象として整理したことに反発し、
あくまでも色彩は心理的なものであるとして書いた本です。
僕が思うに(思考実験。根拠ナシ)、人間の構造は人によってそんなに違わないのだから(構造・原子構成・環境等)見ている色にそんなに違いはないと思う。たぶんみんなの見ている赤は、僕の見ている赤とそんなに違わないだろう。(正常であれば、赤が青に見えるというレベルではまず違わないと思う。)
また、赤色と認識できるのは脳内での現象(照合)によってだと思います。(眼球やカメラは電磁波を信号に変えているに過ぎないでしょう。言わばただの変換装置です。)
その信号が赤色として認識(照合)される、信号と赤色を結びつける作用は爬虫類脳(脳幹)(人間が進化の中で獲得したコード・遺伝子)がそうさせるのではないでしょうか?
だから、今の人類みんなが赤を赤として認識・結び付けるのだと思います。
青を赤としても別によかったと思いますが、今の人類がたどった歴史が(ヒステリシスに)赤を赤に見せているのでしょう。
(赤の必然性は特にないでしょうから。)
では、あの赤という色(またはその他の色,カラー)はどこから発生したのか?これは外界を認識しようという営みの中で生命が獲得した外界区分の分解の能力だと思います。テレビでも白黒からカラーになると見違えますが、生命も生存の為に盲目状態からフルカラーへと外界認識を拡げてきたのでしょう。(赤はその中の1種類に過ぎません。)
今のフルカラーも外界区分の最上の形ではないかもしれませんね。
以上が僕の思考実験の限界です。
http://cweb.canon.jp/event/tvsp/
キヤノン:キヤノンスペシャル
なんとなく質問の意図が判った気がしたのですが、外れてたらごめんなさい。
質問を言い換えれば、人間の3つの色のセンサーをABCとしたとき
A=赤色 B=緑色 C=青色
となるのは何故か、と。
A=赤色 B=青色 C=緑色
とか
A=黄色 B=白色 C=青色
でないのは何故か。ということでしょうか。
(ABCを混ぜた「色」も含めて)
だとすれば、やはり、そういう「感覚」と「イメージ」と「名前」を結びつけているために、区別されているというだけで、
実際には上で「赤色」とか「青色」と書いたようなものは存在しないのではないでしょうか。
おそらく、質問の意図が理解できない人はそれらの「色」の存在を想定したことがないのだと思います。
赤い色をなぜ赤だと認識するのかの答にはならないかも知れませんが、なぜその波長を認識するかの答えになればと思います。
光(電磁波)には赤青緑の可視光以外にも紫外線、赤外線、X線など、様々な波長があります。いくつかの種類に分かれていますが、人間が勝手に決めたに過ぎません。可視光という分類の由来は、760nmから400nmの光が人間の目に認識されるからです。
なぜ可視光の範囲だけ認識するのかということですが、それは人間の進化の過程にあります。昔は光の発生源は太陽しかありません。地上の物のほとんども太陽光を反射しているだけです。
太陽光は様々な波長の光(電磁波)を含みますが、その様々な波長別にみた場合、強さ(振幅)の強いものがちょうど可視光のあたりだったのです。それで人間は様々な光(電磁波)の中でも強さの大きかった可視光の部分を認識でできるようになったというわけです。
上のURLには光の分類と、太陽光の波長別の強さの概略だけを示したグラフがあります。
下のURLには太陽光の波長別の強さをもっとちゃんと示したグラフがあります。
可視光を認識する中でもその光の波長の違いを色として、強さ(振幅)の違いを明暗として認識するようになったのでしょう。その中でもなぜ赤が赤なのかについてはごめんなさい。
http://www.mech.tohoku.ac.jp/mech-labs/yugami/research/solar_abs...
?????p???z???I???z?????
太陽光の波長ごとの強さのグラフは、一番上のグラフの赤いもの(5700K)です。可視光は横軸の0.4から0.7ののあたりです。
太陽光の波長がなぜそうなるのかについては、「プランクの法則」で調べてみてください。
http://www.hatena.ne.jp/1121527958#a26
人力検索はてな - 赤い色が何故「赤く」見えるのか教えてください。赤色が波長700nmに対応していることは知っています。そういうことではなくて、私が知りたいのは、700nmの光が、何故、青や..
