2009-06-03 梅田氏と「アテネの学堂」
■[ネット] 梅田氏と「アテネの学堂」
梅田さんの発言記事がネットで盛り上がっている模様。
日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編) (1/3) - ITmedia ニュース
Web、はてな、将棋への思い 梅田望夫さんに聞く(後編) (1/3) - ITmedia ニュース
404 Blog Not Found:梅田望夫は「残念」なただ一つの理由 (他はこのDan Kogaiの中にリンクがいっぱいあるので参照)
渡辺千賀といい、あーあ、言っちゃった、何か心境の変化でもあったのかな、などと思いつつ。
叩かれるのは覚悟の上で言ったんだろうけれど、少なくとも私の見える範囲で彼の発言を叩いている内容を見る限り、梅田さんのフラストレーションは当たってるなぁ・・・と思ってしまう。以下は私の解釈ではあるが。
梅田さんが「好き」であって、日本でもその登場を期待したネットの世界とは、「バーチャル・アテネの学堂」だったんじゃないかと思う。ネットの上でアニメが氾濫することも、ネットで大もうけするベンチャー企業も、あったっていい。ネットという無色透明なツールの上では清濁なんでもありだし、アテネの学堂の運営を長期的に支えるなんらかの金銭的なサポートも必要ではある。
しかし、本当のところは、そういった大きな仕組みの中で、「チープに手軽に、地理的制約もなく、自らの考えを公表したり議論したりすることができる」という特徴を使って、知的な議論が交わされ、シリコンバレーでよく使われる用語を使って大げさに言えば「世界をよりよくするため(to make the world a better place)の知識」が形成され、それが多くの人の手によって実行に移されていくことが「すごいこと」なんだと思う。ギリシア時代のアテネの学堂には、奴隷をいっぱい持っていて自分では働く必要もなく豊かな生活をしている暇人しか集まることができなかったけれど、ネットというツールを使えば、たとえうつし身は日本企業の泥沼や子育ての桎梏にあったとしても、心だけはアテネの学堂に参加することができる、ということが「すごいこと」なんだと思う。
この「アテネの学堂」の世界については、以前「空海の風景」についてのエントリーの中で言った「現代の長安」や、物議をかもした「日本語が亡びるとき」では「読まれるべき言葉の連鎖」だったかな?という言い方で表現されている、そういったものと共通の概念だ。
その世界が、これだけ「知的能力」の高い人がたくさんいながら、日本では絶望的に小さいということが、梅田さんが「残念」と言っていることなんじゃないかと思う。
繰り返すが、ネットは天下の公道で、そういう人たちだけのものじゃない。サブカルにもEコマースにもどんどん使われて大歓迎だけれど、この「アテネの学堂」の世界に限って言えば、「知的エリート」だけの世界である。すぐにメシのタネになるわけでもないのに、へとへとになるほどの頭脳エネルギーを絞って、知の形成過程に参加することに甘美な楽しみを見出せるような類の人だけの世界である。それが、全然ないわけじゃないだろうけど、あまりに小さく弱いと見える。
つまり、彼は日本(あるいは日本語世界)の知的エリートたちがふがいないことを攻撃している。同時に、知的エリートの世界に参加したいと潜在的に思っている人たちをつまらない嫉妬で引きずりおろそうとする「大衆の愚」に怒っている。
バーチャル・アテネの学堂が成立するためには、ネットというツールだけでは不十分で、背後に「にわかには役に立たないけれど、知識を共有して議論する過程はかけがえのないものである」という思想が必要で、そのためには参加者も、十分な数と質をもって必要だ。日本では、「図書館」や「博物館」の外側の仕組みだけ取り入れたけれど、その中にはいるべき「知の共有の大切さ、それを守るための重大な決意」が欠けている、という友人の言葉に賛同して、その「中味」を入れようとする彼女の活動に、私もささやかながら賛同しているワケで、昨日の「フェアユース」の話もその流れで考えていることである。「著作権」と対立する概念は、「サブカル・コンテンツをタダノリして見られる権利」ではなく、「知の共有と流通」という人類的な価値であって、それが「フェアユース」とか「パブリック・ドメイン」という形になっている。
梅田さんをバッシングするエントリーの中で、ここのところをきちんと「そうじゃない」といっている反論は、私は見ていない。やっぱり、これだけ著作を書いて、講演をしても、理解されていないのだろうか、と思う。同時に、自分もそのふがいない知的エリートの一人として、彼の批判を受け止めている。
こうやって書くと、「自分をエリートとか言って思い上がっている」というコメントがつきそうけだれど、それこそが「大衆の愚」だ。バーチャルな学堂では、自分が参加したいと思えば誰でも知的エリートになれるし、その自由な活動を大切なものとして守るには戦いも時には必要なのだ。だから、私は最近、そういうことを続けて書いているのだ。
<おまけ>「がくどう」と打つと、「学童」の変換しか出てこねー・・・そりゃ、ウチのガキは今日も学童行ってるよ・・・
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- Tech Mom from Silicon Valley - 日本型アテネの学堂を目指す「WIS...
