光城山の桜


 光城山の桜を見に行かないかと前日家内が言った。光城山を「ひかるじょうやま」と読むことを知ったのは、安曇野に来て何年かたってからで、それまでは「こうじょうやま」かなとか「ひかりしろやま」かなとか、勝手に思っていて、登りたいとは思いもしなかった。それが「ひかるじょうやま」だと知って、「ひかる」は動詞、「じょうやま」は重箱読み、おもしろい読みかただと思った。
 光城山は、安曇野の東山の一つ、我が家から東を見ると、ちょうど今、桜が満開で、麓から標高912メートルの頂上まで、登山道に沿って桜の花のピンクがかった白っぽい斜めの帯ができている。夜は登山道の桜を点々と連なる裸電球の明かりが浮かび上がらせているらしく、遠くからは電球の光の点線が見えるだけだ。
 朝、9時10分から二人で登り始めた。新しい住宅地からいきなり山道が始まる。花見の登山者が途切れることなくつづき、山に登って行く。
 この山も、マツクイムシによるアカマツの枯死が進み、今日も枯れたアカマツの伐採が行なわれていた。傾斜はかなり急で、森の形成が貧弱だ。桜は登山道に沿って植えられたもので、それ以外の樹木の種類も数量も少なく、育ちも貧素だ。広葉樹の高木がない。アカマツはわずかに残っているが、それも枯れて赤くなっている。山道は土が露出して、乾燥している。大雨が降ると、土石流が出ないだろうか。麓の住宅地は不安だろうなと思う。頂上についたのは10時過ぎだった。
 安曇野の盆地のかなたに、北アルプスの雪の全山が眺められた。槍が岳も見えるということで、そのあたりを眼を凝らして観たが雲が少しあって見えなかった。蝶ヶ岳の横あたりに稜線からわずかに二つの白いピークがのぞいていたのは、穂高連峰ではないか。
 頂上には社があり、昔、戦国時代、城が築かれていたという説明板があった。
 次から次へと登山者が登ってくる。圧倒的に女性が多い。そして年輩の人たち。
 ゆっくりゆっくり、約1時間の上りだった。
 下りで、30人ほどのパーティと出会った。10人ぐらいずつ3班に分け、一人ずつ男性リーダーがトップを歩いている。しっかりした装備で、ザックをかついでいる。長峰山まで縦走して、長峰山荘に泊まるのだろうか。50代60代の女性のパーティだった。
下りは40分。
 桜の苗木が植えられつつあったが、桜の木も寂しい。