この疑問を私自身の疑問として捉えるならば、私は私自身に#26の方の答えとほぼ同様の答えを出します。
付け加えるなら、「どのように意識というものが発生するのか」という問いに対して私は「偶然そうなっている」として理解します。ここで、「理解する」という行為は「納得して分かる」ということです。また、「分かる」とはそれ以上思考しない事を決断するということです。
「偶然そうなっている」という納得は私の答えですが、これは人によって異なります。例えば宗教に拠り所を求めればそれは「神の決めたこと」と表現されるかもしれません。何にしても「そういうこと」です。
これに科学的な説明をする事が今日不可能である事は、既にここまでの回答で(クオリアが出てきてしまうくだり辺りで)十分明らかにされているのではないでしょうか。にも関わらず質問者様に「納得」できない部分があるのだとすれば、納得できないポイントを分かるように説明して頂く必要があると思います。
このスレッドの疑問に対する回答は、科学的・哲学的・宗教的と大きく三つのアプローチがある様に思いますが、今、科学的なアプローチでは説明に程遠いとしましょう。とすれば残る手段は哲学か宗教です。
しかし、質問者様はどちらの回答であれば納得が出来るのだろうか。と私は思うのです。
宗教的にアプローチするには、既存の宗教の中から質問者様の考えに近い物を選んで説明をしていくか、或いは全く新しい世界観を作り出して一から説明をしていくことになります。しかし、これは非常に難しい手段です。達成には質問者様への質疑応答を繰り返し積み重ねるカウンセリングが必要となるでしょう。
もうひとつの哲学的アプローチは世界観そのものを作り出さない点で僅かに有望です。しかし、今大部分が科学的に明らかにされていない事柄について、例えば「科学的にここまではこう。ここにこういう存在の概念を仮定するとこうなる。そうなるとこれはこういう考え方ができるからこう想定できる。だからこうなっている筈だ」というような論理を持ち出しても「納得」を得られる可能性は極めて低いと思います。何故なら、結論に至るまでの仮定が多く必要となり、その全ての「仮定」について質問者様が納得される必要があるからです。
また、私は
「私が感じる赤を他の人は青で見ている可能性は大いにあり得る。それどころか一人の人間でも昼と夜、或いは今年と来年で、ある光の波長に対する認識の実体が一定ではない可能性はあるし、そうでない可能性もまた同様にある。」
と考えています。
何故なら科学的に明らかでない事は、今の所分からないと分かるのが科学的で、私はこの疑問に対して科学的な思考をしているからです。
ところが質問者様は
「私が感じる赤という感覚を他の人は、私が感じる青で見ているかもしれません。しかし、どうもそれには不条理さを感じる」と仰るように、何らかの科学的根拠を持たない、おそらく哲学的な真理、概念を既にお持ちで、それに基づいて思考を巡らしている筈なのです。
だとすれば、その既にある観念的な部分を擦り合わせないと他者である私は質問者様を「納得」させる事はできないでしょう。今の所私には「物質的要素は個体差はあってもかなり類似しているから、主観による差はあっても全く「でたらめ」ということも無いだろう」という考えが何処から来るのか理解しませんし、その手掛りもありません。
やはり、こうしたことについて論理的な説明をして頂くか、或いはカウンセリング的対話の手法を積み重ねていく事が必要となるでしょう。
また残る手段として、明らかにされている現象に仮定を積み重ね、論理を固め、当に古の哲学の様な弁論術を用いる方法も考えられますが、これは果たして質問者様の望むことなのでしょうか。
以上、もし質問者様の納得の手掛りに寄与できれば幸いです。
Yahoo!????????????
URLはダミーです。
前提が間違っています。
あなたが見ている赤は、私が見ている赤ではありません。
あなたの意識が、私の体に入り込んだとしたら、私の目を通して見た赤は、あなたが青だと思っていた色かもしれません。しかし私はその色を赤だと思っています。
しかし、現実には感覚の共有は不可能なのであなたと私の違いが顕著になることが無いだけです。
お互いに違う波長の色同士の区別ができれば、それだけでコミュニケーションは成立します。
自分の中でだけつじつまが合っていれば良いのであり、あなたが赤だと認識している色が常にあなたの中で一定であればいいだけです。
ブログ - goo ブログ
URLはダミーです。
昼休みの頭の体操に、仮説を考えてみました。
私の仮説の立脚点は、ある色を認識できる理由は、
その色を認識できた方が、生存競争で有利であり、
そのため、生物が取得した機能であるということです。
例えば、「青」の色を認識できた方が、
「水」と魚の区別が容易となり、
魚を捕食する上で有利となったでしょうか。
また、「緑」の色を認識できた方が、
葉緑素を持つ「植物」の認識が容易となり、
植物の発見が容易になったでしょう。
さて、ご質問の「赤」ですが、
「赤」が認識可能だと、有利な条件というのは、
いくつか思いつきましたが、これというものはありませんでした。
「火」や「血」などが考えられますが、ちょっと弱い気がします。
実際、「赤」の認識が困難な方が大勢いることを考えると、
「赤」の認識は、生前競争の上では、さほど重要ではなかったのかもしれません。
それが人類が掴んできた経験では無いでしょうか。狩猟の獲物の滴る血のいろ、地平に沈む太陽の色。刻み込まれた記憶、感情。それを赤と呼ぶようになったときから赤が「赤く」見えるのではないですか。
僕も45さんの意見が少し理解できます。
とりあえず科学的には今のところ分からないじゃないかと思います。
これは相対論と量子論の論争と似てるんじゃないですかね。と、僕は思うのですが。
URLはダミーです。
私は、右の目と左の目で見える色がわずかに違います。(右がやや青っぽく見えます。右目にカメラ用のskylightフィルターを掛けると左右がほぼ同色に見えます。)
このように、自分の中でも違った色で見えるのだから、他人ではなおさらだと思います。
巷を見ていると、どう考えてもおかしいと思うような配色の服を着ている人がいますが、この人にとって見たらおそらくそんなに派手ではないと思っている(他人のが非常に地味すぎると思っている)のではないでしょうか。
『700nmを「赤」という色と認識し、それ以外には見えない』というのは生まれてきてから今までの学習に基づく主観的な認識にしか過ぎないと思います。
色、音、味は他人と比較することが出来ないので、どうしても主観的で、哲学的な答えになってしまいますね。
Yahoo!