- For the JTPA2009 - WISH2009でWebの未来を考える
- achickcanaryの日記 - がくどうがなかなか
- UNSTOPPABLE! - アジアの中での日本のWeb
- 科学信仰 - そして「アテネの学堂」
- 446 http://b.hatena.ne.jp/hotentry
- 445 http://reader.livedoor.com/reader/
- 268 http://d.hatena.ne.jp/
- 210 http://blog.tokuriki.com/2009/06/post_447.html
- 205 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20090603/1244052161
- 193 http://www.google.com/reader/view/
- 178 http://www.google.co.jp/reader/view/
- 163 http://kirik.tea-nifty.com/diary/2009/06/post-9772.html
- 126 http://b.hatena.ne.jp/hotentry/it
- 120 http://twitter.com/



「2ちゃんねらー」意外な実像 14%が年収1000万以上
http://www.j-cast.com/2009/05/27042011.html
ニュー速VIP底辺。・゜・(ノД`)・゜・。
http://kanchigai.blog.shinobi.jp/
その形だと、後々に「財産」を形成しにくいと思う。
「議論のまとめwiki」的なモノを
常に作る体制にあったりすれば、また違うかもしれんけれども。
「議論をする」だけじゃなくて、
議論後に新しい「何か」が創出されることを
梅田さんは日本のWebにも望んでいるんだけども、
創出されている分野が梅田さんの言うところの
「ハイデフ」部分で不足してる点を
「そこが問題だ。」と梅田さんは指摘してる、んだよ。
って、俺の勝手な解釈ですけれども。
目を覚まさせてくれて有難う。
しかし、国の会議は議事録を残しているが、どれだけの人が利用しているのだろう?
例
文化審議会著作権分科会(第28回) 議事録・配付資料
http://www.bunka.go.jp/chosakuken/singikai/bunkakai/28/index.html
海部女史も読んでなさげ。
文化審議会著作権分科会法制問題小委員会(第1回)議事録
http://www.bunka.go.jp/chosakuken/singikai/housei/h21_shiho_01/gijiyoshi.html
ブクマ・コメントなんて無視すればいいだけの話。
日本人に足りないのは知的な厚みじゃなくて知的ソサエティの形成能力というか、傍目を気にしたり足を引っ張り合わずに「群れをつくる力」(爆)だったりして
「知的エリートの世界に参加したいと潜在的に思っている人たちをつまらない嫉妬で引きずりおろそうとする「大衆の愚」に怒っている。」これに尽きると思います。
Kさんが2chでは駄目なのか?と問いかけられましたが、「大衆の愚」の総本山といえる2chでは駄目です。2ch自体、匿名の陰に隠れて罵倒する文化を助長しているのは議論するまでもない事です。
表面しか見ず、それこそ「大衆の愚」に陥っているのではないか。専門板とか行かないのかね?
