「夏休みを10日間にする」という記事


 今朝の新聞に「夏休みを10日間にする」という記事が出ていた。
 まさか!何を考えている!という思いが噴き出して記事を読んだ。
 静岡県吉田町では、来年度から小中学校の夏休みを最短で10日間に短縮する方針を決め、19日夜から保護者への説明会を始めたというのだ。背景には教員の長時間労働問題があり、夏休みを減らして授業日を増やし、普段の1日当たりの労働時間を減らすことが狙いだという。
 計画は2月、町の総合教育会議で了承され、3小学校、1中学校にエアコンを設置し、授業環境を改善したうえで夏休みを短縮する。夏休みは今年度は24日間ある。来年度からは10日間になり、普段の授業は、1日6時限の時間割を4〜5時限に短縮して教員の負担を減らす。これで授業準備の時間も確保でき、子どもの学力向上につながると町はみているという。
 教員の長時間労働は全国で問題化している。それは解決しなければならない。けれども、その改善策で夏休みを短縮するというのは、方向性が違っている。
 この数年ヨーロッパの旅で見てきたのは、6月ごろから夏休みが始まり、たっぷりと1か月半から2か月半ほど、自然のなか、街の中、文化遺産の中へ、子どもたちがグループをつくって繰り出している様子だった。美術館でも、博物館でも、自然公園でも、さらには山岳地帯のトレッキングコースでも小学生から高校生までの子どもたちが仲良いグループで行動している。ドイツでは親たちも会社からたっぷり夏休みをとれるから、子どもたちとゆったりバカンスを楽しめる。アメリカも、2ヵ月半ほどあるらしい。欧米の夏休みには宿題なんていうものはない。
 ぼくが教員になったころは、今のような過重な長時間労働はなかった。夏休みは、たっぷり四十日近くあり、そのうちに数日間、登校日があった。子どもも教師も、胸躍る夏休みだった。
 真剣に教育研究をしようとしている教員は、この時とばかりに、全国に澎湃として起こっていた民間教育研究団体の夏季合宿を選んで参加した。研究会が東北地方や九州で開催されると、旅をして現地に行き、それだけで1週間は費やした。顧問をする学校の部活動の指導もある。学びと精神涵養の旅もある。創作活動にうちこむ人もいる。ぼくは山岳会の友と、10日以上の山行をし、学校の同僚ともテントを担いで山に登り、さらに登山部の生徒を連れて奈良の奥地を歩き、キャンプをした。木曽の御嶽山まで登った。まったく夏休みは自由にして貴重な日々だった。
 その夏休みを短縮して授業をするとは、なんということか。普段の過重労働をなくすことはいいことだが、その減った分を夏休みに回すというのは、授業時間数からのみの発想であって、教師にとっても、子どもにとっても、夏休みの価値を見失った発想だ。夏休みの意味とは何なのかということが抜け落ちている。自然の中で、自分の頭で考え、みんなと遊び、みんなと学び、自由に楽しく生きる醍醐味を味わう夏休みが、牢獄になりつつあるのではないか。