URLはダミーです
こんにちは、違う観点から試回答させてください、ご意見ご批判をお聞かせください。
質問者殿は、色付のサングラス(つまりグレー色ではなく、アンバーや緑の)を使用された経験はおありでしょうか?たとえば、緑のサングラス(たとえばレイバン)をかけると、オレンジはくすんだ茶色のような色に認識されますされます。しかしながら、かけなれてくると不思議なことに網膜にはオレンジ色の波長は入らないにもかかわらず、みかんはきちんとオレンジ色として認識されるようになるのです。
したがって、脳内で認識される色は網膜に映し出される光とは独立していると考えられます。
それでは、オレンジ色とはなんでしょう?私はオレンジ色とされているもの(たとえばみかんやレスキュー隊の制服)からの光が目に与える刺激のことではないかと私は思います。
したがって、「赤いりんご」と似た光を出す(あるいは補色を吸収)し、同じような刺激を網膜にあたえるものが赤くみえるのだと私は思います。
混色にかんしてはすでに解答が出揃っているのであえてふれません。
回答になりましたでしょうか?
Yahoo!
URLはダミーです&2回投稿されたらごめんなさい
こんにちは、試回答しますので、ご意見・ご批判ください。
質問者殿は、カラー付のサングラスの使用経験はおありでしょうか?たとえば、濃緑色のレンズを使用した場合、みかんは茶色っぽくみえます。ところが、しばらくしてなれてくると、みかんはきちんとオレンジ色に、りんごは赤く見えるようになります。したがって、脳が認識する色と網膜に入射する光の波長は独立していると考えられます。
私がおもうに、赤色とは、赤りんごや消火器と同じ(似た)刺激を網膜に与えるものだということです。
つまり、網膜に入射される光の波長とは関係なく、「さっき見た消火栓とおなじいろだなぁ、だからこのりんごは赤い」と認識しているのではないでしょうか?
解答の足しになればと思います
2度目の回答です。
700nm=赤ということではなく、なぜ実際に見ている「この色」に見えるのか、と疑問を呈したところで、答えが言語で説明されるなら、400nm=A、560nm=B、700nm=Cのように置くしかありません。しかしその場合、例えば700nmの光がCのように見えるのはなぜか、という問題が一体何を問うているのか、どう答えれば答えになるのかが一向に分かりません。つまり、「いま自分が見ているこの色」と言ったところで、そのクオリアが一般に共有されないのはもちろんですが、言語上も全く一般的な説明をなしえないということです。
それを質問者内部の問題と捉えても、質問者が「実際に見ているその色」は他者には永遠に共有不能ですから、何をもって説明がなされるべきなのかということ自体そもそも想定不能です(このあたりは既に何人かが回答されてますが)。
要はこれは言語の性質上一般化されえない問いで、仮に1人の人間だけを単位に考えても、何をもって説明可能なのかが分からない以上、同じことだということではないでしょうか。
http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/12engi.htm
?C???h?v?z?j????
逆にedgeoverさんの受け答えについて少し疑問を感じるので質問させてください。
edgeoverさんは70nmの電磁波を目という感覚器で認識したとき、それを70nmの電磁波(もしくは赤)だと認識するだけでそれによって思考を生起しない純粋感覚というものがありえると思われるでしょうか?
つまり人間の目を測定器として使い、それによって生起する思考は全て停止させることが可能か?
という考えについてどう思われるでしょうか?
URLはダミーです。
まず、人間は「目」という人間共通のデバイスを使い
可視光という波長域の光を多くの人は同じように感じて
それを便宜上「色」という物で分割しているに過ぎないと思います。
光の色は波長という物理量を目というセンサーが感知して
その信号を脳へ送るという仕組みは病気や怪我をしていない限り
万人が同様の動作をしていると考えられます。
机の上に、氷水、常温の水、お湯、の3つを置いて
それを各国の人間に温度の順で置いてくださいと問えば同じ結果になると思います。
これは物理的な物であり文化や年齢など関係ないからです。
これが食べ物の甘さや音の大きさでも同様です。
物理量の比較なら個人差はあっても結果はほぼ一緒ではないでしょうか?