2chの普段行かない板へ旅してみませんか 「専門板の歩き方」
http://blog.livedoor.jp/greenew/archives/1209410.html
たかがWebな訳でw(あ、これもネガ?w)
「わかっている」人に対して、珍妙な独りよがりな考え方を開陳して相手に「対等」であることを主張して得意になっている図は、なぜか日本人ばかりによく見られるのはどうしたことでしょう。この点については知の総本山であるべきアカデミックの世界でもあまり変わりありません。
誰が「わかっている」人なのかは、それがどれだけ普遍的な思考であるかによって簡単に判断できます。普遍的な思考は他の社会、歴史、さまざまな局面で繰り返し現れるのものなので、わかっている人にはとても自然なことでしかありません。
2chが匿名主体である時点で「バーチャル・アテネの学堂」にはなりえない。梅田さんや海部さんが匿名で参加されても名無しじゃ判別できないでしょ。
>表面しか見ず、それこそ「大衆の愚」に陥っているのではないか
ここで言う大衆の愚というのは、表面しか見ない人のことではありません。
「知的エリートの世界に参加したいと潜在的に思っている人たちをつまらない嫉妬で引きずりおろそうとする人たち」の事です。
●発言が蓄積されにくい
これは既に上で言われていますね。
●ノイズが多すぎる
学問には事実と検証の積み重ねが不可欠ですが、レスの内容は事実から誤解、言い間違い、事実にウソが混ぜてあるものなど様々。vipでも専門板でもそれは同じです。議論を始めるにはそれらの中からまず内容を検証して事実を抽出することから始めなければならないけど、あまりに効率が悪すぎる。それに、
●過去の発言者にアクセスするのが難しい。
例えば「過去スレpart2の>>5と>>985の発言のソースは?」などと言ったときに発言者に接触する手段がありません。スレ中で問いかけたとしても発言者に届くかわからないし、届いたとしても回答がくるとは限らず、回答があったとしても本人を装ったウソ発言であるかもわからない。場合によっては過去スレがまだhtml化されておらず他の人が助言もできないまま問いかけそのものが流れる可能性も大きく、事実と検証の積み重ねが非常に困難です。
このような話題のBlogで、コメントとはいえ具体的にでてくるのが2ちゃんねるばかりというのが、今の日本のインターネットの狭さを現しているように思えます。正直「アテネの学堂」たりうる場所は残念ながら私にも思い浮かびません。
以前に、「史上空前の論文捏造」なんてドキュメンタリーを見たが、最先端研究は細分化され検証が難しい。専門家が少ないので、アクセスも難しい。
現実でも、事実と検証の積み重ねが非常に困難だと思われます。
それに、清流に魚は住まないと思いますよ。
論文捏造 (中公新書ラクレ) 村松 秀
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4121502264/
科学の殿堂・ベル研究所の、若きカリスマ、ヘンドリック・シェーン。彼は超電導の分野でノーベル賞に最も近いといわれた。しかし2002年、論文捏造が発覚。『サイエンス』『ネイチャー』等の科学誌をはじめ、なぜ彼の不正に気がつかなかったのか? 欧米での現地取材、当事者のスクープ証言等によって、現代の科学界の構造に迫る。なお、本書は国内外、数多くのテレビ番組コンクールで受賞を果たしたNHK番組を下に書き下ろされたものである。【本書は科学ジャーナリスト大賞2007を受賞いたしました】
あなたが挙げられている例はまさにその通りです。
そして、それらができないことが2ちゃんねるの「アテネの学堂」たりえない弱さです。
なぜ捏造した過去の論文で検証番組が成立するのか?捏造の経緯を詳細に調査したうえで出版物や番組にまでできるのか?それは智の礎として既に確立され広く認知された場所で起こったからこそ問題になり、そして困難とはいえ知が蓄積され専門家が集まる場所だからこそ詳細な分析が可能なのです。きちんと検証されたうえで間違いも訂正も記録として遺されていくのは、むしろそこが正常に機能している証です。
一方で同じことが今の2ちゃんねるで可能かというと疑問に思わざるを得ません。
そもそも2ちゃんねるはそれらと同じレベルの場ではありませんから、(名誉毀損や詐欺などでもないかぎり)「レスの内容が事実と違う」といってテレビや出版物でまで特定のレスや個人が糾弾されるような事は私には想像できません。
あるいは「歴代○○シリーズから真実のみを検証するスレ」みたいなもので過去のレスを検証するような場が存在し機能しているか、取捨選択したうえできちんとまとめて新たな議論の土台として活用する場があるのかといえば、私はそのようなものを見たことはありません。
私は2ちゃんねるが悪いと言っているのではなく、ここでのblog記事が話題にしていることとは方向性が違うと言いたいのです。
専門家も含めて沢山の人々が大量の発言をすれば「アテネの学堂」たりうるのだろうか?
