「非現実」がアニメの独壇場でなくなると・・・

これを読んで、そういえば、と思った。

アニメ----破綻したビジネスモデル - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)

こちらアメリカだが、ウチの子供たちも、そういえばここ1-2年、全くテレビ・アニメを見なくなった。上の子が10歳なのでもうアニメを卒業するというのはわかるのだが、下の子は6歳。(単に兄の影響で他のものを見るだけかもしれないが。)先月は学校の新学期だったので、バックパックやTシャツなど、学校用品を買いに店に行ったが、そういえばアニメのキャラクターで目新しいものがあまりない。今年の男の子用の新しい人気キャラといえば「トランスフォーマー」だが、これはCG映画。他にも人気のあるキャラクターは「スパイダーマン」「カーズ」などの映画モノが多く、2000年代前半に一世を風靡した「スポンジボブ」のような、典型的なテレビ・アニメのキャラクターで人気爆発したもの、というのが最近思いつかない。

もともと、アメリカでは「KAGOY(Kids Are Getting Older Younger)」現象と呼ばれる、昔よりも子供が早く玩具を卒業する傾向がある。以前読んだ新聞の記事では、「昔は10歳ぐらいまではトイザラスの顧客、と思われていた」ようだが、トイザラスなどの玩具専門チェーンが経営不振なのは、ウォルマートのせいばかりでなく、こうした「子供の玩具離れ」が背景にある、ということだった。子供の年齢に合わせたバースディカード、というのがあるが、最近トイザラスでは7歳以上のカードはほとんど置いていない。つまり、トイザラスで誕生日プレゼントに玩具を買うのは6歳まで、ということなのだろう。そういえば、上の子も7-8歳頃、「ポケモン」や「スポンジボブ」の絵のはいったキャラクター商品を「ガキみたいだ」と嫌がるようになった。

もう一つ思うのが、CGが発達したために、映像作品において、非現実的な「ファンタジー」が実写でもできるようになり、「アニメ」の独占市場だった分野を侵食しているのでは、ということ。

テレビはあまり見ないのでよく知らないが、映画で考えてみると、このところ大ヒットする映画というのはCGをふんだんに使ったファンタジーものが多い。*1「Finding Neverland」*2のメイキング映像の中で、それまでの舞台や白黒実写映画の「ピーターパン」に比べて、ディズニー・アニメの「ピーターパン」は、圧倒的に自由度が高く、空を飛んだり鳥に乗ったり、といった夢の世界を自由自在に表現できた、という比較をしていた。確かに映像で比較するとこの差はものすごく大きい。ところが今は、実写でもアニメ並のファンタジー表現ができる。「ハリー・ポッター」も「ナルニア」も、アニメにする「必要」はすでにない。

そうなったとき、同じような表現ができるなら、生身の俳優が出ているほうがいい、と思う人も多いだろう。やっぱりアニメのほうがいい、という人も一方にはいるだろうが、それでも、これまで「実写では不可能」なことはアニメの独壇場だったのに、実写がその市場を侵食することができるようになってしまった。これに対抗するには、ピクサー並みの「高品質」にするか、「低コスト」で勝負するか、そうでなければアニメ独特の表現やカルチャーに工夫を加えるしかないだろう。映画でいえば、アニメ大作の題材は、「実写ではまだまだ不可能」であり、「生身の人間の魅力」には関係のない、動物モノ(または「カーズ」や「ロボット」のように全く人間が出てこないもの)ばかりになっているように思う。業界的にも、アニメから実写にお金が動いているような気がする。日本でアニメ制作現場の「悲劇」が問題になるのは、生息場所が小さくなっている中で第二の選択肢(「低コスト」戦略)に走らざるを得ないから、ということがあるのではないかと思う。(ただし、日本の映像産業では、アニメだけでなく全体的に、コンテンツ制作者にお金が回りにくい構造になっている、という話もありそうで、これについてはまた別のエントリーで書く予定。)

我が家のケーススタディでは、まず子供たちがテレビを見る時間が減り、パソコンに時間が移動していることもあるのだが、アメリカで放映されているテレビアニメ(日本から輸入しているものも含む)が相対的に(あるいは低コスト化によって)「つまらなく思える」ようになった、ということもあるように思う。

*1:歴代の世界興行収入トップ3は、「タイタニック」「ロード・オブ・ザ・リングス(3)」「パイレーツ・オブ・ザ・カリビアン(2)」。一方で、CG大作で大失敗も多いのもご承知のとおりだが。

*2:「ピーターパン」の原作者、J.M.バリーが、この作品を書くに至った経緯をドラマにしたもの