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2010-11-21 イギリスは「グレースフルなる衰退」をしているのか

[][] イギリスは「グレースフルなる衰退」をしているのか 10:54

池田信夫先生の記事を読み、この本を読んでみた。たいへん面白かった。

イギリス近代史講義 (講談社現代新書)

イギリス近代史講義 (講談社現代新書)

私はたまたまこれまで縁がなく、英国を初めて訪れたのは今年の夏だった。世界を歩きまわるのが趣味だった若い頃から一転、子供ができてからは身の自由がなくなったので、全く初めての国に行くというワクワク体験は15年ぶりぐらい。それも仕事でもなく、家族の面倒を見るdutyからも解放され、一人きりで、朝起きて今日は何をするか好きなように決められ、さらに気のおけない古い友人たちと会うこともできたという、人生最高の休暇だった。

まぁ、そういった非日常高揚感の中で見たので、初めて見た英国の風景は、もしかしたら事実よりも美しく歪曲されて私の目に映っていたのかもしれない。お気楽ミーハー観光客をやっていたので、キレイなところしか見ていないのも事実。それでも、町中がディズニーランドかと思うほど、隅々まで古い時代のままのケンブリッジ、郊外通勤列車から見る美しい田園、その昔ビートルズの映画で見たままのロンドン市街など、郊外も街中も、お伽話の絵本のような風景が続く。例えばニューヨークやサンフランシスコなど、アメリカの大都市なら、薄汚い地域がどうやっても避けられないほど膨大に広がっているが、たまたま私の動線の中にはそれが見えなかった(もちろん、ロンドンにもあるのだが)。あるいは日本の古都、京都や鎌倉だったら、お寺や史跡周辺以外の部分は、普通の都市と同様、空調や防災の機能を備えた普通のビルが立ち並んでいるが、ロンドンの中心街はそれすらない。それでも金融・商業・ファッション・文化施設などが集中した大都市で、便利で生活水準は高い。

イギリスはどうして、こんなにキレイなのか。一説には、イタリアと同じで、老大国となって「観光立国」が今や至上命令で、ロンドン・オリンピックに向けて大整備やってるから、という話も聞かれた。それにしても、地価の高いこの大都市でこんなに効率の悪い建物や仕組みを残したままで、どうやってこれが成立しているのか、本当に不思議だった。何百年にもわたって蓄積した富がインフラとして固定化された結果だろうと漠然と思うけれど、現在では(少なくとも相対的には)「衰退」している国で、どうやってそれをうまくやっているのか。

通信で「graceful degradation」という用語がある。日本語でなんというのか知らないが、無線において、回線速度が遅い環境の場合に、機器側が自動的に対応して処理スピードを合わせて落としていくことを指す。その用語を使うと、日本が衰退するのは仕方ないが、どうせやるなら「グレースフル」にやりたいものだなぁ、と常々思っていたが、イギリスはうまいこと「グレースフルなる衰退」をできているんじゃないか、と思ったわけだ。

それをどうやって戦略的にできるのか、という回答がこの本で得られるかと思って読んだのだが、残念ながらその部分はあまり言及されていない。「衰退論」の部分は、「果たしてイギリスは衰退しているのか」という点だけに絞られていた。本自体は、近世から産業革命に至るイギリスで、「消費」や「生活」面から見てイギリスがなぜ発展したのか、という点については非常に面白く、例えば「産業革命の初期、大量生産された製品はおもに生活用品で、それを買ったのは主婦であって、彼女らはどこでをれを買うお金を得て来たか」といった、社会構造や家族といった観点からの分析や、「中核と周辺」「世界構造」といった分析モデルもわかりやすい。いろいろと参考にしたい部分が多いが、「グレースフルなる衰退」のモデルについては、継続検討ということになりそうだ。

石川石川 2010/11/21 16:18 あのダイアナさえも、大貴族であって、で、皇室を、日英で比較すると、経済的には大差があったりするんですよ。ま、どこの国も、自国を美しくプロパガンダしていて、やたら騙されているのは日本人みたいですよ。だから、グローバルで勝てないわけです。外国勢力がしていることを日本がするとしたら、日本の技術を使えば、間違いなく庶民は金持ちになれるってネットでプロパガンダすることでしょうかね。絶対にしそうもないけど。あと、歴史の中で培われた経済力というのは、歴史が変わらない限り、移譲されることはないんです。イギリスは、国際社会の中では歴史的支配権はほぼ失っってしまったけど、自国の歴史は、何一つ変わっていない国です。フランス革命を見て、学習してですね、フランスのようにならないように先に手をうったわけですし。笑。で、歴史を変える力をもっているのは、一般市民です。権力者ではありません。日本でいえば、官僚でもなく、政治家でもなく、大企業の経営者たちでもないんです。彼等がいくら努力勉励しても無駄です。笑

