アジア系の現実の壁とイチローのポジショニング

まぁそういうワケで、今回のイチローの咆哮は私のミーハー魂をゆさぶったのだが、それはともかく、昨日予告した「イチローvs.松井」の話は、昨夜のWBC決勝のESPNコメンテーターがいみじくも言ってくれた。

「松井は日本では屈指のパワーヒッターだが、アメリカの選手と比べるとまぁ並。日本からゴジラが来ると期待していたけれど、それほどのゴジラでもなかった。」

そして、イチローキューバの選手の打撃を、画面をふたつに分けてスローで見せながら違いを解説し、「日本は、体格や気性の違いを生かして、独特のスタイルを確立した。イチローはその代表。」といった調子だった。

松井は、もともとそういうタイプの選手なのだから、別に彼はそれでいい。ただ、アメリカの業界では、際立って日本的な特徴をもったイチローのほうが、むしろ好意的に見られるという皮肉な現実があるように思う。野球のことはあまりよく知らないので、私の印象が正しいかどうかわからないが、それは在米20年近い私の実感でもあるのだ。

いかに、差別はいけないと理想を語ったところで、アメリカの中で東洋系が独特のマイノリティであることは動かしがたい現実である。そして、その中で尊厳をもって生きていくためには、単にアメリカ人と打ち解けるとか実力を養うとかいうだけでなく、私自身のポジショニングが「東洋人としてナチュラルである位置=なんとなくアメリカ人が納得して安心感をもてるポジションに自分をおくこと」であることが、有利なのだと思うようになった。(しかも、私は「女性」という、ダブル・マイノリティでもある)

それは、産業界でも同じことだ。トヨタやホンダが世界でリスペクトされているのは、品質のよさや経営力ももちろんだが、アメリカ車と違う、独特のポジションを作り上げることに成功したからだ。昨日例に挙げた、サムスンやLGの携帯電話も、モトローラノキアと際立って異なる、「今風東洋的」なポジションを作り上げた。

そういう流れで見ていくと、例えば技術標準化のような、建前はともかく現実は欧米中心の、きわめて政治的な世界で、東洋人が真正面から力で戦うというのは、あまりいい戦略ではないように思えるのだ。モバイルWiMAXにおける韓国のWiBro、UMTSにおけるドコモのW-CDMAは、あれでよかったのだろうか?と今ひとつ腑に落ちないところがある。さらに、もっとすごいのが中国の独自3G標準、TD-SCDMAである。まぁ、中国の場合、たとえガラパゴス化しても、「ガラパゴス島」でなく「ガラパゴス大陸」になるので、あれでも通ってしまうのかもしれないけれど、日本や韓国はそうはいかない。日本と中国が4G標準で協力して世界標準を作るという申し合わせが確か以前あったが、そういうのは、ちょっと私にはピンとこない。

例えば、アメリカの技術ベンダーとうまく補完して、それでいて気がつくと不可欠になっているような、アメリカ人から見て安心感のあるポジションをうまく作るような、そういうことはできないかなぁ、と思う。例えば、携帯端末の要素技術では、実は日本のベンダー抜きでは世界の端末が作れないという話はあるのだが、それをもっと影響力の大きい、自社ブランドを確立できる分野で、なんとかできないものかなぁ、と思う。遅れてるアメリカ人にヘーコラする必要などない、と言う人もあるかもしれないが、名を捨てて実をとる賢い戦略、というのもアリではないかと思うのだが。