すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

秋葉初詣日記

御茶ノ水駅から神田明神へ。それなりの人出で、社殿まで30分くらい並ぶ。寒い。賽銭を投げて、世界平和と自分に関係する人の平和を祈る。平和? つか後者は前者に含まれるのではないだろうか。自分の分祈り忘れ(やっぱり含まれるのか?)。ITお守りを買うつもりだったのだけど、そこも並んでるので面倒になり、また後日来ることにする。坂を下りて、とらへ! とらのあなへ! 元旦から営業しております。ヨドバシも開いてるので、自分にとってはこれでアキバの稼働率は70%程度と考えて差し支えない。いや、他の店もけっこう開いてたし、人の数自体、普通の休日並みでしたが。ヨドバシの福袋(福箱?)を見るも、ろくでもなさげーなものしか残ってないので帰る。さすがに地元の駅近辺の店とかはあんまり開いてないのでおとなしく帰宅(でも明日から通常営業らしい)。


今日買ったもの。大好きな『LOVELESS 6 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)』。なぜかいまごろ『すもももももも 2―地上最強のヨメ (ヤングガンガンコミックス)』。るーちんかわいいよるーちんの『らぶるーちん 1 (電撃コミックス)』。自分はもしかして「ヲタク好き」なんじゃないかと嫌な想像をしてしまった、つーかもうちょっとヒネろうよ、の『ヲタクだもの』。「どうぶつか」ってなんですか?の『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)』。

人は属性が10割

Zopeジャンキー日記 より 私は属性を信じない 私が信じるのは固有名詞だ


あ、おもしろい。自分と真反対の人がいる、と思いました。ぼくは固有名詞なんてどうでもよくって、属性で判断するひとだからです。しかし記事をよく読むと、どうも「肩書きより人柄だ」「外面より内面だ」系の言い方のバリエーションのひとつとして「属性より固有名詞だ」と言っているように感じました。

よく読むと、そもそも「属性」ということばの使い方がぼくと大幅に異なるので、対立はしないみたいです。ぼくは、およそ「私の○○」という言い方で語れるもの全てを「私の属性」と考えているからです。これなら、「私の作ったもの」や「私の書いたもの」「私の仕事」も「私の属性」になります。もちろん「私の血液型」や「私の出身地」「学歴」「勤め先」も「私の属性」です。

人間はたしかに属性を持っているが、属性から人間は合成できない。
属性はどこにでもあるが、その人は1人しかいない。


「属性」の用法の差異はあるのですが、ここがちょっと引っかかりました。ぼくは人間は「属性の束」のようなものと思っているからです。それぞれの「束」を識別するためのラベルとして「固有名詞」が貼ってあるイメージ。属性から人間が合成できないなら、では、属性のほかにあるものはなんなのか?

例えばなんかの試験で、同点が2人。面接して、一方は合格、一方は落とされた、とします。ぼくが試験官に「なんで落としたの?」と聞き、試験官が「んー、“人”かな?」と言ったとします。したら、ぼくは試験官を「言語化をサボっている」と判断するでしょう。「人」。そんなあいまいな基準でバツ喰らっちゃたまんねえ。どこがダメだったのか、ちゃんと言語に落とし込んで説明しろ、手ェ抜くな、と思うでしょうね。

まぁ、でもいいんです。それでも。言葉にならないものがあるんだよ、でもいい。感情より論理が優勢なこの世の中で、非論理的なものの存在を認めざるを得ないとしたら、それもいとおかしだなーと思いますので。


ちょっと批判ぽい内容になったのでトラックバックしておきます。もちろんそのヒハンは記事(属性)に対してであって、書いた人(固有名詞)に対してではありません。