色も同様で光の波長という物理量を目が測定するのだから。
目も脳も人間という同じ設計図で作られた物なのですから
#43 の人が書いてあったような
A=赤色 B=緑色 C=青色
A=赤色 B=青色 C=緑色
A=黄色 B=白色 C=青色
色の並びが人によって替わる可能性は低いと思います。
産まれてから小さい時には色の判別は出来てもどれが何色かは分からないでしょう。
それを親がリンゴは赤、森林は緑、水は青と、教えていって
見ている色が何色かを学習し補正していくのだと思います。
例えて言えば可視光域が15センチ定規だとすると
最初は目盛りが書いていなくて学習していくにつれ、5センチはこれぐらい
1センチはこれぐらいと自分で目盛りを書いていくと。
さて、これらは物理的な物でしたが色と精神的な物の関連については
大昔、人間は大自然の中生き延びて行く為に
安全な場所を区別する必要があったと思います。
生存に適していた森林や水辺の色が安心出来る色だと学習し
普段見慣れない黄色や怪我をした時の赤色を危険な色だと学習して
それがDNAに刷り込まれているのかもしれません。
その考えが正しかったとして地球がもし森林が赤色、血液が青色だったら
赤が安心出来て青が落ち着かない…という風になったのかもと思います。
色が精神に及ぼす影響というのは先天的な物が大きいと思いますが
検証するのは難しいのじゃないかな。
宇宙人に赤色は興奮するか聞いてみたいところですね。
(宇宙人に目があり、可視光域が人間と同じと仮定して)
質問である赤は何故赤く見えるかというのは「目」というセンサーが
赤い波長の物理量を検知していると言う事だと思いますが
回答を読んでいると、色の感じ方は何故他の人と共通なのかと言う事なのかを
問いかけているのでは無いかと思いました。
それは人間の生存と地球での環境の色が相関関係にあるのではないかと思います。
http://www.hatena.ne.jp/ranking
はてな 旧回答ポイントランキング
urlはダミーです
それは700nmの光である光受容体が活性化するからです。
なぜその光受容体が活性化すると赤に見えるかというと
活性化によって流れる電流にあるパターンがあるからです。
なぜそのパターンによって赤く見えるかというと
その電流パターンはいわゆる「シグナルA」のカテゴリーに含まれるパターンだからです。
「シグナルA」のカテゴリーは一般に「警戒」を喚起するための信号なので
「赤」を認識させるのです。
なぜ「シグナルA」は「警戒」を喚起するかというと
「シグナルA」とは最も効率よく短時間で情報を伝えられる信号のことをさすからです。
生物にとってもっとも大事なことは「警戒」ですからね。
なぜもっとも大事なことを効率よく伝えなければならないかというと
そのほうが生き残る確率が高いからです。
また「なぜ警戒が赤でないとダメなのか。赤のイメージ以外にも
警戒を呼び起こす色のイメージがありそうではないか」と、お思いかもしれませんが
それは人類の知能が発達し文化が育まれたために
現在の人間にはそう感じられるのであって
原始的な人間には「赤のイメージ」だけが「警戒」の意味に感じられたのです。
例を出しましょう。あなたは怪我をしたとき、なぜあの「痛い」という感覚を覚えるのか
疑問に思ったことがあるでしょうか?
「あの感覚以外にも、痛さにふさわしい感覚はあるはずだ」と思ったことがあるでしょうか?
おそらくそのようなことは無いでしょう。(あったらごめんなさい)。
しかし、人間がさらに発達し感覚が豊富になり
さらに怪我による危険が極端に減った社会では、
「あの痛みの感覚」に対する必然性が減り
「なぜこの感覚なのか? もっと別の感覚でもいいはずだ」と
思う未来人がでてくるかもしれませんね。
あなたがこのような疑問を持ったのは、人類が進歩しすぎたからだといえるでしょう。
ちなみに上の科学的説明は全部嘘っぱちです。すみません
http://www.sal.tohoku.ac.jp/~shimizu/medieval/ockham1.html
?I?b?J????????N?w
とても興味深い質問です。私も以前似たようななことを考えてそのときはオッカムに代表される「唯名論」でなんとなーく納得させてしまった経緯があります。45さんも書いていましたが、科学的アプローチではわからないため納得することができず、宗教的&哲学的アプローチで考えたことがあります。edgeoverさんは大変博学な方なので、いまさら「唯名論」の説明は必要ないかもしれませんが、簡単に机を例に取ると、足が4本あり、物を置けるから机と呼ばれているわけではなく、その物体は「机」と呼ばれるから足が4本あり、物を置いて勉強したりするといった論です。そしてその名前をつけているのが誰かだったり「神様」だったりするといった内容だったと思います。(おもいっきり間違っていたらすいません)つまり700nmの光が赤く見えるのではなく、「赤」と名前がついているから700nmの光が赤く見えるのです。もし1200nmが「赤」と呼ばれていればその波長の光が赤く見えるということになります。そしてその名前を決めたのは神様ということになるでしょう。だいぶ胡散臭くなりますがもう少し我慢してください、次に哲学的なアプローチとして認知と概念を考えてみます。
http://www6.plala.or.jp/swansong/0194000taikakusen.html
16節 固有名詞と普通名詞の類似性
http://www6.plala.or.jp/swansong/0195000taikakusen.html
17節 個物が先か、概念が先か?
