『しりこだま抜かれるときに』/高山あつひこ

 …と、呟いた時には、もう水の中に引きずり込まれていた。何かが足首を掴んで離さない。ぐんぐん深みへと落ちていき、私の周りは泡ぶくだらけになっていく。遠くに、水面が明るくきらきら光る。ああ、きれいだ、あの光りの元に戻らなくては…。ふいに足首が自由になり、今度は尻の辺りをぐいと掴まれた。はっとし て、相手を蹴飛ばし振り払い、めちゃくちゃに暴れながら水面を目指した。ハイヒールの踵が何か硬いものに当ると相手がひるんだので、一気に水面に浮かび上がった。思い切り息を吸い、岸に駆け上がる。又、足首を掴まれた。でも、もう、大丈夫。岸辺の木の幹に手を廻して踏ん張り、思い切り足首を振り払う。途端に、その緑 色のものは、遠心力で岸辺に投げ出された。頭の辺りを押さえて唸っているところを見ると、踵が当たったのはあそこだったらしい。思わず睨みつけると、相手も横目で私を見た。
「死にたいんなら、しりこだまをぬかせてけろー」
 そんなことをいわれた気もする。
「死にたくなるほどの気持ちを捨てに来ただけで、死にたいわけじゃない。それに、しりこだまってなによ」
「それがなくても、生きていけるだー」
「…じゃあ、ためしに、半分だけ…」
 つらい気持ちが半分と、記憶が半分抜かれたようで、せいせいした。ほわんとした気分で周りを見ると、木の後ろにも水の中にも、何か話しかけたそうにしているものがいっぱいいる。ずっとここに坐って、みんなの話を聞いていたいと思ったのだけれど…。
 河童さん、お皿を割ってごめん。でも、この世が一つだけじゃないということも分かった。だから、私は生きていける。
 結局、しりこだま半分は返してもらい、私は、その夜、汽車に乗って帰った。