イギリス在住イギリス在住 2010/11/21 18:16 >イギリスはどうして、こんなにキレイなのか。

オリンピック開催地とは反対側の西ロンドンに住んで3年目ですが、美しい街並みと自然を維持する為に税金が使われている事に幸せを感じます。

アメリカも東海岸のニューイングランド地方は美しいですよね。

歴史好き歴史好き 2010/11/21 19:15 現代の衰退するイギリスについては私もあまり著作を見かけたことがありませんが、18世紀にアメリカ独立による北アメリカ喪失以後のイギリスの変貌についてはいくらか見かけたことがあります。
そちらの方を参照してみると何か示唆が得られるかもしれません。

イギリス在住イギリス在住 2010/11/21 19:42 >現代の衰退するイギリス

あれ・・・、進行形なんですかね?(笑)

JJ 2010/11/22 02:46 >もしかしたら事実よりも美しく歪曲されて私の目に映っていたのかもしれない。

そうだと思いますよ(笑)。海外への出国や家族からの開放感があったのでしょう。欲求不満の主婦としてスケベのことも期待していたのでは。

イギリス在住イギリス在住 2010/11/23 11:01 イギリスは歴史のある国だと感じていますが、衰退していると感じたことがありませんでした。どちらかと言えば活気があると思ってました、、、。でも、私の印象を一言で言うとしたら、良く言えば柔軟な国、悪く言えばいい加減な国です。

nfnf 2010/11/24 08:07 イギリスはこれまでの移民の積極的な受け入れの効果もあって現在人口が増加しているだけでなく、今後の増加予想もあって、21世紀半ばにはドイツを追い抜くのではないかとの予測もありますし、クレジット・クランチ前の経済発展はなかなかのものだった上、クランチ後も不動産の低迷がいち早く底を打ち、現在はすでに3%のインフレ率になっているなど、イギリスにいてあまり「衰退中」と感じることはありません。むしろ、感覚的には19世紀の大繁栄後、20世紀半ばまでのどん底を経て現在復活中、といった感じなのではないでしょうか。
ちなみに、イギリスの景観の美しさは、もちろんかつての富の蓄積による要素は大きいと思いますが、それだけでなく、それを守ろうとする国民のコンセンサスに基づいて行われている各種規制の厳しさや、それによる生活の不便さに対して驚異的にまで我慢強い国民性に基づくもので、日本人にはちょっと真似のできないものではないかと考えています。アメリカ型消費文明・効率的サービスの快適さに慣れきった日本人には、イギリスは美しくはあっても決して「住みやすい」とは言えない国です。

2008-10-08 ノーベル賞の「3対1」

[][] ノーベル賞の「3対1」 11:46

今年は、日本出身のノーベル賞受賞者がざくざく出ているということで、いやな話ばかりが多い中、嬉しいニュース。

その中で、物理学賞の益川氏が、「英語が嫌いで、海外にも一度も出たことがない」というニュースを読んで面白い人だなー、と思った。いろんな人がいる。ただ、これをもって「だから、英語勉強しなくても、英語で論文書かなくても、海外に出なくてもいいんだ」と普通の人まで思っちゃったら問題かな・・・とふと思ったので、一応メモ。

スティーブ・ジョブスもビル・ゲイツも大学は中退したので、別に大学行かなくてもいいんだ・・という話にはならない。あれほどの大天才だったら、環境がどうあれ成功できるだけの力があるだろうけれど、じゃぁウチの「普通」の子供達がそれでいいかというと、やっぱり違うだろうな、というのが親心。普通の子だからこそ、ちゃんと大学行ってほしいと思う。

それと同じで、益川氏は大天才だったのでそれでよかったんじゃないか・・・と私などは思うわけだ。その証拠に、他の3人は、「米国籍取得済み」「米国大学で研究」「海外にいろいろ出ている」方々ばかり。やっぱり、グローバルにやっといたほうが確率高いと思う。