上のURLにもありますが、私も「個物が先か」「概念が先」かといわれると、ミックスして考えたほうがしっくりします。
少数の個々のモノを見る → 概念を形成 → 他の個々のモノをその概念によって捉える
つまりedgeoverさんが赤い夕日をみる、赤い血を見る、赤いトマトを見ることによって700nmの光を赤として概念を形成し、他の個々の色を概念をによって捉えていると考えることができると思います。ここで考えをちょっと飛躍させます。ここで得た「赤」という概念は、なぜedgeoverさんが「赤」く見えて、どうして多くの人と共有することができ、かつ不変的なものなのでしょうか?そこで答えを唯名論に帰ってそれは神が与えた概念だとまとめると上手くまとめることができます。赤く見えるからトマトだし、赤く見えるから血である。そして700nmの波長が赤く見えるということになります。ここで結論を神に投げてしまうとちょっとアレですが、神とは意識の集合体と捉えることが可能だと私は考えています。つまり同じ日本人としてedgeoverさんと私たちが共有している赤は概念的に等しく赤く見えており、英語圏のRedや仏語圏のRougeは私たちと違った概念だと思われます。25さんの意見にも近いです。現にアフリカのある民族では空の色を私たちでは識別できないレベルで認識しているといわれています。それは彼らの意識の集合体としての神が、細かな空の色に名前をつけ、その概念を無意識に共有し、個々の中で形成しているのだと思います。赤にしても血とトマトは違う色という民族もいるでしょう。edgeoverさんがみている「赤」は日本の共通意識がそのように見せているという結論です。(もし日本人の方でない場合は、本当にすいません)
URLはダミーです。
すいません。さっきの回答は言葉足りてませんでした。
僕が思うに、この質問には科学的に答えるのか、哲学的に答えるかというところで、答えが分かれると思うんです。そこが相対論と量子論に似てるなと思いました。
まず、科学的に答えるとすれば、現代の科学では解明できないと思います。なぜなら測定できないから。感覚は現代の科学で測定できません。しかも、これからさき感覚と言う概念を数値または数式としてみなせるかという疑問があります。もし、どうにかして、数値、数式で表せたとしても、その時点でそれは質問者様の論旨からは外れると思うのです。要は数値、数式で表せないものは科学的には答えが出ないと思うんです。
ということは、哲学的に答えるしかないと思うんです。ただ哲学的な話になると回答は非常に難しく、コレが真理でコレは真理ではない、とは言い切れないのではないでしょうか。
「平和」とはなにか、「愛」とはなにかという問いに答えるのと同じもののように思えます。
45の方がおっしゃりたいことは上述したことに近いと思います。なので、科学的考察と哲学的考察とにいったん分けて考察してみないと回答者としても答えずらいと僕は思うのです。
http://www.hatena.ne.jp/1121527958########
人力検索はてな - 赤い色が何故「赤く」見えるのか教えてください。赤色が波長700nmに対応していることは知っています。そういうことではなくて、私が知りたいのは、700nmの光が、何故、青や..
物体の反射する波長は絶対的に決まりますが、その波長の光に対する
人間の脳内の反応は絶対的な物でしょうか?
人によってバラバラかもしれませんよ。
色に対する脳内の反応がお互いに全く異なる二人の人間(AさんとBさん)
を考えます。例えば、700nmの光を反射する物体を見た時にAさんの脳の中
で生じる反応を、仮にBさんの脳の中にそのまま発生させると、Bさんは
「青」と感じてしまう。ただし各自とも色ごとにそれぞれ独自の脳内反応を
持つため、色の区別は出来るとします。
この場合、必ずしもAさんとBさんの間で色に対する認識が食い違うとは
限りません。Aさんは700nmの光を他の波長の光と区別することさえ出来れば、
それを「赤という名前の色」として覚えておくことが出来、同じく
(脳内反応はAさんと異なれども)700nmを他の波長と区別出来るBさんとの
間で、赤という色を言葉や表現によって共有出来るはずです。
つまり、「脳内に赤という人類共通の絶対的な感覚があり、それに700nmの光
が何らかの理由で確実に繋がる」という事では無く、単に「700nmに対する人
それぞれの脳内感覚を赤という共通認識(言語)で指し示す」という事ではない
でしょうか?
http://kamakura.ryoma.co.jp/~aoki/paradigm/affordance.htm
?A?t?H?[?_???X?|?M?u?\??
