土岐善麿の敗戦直後の歌。
あなたは勝つものとおもってゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ
老いたる妻が寂しげに言ったその言葉。「あなたは日本が勝つものと思っていましたか」。
何の疑いもなく信じていたの? それとも疑いもしたの?
私は‥‥‥?、負けると思っていましたか。
妻自身もまた問いにゆらめく。
こうなってしまった。どうして気づかなかったのか。なぜ信じたのか。
「あなたは、日本がこうなると思っていましたか」
今も問い続ける。
こうなる道を歩んでこうなった。こうなる道を歩めばこうなることは明らかだった。明らかだったけれど、この道を歩んだ。なぜ?
70年がたち、新たな問いが生まれる。
問いはいくつもいくつも時を越えて生まれてくる。
「あなたは世界がこうなると思っていましたか」
こうなってしまった70年の巨大な痕跡が、日本を、世界を、覆っている。
横たわっている巨大な足跡。
その足跡を見ながら、また巨大な痕跡を残しつつ、懐疑の道を歩いている。
三人(みたり)の子 国にささげて 哭(な)かざりし 母とふ人の 号泣を聞く
二上範子
我が子三人を国にささげ、子らは戦死した。その時は泣かなかった母が、今声上げて泣く。
そういう情況に至り、そのときはそういう情況に付き従うよりなかった。それはなんだったのか、なぜそうしたのか、なぜ子どもを失わなければならなかったのか、その死を悲しむことのできなかった自分とはなんだったのか。
おびただしい悔恨の歴史を、今も歩んでいる。