アメリカに住んでるウチの子供達の場合は、日本に住んでいる人と逆に、「アメリカだけじゃーダメだ」「日本語ができるとこんなにいいんだぞ」ということを口うるさく言っている。日本語学校の宿題は相変わらず大嫌いだけれど・・・

eakaseakas 2008/10/08 12:35 >「英語が嫌いで、海外にも一度も出たことがない」

そんな事を言っても日本語を英語に翻訳してくれた人達がいてこその受賞な訳ですし。
本人も英語が話せれば世界中の優秀な研究者達と共同研究をして、さらに新たな発見を得られたかも知れないのに。
と思ってしまいます。

日本では、子供の頃から英語学習を始めることに関して、日本語が中途半端なまま英語を覚えてどうするのだ?というネガティブな発言をする人達がいますが、その中に英語を話せる人がいるとは思えないんですよねー・・・。

そもそも複数言語を駆使するだけの脳力を人間は備えている訳で、そのアドバンテージを身につけていない者はビジネスチャンスを得る機会を失っている訳で。

身につけた言語の数に応じて、ビジネスを持ちかける相手国の数が増えるのに、そういう発想にならないんですかね。

少なくとも英語だけでも話せれば、全世界の英語圏で活躍が可能なのに。

KK 2008/10/08 15:18 >日本語が中途半端なまま英語を覚えてどうするのだ?というネガティブな発言をする人達がいますが

商社関係者のプログ等でよく見る意見。日系人とか下手に海外経験があると、白人に劣等感を持っていて、役に立たなかったという経験話。

shiroshiro 2008/10/08 18:10 「英語が嫌い」だからといって「英語が出来ない」とは限らないのでは?

AndyAndy 2008/10/08 18:15 > 日本では、子供の頃から英語学習を始めることに関して、日本語が中途半端なまま英語を覚えてどうするのだ?というネガティブな発言をする人達がいますが、その中に英語を話せる人がいるとは思えないんですよねー・・・。
今の小学校の国語の教育レベルの低さを見たら「英語教育に取り組むよりも日本語をもっとちゃんとしろ」と思うのは当然だと感じます。
完全なバイリンガルを目指すのでなければ外国語は中学からの学習で十分なレベルに到達できるでしょう。

hirohiro 2008/10/08 19:21 > 益川氏は大天才だったのでそれでよかったんじゃないか・・・と私などは思うわけだ。

いや、日本人のほとんどはまともに英語が話せませんが、特にそれで困ることもなく幸せに暮らせています。もちろん、ほとんどの日本人は大天才ではありません。普通の日本人にとって、英語の習得というのは簡単なことではありません。それだけの労力に見合うだけのものがあると感じた人だけがやればいいのでは? 益川氏は、人が英語に費やす時間を研究に費やすことができたわけですし。
人生の限られた時間、やはり自分の好きなことに時間を費やすことが一番幸せなんじゃないかと、大天才ではない私などは思ってしまいます。

housewifehousewife 2008/10/09 03:47 ノーベル物理学賞受賞者に「英語が苦手」と公言されると、英語出来なくてもOKじゃんと思ってしまいますよね。
でも、だまされてはいけません。ご本人が苦手とおっしゃる=出来ないではありません。
益川氏、自分の研究分野の英語の読解力はすごいはずですよ。「大学院の時、南部先生の論文をしゃぶり尽くした」と話されていましたが、当然その論文は英語で書かれていたはずです。物理の論文は英語で出版されると決まっていて、日本物理学会誌の論文でさえ英語ですから、英語の論文が読めないと研究できません。英語で挨拶されるのは苦手かもしれませんが、自分の専門分野については英語で議論出来るはずです。

ただ、物理や科学の最先端の話ができる言語は、世界中で英語と日本語だけだそうです。カナダのフランス語圏出身の人から聞きましたが、「フランス語で書かれた教科書が存在しないから、物理や化学を専門的に勉強するには英語で勉強するしかない」そうです。母国語でどんなことも勉強出来るというのは、本当にありがたいことですが、日本語だけで全部出来てしまうから、ついパラダイス鎖国になってしまいますよね。