URLは私の書いた文章ではないので、恐縮ですが、ギブソンという心理学者が提唱した「アフォーダンス」の説明があります。
#47のllameradaさんがおっしゃっているように、すべての認識ももとを正せば、その生物が生き残れるかどうかの一点のために発生したと考えられます。「赤い色」ということですが、ほとんどの哺乳類は赤い色を区別できません。わずかにサルの仲間とヒトだけだそうです。これは、サルとヒトだけがその発生上「赤い色」を区別することがその生態学的な地位を占める上で大事であり、「赤い色」が埋め込まれた生態学的情報環境(アフォーダンス)に生きてきたということだと思います。赤い色はあなたにとって生きるために大事であり、必要だから、そしてその情報は環境にすでに埋め込まれているからこそ、赤い色が赤く見えるのです。
発生について書くとぼろがでるので、森林とサルやヒトの共通の祖先の環境云々については書きません。ちなみに、アフォーダンスを提唱したギブソン自身はその背景にあるメカニズムや発生などについて触れていません。「ハサミは切ることをアフォードする」といった文章に目を白黒させなながら読んでいた昔を思い出しました。今は、#23で触れた「ネットワーク」という考え方とギブソンの考え方は矛盾しないのではないかと想っています。
48の回答のものです。
書き方が悪かったようです。
赤と呼ぶようになったというのいうのは、経験、記憶などから生じる、喜びや悲しみの感情と同じようなレベルで赤い、青い、緑、黄色いという受動が生じたのでは。悲しいの感じ方はなぜこうなのか、嬉しいの感じ方はなぜこうなのか。では悲しいと嬉しいの感じ方は自分だけなのか。人によってはこの悲しいが嬉しいで嬉しいが悲しいなのか。そうじゃないと思います。それと同じように他人が感じる赤は自分にとって青かもしれないというのは違うと思います。
人が悲しさや嬉しいという感情を生命の歴史とともに育ててきたように赤いや青いというのも感情のような感覚で生じたもののような気がします。色と感情は密接に結びついています。情熱の赤、冷静の青。しかしそれらは経験から結びつけられた感情である。とすると光の違いを識別するためにたまたま赤は赤であり青は青でしかないという事になるかもしれません。赤にこだわりがあってもそれは経験から導きだされた錯覚なのかもしれません。ちょっとまとまってませんが思いつくまま書いてしまいました。
Industria
URLは関係有りません。
心が見せているのでしょうね。「赤い」から赤く見えるのではなく、これが「赤」なんだよと。物事の主体性は、一見自身にあるように思いがちですが、私たちは判断しているに過ぎないのではないでしょうか?。
http://www.hatena.ne.jp/1121527958######
人力検索はてな - 赤い色が何故「赤く」見えるのか教えてください。赤色が波長700nmに対応していることは知っています。そういうことではなくて、私が知りたいのは、700nmの光が、何故、青や..
HTMLでは「FF0000」を定義すると赤として表示しますが、それはブラウザのソースプログラムがそのように作ってあるからです。同じように人間にも細胞または神経で構成されるコンピュータがあり「700nmの波長」を赤として考えろ(識別しろ)という本能という名のブラウザがあるのかもしれませんね。
なぜそう言えるかというと、犬も人間も視覚器官の構成自体はほとんど変わらないのに見える色の範囲に違いがある。ハードは同じなのに結果が違う・・・とすればソフトの問題だと思われませんか?
あくまで個人的な見解ですからあまり気にしないでください。
http://www.bk1.co.jp/product/1688692
オンライン書店ビーケーワン 404 ページを表示することができません
39の再回答です。
案1について
この視点からさらに考えていくと、「今こうである」理由は、「偶然である」、「原因は過去にある」、のいずれかになります。しかし、後者を追及していけば結局「宇宙はなぜ150億年後にはこのようになる初期条件を持って誕生したのか」という問いに行き着き、その回答は「偶然である」、もしくは「(現代の科学では)分からない」となります。
案2について
>物質以外のものの存在によるということになりますでしょうか。
はい。物質を存在させしめているところの、より根源的なエネルギー領域が存在し、物質が存在している原因となっておりますので。参考までに、詳しく説明されている本を一冊紹介致します。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061497456/qid=11218461...
Amazon.co.jp: 私・今・そして神―開闢の哲学: 本: 永井 均
edgeoverさんの問いは科学で答える種類の問題ではなく、純粋な哲学的な問題です。おそらく「私的言語」と呼ばれる問題に位置するので永井均の本などを読むと解決すると思います。この本は難しいですけど・・・
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061492861/qid=11218463...
Amazon.co.jp: 哲学の謎: 本: 野矢 茂樹
もう少し簡単で哲学の入門するためには野矢茂樹のこの本も参考になると思います。
いずれにしろここで解答が出せる問題ではないので哲学の本を読むことをお勧めします。
URLはダミーです
>赤い色が何故「赤く」見えるのか教えてください。
別に緑でも黄色でも良いですよ。
でも、あなた、その場合でも同じ質問をするのでしょう?
700nmをいつも同じ色と認識するのはなぜなのか?
