すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

社会問題っぽいのを語る上で常に自明とされてるらしい2つの前提(を、ぼくは共有できていない)

なんか食べ過ぎて苦しいので適当にいきます。ワーキングプア絡み。


1つ、社会は発展し続けなければならない。
も1つ、人間は寿命まで生きなければならない。


上の2つは社会を構成する大半の人に取っては疑ってはならぬ前提、つーか意識にも登らないくらい明白なことなんだろうけど、ぼくにはそうじゃないんです。

1つめは、先日fromdusktildawnさんが“これかの日本のビジョンは「いかに幸せに衰退するか」だ”(気づいたけど「ら」が抜けてますね)ってエントリを書かれてて、うんやっぱり、これって自明ってわけじゃないですよね?と思った。これについては前ちょっと触れた(ここの最後の方)ので今回はこれ以上触れない。

2つめは、ゆがんだはしごさんが“独身者が、夫婦の愛の結晶を血税で養う必要など無い。”ってエントリで書かれてたんですが。

ジジイとババアは、金が尽きたらさっさと死ね。いつまでも生きるな。お前らが国の負担になってんだよ。
お国の為に、子を産めと言うならば、お前らがまず、お国の為に死ねばいいだろ。


さすがはしごたん!俺たちに言えない事を平然と言ってのけるッ以下略。あとAkkyさんがうちの「釣り」記事に言及してくれたエントリにも、

 少子化に歯止めがかからない以上、僕ら30代から下ぐらいの世代はもう覚悟するしかない時代なのかもしれないと思う。覚悟する機会と時間を与えてもらえなかったいまの高齢者とその少し下くらいの年代をいまの制度下で送り出したあとは、働ける者は何らかの形で死ぬまで働き、働けなくなったら自分の身を自分で処する覚悟をしなければならないのかもしれない。そういう世の中は嫌だし、実際そうならないかもしれないが、覚悟だけはしておいて損はないはずだ。


という部分があった。これですよね。覚悟なんてさぁ、もうできてるもの。「自分だっていつ転落するか解らないって考える頭はないのか?」とか言われたって、こっちはもしそーなって這い上がれそうになければさっさと死ぬつもりだもん。首吊りですよ。どこそこのディスカウントストアでロープを買ってきて、あれとこれとを片づけて、家のここにロープを結んで、事が済んだらすぐ警察が来るよう手配して(やっぱり腐乱死体とか晒したくないじゃない?)、さぁいきますか、ってのを何度も何度も何度も何度も脳内でシミュレートしてますよ。ぼくにはもうこれは決行してる自分の映像が見えるくらいリアルな話ですよ。まぁ実際は発作的に飛び降りになるかもしれませんけれど。ぼくはこれ(=自殺)は自分のためにやるわけですが、結果的には社会のためにもなるし、いいんじゃないの?なんか問題なの?と思う。(できたら政府が姥捨て山を用意してくれればいいんだけど、前提2が優勢なうちは無理でしょうね)


ぼくがこんなふうなことを考えられるのは、たぶん、楽しみを先延ばしにする生き方をしてないから、ってのがあると思う。多くの人は、未来の楽しみのために現在を犠牲にする・我慢してるような部分がありますよね、きっと。ぼくはそうじゃなくて、将来的な目標みたいのが特にないので。日々が楽しければいいや、という生き方で、いつこの人生が打ち切りになっても別に構わない(そりゃ、終わりが気になるマンガとかはあるけど、それはぼくの目標ではないし)。んー、でも、長期的な目標がちゃーんとあって、かつ、1日1日も一生懸命やってるので悔いはないですよ、ってほうが理想でしょうけど。けれど、打ち切り困るよ!って生き方よりは、ぼくはぼくみたいなやり方が合ってるんです。しかしなんだか大半の人は根拠もなく平均寿命かそれ以上は生きるつもりでいるんだよな。

あと、「前提」の1つめと2つめは割と矛盾する。「なぜ人を殺してはいけないのか?」ってーとよく返ってくるタイプの答えに「人を好きに殺してもいいような社会は滅びるから」ってのがあるんですが、じゃあアナタは社会が続けばそれでいいのか?って思う(たとえば自分が死ねば社会のためになることがハッキリ見えたら、喜んで死ねるのか?)。ただただ社会的な効率だけを考えれば、ゆがんだはしごさんが言うように、足引っ張りだから切り捨てた方がいいんじゃない?という部分は出てくる。もちろんこれだって、理想的なのは、社会と個人を両方とも尊重できるようなやりかたなんでしょうけど(そしてそれはある、と言われるんでしょうけれど)。


や、べつに、説得してくれ、って言ってるんじゃないですよ。どうせこんな考えの人間は無視していいくらいの少数派でしょう。ぼくもなにか法律で決まったなら、それを引っ繰り返すような運動はしないです(コスト高だから)。そしてネットの外ではこことは違って浮かないように振る舞うのです。