一方で、2ちゃんねらは世の人々が正しい知を共有するためには、必ず実名(または個人が特定可能なコテ)でレスを行い、その発言に至るまでのソースや思考過程を全て明確にして、それを専門家が寄ってたかって徹底的に検証したうえで記録として残されるのが当たり前という(少なくとも既存の学会レベルの)場になって欲しい、と思うのだろうか?ということです。
>同時に、知的エリートの世界に参加したいと潜在的に思っている人たちをつまらない嫉妬で引きずりおろそうとする「大衆の愚」に怒っている。
誰でも参加できて、誰でも知的エリートになれるのに、なぜに嫉妬で引き摺り下ろされるのでしょうか?他人からの批判(や中傷)に耐えられないから仲間だけの部屋がほしい、気に入らない連中はたたき出せ!ということですか?
逆に匿名での議論が許されていたら、もっと早期に疑念がでたかもしれません。
>実際は殆どの人達が「大衆の愚」じゃないのですか
単純明快に見えるこの考え方こそが知の学堂存続を阻む「残念」な状況を生み出す典型なのではないでしょうか。実際はそうでなく、
自分の身の程にあった題材であれば、誰であれ知のエリートとして参加できる資格があるのです。自分の身の程を遥かに超えてしまっ
た議論・題材に踏み込むとき、それが「大衆の愚」としての行動になってしまう、ただそれだけのことなのだと思います。
嫉妬・妬みはアメリカにも別の形で強く存在していると感じています。ただ、現実的にそれを向ける対象が彼我で違っているのでしょ
う。身の程知らずであることを痛烈に思い知らされることが少ない日本だからこそ、「大衆の愚」が顕在化し、問題化するという図式
があると感じます。(アジア諸国ではどうでしょうか?言語の問題で私にはわからない世界です。)
自由主義・民主主義の否定じゃないの?
それに、学習の機会を奪う事にもなる。
例えばフェルマーの最終定理では、誰も解けないたった1つの数式のため、世界中から数学者が直接間接に努力を注ぎ込み、新たな理論や技術を磨きあげて専門分野と専門分野の間を埋める新たな分野を誕生させ、そこから新たな理論を生み出していくということを繰り返して360年をかけて回答を得たそうです。
あるいは小林敏英・益川誠の両氏がまだ若手だった35年前に「クオークは6つある」と予言した時、世界中の専門家のほとんどがせせら笑って見向きもしなかったと言います。しかし、彼らの理論はそれまでに無かった新しい理論の出発点となって少しづつ理論と検証を積み重ね、小林・益川理論として確立されて昨年のノーベル物理学賞受賞にまで発展していったそうです。(私はどちらも専門ではないので受け売りですが)
完全に同じと言う専門家はほぼ存在せず検証ができないのであれば、その専門分野が成熟し検証ができるようになってから答えを出せば良いのではないでしょうか。そのための絶え間ない検証と蓄積こそが知の発展には絶対に必要であり、それができない場所は「アテネの学堂」にはなれない。
そして、その必要な要素が今の2ちゃんねるには欠けている、というのが何度も書いてきた私の考えです。
それに匿名・署名にはそれぞれメリット・デメリットがあると思いますよ。
例えば原則匿名の2ちゃんねるでも、発言者が特定可能なトリップ機能が使えます。vipのまとめブログなどでも「>>1は鳥つけろ」と要求されたり、あるいは自主的にトリップをつけることが見られます。単なる雑談や経験談レベルのこととは言え、発言者が特定できることで誰がどの発言をしたか確認する負担が減りますし、なりすましを防止できるなどのメリットがあるからこそでしょう。
もし小林・益川両氏の予言が完全に匿名でなされていたとして、それを名誉欲にかられたその道の権威が「あの予言はワシが育てた」と言い出したら一体どうなっていただろうという妄想もできます。
いま2ちゃんねるが原則匿名であるのは、匿名で得られるメリットをより重視しているからだろうし、それを方向性が違う他の分野にまで求めるのは違うのではないかと思います。
アインシュタインは「神様はサイコロ遊びなどしない」と言って生涯量子論を批判し続けたそうですが、
アインシュタインほどの天才ですら専門とは違う分野に「自分の身の程を遥かに超えてしまった議論・題材に踏み込むとき、それが「大衆の愚」としての行動になってしまう」
恐ろしいことです・・・
逆に、凡人であっても努力によって身の丈を大きくしていけば「誰であれ知のエリートとして参加できる資格がある」。
これは大きな希望ですよね。
なるほどなあと思いました。
そして自分の思いこみにしがみついてしまうと「大衆の愚」にさらに拍車がかかり、「ある」ものを「無い」といって、また、「無い」ものを「ある」といって他人を攻撃し始めるようになるのかなあとも思いました。
インターネットという器がみんなの手に行き渡り、誰もが大衆の愚を犯し得る一方で、誰もが知のエリートとして参加できるようになった。
あなたは、そして日本人は、その器を一体どう使いこなしていくのか?