「そういう種に生まれついたから」
同じ波長を同じ色として認識できない種に「色」はありません。
ホモサピエンスは「色」を知覚する能力を持った種ですから700nmはいつでも同じ色ですし
ホモサピエンスの間ではそれは共有できる感覚です。つまり700nmは赤い。
なぜ共有できるか?それは同じ種だからです。
さもなければ
「神様がそうお決めになったから」
>赤い色が何故「赤く」見えるのか教えてください。
別に緑でも黄色でも良いですよ。
でも、あなた、その場合でも同じ質問をするのでしょう?
700nmをいつも同じ色と認識するのはなぜなのか?
「そういう種に生まれついたから」
同じ波長を同じ色として認識できない種に「色」の概念はありません。
ホモサピエンスは「色」を知覚する能力を持った種ですから700nmはいつでも同じ色ですし
ホモサピエンスの間ではそれは共有できる感覚です。つまり700nmは赤い。
なぜ共有できるか?それは同じ種だからです。
さもなければ
「神様がそうお決めになったから」
ストレートすぎる! わたしもこういう質問をしてみたいけど、怖くて聞けません。やっぱり大半の回答者には、そもそも質問の意図が通じていないですし。こういう方面の問いは、疑問を感じたことのない人にはなかなか説明しにくいです。もっとコトバを開発せなーと思う。
わたしならこう問います。「なぜ人間は、特定の周波数の音の組み合わせ(和音)を聞いて、明るい感じや暗い感じを受けるのか? その“印象”が、おおむね他人と一致するのはなぜか?」 こういう問いって、ほんとは、「宇宙はどうやってできたか?」よりだいじなんじゃないかって気もします。
■LINKFREEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!について。
id:shckor:20050717さんから「砂漠を渡る男の話」にTBいただいたので(ありがとうございます)、飛んでってみてみました。なるほど殺人未遂と未必の故意、というより、その前の記事にある「リンク禁止ソリューション」に興味を引かれました。
kanose氏のとこにもいくつか紹介されてたけど、みんなだめだと思う。下に書いた「そもそもどうあるべきか?」から行くと、インターネットは「クローズドなものをオープンにするソリューション」であって、この川の流れに逆らうものは、最終的には失敗する、とぼくは考えているのです。だからGoogleは成功する。はてなは成功する。mixiは失敗する(SNS自体がクローズドな上に運営もクローズド)。P2Pファイル交換は成功する。ネット上のコンテンツの著作権管理は失敗する。というのがぼくの持論です。
で、リンクフリーは、流れに沿っています。なんといっても、本来は「ここにそれがある」と言ってるだけなんですから。これをいくらゴタゴタさせても、いずれは「そんなかったるいモンだれもつかわねー」って結果になると思います。(いろんなソリューションを考えるゲームとしては面白いですが)
だって、そもそも、ぼくはリンクしたいんじゃないんだもん。「リンク不可」が実装されたら、ぼくはその記事の内容をコピーして自分のところにおくだけです。ええと、だから、見られたくないものがあるヒトは、見せないのがよろしいぞ? シンプルだなぁと思うんですがどうですか。
で、砂漠男は「出かける前に水筒を確認しない奴が悪い」ってアラブ方面では言われちゃいそうな気がしました。
■[群青色]このひとの脳内について
わたしが哲学に興味を持ち始めたころに読んだある本(書名忘れ)の冒頭に、こんなことが書いてありました。
結局、世の中に多々ある問題は、きちんと考えると最後は全てここに行き着く。
- 世界とはなにか
- 自分とはなにか
- 神とはなにか(日本人は、これはないかもしれない)
なるほど全くその通りです。そもそも、世界とはなにか? そもそも、自分とはなにか? どうせいろいろ悩んでもそこに行き着くなら、最初からそこを考えた方が効率が良かろう、と思い、わたしはそうすることにしました。なにか問題が生じたとき、多くのひとが積み上げで下から考えるところを、「本来どうあるべき?」と上から考えることが多いです。だから同じような考え方をするひとには共鳴しやすいです(たとえばモヒカンの人々)。「本来」は、具体的な場面になるほどズレもでてきたりしますが、まぁおおむね合ってりゃよいじゃん、という感じです。
あと、わたしは、「世界に不満がある時の対処方法」には3つあると考えています。
- 世界を変える
- 自分を変える
- 自殺する
あ、もう1つ「ぶぅぶぅ言うだけで結局なにもしない」って言うのもあるかもしれませんが、対処になってないから除外。わたしは昔は1でしたが、そのうちに1は「力が及ばないケースがある」「個別撃破になりキリがない」ということに気づき、2を採用することにしました。長い時間かけて自分を改造することに成功し、不快な入力は、自分に入る直前で-1を掛けてプラスにしてしまうようになっています。それでいいの?問題は解決してないじゃん?と思われるかもしれませんが、わたしにしてみれば、もう問題はそのままでも愛せるようになっているのです。もちろん、完全に全てを、ではないですが(時々ぶぅぶぅ言ってますよね)。でもそういう「不完全な自分」さえ、-1を掛けて受け入れてしまうのです。「そんなものだよ」と。(なんかちょっと「人間だもの」くさい…)
それと、もうひとつ。「全ての人間は自己中心的である」という考えの採用、かな。
これは、途上国でのボランティア活動をずっと続けているある人が新聞のインタビューに答えていた内容、からヒントを得たものです。その人は「ひとのためではなく、自分が満足するためにやっているのだ」と言っていました。なるほどそうか、と思いました。「ひとのためになにかをする」ということは、「自分を犠牲にしてでも他人に貢献したほうが、自分の満足度が上昇する」ということです。
この「そのときに、自分の満足度が上昇する」というのが、人間の全ての行動の裏にデフォルトかつ取り外し不可の形でくっついており、故に全ての人間は自己中心的だ、というふうにわたしは考えるようになっています。だから「自分のために」より「みんなのために」とかいう願いのほうが、遙かに大きな自己中心的願望だと思う。みんなが満足しなくちゃ私は嫌だ、と言ってるわけですから。(それがいい悪い、は言ってませんよ?)
