ちょっと溜飲が下がった話

   『宣長の源氏学』を読んでいたら、「よくない人」として宣長が上げたのが「葵の上と弘徽殿女御ともう一人」と出てきた。少し前のNHKに、朝青龍をイジメぬいておい込んだ某女史が出てきて「弘徽殿女御」を絶賛していたので嫌なきもちが残っていた。正反対の見解をえて少し気持ちが緩んだ。そこでの記述を案じていくと宣長は「もののあはれ」と並んで「おもいやる心」、すなわち「想像力」を重視していたらしい。 その想像力に欠ける人が「よくない人」になるわけだ。いくら自分が桐壷の更衣がきらいでも、桐壷帝のことを大切に思っていれば、その人の死を悲しんでいる帝への憐憫がにじみでないとすれば。それは「よろしくない」というのである。
     当然この「よくない不良」は実務的、あるいは道徳的な意味ではなく、「ふさわず」に近い状況判断の確かさを第一義にさす。
   「 p5  http://homepage2.nifty.com/midoka/papers/mewo.pdf
    それにしても、本書では宣長の人格論まで踏み込んでいるのだが、父母にはふれても、細君にはすこしも触れていないのが少々残念。大野晋氏の本で読んだ記憶によれば、宣長自身すでに妻帯していたのに、知り合いの女性が離縁されて里に戻ったのを聞きつけて、しかるべき手順を踏んで、自分の妻を離縁して、その後に、今でいうバツイチ同士の結婚をしたのである。その妻・勝との間に二男三女をもうけている。
     源氏物語を語るならばまず恋の重要性を踏まえてほしいものだ。さらに、「まめ男」には、初恋を成就する世間知もなければならない。



2013.2.5追記
【三つの不良】

  道徳的不良   背反命題   主として司法判断
  実務的不良   全数命題   主として行政判断
  共感的不良   関係命題   主として多数決

   参考論考
ある実務者の論理 http://homepage2.nifty.com/midoka/papers/russell.pdf
「女男の理」と「民衆の理論」と;http://homepage2.nifty.com/midoka/papers/mewo.pdf








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