そもそもこのブログエントリ自体が大変な出題になっているんですよね・・・
林敏英・益川誠の両氏を笑った専門家と同じで、「2ちゃんねる」など日本のネットの可能性を無視している様に思えるのです。
知者と知者が学堂で議論する事で新しい物が生まれるが、「大衆の愚」が足を引っ張る。これが望夫ちゃんが言ってる事そのものだろうね。ここで問題なのが、知者と愚者を分けてる事なのよ。
将棋で語ってみよう。将棋の世界に置いて「アテネの学堂」は過去の棋譜集だね。きちんと整理された知識の固まりだ。羽生さんと谷川さんは過去の知識を学びその上で知者同士の華麗な戦いをしている。と、望夫ちゃんは思ってるんだろう。
しかし、羽生さんは過去から学んだ最前手を打つ、谷川さんはそれを全力で否定する。(谷川さんと羽生さんは逆でもいいけどw)その過去を否定する事が新しい物を生んでいるのが現実だ。羽生さんも谷川さんも勝つためなら過去の知識に対して「大衆の愚」となり否定するんだよね。知識の否定には知者も愚者も無い。
何が言いたいかというと、知者同士の議論だって相手を否定する時はどんなに笑われようが「大衆の愚」となって否定するんだよね。勉強して知識を集めればエリートになれるが、天才は愚者になってその知識を否定できる。天才は恐ろしい。
知識あるエリートで華麗な議論をしようといってるのがこのエントリーと望夫ちゃん。しかし、知識人同士の議論だって相手を否定しようとすれば「大衆の愚」または愚者となるんだよね。
ネット上の知識を増やしていったら、それを否定する「大衆の愚」も増えていく矛盾。知者が増えれば、それを否定する愚者も増える。お行儀のいい議論なんてのは理想論なのかもね>望夫ちゃん
まぁ、ネット上の知識を増やし整理整頓していくのは大賛成だけどね。
わかりやすく表現していただいて、ありがとうございます。
>誰もが知のエリートとして参加できるようになった。
自分の身の丈を少しだけ超えてしまう場合も含めて、ある場面に出くわしたとき、自分がその事態に関する特別な知識を持っていることが自覚できるが故に、タイミングを外さず発言すべきだと感じることがきっとあると思います。この世界のどこかで自分がたまたま持っている物が必要とされているときに、ためらわずにそれを提供することができること、それがネット上での知的なコミュニティー成立の大きな原動力なのではないかと思います。
>このブログエントリ自体が大変な出題になっている
海部さんがこのエントリをこのタイミングで出されたこと、そのことがやはり素晴らしいことなのだと思います。自分が行動すべきだと感じた方が即座に行動に移すことの大切さを感じましたし、それがネットの可能性なのだと思います。
適当に集まってそこそこ楽しくやっているならいいかげんでいいのかもしれません。しかし、それではもう満足できない人達には、今までとは違った新しい場所を作っていくしか方法がありません。
例えば、食事もろくにとらず寝る間も惜しんで趣味に没頭し、それをネットで公開している人がいるとします。
その趣味は、もしかしたらマンガを描くことかもしれないし、作曲・演奏することかもしれないし、小説やネタスレを書くことかもしれない。
そして同じように、脳みそを振り絞って世の中をよくするための知恵を作りだしたい、という趣味を持った人達がいるだけの話ではないでしょうか。
「自分で作らずにいられない!」「作り上げたものを誰かと共有せずにいられない!」という、食欲や睡眠欲すら上回るほどの欲求に突き動かされている人にとって、同じ趣味をもち、同じ気持ちを持った人達が集まり、自分の能力を注ぎ込んで作り出した大切な作品を発表する場所が一体どれほど大切な場所か、理解するのは難しい話ではないと思います。
そういう場所を求める事は2ちゃんねるの批判などでは全くない。
ましてや日本のネットの可能性を狭めようとする話でもない。
そういう人間同士が集まり、本気で力を合わせたり批判し合ったりしている相手は、間違いなくその人である、という安心をもつだけの理由だったとしても、お互いが身元を確かにできる事というのは必要だと思います。
衆愚しかなくて、インテリ(頭がいいかどうかじゃなく、そういう場が無い&少ない)事が問題ではないかと。 もう衆愚はたくさんあるじゃん。 単にサービス提供側がその可能性に気づいていないだけかもしれないよ。