ShinShin 2008/10/09 06:35 っていうかさ、日本語なんて習う必要ないと思うよ。英語と比較すると勉強するメリットが少なすぎる。物理や科学の最先端の話ができる言語は英語だけと言っても過言ではないし、日本語習っても日本人との間しか役に立たない。日本語が中途半端なまま英語を学んでどうするんだとか言う人がいるけどさ、別に日本語要らないし。英語を英語で学べばいいだけじゃん。日本語を維持する必要がない。今の日本人だってカタカナ英語たくさん使っているしね。遅かれ早かれ日本の標準語は英語になるんだから、さっさと法律を変えればよい。それが嫌なら鎖国するか、アメリカから世界の指導者の地位を奪うしかないね。

Tech Momの意見には大賛成だけどね。

KK 2008/10/09 23:30 日本がノーベル賞を取れるのは自国語で深く思考できるから。我が国も英語ではなく韓国語で科学教育を行なうべき [10/09]
ソース:韓国日報(韓国語)(2008/10/09 03:07)
http://news.hankooki.com/lpage/opinion/200810/h2008100903073967800.htm

kaminagakaminaga 2008/10/19 05:06 益川さんがは,もちろん,英語の論文を読めるでしょう.書くのは苦手だったみたいですが.しかし,物理の論文(に限らず,自然科学でも工学でも)は,専門の知識があれば英語がよくできなくても読めますよ.重要なのは数式とか,実験結果のグラフや数値ですから.基本的には,物理ができれば読めるのです.逆に言うと,英語の達人でも物理ができなければ,何が書いてあるかさっぱりわからないでしょう.

2008-09-25 今更、グローバルとは(1) 「平安のイチロー」と「現代の長安」

[] 今更、グローバルとは(1) 「平安のイチロー」と「現代の長安」 10:38

瀬戸内寂聴さんがケータイ小説を匿名で書いていた、という話を聞き、もともとファンだったけれどますます好きになった。さすが、この方は突き抜けている。

それで、思い出したのがこの本。少し前に、たまたま書架にあったのを手にとって読んだらえらく面白かった一冊、じゃなくて上下2冊。

空海の風景〈上〉 (中公文庫)

空海の風景〈上〉 (中公文庫)

なんで思い出したかというのはほとんどこじつけだが、私は関東生まれで、鎌倉仏教には割りと親しみがあるけれど、「最澄と空海」、「天台宗(顕教)と真言宗(密教)」、「比叡山と高野山」の区別はほとんどついていなかった。この本を読んで、初めて一応の区別がついたのだが、空海と対比される「天台宗」のほうで私が知っている人が寂聴さんしかいないので、読んでいる間、私の頭の中では天台宗代表として常に寂聴さんが登場していた、というわけだ。

さて、仏教の区別だけでなく、いろいろな意味でこの本は面白い。その中で、「グローバル」とはどういうことか、というのを考えた。

空海というのは、「超人」だった。奈良時代から平安時代への変わり目という、まだまだ地方の庶民は竪穴式住居に住んでいたような時代の田舎豪族の出でありながら、自力で仏教を勉強し、中国語会話や漢文をマスターし、「人たらし」の才能を頼りに遣唐使船に無理やりもぐりこんだ。

彼が行き着いた先の長安の描写が、すごい。この頃は、唐の最盛期であり、長安は当時世界第一級のコスモポリタン・シティであった。インド、西域、ヨーロッパからも人が集まり、学術でも技術でも芸術でも、これらの人々が切磋琢磨し、唐の皇帝もこうした外国人を重用した。そんな中、遣唐使船が難破してボロボロになってたどり着いた田舎留学生である空海が、持ち前の中国語会話、書・漢文、人たらしといった才能をここでも遺憾なく発揮して、次第に名声を勝ち得ていく。

本国で身分が低かろうが、無名だろうが、才能さえ認められれば人々は彼を賞賛し、信頼する。そしてついに、密教の本山において、居並ぶほかの長年の弟子たちを飛び越えて、空海は師から「正当な後継者」の座を受け継ぐ。

2年後に日本に帰国した空海は、日本に密教を伝えたり、書から土木工事まで、ワケのわからないほどのいろいろな分野で功績を残す。しかし、司馬遼太郎は、彼はずっと長安への特別な思いを抱いていたのではないか、と想像する。彼が作った高野山というのは、長安の都を再現しようとしたのでは、という。

その理由は、長安における知的レベルの高い人々との交流と切磋琢磨のスリルであった。日本に戻って、天皇とも仲良しになり、歴史に大きな名を残すほどになっても、彼自身は、その点で満たされなかったのだろう、と作者は考えている。