だいたいこんな考え方をベースに、わたしは動いているのだと思われます。他に思いついたらまた書きます。
■砂漠を渡る男の話
『宇宙の定数』のなかに引用されてた話なんですが、面白かったので載せます。
砂漠を渡ろうとする男という古い小話がある。男には2人の敵がいる。夜、第1の敵が野営地に忍び寄り、ストリキニーネを水筒に入れる。同じ夜、少し後で、そのことは知らない第2の敵が野営地に忍び込み、水筒に小さな穴をあける。男は砂漠を横断する旅を続ける。水を飲もうと思っても水はなく、男は渇きのせいで死んでしまう。
この男を殺したのは誰か。第1の男の弁護人は、鉄壁の論証を立てる。依頼人は確かに男に毒を盛ろうとしました。しかし失敗しました。被害者は毒を飲まなかったからです。第2の男の依頼人はやはり強力な論拠を立てる。依頼人は被害者から水を奪おうとしました。しかしそれは失敗しました。被害者からストリキニーネを奪っただけだからです。それで人を殺すことはできません。
この本に回答は載ってません。ではわたしは読書に戻りますので、犯人捜しはよろしくです。

「科学はどのようにして(how)を突き止めるものである。どうして(why)ではない。」
という言葉があります。例えばどうして私は存在するのかという問い。科学的に説明すればそれは所詮「脳の物理活動の結果」なのです。しかしそれでも私が私たらしめている「私はどうして私なの?」という問いには答えられません。つまりどのようにして(how)私達ができているのかは説明できますが。どうして(why)私達が在るのかという問いには人間には答えられないのです。
何故こういうことが起きてしまうのかというと、私は人間が宇宙という閉じられたシステムの中の一要素でしかないということが原因だと思っています。どんなに科学で観測する視点を客観化してシュミレートしても観測するものがシステム内にいるのだから、そこには限界があるのです。つまり宇宙の外にいる神様しか答えられないってことなんですけどね(笑)。
つまり「科学」では説明できるけど、その実感?(いい言葉が見つからない。この問いのようなこと)はどうしても説明できないんだと思います。私はこうい問題に関しては「我感ず。故にそれ真成り。」の一点張りなんですけどね(笑)。
追伸 はじめましてです。いつもサイト見せていただいて勉強にさせていただいています。下らない高校生の言ってることなんで、汚しになるようでしたら削除お願いします。
確かに科学では、whyには答えられないですね。そこはもう哲学や宗教の領分です(わたしはそっちも好きですけれど)。でも、科学的説明ではなくても、“言い当てること”、「我感ず」の“感じ”をなんとかコトバに直して人に伝え、届かせることは、きっとできるはずだとわたしは考えています。こうだから、赤いんだよ、と言って、なるほど、と言ってもらいたい。そういうゲームをわたしはしてるんだと思います。
システムの中にいるからわからない、は、そうかも知れないですね。わたしが宇宙の事を考えると、宇宙は「わたしが宇宙のことを考えている宇宙」に変化してしまいますからね。
犯人は第2の男だと思いました。被害者は渇きのせいで死んでいます。人が生きていくのには水分が必要です。酸素を奪ったら窒息します。よって水を奪うことは殺害方法の一つになりえると言えないでしょうか?
実は「ストリキニーネ」を検索していてたどり着きました。最近特に自分は物事をあまりよく考えていない、と感じていたので、こちらのサイトでぜひとも勉強思います。それでは失礼します。
なるほど。自分もなんとなく第2の男のほうがより悪い気がしてきました。第1の男がもしいなければ死因は渇き。第2の男がいなければ死因は毒殺。両方がいた場合は死因は渇き。第2と第1の順番が逆だった場合も(水筒は穴あきなので、たぶん)渇き。と考えてみました。