>123さんの発言そのものが、本質を突いてます。
>>実際は殆どの人達が「大衆の愚」じゃないのですか
>単純明快に見えるこの考え方こそが知の学堂存続を阻む「残念」な状況を生み出す典型なのではないでしょうか。
そういうことではなく、
シリコンバレー組ブロガー(英語圏ネット素晴らしい、日本語圏ネット駄目)が情報を提供し、彼らの読者(自分は大衆の愚ではないと思っている人達)がそれを阻害していると言いたいわけです。
この手の発言に日本人的な反応をすると、それを大衆の愚だとわかったようなレス(知的エリート然とした発言)をする人達が多いけど、そんなフェアでポジティブな態度を売りにするところがいかにもアメリカ的で、私には大衆の愚にしか思えないということです。
そもそもこの人達にはマクロを論ずる割には、比較対象が日本とアメリカしかないところが大問題だと思います。他の国々のネットを状況と比較すれば、日本人のネットリテラシーやネット文化は素晴らしい面が多々あります。
梅田氏とその周辺がハイブロウ好きで、日本国がだめでも、日本のネットにバーチャル・アテネの学堂を期待しても、そして日本のネットが残念でもいいけど、過去何度も繰り返され、わかりきったような日本批判をしているのが、シリコンバレー日本代表みたいな人達なのでとても残念です。
国際会議を「炎上」させる“個別の”名無したち、ブラック・ブロック
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20090604/196727/?top
ああ、なるほど!
123さんのコメントのおかげで、やっと私なりに問題の本質が見えてきました。
この問題は、大雑把に言ってある意味正反対な2つの解釈の人達が入り交じっており、その違いが明確でなかったため根本的な部分ですれ違いが起こっている。
どちらもまず「あっち側」と「こっち側」という2つが存在する事までは同じ。しかし、そもそもの分け方からして違っていたのに気づかないままお互いを攻撃している。
両者の違いを際だたせるため、非常に極端な書き方をしてみました。
(当然ながら、123さんがこれをこのまま思っているんだなどと言っているのではありません。念のため)
全ての人がこの2通りにはっきり分かれるとは限らず、もしかしたら混合型のようなものもあるかもしれないし、どちらとも違う別の型もあるのかもしれないということを初めにお断りしておきます。
*****「内輪もめ」型の認識・解釈*****
※この問題を、「こっち」内部での嫉妬と足の引っ張り合い=内輪もめレベルの話と思ってる。
【あっちとこっちの分け方】
●あっち
→日本よりもちょっと進んだネット界。具体的な例としてアメリカ。
●こっち <<批判者も梅田さんも、両方こっちにいると思っている>>
→自分達の居場所である日本のネット界。
この中の人同士がさらにAとBの二手に分かれて争っている。
【この認識の人はこういう問題として見ている】
こっちの人A(梅田さん達側)
「こっちもあっちに負けずにみんなで集まってすごいことやろうよ!
こっちの人達(梅田さん自身含む)はみんな実力もってるんだから!」
こっちの人B(批判者側)
「なんかおまえら偉そうで気にいらねー
日本のネット界とか俺らに関係ねーし
絶対おまえらの好きにゃさせねー」
こっちの人A
「何で(同じこっちの人間同士)足のひっぱり合いするんだよ!
日本のネット界はもっと発展できるのに!」
*****「領土紛争」型の認識・解釈*****
※この問題を、「あっち」vs「こっち」、敵から自分たちの居場所を守る=領土紛争のレベルと思ってる。
【あっちとこっちの分け方】
●あっち <<批判者は、梅田さん達はここにいると思っている>>
→アメリカのネット界こそ最高、日本のネット界はくだらねーという、
エリートを自称するシリコンバレー組と取り巻きの集まり。
●こっち <<批判者は、自分達はここにいると思っている>>
→日本のネット界で、平和に楽しくネットライフを楽しんでいる人達。
【この認識の人はこういう問題として見ている】
あっちの人(梅田さん達側)
「日本のネット界レベル低すぎだろ。
ホンモノ知ってる俺たちエリートがアメリカ並の理想郷に変えてやるよ」
こっちの人(批判者側)
「ふざけんな!何かっつーとアメリカアメリカ!
