3人のベトナム人青年のスピーチ

 先週土曜日、三郷公民館で外国人のスピーチの会があり、堀金公民館で日本語を教えてきた農業技能実習ベトナムの3人が発表してきた。ぼくはそれを必ず聴きに行くと言ってあったにもかかわらず、車のタイヤ交換を夕方から始めて、冬タイヤをはずしてノーマルタイヤに付け替える作業を、息を切らしながらやっているうちに、ころっと忘却。気が付いたら7時だった。体はへとへとだった。
 日曜夜、日本語教室に彼らは来た。
 「きのう、はっぴょうしたスピーチ、聞きたいです。スピーチしてください」
と言うと、初めは乗り気ではなかったが、
 「ここで発表するのも練習だからね」
と強くプッシュすると、やる気になった。
 3人は黒板の前に立って、スピーチした。ルアンとトウー君はときどき原稿を見た。ハップは原稿を忘れてきたから、思いだし思いだししながら話した。3人とも、もとの原稿は日本語の間違いも多いし、内容も乏しかったが指導者と対話しながら引き出された内容が加わり、添削もされて、こんな話になった。


 ルアン君、タイトル「わたしの疑問」

「 2013年4月、ベトナムから来ました。ルアンです。
 お母さんが子どもを愛するのは世界中どこでも同じでしょう。もちろん日本でもベトナムでも。
 わたしは、日本に来て少したったとき、こんな光景を見て、たいへんおどろいたことがあります。それは遊んでいた子どもが、とつぜん転んだときのことです。いっしょにいたお母さんは何も言わず、何もしなかったのです。しかし、子どもは泣かないで起き上がりました。ベトナムではどうでしょうか。たぶんお母さんは、子どものところに走っていって、
 「痛くない? だいじょうぶ? かわいそうに、愛しているよ」
と言います。そしてお母さんがあやせばあやすほど、子どもは大きな声で泣くと思います。日本のお母さんは、子どもを自立させることを考えているのでしょう。またこんなこともあります。日本の冬は寒いのに、子どもはたくさん服を着ていません。学校には歩いて行き、送り迎えもありません。ベトナムなら、寒いとき子どもに4、5枚の服を着させ、そのうえもっと服を着せようとします。日本の子どもは小さい時から、寒さ暑さに慣れ、風邪も引かないのだと思います。
 私が日本の家族で問題だと思っていることがあります。高齢者と若い人が一緒に住むことが少なく、家族のなかで話をすることがあまりないそうです。だから、犬や猫を飼っています。
 こんなことを聞いたことがあります。ある人が、スーパーで物を盗んでつかまりました。警察官がその理由を聞いたところ、家には話し相手もなく、さびしいので、つかまれば交番には話し相手がいるという答えでした。こんなことはベトナムにはないと思います。
 私は将来結婚して、子どもが生まれたら、子どもの教育方法として、ベトナムと日本のよいところを取り入れ、あまり厳しくしない、そして甘えさせすぎない、バランスのとれた教育をしたいと思っていますが、みなさん、どう思われますか。」


 次はトー君、タイトル「さくら」


「 みなさん、こんばんは。 2012年、日本に来た時、好きな花ができました。それは桜です。私の会社の寮の前に立っていた大きな木、それが桜でした。暑い夏でもそこは涼しく、秋になると黄色、そして赤へと、葉の色が変わり、そのうちにすべてが落ちました。
 冬になって雪が降ると、すべてが真っ白になりました。桜が眠っているみたいな感じで、大丈夫かなと心配しました。寒い冬が終わり、暖かくなった春4月、だんだんとでかくなった桜のつぼみが、1個2個3個、そしてたくさんのピンクのつぼみとなりました。桜がうれしそうに笑っている感じでした。次の日、桜の木は花だらけ、そして蜂があらわれ、小鳥の声も聞こえました。春の明るさと桜の花の色がはっきりわかりました。やさしい春の風と桜の香を感じ、いい気持ちになりました。でも、花は一週間ぐらいで終わりました。地面はピンクの花でいっぱい、しばらくすると桜は葉っぱをつけました。わたしは桜の命を強く感じました。
 わたしの故郷ベトナムでも、たくさんの種類の花が咲きますが、このような花はありません。日本ではどこでも桜が見られます。わたしは写真をいっぱいとって、友だちに送ってあげました。みんなにほめられました。「日本に連れてって」と言われました。桜の咲く季節に、日本人はお花見を楽しんでいます。多くのイベントもあり、おいしいお菓子もありました。もうすぐ桜の花が咲きます。それを見て楽しみ、その思い出をいっぱい持って、わたしは国に帰ります。ありがとうございました。」


 トー君は今年6月に3年間の実習生生活を終えて帰国する。
 次はハップ君、タイトル「平和をねがって」


「 ライチという果物を知っていますか。 その産地ベトナムのハイズオンから、2012年に来ました。もうすぐ3年になり、9月に帰国しますが、冬のきびしい寒さにも慣れ、会社やこの教室のみなさんのおかげで、本当に楽しい時間を過ごしております。
 わたしは、みなさんに質問があります。みなさん、何がきらいですか。少し考えてみてください。わたしは戦争がきらいです。みなさん、ベトナム戦争という言葉をおぼえていますか。もちろん、わたしが生まれる前のことでしたが、おじいちゃんが、そのつらかった悲しかったことを教えてくれました。
 昔わたしの国、ベトナムは多くの戦争を経験しました。19世紀にはフランスの植民地となり、その後、第一次インドシナ戦争、1960年から1975年まで第二次インドシナ戦争、国土は戦争で荒れ果て、尊い多くの国民の命が犠牲となりました。だからベトナム人は戦争を憎み、絶対反対です。平和が好きです。
 平和であれば、人は多くの夢を持って、外国にも行けるし、多くのことを経験し、知ることもできます。外国語の勉強もがんばれます。わたしの初めての外国は日本です。日本は平和です。
 わたしは、会社の近くで畑をつくりました。畑にトウモロコシとサツマイモとトウガラシとカボチャ、スイカを植えました。トウモロコシとスイカができましたが、カラスが食べてしまいました。わたしの食べたのはトウモロコシ1本とスイカ1個でした。みんなが笑いました。
 会社や日本語教室のみなさんは、いつもわたしに親切にしてくれます。おかげで日本語が少し話せるようになりました。これからもっと勉強して上手になりたいです。将来はベトナムと日本に関係した会社で活躍したいです。みなさん、ありがとうございました。」


 発表はあまり上手ではなかった。けれども心が伝わってきた。みんな拍手した。三人三様の内容で、個性があり、一生懸命話してくれた。スタッフの高橋さんは「感動しました」と顔をくしゃくしゃにしていた。彼らの見る日本がある。彼らが考える祖国がある。彼らが帰国する時、いっしょにべトナムに来ませんかと彼らが言う。
「行こうか」
とぼくが言うと、スタッフのみんなも、
「行こうか」
と真顔で応えた。ぼくは本気でそう思うようになってきた。