『祭暦』

 あるとき「メタモルフェーゼ」でwebを検索していたら、オウィディウスの『転身物語』がひっ掛かってきて、さらにこの本に行きついたのだが、これってすごいと一人で感心している。
 オウィディウスって人は結構ポルノチックな詩で有名を馳せ、当時の皇帝アウグストスに睨まれて、島流しにあったのだが、その確たる理由はわからないことになっているらしい。だが彼のまとまった著作として後世に名高いのがこの『祭暦』と『転身物語』だとすれば彼の支持者がどう考えていたかは想像がつく。もちろん自らの名を月の名前にもぐりこませたカエサルの後継者を任ずるアウグストスト皇帝との一身をかけた戦いだったのだ。それまで多くの人が使ってきた名前を捨てて、皇帝の名前を毎年毎年言わせるという発想は常軌を逸していると現代の我々は考えるが、当時はそうでなかったに違いない。
 さらにそれではアウグスト皇帝にとって暦は何だったのだろうと考えていくと、
彼らの定めたいわゆるユリウス暦の本質をつかむ必要が出てくる。それは現在の一年365日制であり、月の運行とは無縁の太陽中心暦ということになる。「月から太陽へ」。時間の支配者が変わったのだ。当然それに抗議する人々がいても不思議ではない。
  その代表がオウィディウスってことなのだ。それも、確たる根拠も示されることもなく、ローマから黒海の寒村に追放されて、アウグストスの死後も許されることなく、9年の追放生活の中で死にいたっている。
  もう一方の代表作が『転身物語』であるということは、月と対を成していたのが「蛇」であることは容易に類推できる。つまり古代の「月と蛇」の世界から「日と火」の近代へと移り変わる転換点の悲劇の英雄なのだ。
  古代をこの「月と蛇」の世界と認識することの重要性に気づかせてくれたのが、まさにwebでの one click だったのだ。 いや、日本の歴史を考えてきて、うすうす感じていたので「メタモルフェーゼ」で検索をしてみたのだ。世界の歴史にも同じことがあったようだ。