「十七音詩」<2>



「十七音詩」37号(昭和51年1,2月号)に掲載されていた「無名兵士の手帖 ――沖縄戦の記録」(小寺勇)を部分的にここに抜粋する。()内は吉田による俳句の訳・解説。


「無名兵士の手帖 ――沖縄戦の記録」(小寺勇)
                 
昭和19年11月5日、那覇港に上陸し、沖縄本島防衛に任ず
      日に灼(や)くる胸板を君のみ楯とす
          (陽に焼けた我が胸板を天皇を守る楯にする)
昭和20年3月17日、敵機動部隊 本島に接近、乙号戦備下令。
      わがししむら砕けて散るは潔し
          (ししむらは肉体のこと。我が肉体が砕けて散るのは潔いことだ)
3月23日、早朝より敵機の銃爆撃 熾烈にして、夜間に陣地構築を急ぐ。24日、本島東南部沖に敵機接近、艦砲射撃を開始。25日、甲号戦備下令。われら鉄壁の陣を敷く。
      永劫に三十一歳なり散らむ
          (死ねば、永久に私は31歳である。死への覚悟の句。)
4月1日、われに倍する敵の大部隊は、膨大なる物資をたのみ中頭郡北谷地区より上陸を開始せり。国頭地方との連絡遮断さる。さらに上陸を企図する敵の別動部隊あり。
      万緑の孤島の土と化さむかな
          (沖縄の4月は緑がしたたる。その島の土になろうと)
4月24日に至り、軍は島尻の24師団を北上せしめ、一大決戦を敢行せんとす。われもまた第一線に参加。
      斃るるもの斃れしめわれゆかむかな
          (戦いにたおれるものはたおれさせよ、われもまたゆこう)
5月4日、払暁を期し、軍の全火力をもって総反撃を敢行す。われは小銃手なり。
      我を敵をやきつくさねばをかざる日
          (我をも敵をも焼きつくさねばおかない死闘が一日続いた)
      やられたり手榴弾なげんとせしその時
          (射手が倒れた。手榴弾をなげようとしたときに)
      撃たれ撃つ銃火のなかに妻を恋ふ
首里城攻防戦は熾烈(しれつ)をきわむも、制海空権は敵の手にあり。彼我の航空兵力比は実に無限対零なり。友軍機は一機もなし。
          (米軍と日本軍の航空兵力の比は、無限対0。戦力のこの違いを小寺はよく認識していた。)
斬り込み隊出発。
      虫鳴けりいでては戻ることなき彼ら
          (虫が鳴いている。出撃していく兵、いけばもう戻っては来ない)
      訣別のことば短くいでてゆきぬ
          (別れの言葉を短く言って、兵は出て行った) 
5月16日、左足に貫通銃創を受け、単身後退す。翌17日、わが小隊40数名は玉砕せるもののごとし。 
軍に協力するおとめの学徒あり。
戦況は悪化し首里城を放棄。
5月25日、軍司令部は摩文仁に移動。持久作戦を取る。
      進みえず退きえず地(つち)にすがりつき
          (砲弾の雨、進むことも退くこともできない。ただ大地に伏すのみ) 
      鋼鉄の雨ふり葬るにすべもなし
          (島の形が変わるほどの「鉄の暴風」と言われたアメリカ軍の砲撃に戦死者を葬ることできず)
      手榴弾ひとつは己れ砕くるため
          (各自一個の手榴弾をもつ。最後はそれで自分を砕くのだ)
6月26日、組織的戦闘はこの日をもって終息。指揮命令は支離滅裂となり、籠城潜伏のやむなきに至る。昼は洞窟にもぐり、夜は出てゲリラ戦を敢行するも、弾薬糧秣ともに尽きはて、われらの前途は死あるのみ。今は最後とみずから砕くるもの多し。われら戦友数名、敵中を突破し国頭に残存する友軍に合流し、ゲリラ戦を敢行せんとして三度敵中突破を企図す。
      待ちて死を選ぶるよりは散らむかな
芋と芋の葉と、その茎のみを食糧として、潜伏を続く。
      死期のがし生きむとはするかなしさよ
      いきもののかなしさ食らふことにつきる
8月18日、敵機のまくビラ および拡声器により祖国の降伏を知る。
      敗れたりすがるものなく地に座る
8月29日、部隊長以下われら三百余名は勅命を奉じ、敵の軍門に降る。前夜、軍旗を焼く。
      軍旗燃ゆる眼にたぎる男の涙
俘虜となり収容所に入る。
      生き残り今宵燈火の下にねる
          (これまでは一切燈火のない生活だった。夜を照らす燈火の明るさよ。)
われに一子あり、名を剛。生後六ヶ月にしてわれは征途につきしなり。
      吾子の泣く声に覚めしが潮騒なり
          (収容所の夜、吾子の泣く声で目が覚めた。それは海の波の音だった。)
      父の顔しらず生死をしらず汝は
          (我が子は父の顔を知らない、生死も知らない、お前は)
妻よ
      朧夜やこころに妻を抱いてねる
妹よ
      兄われを婚期失ひつつ待つや
          (兄のわれを、婚期を逃しても待っているのだろうか、妹よ)
俘虜の刑罰に石割の苦役あり。
      秋風や愛憐とほく石を割る
          (収容所にも秋風が吹いている。いつくしむことも哀れむことも遠く、ただ毎日石を割る)
われ二年雪を見ず、雪への恋慕やみがたく、まぼろしに雪を見る。
      芭蕉葉にガジュマルに雪ふらしめよ
12月11日、収容所を去り、乗船待機所に向ふ。
      水筒の水を去りゆく地にそそぐ
12月18日、LST船Q72号に乗船。
      手を振れり手を振れり島とほざかる
          (沖縄を去る。ふるさとに帰るのだ。激戦の島、おびただしい殺戮の島の影が遠ざかっていく)