現代の超人、野球のイチローが、アメリカにずっといるのと同じことなんだろう、と想像する。たとえ日本のほうがお金をたくさんもらえる状況であっても、コスモポリタンな場所でのレベルの高い切磋琢磨のスリルをいったん味わい、そして自分のことを評価されてしまったら、面白すぎてもう戻れないだろうと思う。それは、仕方がないことだ。

以前、ニューヨークにいた頃にピアノを習っていた先生は、日本人のジャズ・ミュージシャンだった。ニューヨークでは、競争が激しすぎて、私のような素人に教えたり、時々日本に出稼ぎに行かないと食っていけない、ニューヨークだけで食っていけるのは本当に一握りの人たちだけで、あとは皆同じような境遇だと言っていた。それでも、やはりニューヨークにいなければ、そういう人たちとつきあって切磋琢磨できないし、それがお金よりももっと魅力的だから、食えなくてもみんなニューヨークにいるのだ、と言っていた。

シリコンバレーでギークたちが目を輝かせているのも同じことだ。ここはアメリカではない、インド人とロシア人と中国人ばかりだ、という揶揄は全く的が外れている。世界中からトップのギークが集まってきて、言葉がヘタでもすごいコードさえ書ければ尊敬されるし、プロのアントレプレナーたちがその辺でごろごろ酒を飲んで騒いだりしているからこそ、ここはすごいところなのだ。

アメリカのすべてが、グローバルだとは言わない。「パラダイス鎖国」の中で書いたように、基本的には日本以上にパラダイス鎖国の国だし、スマートフォンがアメリカ版ガラパゴス携帯だ、という話も書いた。実際、携帯の分野ではアメリカは「田舎感」があり、世界の中心は欧州という印象がある。だが、「野球」や「ジャズ」や「ギーク」の世界では、間違いなくアメリカ(のそれぞれ一部の都市)は「現代の長安」だと思う。ついに大爆発してしまったが、「金融」におけるニューヨークもそうだった。

今なら、空海やイチローほどの超人でなくとも、それぞれの分野でトップの場所に身を置こうと思えばできるのは、本当にすばらしいことだ。競争は激しくてつらいけれど、その中でもまれることは、麻薬のような魅力のあることだ。

そして、そんな世界の高みでは、ほんのすぐ近くに、グローバル・レベルのものが広がっている。それはすなわち、その場にいなければできない「人のつながり」である。高みから広い世界に、人と人とが広くつながっているし、そういう人たちといつもつきあっていれば、才能や業績だけを見て評価できる目も肥える。人の評価は難しいからこそ、それができない場合には、国籍や学歴や家柄などといったことに頼らざるを得なくなる。

「平安のイチロー」である超人空海は、当時の日本としてはありえないほどのグローバルな人だったようだ。そして、「現代の長安」は、それぞれの分野でいろいろな場所にあるが、アメリカにはそれがたくさんあるのは、悔しいけれど事実なのだ。

KK 2008/09/25 13:12 メガデスの元ギタリスト。マーティ・フリードマンに言わせれば、音楽シーンは日本の方がコスモポリタンのようですが。

「日本の底力は『おもしろければなんでもあり』にあり」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20080416/153213/

ほんのすぐ近くにグローバル・レベルのものが広がっているのに、我々に見えていないだけかも。

KK 2008/09/25 13:23 日本は“文化の吹き溜まり” By吉田敦彦

eakaseakas 2008/09/25 13:43 移民の国アメリカは人工的な優勢遺伝子交配実験場と化しているのだと思います。
結果としてとんでもないものが生まれ、古のしがらみが無いからこそ新しいことにどんどんチャレンジし、年功序列や先輩後輩といった積み立て方式ではなく、ファーストネームで呼び合い、年配若輩を問わず良いものは良いと素直に言えるカルチャーがあるのだと思います。
日本の大企業は年功序列システムと言語の壁を本気で乗り越える日が来るまで、いつまでものらりくらりとやっているのでは。