日本には日本の良さがあるし、だいたいここは俺達の大切な居場所だぞ!
絶対おまえらの好き勝手にはさせないからな!」
あっちの人
「お前ら自分達のレベルの低さをちょっとは自覚しろよ!
日本のネット界はもっと発展できるのに!」
**********
梅田さん達は(あまりに当然すぎる前提として無意識のうちに)自分が「こっちの人A」であると思っており、「こっちの人B」も含む日本のネットユーザ達に、日本のネットを一緒に良くしていこうよ!と一生懸命話しかけているつもりだった。
しかし、話かけられた相手が梅田さん達を、今の日本のネットを破壊しかねない敵「あっちの人」と認識していた場合、一生懸命に話せば話すほどかえってお互いの溝がさらに深まっていく・・・
お互いの勘違いに気付かないまま、誰も得にならず誰もが消耗するだけの闘いを続けてしまっているのかもしれない・・・
負のスパイラルに陥り、疲れ果ててしまったのが今の梅田さんなのではないでしょうか?
まずアメリカは「アテネの学堂」をそのまま実現していると考えます。アメリカで、「大衆の愚」になりうる層は日本以上に自分の生活あるいは職業分野以外に関して無知あるいは無関心で、それでいて自分が一番正しいと考えています。現在私は北米理系トップ学部の博士課程に在学していますが、他の学生はいわゆるエリート大学を卒業した人々と例えば、アメリカの時事や歴史について話をする際、新聞や教科書に出てくるような極々基本的なことすら知らず、議論にすらなりません。しかし彼らは私がとにかく間違っているとかたくなに信じています。また彼らにとっての議論とは、堕胎や同性愛程度だったりします。そもそも他で議論がなされていることすら知らず、自分が正しいと素朴に思えるような人々は、誰かに対して嫉妬することもなければ、議論をする必要すら感じないものです。その一方、実際に専門知識のある少数の人は邪魔されることもなく、その職業倫理に従って議論できるのだと思います。私はこのような知のあり方や人生観が現在のアメリカのよい部分も成り立たせているのだと考えます。ブログの著者の方はご自身の専門分野の中級以下の技術者や専門外の人とお話をしたことがないか、あえて無視して議論を進めているのではないかと思います。
日本の経済発展は中級以下の技術者が支えたとの意見もありますが、そういった人々をより無関心にして現在の生活に満足するように仕向け、日常の小さなサービスなどを低下させつつ、「アテネの学堂」を作りたいというのであればそれはそれで一つの見識です。もし、日米の違いを作り出す社会背景を無視して議論していたのならそれは知的エリートのすることではありません。もし社会背景が重要でないならば、残念でない他の国の例をあげていただければと思います。
最後に、社会背景は変わりうるものですしそれを変えるのは、合理性を省みない人間の狂気だと思います。梅田さんはその点中途半端です。
>ブランさん、
私は誰がどんなポジションだとか、議論が食い違っているとかは全く問題視していません。日本ネット界で影響力のあるシリコンバレーブロガー達が歴史や文化を無視して、単純な比較それも恐ろしく狭い見識で大上段なことを主張していることが全く残念でなりません。
ハイブロウが好きとか、日本国が立ち直れないとか、「バーチャル・アテネの学堂」だとか言う割りにはお粗末な彼らと、ネット上の「知的エリート」を自覚するユーザが彼らに長い間共感してきたという構図が、私にとっては「大衆の愚」にしか思えないわけです。
加えて言えば、アメリカ人なら別にシリコンバレーに限らなくても誰もがポジティブで前向きな態度を持っています。そんなことが特別のことのように主張され、日本ネット界の「知的エリート」の間で共感を得て、繰り返し引用され、重宝されることが、全くもって大衆の愚にしか思えません。
富の9割を1割が占有しているなどの、特権階級の存在を許しているのだから。
上手く飼いならされているか、「知的エリート」=「特権階級」なのだろうね。
実は、婉曲なシリコンバレー批判だったのだろうか。であれば、謝罪する。