子どもの遊び




春夏の野にも、秋冬の野にも、
子どもの姿が絶えて無い。
たまさか遠くから、子どもたちの甲高い声が風に乗って聞こえてくると、
わが耳はそれを聞き逃さない。
それにしても、野の彼方から子どもたちの声の聞こえてくるのは本当にまれだ。
子どもたちは、どこへ行ったのだろう。
彼らは、野から去り、林を吹きすぎていく風からへだたり、
建物の中に、隠れてしまった。


安曇野に地域の総合文芸誌がある。
名は「安曇野文芸」。
毎年春と秋に出版し、今年の秋で20号になる。
安曇野文芸の会」の会員による同人誌だ。
ぼくはまだこの会に入会していない。
やっと作品を書く時間的余裕が生まれてきそうで、
入会しようかなと考えている。
一つの小地域に、このような文芸誌が存在していることに感心する。
それだけ地域文化が活発であることを表している。
一月ほど前穂高に新しく中央図書館ができ、記念に「安曇野文芸」バックナンバーの無料提供が行なわれていると聞いて行ってみたら、残っていたのは2冊だけだった。
その後、またまた「安曇野文芸」の提供があり、それを洋子がもらってきてくれた。
合わせて10冊。
思いがけない贈り物だった。


この雑誌の第2号に、「朕思わず  -―1930年代の子どもたち――」
というエッセイがあった。
安曇野で生まれ育った筆者の子ども時代を描いた、ユーモアに充ちた作品で、
1930年代安曇野の子どもたちの遊びが安曇野の方言を交えて描かれている。


穂高神社の秋祭りが終わるころ、安曇野の田んぼに、たわわに稔った稲穂を天日干しするハゼ木が立ち並んでいた。
田んぼは子どもたちの格好の遊び場になり、戦争ごっこに興じる子どもたちの声がこだました。
戦争に突入していく時代だった。


 「ジャンケンで敵軍になった仲間はハゼ木のうしろで濡れた泥土を投げてくる。
ハゼ木の下をくぐり、敵陣を占領しても、次の陣地はいくらでも後方に連なっていた。
田んぼの持ち主も、ハゼの木から稲穂を落とさぬ限り
『この餓鬼どもめ!』
とぐざることもなく、
キセルでタバコを吸いながら、笑って見ていた。
 たまには違う部落の奴らを相手に数十人の子どもの大戦争ごっこもあった。
そんなときには女の子も看護婦になって、負傷者になったものはゴザに寝かされ、手拭いの包帯を手や頭に巻かれ、
雑草の青汁を『薬だ』といって飲まされた。
 疲れて休戦になると、敵味方一緒になって脱穀の終わった稲ワラにひっくりけって休んだ。
小隊長や分隊長は自分の家の柿、栗、芋干しなどを部下に、『ヒョウロウだ』と言って配ってくれた。
 『ヒョウロウ(兵糧)』を食べながら見上げる秋の空は澄み切った美しい青であり、
常念岳有明山もはっきりそびえてかっこよかった。」(白澤清一)


そして作者は、昭和初期の子どもの遊びを紹介する。


男の子の遊びはほとんど戸外で、
冬は、凧揚げ、雪合戦、下駄スケート、ソリ遊び、コマ回し、将棋、メンコなど。
春は、ビーダマ、石けり、かんけり、陣取り、馬乗り、田んぼのレンゲソウの中での相撲、かくれんぼ、かけっこ、
夏は、川遊び、川原や林で鳥の巣探し、魚とり、三角ベース、
秋は、兵隊ごっこ、ちゃんばら、紙ヒコウキ、栗拾い、くるみ拾い、縄跳び、
などがあった。
子どもたちの遊びは枚挙にいとまがない。
遊び道具は自分で作り、親の手伝いをしながらも遊びほうける子どもたちの手足にはすり傷が絶えなかった。


ここから抱腹絶倒の兵隊ごっこが始まる。概略次のような話だ。


小学2年のセーチャ(作者)は、お腹の具合がちょっと悪かったけど、手製のおもちゃの銃を持って、遊びに出かけた。
お墓に行くと、もうノーチャもタッチャもカズチャも、顔に焚火の炭を塗たくって、目だけ光らせていた。
セーチャも顔に炭を塗る。
そこへユーチャ分隊長がエーチャ二等兵をつれ、桑の木で作ったサーベルを腰に吊るして現れた。
6人は、足音を忍ばせて偵察に出かける。
ワサビ畑で働いている人たち、穂高川で釣りをしている人を敵兵に見立てて、いちいち報告しながら進んでいく。
小鳥が飛び交っていた。
それは敵の飛行機だ。
アリの行列発見、敵の連隊だ。
向こうから荷車が来た。
「敵の戦車1台発見。前方500メートル。」
こんな調子で、見るものを想像力で敵に見立て、進軍して行き、
途中で教育勅語をそらで言えるかということになった。
タッチャが暗唱しはじめる。
他のみんなは背筋を正して聞く。
「朕オモウニ‥‥」
途中までいい調子だったが、つまってしまった。
そこへノーチャが、続けた。
「朕思わず屁をこいた。汝臣民くさかろう。お国のためだ。我慢せよ。鼻をつまんで、ぎょめいぎょじ。」
みんなはゲラゲラ笑いこける。
そのとたん、セーチャの具合悪かったお腹が、ガーと鳴って、下のほうからぬるぬるするもんが出てきた。
ウンチは止まらず、ズボンの中に広がった。
ノーチャが報告。
分隊長、セーチャ一等兵が負傷しました。黄色い血を流しています。」
5人は、「くせー、くせー」と言って離れていく。
ユーチャ分隊長が命令。
「排水へ下りていって洗ってこい。」
セーチャは、ワサビ田に下りていって流れる水で下半身を洗った。
ノーチャが、
「この紙まるめてホゾしろ。オレ前にやったが効き目あったぞ。」
と、鼻紙を渡してくれた。
セーチャはお尻の穴に紙を丸めて押し込んだ。
これでウンチの出るのは止まったが、臭い匂いは止まらない。
分隊長の命令。
「負傷者が出たで、ただちにわが分隊は基地にもどる。セーチャ一等兵は後備につけ。」
セーチャ、我が家に着くまで最悪の行軍だった。
セーチャは、ずっとあとから思った。教育勅語を笑ったバチが当たったんだな。