KK 2008/09/26 01:11 日本で生まれた赤ちゃんの三十人に一人が混血で、大都市では国際結婚は十組に一組にもなる。
日本も既にそうなっている。

トーリストーリス 2008/09/26 05:45 今年の夏に高野山に行ってきましたが、宿坊の部屋に置いてあった空海の生涯を描いた子供向けマンガが面白かったです(笑)
想像ですが、今より旅行の手段も環境も整っていなかった当時、世界中から長安に集まった人達というのは、能力はもちろんエネルギーも人並み外れた人が多かったことでしょうね。
噂を聞きつけて世界中からそういう人間が、文字通り人生を賭して集まってきたでしょうから、そういう人達にとっては毎日が楽しくてエキサイティングでしょうがなかっただろうなあと思います。
今の時代で能力も意欲も人並み外れた世界中の人達が集うところというと、すぐに思いつくのはやはりgoogleあたりでしょうか?
今の日本の状況では、そういう場はなかなかできそうもないのが残念です。

KK 2008/09/26 05:55 コミケ辺りはどう?最近は世界中から集まってくるみたいだし。

PILPIL 2008/09/26 08:20 現在の中国も世界中からお金と人材が集まり、弱冠グローバルレベルのビジネスからずれていますが、「知的レベルの高い人々との交流と切磋琢磨のスリル」が繰り広げられています。私もそこに魅力を感じて、中国でビジネスを手掛けております。しかし、いまだ日本では中国ビジネスは一段低く見られ、この手のエキサイティングな感覚は理解されないのが残念です。

ta26ta26 2008/09/26 16:55 風観羽のta26です。普段は最先端のビジネスや技術のことを書かれている海部さんの、別の意味での奥深さを感じることができる、すばらしいエントリーですね。アメリカというのは、たぶん『南部』に一つの核があって、『西部』『東部』の国際的なカルチャーとのコントラストが激しいのだと思います。西だけでもなく、東だけでもない、南部のようなガラパゴスを内に抱えたアメリカだからこそ、他の国にはない混沌と対立、そしてそこから出てくるエネルギーと懐の深さがあるのではないでしょうか。

KK 2008/09/27 01:31 イチロー暴行計画…シアトル紙衝撃報道

仰天の“内部告発記事”だ。地元のシアトル・タイムズ紙が5日連続で「マリナーズ再建」と題した特集を開始。25日付は第2弾として、イチローへの“暴行未遂事件”を掲載した。
記事はクラブハウス内の情報提供者の証言を元に作成。チームメートの一部がイチローの記録中心などのプレースタイルを「自分勝手」と“断罪”し、実際にイチローに対して暴行を加えようという動きにまで発展した。ある選手の1人は「knock him out(ぶっ飛ばしてやる)」と息巻いたほど。前代未聞の“襲撃計画”を知った当時の監督、ジョン・マクラーレン氏(57)がミーティングを招集して、不穏な空気を封印。“未遂”に終わらせたという。
昨年も同様な騒動があり、「多くの選手がイチローのことを嫌っていることに驚いた」と関係者のコメントも載せている。
http://news.goo.ne.jp/article/sanspo/sports/120080927024.html

イチローも大変だ。

KK 2008/09/27 02:28 結果的に言えば、空海の行動は正しかったと思う。
中国で密教は消滅してしまった。日本に持ち帰らないと、密教の系脈は途絶えた事になる。

KK 2008/09/27 02:37 野球は、アメリカと中米・旧日本圏くらいでしか行われていない、グローバルと言いがたいローカルなスポーツだ。
コップの中の争いだと言えなくもない。

2008-09-01 Blog Action Dayと「共感のグローバル」

[] Blog Action Dayと「共感のグローバル」 23:01

AMNの徳力さんからご案内をいただいたのをきっかけに、Blog Action Dayに参加することにした。

Blog Action Day 2008をAMNが日本のパートナーとして支援|アジャイルメディア・ネットワーク(AMN)

Blog Action Day 2015 - Raise Your Voice Oct 16, 2015 | 404 Not Found

最初は「We are the world」みたいなもんか?という印象だったが、別の英語のブログ記事で「ブログ・バージョンのフラッシュ・モブ」である、というのを読んで納得して、参加する気になった。このブログと、細々やってる英語ブログの両方を登録している。

10月15日を期して、世界中のブログ運営者が、「貧困」というテーマでエントリーを書く、という企画である。別に登録しなくてもいいのだが、登録しておくと、どのぐらいの数のブログと読者が参加したか、というのを把握できるということで、登録を促している。興味のある方は、このブログの右柱にあるアイコンからサイトにはいれる。寄付なども募っているが、とりあえずお金のことは気にせず、今回は「フラッシュ・モブ」のノリで参加してみるつもり。

このような企画は、このところ私が感じている「共感のグローバル」の典型だ。このところ、「第三のグローバル」という問題についていささか考えている。「パラダイス鎖国」の本の中で、ぼんやりと考えていながらはっきり文書にあらわせなかったこと、あるいは多くの読者の感想や批評を読んで感じていることが、少しずつ形になってきたように思う。それで、久しぶりに、「第三のグローバル」のカテゴリーで、少しずつシリーズで書いていこうと思っている。(「第三のグローバル」の定義は別のエントリーで書くので少々お待ちを・・・)

「パラダイス鎖国」が出た少しあと、ゴールデンウィークに「若者が海外旅行をしなくなった」という現象につき、テレビ朝日に取材され、本に書いたのと同じことを意見としてお話した。その後も、いろいろな方から「そうだよねぇ、最近は海外のことなんかネットでいくらでも情報がはいるし、目新しいことなんてないよね。行かなくても済んじゃうよね。」という感想を聞いた。そのとおりだと思うのだが、だから必ずしも「鎖国する」ということにはならない、というのをどういえばいいか、わからなかったのだが、最近少しわかったような気がする。

私を含む旧世代の「海外旅行」は、「違い」を求める旅だったんじゃないかと思う。私がアメリカに初めてやってきたとき、見るもの聞くもの食べるもの、何もかもが強烈な体験として襲ってきた。その強烈な「異国感」というか、「エキゾチシズム」を求めて、その後も私は、学生時代に海外貧乏旅行をずいぶんした。

でも考えてみれば、「エキゾチシズム」はいわば「出会い頭」のショックであって、「旅行」としては楽しいけれど、それが何か生産的な活動につながるためには、そのショックを消化するための長い時間がかかる。何かを感じても、自分は何からアクションを起こすべきなのか、方向性がはっきりわからない。

ネット時代以降のグローバルは、こうした「違い」や「エキゾチシズム」のショックを求めるのではなく、「共通のもの」「共感」を求めるものじゃないか、と思うようになっている。今まで、「国」という縦割りの中でしか得られなかった類の「共感」を、世界各地の共通の興味を持つ人たちとの間で、「横串」をさしたように、薄く広く、感じることができるようになったのが、「双方向性」と「伝播性」を兼ね備えたネットの時代の特徴だ、と思うのだ。

その「共通の興味」が、このBlog Action Dayの「貧困」のような、ユニバーサルで重大なテーマの場合もあり、あるいは「この映画のファン」程度の話の場合もある。どの場合であっても、そのコミュニティに集う人たちは、住んでいる国や文化の違いなど関係なく、「共通の話題」で盛り上がることができる。すでに、最初から「共感」をもって集まっている。目的意識も近い。

だから、そのエネルギーが「アクション」につながることも比較的容易だ。「異国感」を乗り越えるための時間や苦労は必要ない。エキゾチシズムの楽しみは減ってしまったかもしれないけれど、その代わりに得られるものはもっと大きい、と私は思うのだ。

江戸時代、他の藩に属する人は、「他国」の人であった。言葉も習慣も違い、「共感」ではなく「異国感」の対象であった。その人々が、「日本」という単位にまとまった後、今でも方言や習慣の違いはあるけれど、「同じ日本人」というアイデンティティをもつ、「共感」の対象となった。それが悪いことだという人はいないだろう。それだからといって、日本のほかの地方に旅行することを皆がやめてしまったわけでもない。海外だって、エキゾチシズムがなくなったから行かない、ということにはならないだろう。

今、海外から日本にやってくるアニメのファンというのは、日本に「フジヤマ・ゲイシャ」時代のようなエキゾチシズムなど求めていない。「アニメ」という横串の共感を求めて、やってきている。シリコンバレーにあこがれてやってくる日本のエンジニアは、「自分の能力やライフスタイル」に共感する人の多い場所を求めてやってくる。

私が「パラダイス鎖国」の中で書いた、「軽やかなグローバル化」とは、もうちょっとセオリー的にいえば、こういう言い方ができるかな、と思っている。

その意味で、まず自分でも、「ブログ界の共感」イベントである、「Blog Action Day」一大イベントに参加してみよう、と思っている。やって何かが起こるのか、新しい発見があるのか、わからないが、まずは人体実験してみる。こういうものは、少しでもたくさん参加者がある、ということ自体が面白いので、日本からも是非どんどん参加してみてほしい。

ということで、このシリーズ、続く予定です。